windows 7 touch リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 7/06/2009 windows7 も touch.スクリーンに触ることの障壁が,iPhone でなくなった.心理的な問題.技術的な問題.商業的な問題.私たちの知覚はどうなるか.「Windows 7」のタッチ機能--普及の鍵は何か リンクを取得 Facebook × Pinterest メール
GIFアニメーションに関するメモ 10/13/2012 「GIFアニメーション」と呼ばれるが,その「アニメーション」の部分はクールジャパンで言われているアニメーションではなく,「動き」そのものを現している.だから,アニメーションとしてこれまであまり考えられてこなかった.しかも「動き」と書いたが,それはとても短い時間でループし続けるものでしかないので,あまり動かないと言えば動かない.だから,GIFアニメは「アニメーション」として見なされずに,「Web上でカクカク動くモノ」という存在であった. けれど良く言えば,その短さゆえに「動き」の最も面白い部分を抽出しているとも言えるので,もっとも「アニメーション」らしい表現とも言える.しかし,その動きはカクカクしている場合が多い.そのカクカクさは,YouTubeなどにアップされたアニメの動きの滑らかさとは異なる.動きの解像度の低さゆえに,「動き」という部分が強調されるということが起こっている.というよりも,GIFアニメは「動き」しか楽しめるところがないとも言える. カクカクした動きはGIFが圧縮画像であることが生じている.データを圧縮して「軽く」する.その際に,画像は劣化する.それでもインターネットはより多くのデータをより早く届けることを良しとするがゆえに,「劣化」を受け入れる.だから,GIFアニメは「劣化」した「動き」を示しているとも言える.しかし,それが新鮮に受け取られている.「動く」というアニメーションの基本の部分に,デジタル特有の「圧縮」が入り込み,それが好意的に受け入れられている表現としてGIFアニメを捉えることで,アニメーション概念の拡張が図れるのではないかと考えてみる. 続きを読む
京都精華大学集中授業「メディア論」 8/19/2016 メディアが融けたあとのメディア論 ───モノとディスプレイとの重なり合いから考える スライドと授業のメモ > メディアとメタメディア篇 (PDF) 誰もが使えるようになってはじめてメディア それゆえに,エンゲルバートはコンピュータをメディア化したとは言えない メタメディアと身体の縮小 外爆発の結果の内爆発というベクトルの変化 内爆発=知能の拡張=メタメディア メタメディアによって外爆発で拡張した身体自体が内爆発にベクトルを変化させる アラン・ケイのタブレットのイメージとプログラミング プログラミングで内爆発を記述する? > 融けるデザイン篇 (PDF) 表層と深層 深層をプログラミングで記述するからこそ,メディアは溶けだす. 二層構造が前提となっているからこそ,コンピュータはメタメディアである モノとメタファー 電話のようなもの 電話線が光回線になって,インターネットのもとで「電話のようなもの」となっている 深層の記述と表象の古さ=過去のメディアの流用 「メタファー」というモデルに惹きつけられるヒト? 物理層から離れて,アプリという独自の地位を与えられる 物理層,プロトコル層,インターフェイス層 > ポストインターネット篇 (PDF) Artie Vierkant Image Objects 写真という3次元のものを2次元平面で見せる視点をコピースタンプツールで破壊して,2次元にしか見えない平面を3次元にみえる2次元平面に混入させる 紐 レイヤーを貫通して,ゆるやかにつなぐ紐 実際のレイヤーはあるけれど,そのように考える小林さんの思考が興味深い リンク集 4日目 Introduction - Material design - Material design guidelines material.google.com Rafaël Rozendaal – Official Website newrafael.com Rafaël Rozendaal - Shadow Object 15 12 14 http://www.newrafael.c... 続きを読む
2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1) 7/07/2015 2046年の携帯電話 新海誠監督のSFアニメ「ほしのこえ」を「インターフェイス」の観点から見ると何が見えてくるでしょうか.「SF」というジャンルには近未来を予測した様々な「インターフェイス」がでてきますが,「ほしのこえ」では主にミカコとノボルをつなぐ「携帯電話」を扱いたいと思います. ノボルとミカコの物語は2046年が舞台です.2046年の中学生3年生がもっている携帯電話は,大きな液晶タッチパネルで操作するスマートフォンとは異なり,小さな液晶ディスプレイと多くのボタンを備えたものです.2046年という未来であるにもかかわらず,「ガラケー」とも呼ばれる古いかたちの携帯電話を持っているのはおかしいと思う人もいるでしょう.しかし,現在のスマートフォンのかたちを決定づけたアップル社のiPhoneが発表されたのは2007年ですから,「ほしのこえ」が発表された2002年には液晶タッチパネルを備えた携帯電話は一般的ではなかったことになります.2002年にはiPhoneがまだ存在していなかったけれど,今(2015年)では携帯通信機器の主流は,ノボルとミカコがもつような携帯電話からタッチ型インターフェイスのスマートフォンへとシフトしました.この事実は「ほしのこえ」を考察する上で重要な意味を持ちます. 「ほしのこえ」はSFなので,iPhoneのようなタッチ型インターフェイスの携帯電話の登場を正確に予測する必要はありません.なぜなら,SFは「サイエンス」という言葉がついていても,あくまで「フィクション」なので,現実的な未来の予測に囚われる必要はないからです.しかし,SFは現実世界の正確な予測ではないけれど,単なる絵空事でもありません.SFと現実とのあいだには独特なつながりがあります.例えば,『SF映画で学ぶインタフェースデザイン』には携帯電話に関する例が挙げられています. SFに見られるフィクションの技術によって,ファンは来るべき刺激的な何かを期待します.顕著な例は,『宇宙大作戦』の通信機です.1960年代後半,一般的な通信機といえば,トランシーバーないしは壁にコードにつながっているお姫様型電話だったころ,『宇宙大作戦』に登場した通信機によってモバイル電話の期待が高まりました.その使い方は電話というよりもややトランシーバー寄りではありましたが,初期の... 続きを読む
インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか. 2/08/2010 .review にテキストを書くために,昔発表したものを改めて読んでみた.カーソルについては論じていないけど,GUI が担っている思想的背景みたいなものを自分がどのようにまとめたかを確認できた.このときは「カーソル」という存在をまったく見落としていたので,ここからどうカーソルと関係させていくか. -- イメージ操作シンボル View more presentations from Masanori MIzuno . インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか. 1.はじめに アラン・ケイが提唱したスローガン「イメージを操作してシンボルを作る [Doing with images makes symbols] 1 」は,現在のグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)につながるアイデアを簡潔に表現し,GUI の開発に大きな影響力をもった.ケイのスローガンは,ヒトとコンピュータとのコミュニケーションをどのように変えたのであろうか.現在,世界中に,GUI を実装したコンピュータは数えきれないほどあり,私たちはそれを使って日々の作業を行っていることから,ヒトとコンピュータの関係の変化は,ヒトのコミュニケーションそのものへも影響を与えているのではないだろうか.本論考では,上記のことを考えるために,まずは,一般化した GUI がどのような影響をもっているのかを確認するために,東浩紀とシェリー・タークルの議論を考察する.次に,ケイが,どのような影響のもとで,上記のスローガンを掲げるに至ったのかを明らかにする.最後に,スペルベルとウィルソンの「関連性理論」を参照して,GUI が私たちに提示したコミュニケーションの手段を考える. 2.インターフェイス的主体とブリコラージュの再評価 哲学者の東浩紀は,『サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか』の中で,現在のユーザ・インターフェイスの主流を占めている GUI について興味深い議論をしている.東は,ジャック・ラカンとスラヴォイ・ジジェクの精神分析の理論をもとにして,シェリー・タークルが1990年代のコンピュータ文化を特徴づけるために用いた「at interface va... 続きを読む
スライド:情報美学概論A 第12回 主観的|間主観的|客観的:人称のゆらぎ 7/26/2011 東京藝術大学 芸術情報センター :情報美学概論A 第12回 主観的|間主観的|客観的:人称のゆらぎ→ スライド 参考資料 クラウド化する世界 アルゴリズミック・アーキテクチュア FORM+CODE -デザイン/アート/建築における、かたちとコード ダブルネガティヴスアーキテクチャー|塵の眼 塵の建築 (現代建築家コンセプト・シリーズ) 市川創太×松川昌平[メール対談] フィロソフィア・ロボティカ ~人間に近づくロボットに近づく人間~ アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか -- 主観的、間主観的、客観的 (現代哲学への招待Great Works) 合理性の諸問題 (現代哲学への招待 Great Works) デイヴィドソン ~「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス -- コメントのコメント 「わからない」ことを講義すること.「わからない」ことを「わかりたい」と思うこと.今回の講義は前でしゃべりながら,いろいろと気づくことが多かった.本当はそれを予め理解して,咀嚼して,もっと分かりやすいかたちで提示すべきなのだが,これが今のところ自分の限界である.そして,未だに講義で気づいたことをまとめきれていない. テルジディスが『アルゴリズミック・アーキテクチャ』の中で書いているコンピュータの「他者性」と,それに伴う「思考のサイボーグ化」.そして,サイボーグ化した思考がつくりだすあらたなノーテーションとしての「Super Eye」.ヒトが考えが終わったところからはじまる世界の把握.ヒト中心主義から脱却.これは頭,テキストとしては理解できても,まだ実感として理解出来ない.ここで「身体」をもちだすことが,よくないのかもしれないが,それでも「身体」という言葉をだしてしまうこと. 私はテルジディスとは異なる形で,コンピュータは「全くの他者」だと考えていた.ヒトはコンピュータという「全くの他者」とコミュニケーションをするために,両者が触れ合う部分のインターフェイスの改良を行った.マウスというモノや,メタファーという概念を使って,ヒトの身体をコンピュータの論理に組み込んでいくこと.それは「全くの他者」に「身体」を与えることであったと言える.しかし,である.今,コンピュータに組み込まれた「身体」が... 続きを読む
お仕事:美術手帖 6月号「ポスト・インターネット」への寄稿 5/18/2015 美術手帖 6月号「ポスト・インターネット」に「 世界制作のプロトタイプ 」展のレビュー 「「リアル」と「インターネット」の密着を透かし見る方法」 を書きました.「透かし見る」というのは,展示のことを考えていたら出てきた言葉です.「リアル」からかもしれないし,「インターネット」からかもしれないけど,どちらかでもそれは「もう,どっちでもいいよ」[ マテリアライジング展Ⅲ に提示されていた渡邉朋也さんのエッセイタイトル]という感じで,どちらからも透けて見えてるという状態は気に入っています.あと,今回の特集を読んでいて思ったという後出しですが,「リアル」から「インターネット」を透かした場合は,インターネットの透過光がリアルを通過するときに反射光の影響を受けるし,逆もまたあるということが思い浮かびました.こうやって,後出しでも次々に考えたことを書いていくことは重要な感じがしています. それと 「ポスト・インターネット用語集20」 を高岡謙太郎さんと一緒に書きました.ここには「 [インターネット アート これから]───ポスト・インターネットのリアリティ 」展と「 インターネットヤミ市 」ことが書けてよかったです.日本の「ポスト・インターネット」的状況を考えるときに,これらを外すことはできません.これら展示・イベントフォーマットを海外の「ポスト・インターネット」な展示などと比較することは自分的な課題でもあります.あと,「 new jpegs 」 展のところに,「 便秘をどうにかしたい!newjpegs 」という,残念な言葉を入れられたのもよかったです.もう過ぎ去ったかもしれない「ポスト・インターネット」には,この「残念な」感じが漂っていたような気がします.「new jpegs」 展がドメイン更新しないで,「便秘をどうにかしたい!newjpegs」と放置しているのは微かに残る「ポスト・インターネット」の名残りかもしれないです. 続きを読む
GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界(3) 4/22/2013 3.GIFと初期映画 3−1.映像 GIFは「動画」であるにもかかわらず,物語の一部にもならない「動き」を切り取った「静止画」のような特殊な性質をもったものである.GIFは「物語」ではなく,デフォルメされた「動き」が強調される.ここで初期映画とGIFとを対比してみたい.なぜなら,初期映画とGIFはとともにそれぞれのメディアの黎明期に現われた映像の形態であり,映画研究者のトム・ガニングが「初期映画は,その後あからさまに映画を支配するようになる物語への衝動に屈服していたわけではなかった 22 」というように,初期映画は「物語」を強調した映像ではないなど,物語の要素がうすい「短い動画」であるGIFと多くの類似点が見出されるからである. ガニングは1906年頃まで映画を支配した映画と観客のあり方を「アトラクションの映画」と呼ぶ.そして,映画が「物語」を積極的に活用するようになったあとも,アトラクションの映画は消えることなく,物語映画の要素としてあり続けているとしている 23 .アトラクションの映画について,ガニングは次のようにまとめている. アトラクションの映画は観客の注意をじかに引きつけ,視覚的好奇心を刺激し,興奮をもたらすスペクタクルによって快楽を与える───虚構のものであれドキュメンタリー的なものであれそれ自体が興味をかき立てる独特のイベントなのである.展示に供されるアトラクションは映画的特性も備えていて,それはたとえば今しがた述べたばかりの初期のクロース・アップやトリック映画だが,後者は映画的操作(スロー.モーション,逆回転,変身,多重露出)が物珍しさを提供する.虚構の状況はというと,ギャグやヴォードヴィルの演目,衝撃的で好奇心を煽る出来事の再現(刑の執行,最新の事件)に限定されがちだった.映画製作へのこうしたアプローチを規定するのは観衆への直接的な呼びかけであり,それに基づいて映画興行師が観客にアトラクションを供するのである.ストーリー展開や物語世界の想像と引き換えにショックや驚きのような直接的刺激を強調することで,物語に没入させることよりも演劇的な誇示の方が優位に立つ.アトラクションの映画は,心理的動機や個人的人格を備えた登場人物を想像することにエネルギーを費やすことはほとんどしない.フィクションとノンフィクションの双方のアトラクシ... 続きを読む
2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(2) 7/08/2015 宇宙と地上に引き裂かれる恋人をつなぎとめる携帯電話 新海監督が「SFというよりは超長距離恋アニメを目指し」て「ほしのこえ」を制作したと言っているように,このアニメはミカコとノボルの恋のお話です.「タルシアン」という異星人は出てくるし,ミカコが操縦する「トレーサー」というロボットもでてきますが,それらと並んで,私たちが普段目にするような日常の風景もでてきます.新海監督によると「全世界あげての戦時下ということもありタルシアンのテクノロジーを拝借した軍事技術は著しく進化しているが,日常のテクノロジーの多くはほぼ現代と同等で停止したまま」という設定になっています.こうした状況のなかで,ミカコとノボルはお互いのことを想いながらも,SF的な未来の風景と現実的な日常な風景というふたつの異なる世界で生きていくことになります.このことをアニメのキャッチコピー「私たちは,たぶん,宇宙と地上に引き裂かれる恋人の,最初の世代だ」は端的に示しているのです. そして,「宇宙と地上に引き裂かれる恋人」をつなぐという重要な役割を果たすことになるのが,2000年前後のかたちを保存した携帯電話なのです.ミカコとノボルがお揃いで持つ携帯電話は,SF的世界と日常的風景をつなぐ大切な道具なのです.そのとき,SF的世界側の道具として携帯電話を私たちが見たことがない装置として描くと,そこにはふたりの距離を瞬時につなげてしまうあたらしいメッセージサービスが実装されている可能性がでてきます.そうすると,ふたりはいつでもどこでも好きなときにメッセージを送り合えます.これでは「宇宙と地上に引き裂かれる恋人」になれません.だから,携帯電話は日常側の道具として描かれる必要があるのです.そこには「超長距離メールサービス」というあたらしい技術が実装されていますが,あくまでもそれは「メール」という私たちにとって日常的な存在で描かれています. ここで「メール」と書いているのは正確には「電子メール」という技術になります.「電子メール」はもともと「手紙」としてやり取りされていたメッセージを電子化して送受信できるようにしたものです.「電子メール」は携帯電話の登場以来,誰もが使うようになっていって,いつの間にか「電子」という言葉はとれていきました.ここで興味深いのは,2046年のメールは宇宙を超えるような技術にな... 続きを読む
スケッチパッドで描く、ふたつの手(1) 3/30/2010 1.記録映像に映るふたつの手 ひとつの動画ファイルがある.そのファイルを再生すると,1962年の夏に撮影されたアイヴァン・サザーランドが開発したシステム「スケッチパッド」の映像が,グラフィカル・ユーザ・インターフェイスの基礎を築いたアラン・ケイによる説明とともに映し出される.そこでは黒い画面に白い線が,ペンで描かれていく.ケイが紹介していることからも,このスケッチパッドが,コンピュータの歴史の中で大きな影響力を持っていることが伺えるが,実は,このシステムに実際に触れた人はごく限られている.アラン・ブラックウェルとケリー・ローデンは,サザーランドの博士論文の電子版の前文で,スケッチパッドは,マサチューセッツ工科大学(MIT)のリンカーン研究所でカスタマイズされたマシン,TX-2 でしか動かなかったので,その影響力は,論文と使用状況を撮影したこの記録映像によって広まったと書いている 1 . その記録映像には,ディスプレイ横にあるボタンを押す手とディスプレイにライトペンと呼ばれるペンで線を描いていく手が映っている.また,これらふたつの手がまったく映っていないときに,白い線が規則的に動くということも記録されている.描く手を必要とせずに線が動いているのであるが,その線の動きには摩擦や空気抵抗が感じられない.そして,この摩擦や抵抗のなさは,ライトペンで線を描いている際にも同様にみることができる.今から,40年以上も前に撮影され,サザーランドのアイディアを多くの人に伝え,スケッチパッドを「個人によって書かれた最も影響力のあるコンピュータ・プログラム 2 」という地位にまで押し上げたこの映像は,何を示しているのであろうか. 私は,以前,スケッチパッドが「変換」という原理でイメージを生み出す装置であることを示した 3 .それは「痕跡」との一致という原理を逃れたイメージを描けるということである.この映像で,手が全く映し出されていないときに線が規則的に動くという,ある意味,マジックとも言えるようなシーンは,そのことを示している.このマジックは,後にケイが「最初のコンピュータ・グラフィックス・プログラムだということばかりでなく,スケッチパッドにはすばらしい面がたくさんあった.単に何かを描くための道具でなく,常に正しい法則に従って描くプログラムだったね.スケッチパッドで正方形を描こ... 続きを読む
invisible loophole 展のギャラリートークの前|後 8/27/2011 invisible loophole 展のギャラリートークの前 カーソルという「見えない記し」.フロイトが示したような意識と無意識の2層構造.ここで,マジックメモに注目すると,3層構造がでてくる.カーソルはヒトとコンピュータとが作り出す3つめの層.カーソルの層|意識|無意識.という3層.意識の方向付けを行う「カーソル層」.意識の流れ.志向性.意識の方向.意識と無意識に影響を与える「向き」を示す層.ヒトとコンピュータとが融合することでできた新たな層.でも,それは「見えない」,見えているけど,見えない.だから,「見えない記し」.この見えない記しが見える記しを動かし続け,何かが記され続ける. マウスからグリッチへ. データが直接破壊されるグリッチ.すべてが記号の中で破壊が遂行される.ヒトのみが記号の破壊を認識できるのかといえるのが,コンピュータも,アプリケーションごとにその破壊を認識している,という面白さ.記号の破壊.見える破壊と見えない破壊. グリッチからiPadへ. iPadはデータとともに粉々に砕け散る.フィジカルに散る.リモートなし.現実にべったりとマッピングされたガジェットとしてのiPad.べったりだけど,その表面は記号の世界.現実にべったりとしたフィジカルな記号の世界.それゆえに,iPad Head Girl では「顔」から「その他のもの」に変わった時に,それが「フィジカルな」記号であるがゆえに,フィジカルと記号とが引き離されるのを見ることになる.だから,とても違和感を感じる. invisible loophole 展のギャラリートークの後 昨日は,invisible loophle という展覧会のギャラリートークをした.トークしている中で,カーソルというヒトとコンピュータとの複合体の最前面を介して,コンピュータがヒトをまねているし,ヒトもコンピュータをまねているのではないかという考えがでてきた.コンピュータの反復性を,ヒトが行うようになる.コンピュータの思考にまねる.コンピュータの身体性をまねる. 映像に関して.今まで映像は,深層と表層から成り立っていたと考えられる.そこにコンピュータ... 続きを読む