日々の映像体験の中で蓄積されていく感覚を掬うこと

具体的に,なめらかな物質と軽やかな映像を結びつけること.
身体のつながりを創造すること.
視覚と触覚.映像への触覚の介入.
プロダクトデザイナーの言葉と映像とを結びつける.
深澤直人と吉岡徳仁.
感覚へのアプローチ.感覚をデザインする.
モノではなく,感覚をデザインしていく.
映像メディアのコンテクストを決定するのは何か.
感覚を信じることしかないのではないか?
信じることの強さを身につけること.
その訓練のためのテキストを書くこと.
日々の映像体験の中で蓄積されていく感覚を掬うこと.
暗い闇の向こうの合成されたような青い空があることの強烈さ.
実際に合成されているのだろうと思う.
この強烈さは,僕たちの身体の中を確実変えていっている.
合成じゃん,ではなく,それが強く印象に残ることが重要.
あたかもそころあるかのようなロボットではなく,チープな合成がもつ感覚.
僕たちは,自分たちの中で,ハリウッド映画のような合成を作りあげているのではない.
そんな時間は,身体に与えられていない.
もっと,チープで粗雑な合成を,瞬時に,大量に作り出して,
感覚のつながりをああでもないこうでもないと作り出しながら,映像に向かっているのではないか.
映像から,大量に生じる感覚のつながりの澱を自分の身体に抱えながら世界を体験していくこと.
どこから掬っていったらよいのだろうか.

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