windows 7 touch リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 7/06/2009 windows7 も touch.スクリーンに触ることの障壁が,iPhone でなくなった.心理的な問題.技術的な問題.商業的な問題.私たちの知覚はどうなるか.「Windows 7」のタッチ機能--普及の鍵は何か リンクを取得 Facebook × Pinterest メール
メディアアート概論(2025年度水野担当分)の授業資料 11/22/2025 女子美術大学 の首藤圭介さんに声かけてもらって、 茅ヶ崎市美術館 の藤川悠さんと3人で「メディアアート概論」の授業を今年度もしました。 昨年度 同様、私の担当分は5回でしたが、今年は構成を変えました。担当回の最初に、谷口暁彦さんの《parallax》(2021)を見てもらって、その感想・コメントを書いてもらいました。その後、メディアアートを考える基礎的な事象を「視界・リンク・仮想空間」というキーワードで示して、最後に改めて、谷口さんの《parallax》を見てもらって、感想・コメントをかてもらうという構成にしました。このようにした理由は、以下のものです。こちらは授業資料から引用です。 「作品を作って、終わり/作品を見て、終わり」と、私たちは「作品体験」を一つのブロックとして完結させて考えがちです。しかし、そうではなくて、作品を作って、見て、考えて、次の作品を作って、見てという延々と続いていくプロセスの中で、私たちの考えは常に変化しています。この授業では、その変化を捉えたいと思っています。特に、「批評」「考察」といった言語がそのプロセスにおいて、どのような役割を持つのかということを、皆さんに考えてもらう機会が提供できたらと考えています。 最終回での学生のコメント、そして、水野担当回全体への学生のコメントを読んでいると、多くの学生が作品の感じ方、考察に仕方が変わったと書いてくれていました。試みは成功したと、自分では思っています。 メディアアート概論(2025年度水野担当分)の授業資料 https://mmmmm-mmmmm.notion.site/2b3a1dc0748180949db4d8d183a40414?v=2b3a1dc074818070887d000c4a1246c0&source=copy_link 授業資料をAIを積極的に使いながら、アップデートしてみました。昨年度よりは、わかりやすくなっていると思います。また、学生のコメント部分は削除しています。 続きを読む
スケッチパッドで描く、ふたつの手(1) 3/30/2010 1.記録映像に映るふたつの手 ひとつの動画ファイルがある.そのファイルを再生すると,1962年の夏に撮影されたアイヴァン・サザーランドが開発したシステム「スケッチパッド」の映像が,グラフィカル・ユーザ・インターフェイスの基礎を築いたアラン・ケイによる説明とともに映し出される.そこでは黒い画面に白い線が,ペンで描かれていく.ケイが紹介していることからも,このスケッチパッドが,コンピュータの歴史の中で大きな影響力を持っていることが伺えるが,実は,このシステムに実際に触れた人はごく限られている.アラン・ブラックウェルとケリー・ローデンは,サザーランドの博士論文の電子版の前文で,スケッチパッドは,マサチューセッツ工科大学(MIT)のリンカーン研究所でカスタマイズされたマシン,TX-2 でしか動かなかったので,その影響力は,論文と使用状況を撮影したこの記録映像によって広まったと書いている 1 . その記録映像には,ディスプレイ横にあるボタンを押す手とディスプレイにライトペンと呼ばれるペンで線を描いていく手が映っている.また,これらふたつの手がまったく映っていないときに,白い線が規則的に動くということも記録されている.描く手を必要とせずに線が動いているのであるが,その線の動きには摩擦や空気抵抗が感じられない.そして,この摩擦や抵抗のなさは,ライトペンで線を描いている際にも同様にみることができる.今から,40年以上も前に撮影され,サザーランドのアイディアを多くの人に伝え,スケッチパッドを「個人によって書かれた最も影響力のあるコンピュータ・プログラム 2 」という地位にまで押し上げたこの映像は,何を示しているのであろうか. 私は,以前,スケッチパッドが「変換」という原理でイメージを生み出す装置であることを示した 3 .それは「痕跡」との一致という原理を逃れたイメージを描けるということである.この映像で,手が全く映し出されていないときに線が規則的に動くという,ある意味,マジックとも言えるようなシーンは,そのことを示している.このマジックは,後にケイが「最初のコンピュータ・グラフィックス・プログラムだということばかりでなく,スケッチパッドにはすばらしい面がたくさんあった.単に何かを描くための道具でなく,常に正しい法則に従って描くプログラムだったね.スケッチパッドで正方形を描こ... 続きを読む
インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか. 2/08/2010 .review にテキストを書くために,昔発表したものを改めて読んでみた.カーソルについては論じていないけど,GUI が担っている思想的背景みたいなものを自分がどのようにまとめたかを確認できた.このときは「カーソル」という存在をまったく見落としていたので,ここからどうカーソルと関係させていくか. -- イメージ操作シンボル View more presentations from Masanori MIzuno . インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか. 1.はじめに アラン・ケイが提唱したスローガン「イメージを操作してシンボルを作る [Doing with images makes symbols] 1 」は,現在のグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)につながるアイデアを簡潔に表現し,GUI の開発に大きな影響力をもった.ケイのスローガンは,ヒトとコンピュータとのコミュニケーションをどのように変えたのであろうか.現在,世界中に,GUI を実装したコンピュータは数えきれないほどあり,私たちはそれを使って日々の作業を行っていることから,ヒトとコンピュータの関係の変化は,ヒトのコミュニケーションそのものへも影響を与えているのではないだろうか.本論考では,上記のことを考えるために,まずは,一般化した GUI がどのような影響をもっているのかを確認するために,東浩紀とシェリー・タークルの議論を考察する.次に,ケイが,どのような影響のもとで,上記のスローガンを掲げるに至ったのかを明らかにする.最後に,スペルベルとウィルソンの「関連性理論」を参照して,GUI が私たちに提示したコミュニケーションの手段を考える. 2.インターフェイス的主体とブリコラージュの再評価 哲学者の東浩紀は,『サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか』の中で,現在のユーザ・インターフェイスの主流を占めている GUI について興味深い議論をしている.東は,ジャック・ラカンとスラヴォイ・ジジェクの精神分析の理論をもとにして,シェリー・タークルが1990年代のコンピュータ文化を特徴づけるために用いた「at interface va... 続きを読む
インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について 8/03/2013 インスタグラム の設定にある「元の写真を保存」,英語だと「Save Original Photos」という項目が気になる.デフォルトだと「オン」になっているので撮影した写真にフィルターをかけたものと「元の写真」が残ることになる.「オフ」にするとフィルターをかけた写真しか残らない.設定で「オリジナル」が消去される.ここには「オリジナル」という言葉が「軽く」扱われるというか,それが「設定」のひとつの項目になったんだという感じがある. http://en.wikipedia.org/wiki/File:Instagram_versione_(santa_fiora,_peschiera).jpg 「オリジナル」は消去されるが,フィルターをかけた写真は残る.オリジナルが消えているのだから,フィルターをかけたものが「オリジナル」となるのだろうか? 「オリジナル」かどうかというよりも,「インスタグラムらしさ」ということが重要なのかもしれない. この前のトークで ,ラファエル・ローゼンダールがウェブ上の自分の作品に「これがオリジナル!」という意味では「オリジナルはない」ということを言っていたが,インスタグラムという代表的な写真アプリの設定項目を見てみても,ポスト・インターネットという状況では「オリジナル」という言葉を取り巻く環境が変化していることは間違いない. 続きを読む
「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと 8/22/2011 東京藝術大学 芸術情報センター で8月20・21日に開催された公開講座「 グリッチワークショップ 」を見学しました. 「データを壊す」ってどういうことなんだろうと疑問から見学させてもらったのですが,とても興味深い内容でした. ucnv さん, 林洋介さんによるグリッジの技術的な講義と 針谷周作 さんによるグリッチの歴史とその可能性を示す講義といった,グリッチをめぐる技術と概念を端的に学べました.ワークショップ参加者は,技術を学んだあとに,グループごとに作品作りをしていたので,単に見学していた私よりもはるかに深く「グリッチ」のことを理解できたのではないかと思います.制作には参加しませんでしたが,私自身もこれから自分がメディアアートを考える上で役に立つような「グリッチ」という概念を得たような気がします. ここからはワークショップに参加した私の個人的な感想です. ucnv さんがグリッチの定義として「データは壊れているけれども再生できる」と言われていて,ここでの「壊れている」って何だろうと思いました. バイナリエディタで画像ファイルを開くと,その画像を構成しているデータが文字と数字ででてきて,この時点で自分的にはファイルが「壊れている」と感じてしまうわけですが,それは,画像を構成するデータの別の見え方であるわけです.「攻殻機動隊」や「マトリックス」で,緑の文字・数字が画面を覆い尽くすことのイメージや,概念では画像データを文字・数字で示すことは知っていても,バイナリエディタで画像ファイルを開くだけで,それが文字・数字ででてくると,やはりそれまでとは違って,やはりそうだったのかということを感じます.その文字・数字を適当なところで消したり,コピペなどで編集,保存して,その画像ファイルを画像として開くと,画像が変な感じになっている.バイナリエディタでやっていることは,自分の感覚からいうと「編集」という行為ですが,その結果生じた画像は「壊れた」と感じる.「編集」から「破壊」が生じるという変な感覚です.さらに,コンピュータにとっては別にそのデータが「壊れている」というわけではなくて,それをデータ通りに画像として表示しているわけです. 元画像 バイナリエディタで編集 (ちょっとした)グリッチ画像 コンピュータはデータは壊れ... 続きを読む
デスクトップ・メタファーと「ディスプレイ行為」 3/12/2010 ここで,デスクトップ・メタファーが生み出されたパロアルト研究所に考察の対象を移したい.なぜなら,この研究所において,ディスプレイ上の対象物を指さすための道具であったマウスに,次々に新たな行為が付け加えられることになるからである. パロアルト研究所では,1973年に,アルト(図4-4)と呼ばれるシステムが開発された.アルトは,アラン・ケイや,バトラー・ランプソン,チャールズ・サッカーが中心となって開発された実験的なワークステーションであり,その大きな特徴は,ディスプレイ上のピクセルがメインメモリのビットに対応するビットマップ方式を採用していたことである.この決定は,ヒトが環境の情報を最も捉えることができる視覚を重視したインターフェイスを提供することが,マシンとソフトウェアの最大の目的であるという開発者たちの認識から導かれたものであった.そして,アルトのインターフェイスでもうひとつ重要なことは,ポインティング・デバイスとして,マウスが採用されたことである.当時,マウスは,入力デバイスとしては馴染みの薄いものであったが,スチュワート・カードによる実験によって,マウスが,ディスプレイ上の対象を指示するのに最も適したデバイスということになり,標準装備されることになった.4-42) 視覚重視の考えと,ヒトの手の原初的な感覚をコンピュータに持ち込むマウスという道具が,アルトというワークステーションで出会うことになる. 図4-4 ゼロックス社 アルト 視覚重視のアルトは,ディスプレイ上のイメージを自由に表示することができた.このことは,ディスプレイ上のイメージが示すアフォーダンスの直接的な知覚に基づく指さし選択行為とマウスとの関係に影響を与えた. エンゲルバートのシステムでは,マウス・カーソルのイメージは,単なる点であった.しかし,アルトでは,カーソルの形は,矢印(→)になる.カーソルの形が,矢印ではなく点であっても,ディスプレイ上のイメージを指さす選択行為を遂行することはできる.では,なぜ形が変わったのか.それは,ディスプレイ上のイメージを自由に表示できるようになっために,指さし選択行為の遂行に,より適したアフォーダンスを示すイメージを表示するようになったと考えることができる. ここでは,身体的行為を導くアフォーダンスとディスプレイ... 続きを読む
マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性 1/03/2010 フロイトは,自らの記憶と知覚のメカニズムに関する仮説のために,当時,売り出されていた玩具である,マジック・メモという装置を取りあげた.その理由は,この装置のイメージを表示する表面が,「いつでも新たな受け入れ能力を提供すると同時に,記録したメモの持続的な痕跡を維持するという二つの能力を備えている」2-11) からであった.フロイトは,「情報を無限に受け入れる能力と,持続的な痕跡の保存は,互いに排除しあう特性」2-12) と考えていたが,マジック・メモは,その相反する能力を同時に実現する装置であり,その構造は,次のように記されている. このマジック・メモは,暗褐色の合成樹脂あるいはワックスのボードに,厚紙の縁をつけたものである.ボードの上を一枚の透明なカバー・シートが覆っていて,その上端がボードに固定されている.このカバー・シートは,固定されている部分を除いて,ボードから離れている.この小さな装置でもっとも興味深いのは,このカバー・シートの部分である.このカバー・シートは二枚のシートで構成され,シートは二カ所の末端部分を除くと,互いに離すことができる.上のシートは透明なセルロイドである.下のシートは半透明の薄いパラフィン紙である.この装置を使用しない時にはパラフィン紙の下の面は,ワックス・ボードの上の表面に軽く粘着している.2-13) ここから,マジック・メモについてわかることは,大きく分けて,ワックス・ボードとカバー・シートという二つの部分から,この装置が構成されているということである.そして,カバー・シートは,透明なセルロイドの層と半透明の薄いパラフィン紙から構成されているので,全体としては,三層構造の装置ということになる.フロイトは,次に,この装置を使用するプロセスを詳細に述べている. このマジック・メモを使う際には,ボードを覆ったカバー・シートのセルロイドのシートの部分にメモを書く.そのためには鉛筆もチョークも不要である.受け入れ表面の上になにか物質を沈着させて記録を残すのではないからである.マジック・メモは,古代において粘土板や鑞盤に記録したのと同じ方式を採用しているのであり,尖筆のようなもので表面を引っ掻くと,表面がへこみ,これが「記録」となるのである.マジック・メモではこの引っ掻く動作は直接行われるのではなく,ボードを覆った二枚のシートを介して行われる... 続きを読む
マジックマウスの慣性スクロール / Magic Mouse Scroll with momentum. 11/04/2009 マジックマウスの慣性スクロール.iPhone でもできてしかも気持ちいいけど.マジックマウスの慣性スクロールも気持ちいい.同じ慣性スクロールなので,やっている行為,指の動きは同じで,ディスプレイ上のイメージの動きも同じ.でもなんか違う.iPhone は,とても滑りのいいガラスの上を指がすいすいと動いて,その指にイメージが反応している感じ.ガラスの滑らかさとイメージの指への吸い付き.マジックマウスは,すこし滑りがわるいプラスチックの表面なんだけど,緩やかな傾斜がついているので,指をその傾斜に沿わして動かしている感じ.指にイメージが反応しているのは一緒だけど,プラスチックも指に吸い付くし,イメージも吸い付く感じ.プラスチックの表面に指が物理的にくっつくことが少し気になる.でも,一番の違いは,iPhone は直接的にイメージに触れているように見えているのに対して,マジックマウスは,指とイメージとが離れているということなのでしょうか.最初は,マジックマウスの傾斜が重要かなとも思ったんですが….でも,この傾斜は人差し指で行ったり来たりするときに,私にとってはとても気持ちいい. どちらにしても,この慣性スクロールは,私たちの物理的世界の慣性をコンピュータの論理世界に入れてしまったわけです,でも,それも論理で実現されているわけです.まわりまわって,いつも私たちが体験していることが,ディスプレイ上のイメージで表現されるとなんか気持ちよさを感じてしまう.少し違うか.慣性というものだけが,ディスプレイ上のイメージに入り込んでいるから気持ちいいのか? 世界の物理法則の一部を切り取って,イメージに入れ込む.それも,私たちの行為にピタリと合った形で.そうすると,実現しているのは物理世界で起こっていることなんだけれど,体感としては何か新しいことが起こっているように感じてしまっているのか? この新しく感じてしまう慣性スクロールとそれを行う表面の形状の関係について,最初に考えたのは,マジックマウスの緩やかな傾斜は,傾斜に対して私たちは日頃昇るときも勢いをつけるし,下るときは自然と勢いがついてしまうことと関係しているのではということでした.それが,プラスチックの表面という滑りの悪さを補うのかと.でも,私たちの物理世界から慣性だけを切り取って,それを指の... 続きを読む
矢印についての寄せ集めメモ 11/30/2010 「矢印」について考えたいと思っていて,Youtube で見つけた動画.いろいろなところに矢印があるな. 以前,教えてもらった廣村正影さんの矢印関する仕事も気になる. 矢印 意識と行動予測の視覚化 去年銀座で展覧会やったときにいくつかのムービーをつくったんですね。矢印っていうのは面白いなって思ってサインをやることになると矢印たくさんつかうじゃないですか。それで矢印が動いたらどうなるんだろうなって思ったんですよ。人間の頭に矢印をつけて歩いてもらったらどう見えるんだろうなって思ったんですよ。頭に矢印ついてると、興味がある方向に少しぶれたりするんじゃないかなって思ったんですね。 地球大学クリエイティブ 第2回 廣村正彰「意味のコンテクストをデザインする 」from tamalog (C)廣村正影 2次元(2 dimension)の平面的とも言えるサインデザインが、3次元(3 dimension)の空間の中に位置付けられたときにいかなる視覚効果をもたらすかということに注目し、これまでの「サイン計画」や「VI計画」の概念を取り払い、様々な建築家や写真家とのコラボレーションを手がけてきた異色のクリエイター・ 廣村正彰 。 今回の展覧会では、1階では「矢印→」や「アルファベット」をモチーフに、矢印という記号それ自体が、空間の中で動きをもった表情を得ることによって、平面にはない新たな意味をもつのではないか。 http://www.tokyoartbeat.com/event/2007/5284 2次元と3次元のあいだを移行する「矢印→」.カーソルも含めてというか,カーソルから派生して出てきた「矢印→」そのものへの興味をどう研究に結びつけるか.アートの領域では,クレーとか,荒川修作とデュシャンとかも「矢印」を考えるうえで重要.アートとかデザインとか区別せずに,「矢印→」を中心にしてそれらをリンクさせていければおもしろことになりそう. 矢印は位置と向きと長さの3つの情報を同時に表すことができる記号だ。だから力や運動の位置、向き、大きさを過不足なく表すことができる。ふむ、そう考えるとサインに使われている矢印はたいてい情報が余ってるな。 https://twitter.com/yam_eye/status/27793247926 その際... 続きを読む
画面分割と認知に関するメモ 2/05/2011 画面分割についてのスライドを作っていて,アメリカのドラマ「24」が初期のころはよく画面分割を使って緊迫感をだしていたのに,その手法が徐々に使われなくなっていたことを Wikipedia で知る. なぜだろうと思いつつ,マイク・フィグスの「 時代×4 [About Time 2] 」を見る.これは4分割された画面で同時に物語が進んでいく短編映画で,「 10 Minutes Older 」というオムニバスの映画のひとつである. 画面を4分割して,物語で進んでいくと,段々のそこで起こっていること全てを認知することが難しくなり,認知限界を超えることを実感した.「24」は,リアルタイムという軸があるから,ために画面が分割されても,それは空間的に離れているところで「同時に」物事が起こっていることを示すために有効だが,そこで「リアルタイム」という軸が外れてしまうと,見ているヒトは分割された画面の関係性が分からなくなってしまうのではないだろうか.そこで,「24」で画面分割が使われなくなったことには,認知限界が関係しているのではということを考えた. 24 時代×4[About Time 2] レフ・マノヴィッチが画面分割はユーザ・インターフェイスの「GUI」からの影響であると指摘している.「ひとつのスクリーンにひとつのイメージ」というのが画面構成の論理であったが, GUI を構成する要素であるビットマップ方式のディスプレイがこの論理を破綻させたと,マノヴィッチは考えている.ビットマップ以前に,映画では電話をかける場面などで画面分割を行っていたが,大々的には行われていなかったとはいえるので,マノヴィッチの指摘には賛成である.そして,画面分割を「空間的モンタージュ」と呼び,これまでの「時間的モンタージュ」に変わるものだとし,「空間的モンタージュ」は,GUI の画面を占拠して,そこでは何も消えることがない「記憶」の場として機能していると,マノビッチは考える. my desktop マルチウィンドウシステムにもつながる,パーソナル・コンピュータの大元のアイデアであるヴァネバー・ブッシュのメメックスは2画面を備えた装置として描かれている.メメックスは増大する情報量に対処するために作られた装置であった.ブッシュは膨大な情報に対するヒトの認知限界を考え,メメックスを開発... 続きを読む