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お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_14

(少し前になりますが)記事を書きました→ オリア・リアリナ氏が新作GIFアニメ《Summer》を公開 「GIF」を使ったあたらしい表現の紹介です.詳しくはカレントニュースで! あと,《Summer》と一緒に紹介したかった作品→ The Pirate Cinema by Nicolas Maigret  はP2P通信からデータをとってきたその映像を見せるという作品. 《Summer》もそうですが「一対一対応」から逸脱して映像を見せるということが面白いです.データ伝送が今よりも速くなって,ネットとの接続に「ズレ」がなくなっていくと,そこではひとつの地点からデータを受け取るのではなくて,複数から受け取りつつも,それに気づかないということが起こるのではないのか.それが何を意味するのかはわからないのですが,ズレがなくなり,複数のデータがスムーズにつながっていくことから,あたらしい映像表現がでてくるのではないかということを,上の2つの作品から考えました. 追記 文字数の関係から記事から外したテキスト.GIFアニメをVineで撮影して説明するということについて. −− また興味深いことに,コナー氏はリアリナ氏の《Summer》を「Vine」という映像制作共有アプリで撮影した動画を 紹介記事 に添えている.Vineは最長で6秒という制限を撮影時間に設けることで映像を手軽に作成できるアプリであり,GIFアニメの代わりとなるかもしれない映像表現のひとつである.GIFアニメをVineを用いて紹介するということにも,技術的環境の移行を示す徴候があらわれている. こんな感じ インターネットという技術的環境は接続速度やHTMLの仕様などが常に変化しているため,ウェブ上の作品は当時の環境そのものを保存することが不可能に近い.それゆえに,ウェブ上の作品は美術館などに収蔵されている絵画や彫刻などに較べて,多くの人にいつでもどこからでも見る機会を与えるものだが,それが作品本来の見え方なのかはわからないし,突然見れなくなることも少なくない.

告知とメモ_トーク・イベント:ラファエル・ローゼンダール+インターネット・リアリティ研究会

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7月20日(土)から川崎市民ミュージアムで始まる「 セカイがハンテンし、テイク 」展の関連イベントでアーティストの ラファエル・ローゼンダール と インターネットリアリティ研究会 による トークイベント(20日14:30から) があります.お時間があるかたは是非お越しください. 以下,ラファエル・ローゼンダールについてのメモです. ラファエル・ローゼンダールはネットに多くの作品を発表しています.そして作品を掲載しているドメインを売るという手法で「ネット上の作品を売る」という行為を成立させました.例えば, falling falling .com (2011)にいくと作品が見られると同時にタブの部分に「collection of hampus indwall, falling falling .com by rafael rozendaal, 2011. sound by gloumouth1」とオーナーの名前と作品クレジットが記されています. falling falling .com_スクリーンショット ここで興味深いのは,作品がhampus indwallに購入されているのにも関わらずネットに自由に見ることができるという点です.その理由は作品売買の契約書(契約書のテンプレートは公開されています→ http://www.artwebsitesalescontract.com/ )にあります.そこには「作品オーナーはウェブサイトをオンラインに残し,みんながアクセスできる状態にしておかなければならない」と書かれています.なので,気に入った作品を購入しても一人占めはできないようになっているのです.このことはネットにおける「所有」という概念を考える上で重要なひとつの例だと考えられます. 契約書で気になる点が「データの引渡し」の項目です.そこでは基本的に3つのファイルが引き渡されると書かれています. オンライン・ファイル:ウェブページを表示するのに必要なもの 展示ファイル:MacやPCで展示を行うためのもの ソース・ファイル:将来,必要になるかもしれない修復のためのもの これら3つのファイルが引き渡されるわけですが,これらのどれもが「オリジナル」として機能することになるのか,それとも「ソース・ファイル」が「最も」オリジナルなものなの...

Domenico QuarantaのIn Your Computerを読み終える

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Domenico Quaranta の In Your Computer を読み終える.2000年代のネットアートの状況が書かれていた.最初のほうに「セカンドライフ」が出てきて時代を感じつつ読み進める.後半は,ペトラ・コートライトなどもでてきて「ポストインターネット」な感じ.そして, ネットアートの初期と現在のあいだの「ちがい」というのを感じられた.この「ちがい」は,あくまで僕個人のものでしかないものだが,現在の方がネットに対してよりナチュラルになったというか,大きな問題を提起していない感じがする.また, Quarantaは「ネットアート」という言い方にこだわっていて,「ポストインターネット」は何を言っているのかよく分からないのでダメという感じ. 「オリジナルとコピー」の問題を,ヴァルター・ベンヤミンとボリス・グロイスを使って論じているところは,とても参考になった.ただ問題意識が少し,僕とは違う感じで「見えないオリジナルが存在する場所」について書かれていた.ネットアートの「URL」がひとつのオリジナルの「場所」になるのではないだろうかというのが, Quarantaの見解.僕としてはグロイスの「オリジナルが見えない」ということを考えつつ,ディスプレイに見えているものの「パフォーマティブ」な感じを考えてみたい. Quarantaは「場所」を考え,僕はその場での「パフォーマンス」を考えたい. Quarantaも本のなかで結構な長さで「パフォーマンス」について論じており,このあたりを接続して考えみるといいのかもしれない. Quarantaは ペトラ・コートライト について, 「彼女の生活はTwitter,Facebook,Flickrで継続的に行われているオンライン・パフォーマンスである.彼女の作品はメディアについてではなくて,ペトラ・コートライトについてのものである」と書く.このような視点から考えると,彼女は まさに「選択的認識」を実践しているアーティストといえる.コートライトについて自分で考えたときは,全く分からなくて,次のように書いている. 私は「メディアの条件を問う」ような作品を考えることが好きなのだが,Petra が扱っているメディアが「インターネット」だとすると,「そこには『条件』なんてものはないですよー」とアッケラカンと...

GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界(6)

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6.おわりに  2013年3月9日にTumblrがアートブログのHYPERALLERGICとともに, The World's First Tumblr Art Symposiumをニューヨークで開催した.アートユニットEco Art Techのレイラ・ネイダ−とカリー・パーパーメントはシンポジウムに寄稿したエッセイに,私たちは目の前で起こっている現象に対して「語る言葉がないので,言葉はつくられる必要がある 53 」と書くように,私たちはコンピュータやネットがもたらす表現のための言葉をつくる必要がある.だからこそ,本論文は「選択的認識」という言葉をつくり,高解像度の地球画像「ザ・ブルー・マーブル」に基づく認識ではなく,低解像度で回りつづける(紙の上では回らないが)「earth.gif」から生まれる認識への考察を試みたのである. ザ・ブルー・マーブル earth.gif  「earth.gif」が回り続ける「ポスト・インターネット」的状況で,GIFと遭遇していくヒトは「選択的認識」を行うようになり,そこでは認識の多さが重要であり,認識及び画像の解像度は大した問題ではなくなる.そして,より多く認識を行うために解像度は徐々に下がり,現実の捉え方が変化していく.「選択的認識」はTwitterの例があるように,GIFに留まらずコンピュータとウェブに接していくヒトの認識の変容のひとつである.「選択的認識」は憂うような認識の劣化ではなく,ヒトがコンピュータとがひとつの複合体としてより密接な関係を築くための変容と肯定的に捉えるべきなのである.

GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界(5)

5.画像ファイルとしてのGIFとデフォルメされた世界  次に,GIFにおいて「選択的認識」がヒトに強く作用する理由を考えてみたい.美術批評家のボリス・グロイスは「画像ファイル」に関して,ファイル自体は見ることができない,つまり「オリジナル」を見ることができないものだとしている.その上で,「画像ファイル」に基づいてディスプレイに表示される「画像」は「コピー」ではなく,楽譜に基づいた演奏などに似た一回限りのパフォーマンス的なものであると指摘している 46 .ディスプレイに表示されている画像は「オリジナル」と「コピー」という関係が成立しないもので,パフォーマティブな画像だというグロイスの指摘は興味深い.「画像ファイル」のというあらたな画像のあり方が「選択的認識」に作用していると考えられる.しかし,この性質はすべての画像ファイルに当てはまるものであり,これだけでは「GIFとの遭遇」が,なぜ認識の変化の兆しを示すのかを説明できない.  1024個のGIFアニメを売買する場として2011年に《GIF MARKET》 47 をつくったキム・アセンドルフとオラ・ファッチは,GIFはその低解像度とアニメーションによって,画像ファイルは最終的にはプリントされるものという認識を変えるものだと考えている.そして,GIFにとってはディスプレイこそが「ホーム」であるから,たとえそれがグロイスの言うように見えないものであったとしても,ファイル自体が「オリジナル」として価値を持つのだと指摘する 48 .だから,彼らはGIFの画像ファイルを売るのである.これと対比できるのが,写真家のトーマス・ルフの『jpegs』 49 という写真作品である.ルフはJPEGが過度に圧縮された際に生じる「アーティファクト」と呼ばれるノイズにデジタル特有の美を見出す.彼はネット上に流通しているJPEG画像をさらに圧縮したノイズ混じりの画像を「プリント」して写真として提示する.ここでは,デジタル特有の「アーティファクト」がディスプレイとファイルとの結びつきから引き離されて提示されている.GIFとは異なりJPEGでは「画像ファイル」と「ディスプレイ及びコンピュータ」との「分離」が成立する.  JPEGと異なりGIFはディスプレイから分離できないからこそ,ポスト・インターネット的状況でネットを主な表現の場...

GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界(4)

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4.GIFとの遭遇と選択的認識  ホームページの装飾という役割を与えられていた従来のGIFでは「遭遇」が前面に出ることがなかった.GIFはホームページの至るところに配置され見る者の注意を惹いたが,それはあくまでも「家」のなかの置物にすぎないものであった.「家」のなかに置かれていたGIFをネットの流れのなかへ解き放ったのが,タイムライン型のダッシュボードをもつTumblr 35 なのである.  ガニングは「初期映画」が「映画はヴォードヴィルの演目に一つのアトラクションとして現われた.非物語的にしてほとんど非論理的なパフォーマンスの連鎖のなかで,相互に脈絡のないひとかたまりの出し物に囲まれて現われ 36 」,興行師の話にのって見せられていたと指摘する.これもまた,現在のGIFの受容と重なる部分である.GIFはTumblrというアーキテクチャを得て,「タイムライン」を脈絡なく流れてくるコンテンツのひとつとなり,見る者に「遭遇」という感覚を強く与えるようになったのである.動画にあるべき「再生ボタン」がないことが,この感覚をより強いものにしている.「再生ボタン」を持たないGIFは,ヒトとコンピュータとのインタラクションを否定し,ヒトと映像との最低限のインタラクションである「再生と停止」もできない.ガニングは初期映画の「上演」の際にはじめから動画を見せることをしなかったと指摘し,「最初の静止したイメージの投影は,装置の存在理由である動きの幻想をしばらく見せずにいることで,最初の映画の上映にサスペンスの効果をもたらした 37 」と書いている.Tumblrを流れてくるGIFではこれとは逆に,動画なのに勝手に再生されるということが「目の前にあるのは映像ではないのではないか」という「サスペンス」効果をつくりだすと考えられる.Tumblrのタイムラインの流れに放り込まれたGIFは,「驚き」とともに見る者と「遭遇」することになり,再び脚光を浴びることになったのである.  Tumblrでの見る者とGIFとの「遭遇」について教えてくれるのが,《The Gif Connoisseur》というTumblrサイトである 38 .《The Gif Connoisseur》は,「鑑定士」がGIFアニメをとても近くで鑑定するというGIFアニメである.しかし,鑑定士はGIFを近くで見す...

GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界(3)

3.GIFと初期映画 3−1.映像  GIFは「動画」であるにもかかわらず,物語の一部にもならない「動き」を切り取った「静止画」のような特殊な性質をもったものである.GIFは「物語」ではなく,デフォルメされた「動き」が強調される.ここで初期映画とGIFとを対比してみたい.なぜなら,初期映画とGIFはとともにそれぞれのメディアの黎明期に現われた映像の形態であり,映画研究者のトム・ガニングが「初期映画は,その後あからさまに映画を支配するようになる物語への衝動に屈服していたわけではなかった 22 」というように,初期映画は「物語」を強調した映像ではないなど,物語の要素がうすい「短い動画」であるGIFと多くの類似点が見出されるからである.  ガニングは1906年頃まで映画を支配した映画と観客のあり方を「アトラクションの映画」と呼ぶ.そして,映画が「物語」を積極的に活用するようになったあとも,アトラクションの映画は消えることなく,物語映画の要素としてあり続けているとしている 23 .アトラクションの映画について,ガニングは次のようにまとめている. アトラクションの映画は観客の注意をじかに引きつけ,視覚的好奇心を刺激し,興奮をもたらすスペクタクルによって快楽を与える───虚構のものであれドキュメンタリー的なものであれそれ自体が興味をかき立てる独特のイベントなのである.展示に供されるアトラクションは映画的特性も備えていて,それはたとえば今しがた述べたばかりの初期のクロース・アップやトリック映画だが,後者は映画的操作(スロー.モーション,逆回転,変身,多重露出)が物珍しさを提供する.虚構の状況はというと,ギャグやヴォードヴィルの演目,衝撃的で好奇心を煽る出来事の再現(刑の執行,最新の事件)に限定されがちだった.映画製作へのこうしたアプローチを規定するのは観衆への直接的な呼びかけであり,それに基づいて映画興行師が観客にアトラクションを供するのである.ストーリー展開や物語世界の想像と引き換えにショックや驚きのような直接的刺激を強調することで,物語に没入させることよりも演劇的な誇示の方が優位に立つ.アトラクションの映画は,心理的動機や個人的人格を備えた登場人物を想像することにエネルギーを費やすことはほとんどしない.フィクションとノンフィクションの双方のアトラクシ...

GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界(2)

2.GIFと情動  2012年にファッションの業界やアメリカ大統領選挙の報道に使われたことに代表されるGIFの復活に関して,谷口は次のように書いている. GIFアニメーションの短いループによる意味の圧縮/デフォルメ化と,そのキッチュさが風刺画のように機能しているからかもしれない.こうして2012年,一躍返り咲くことによったGIFだが,それはたんにFlashの代替として返り咲いたわけではなく,GIFというファイルフォーマットならではの質感や特性が再発見され,画像とも動画ともつかない独自の形式として認識され始めたことによるのではないだろうか 11 .  この谷口の指摘は,技術の制約だけでなく「GIFならでは質感が再発見される」という見る者の認識の変化も考察の対象にしている.GIFの復活は,ネットと現実の関わりに対する認識の変化と関係していると考えられる.そして,その認識の変化を捉えていたのが2010年前後からの「GIFの質感」をめぐるポスト・インターネットの言説であろう.これらの言説を参照しながら,改めて認識されたGIFのあり方をみていきたい. ウェブネイティヴ  GIFアニメを多く制作するトム・ムーディは,標準的なブラウザにサポートされているGIFは,ウェブのアニメーションの「ネイティブ」であると指摘する 12 .さらに,GIFは誰でも作れるがゆえに,半匿名状態で作品が流通していくと考えている.しかし,ムーディはFacebookがGIFをサポートしていないように,GIFはウェブからいつ排除されるかわからない存在とも考えている.その「はかなさ」ゆえに,GIFはメインストリームの外部に位置する存在であり,それゆえにアーティストにとっては打ち捨てられた広場やプールのような格好の遊び場になっているとする 13 . コミュニケーション  パディ・ジョンソンは,画面上で明滅し続けるGIFはうるさいものであるが,見る者の注意を引きつけるので,あたらしい対話のはじまりになるとしている 14 .ジャーナリストで電子音楽のミュージシャンでもあるジョシュ・コプスタインはアニメーションのループが感情と記憶に作用するがゆえに,GIFはコミュニケーションに積極的に用いられていると分析する 15 . ループ  初期のウェブの状況を考察した「...

GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界 (1)

1.はじめに  「GIF」とは「Graphics Interchange Format」の頭文字をとったもので,JPEGと並んで多くのブラウザにサポートされ,インターネットでよく使われている圧縮画像形式のひとつである.フルカラーを表示できるJPEGとは異なり256色しか表示できないGIFだが,「透過」や「アニメーション」といった他の画像形式にはない機能を持つために,ウェブの初期から使われている.  まずGIFの歴史を簡単に振り返ってみたい.1987年5月28日,パソコン通信会社CompuServeが圧縮画像フォーマットとしてGIF規格「GIF87a」を公表する.さらに,GIFの大きな特徴となる「透過」や「アニメーション」機能の拡張をした「GIF89a」が1987年7月に策定される.その後,1995年9月にNetscape Navigatorのヴァージョン2.0が「GIF89a」をサポートしたことで,GIFアニメーションは徐々にネットに拡がっていき,ホームページを飾る要素として「工事中」を示すアニメーションや「回る地球[earth.gif]」などがネットに配置されていった 1 .同時に「単体で完結する物語作品としてのGIFアニメ 2 」も登場するようになる.その後,GIFは次のような経過を辿る. GIFアニメは,2000年頃までにウェブ上の動画コンテンツとして確固たる地位を築いた,かのように見えたが,2001年前後からFlashアニメという新たな潮流の登場によって,少しずつ表舞台で話題になる回数は減っていく.2001年9月1日にサービスを開始した「Yahoo! BB」に象徴されるブロードバンドの普及により,常時接続と大容量回線が当然のものとなることで,軽い面白さが売りのGIFアニメよりも,多少容量が大きくても音楽や美しい映像を駆使したFlashアニメのほうが喜ばれるようになった 3 .  しかし,2007年に発表されたiPhoneがFlashをサポートしないなどiOSデバイスからの締め出しや,ダッシュボードというタイムライン型のインターフェイスを持つTumblrの登場などによって,ダウンロードがはやく,再生ボタンがなく勝手に再生されるGIFは「短い動画」として再び注目を集め 4 .アートGIFのムーブメントを牽引してきた美術批評家のパ...

「Nicolas Sassoon: Pixel Painter」を読んでみた_Nicolas Sassoon(2)

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Nicolas Sassoon について補足するために,インタビュー「 Nicolas Sassoon: Pixel Painter 」を読んでみた. http://nicolassassoon.com/index.php?/onlineworks/2009---freecuts/ 興味深かったところは,Sassoonが初期コンピュータ・グラフィクスに興味があるというところ.そして,彼がコンピュータ・グラフィクスにはじめてふれたのが80年代後半のAtari 2600や, Minitel ということ.とくに,Minitelというのがフランス人らしい.これらのことから,Sassoonが考えるコンピュータ・グラフィックスの「初期」とは,80年代の8ビットのグラフィックスになるといえる. 彼は「初期のコンピュータ・グラフィックス」の魅力を,それが低解像度であるがゆえに見る人の想像力による補足が必要であるところに見出している.そして,コンピュータのスクリーンには形式があり,それをもっともよく見せることができるのが「初期のコンピュータ・グラフィックス」だと考えている.だとすると,マクルーハンが映画に対してテレビは低精細なメディアだから,参与性が高くなるとしたことを,Sassoonはコンピュータ・グラフィックスの歴史で繰り返していることになる. 「初期のコンピュータ・グラフィックス」とここで言われている80年代の画像の特質などはまだ十分に考察されているわけではない.なので,そこに「ノスタルジー」だけではなく,コンピュータのスクリーンのひとつの特徴を見るSassoonの試みは,その80年代の画像の特質とコンピュータ上の画像の質感を考える上で有益なものになるだろう.

「テレビの砂嵐」のようなGrey #2_Nicolas Sassoon(1)

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http://cloaque.org で展示されている Nicolas Sassoon によるGrey #2.「テレビの砂嵐」のようなGIFアニメ.Sassoonは1981年生まれで,現在カナダ在住.彼のページにいくと「PATTERNS」という項目があって,そこには「Grey #2」同じような抽象的なパターンがいくつかあげられている.それらのパターンはGIFアニメもあればFlashもある.「PATTERNS」のほかに,「STUDIES」「OBJECTS」「OBJECTS」「INSTALLATIONS」などがある. 描かれているのは,総じて8ビット風のもの.なので,「あたらしい美学」として考えられるのかもしれないが,今まで名前を聞いたことがなかった.けれど,検索してみると結構いろいろと記事がでてくる.2011年にSara Ludyとともに行った「WALLPAPERS」という展示が Rhizome でレビューされていたり, http://societeperrier.com/ というサイトで「 Nicolas Sassoon: Pixel Painter 」といインタビューが掲載されている.また,2008年にKrist Woodらとともに Computers Clu bという作品を展示するオンラインスペースをつくっている. はっきりいって,Grey #2だけ見ると,何だかよくわからない.なので,もう少し調べてみることする.

netartnet.netにはいつもお世話になっています

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ネットアート探訪をしておりますが,その情報源は netartnet.net です.ネットアートの展示をリスト化しアーカイブすることに特化したサイトになることで,ネットアートを紹介してきた既存の Rhizome などのサイトとの差別化を図っています. netartnet.netは,アーティストの Anthony Antonellis によって2012年5月につくられました.最近では「 news 」というカテゴリーを新設し,ネットアートの世界を広げるような記事やインタビューを掲載しています. 広大なネットのあちこちで開催されているオンライン展を探すのは一苦労ですが,netartnet.netにいけば,今どんな展示が行われているのかがわかります.そこにレビューなどが掲載されていない分だけ,とてもシンプルに展示に辿り着けます.このサイトがあるから,僕は「ネットアート探訪」をしてみようかなと思いました. この記事を書いて,Anthony Antonellisのことを調べると,彼はいま「 The Photographer's Gallery 」で展示を行なっていました.このギャラリーは去年.GIFアニメの展示「 BORN IN 1987: THE ANIMATED GIF 」を開催したところです[以前書いたこの展示の紹介記事→ ロンドンのフォトグラファーズ・ギャラリーで「Born in 1987」展 開催 (0713].いろいろとつながっています.そして,どんどん情報がでてきます.その情報は英語がメインです.それをかいつまんで日本語にしていくだけでも勉強になります.でも,勉強するだけでなくて,日本からも英語で情報をだすことも考えないといけないと思うものの,とても難しい…

ひたすら待つのみ:Alain Barthélémy「Time Extended」

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Alain Barthélémy の「 Time Extended 」.場所は  Fach & Asendorf Gallery . 「時間が延長された」というタイトルの個展.Alain Barthélémy については,調べたけれど情報が出てこなかった.個人のページに行くと,風景画像の中央に「hello@alainbarthelemy.com」とあるだけ. 「Time Extended」のページにいくと真っ白な画面にURLが書いてあるだけ.カーソルを合わせると,白黒反転するだけ.URLをクリックするとそのサイトにとんでそこに「作品」がある. 「Time Extended」で問題なのは,URLが表示されているページのアドレスバーにある.アドレスバーには「http://fa-g.org/special/alainbarthelemy-timeextended/#32.3%」のような感じで,「/#32.3%」という数字がある,最初は「/#99.9%」でこれがどんどん減っていく.ある程度減っていて,「/#15.3%」くらいや「/#0%」になると,次のURLが表示される. URLをクリックした先の作品は延々と「Floooooooooow」をスクロースするものだったり,上の画像の作品は,「色のコード」と対応した色が文字の色になっており,それが高速に切り替わるというもの.といったように,ワンアイデアなものが多い.だから,「Time Extended」は「待ち時間」を考えるための作品なのかなと思う. ネットの通信が「はやく」なり,「待ち時間」ということをあまり意識することがなくなった.あるいは,ちょっとでも「待ち時間」があると,「もういいや」と次にいってしまう.GIFが流行ったのが待ち時間がなく,再生時間も短いからというのとは,真逆の作品である.「Time Extended」を体験しても,「のんびりとしたネットの時間がいいな」とは思うことはなくて,「早く次!」だったり,「他のサイトに行こう」としたけれど,次の作品見たさやURLが切り替わる瞬間を見たいという気持ちもあり,じっと我慢してディスプレイを見つめたのは面白かった.という意味では,「時間が延長」というか「間延び」した感じを味わえる作品である.

GIFとループと物語

GIF論文を書いていて,途中で外したテキスト.レフ・マノヴィッチが考えていたニューメディアの「ループ」のあり方とGIFのループとを比較することで,ループにおける「物語」の扱いを考えてみたもの. −− 2001年に出版された『ニューメディアの言語』で,マノヴィッチは映像の「ループ」がニューメディアのひとつの特徴だとしている.そこには長時間の再生が難しい当時のコンピュータのスペックの問題があった.そして,マノヴィッチはループの映像の例として,QuickTimeやFlashアニメーションを取り上げる.さらに,マノヴィッチは初期映画とニューメディアはともに「ループ」というテクニックを用いていると指摘すし,映像の歴史を「19世紀の前映画的視覚的デバイスもまたループに頼っていた.19世紀を通じて,ループは長くなっていき,最終的には「物語」へと至った」と簡潔にまとめる.「物語」を語れるほど長く映像を再生できないので,ループ映像が必要だっというのがマノヴィッチの考えの根底にある.マノヴィッチにとっての「ループ」とは物語に従属した要素のひとつであって,「物語を駆動するエンジンとしてのループ」なのである.それは,彼がデジタルの5つの特徴としてあげたもののひとつ「モジュール性」と関係がある. マノヴィッチが制作した《Software Cinema》や,ループ映像の例として取り上げられるジャン=ルイ・ボワシエの《押し花》は,ループする映像を次々とクリックしていくなかで物語が進んでいく構造になっている.クリックとクリックのあいだ映像が常に動いている必要があるが,長時間の映像を再生させることは難しく,短い映像のループが採用される.そして,映像へのリアクションであるクリックによって物語が分岐していき,ループ再生による映像が物語の「モジュール」として機能していく.ここでのループはプログラムの基本構造のひとつである「次の出来事」へ分岐するためのループとなっている.マノヴィッチが考える「ループ」は,プログラムの構造に基づいたヒトとコンピュータとのインタラクションの基本であるデータの処理を再帰させながら「次へ次へ」と選択を迫る性質を,「物語」を駆動する力に応用した映像なのである. 技術的制約のもとループに着目したマノヴィッチだが,同じ制約のもとウェブで使われているGIFに言及することはない....

GIF 3D Galleryの考察:最前面の画像の立体感/モノ感

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谷口暁彦さんの「 GIF 3D Gallery 」.気になっていたけれど,取っ掛かりがなくてそのまま.そのあいだに 海外のサイト にも紹介されていて,それでもなかなか考えられずにいて,多分今もそうなんだと思う. 「GIF 3D Galleryの考察:最前面の画像の立体感/モノ感」というメモ書きが,僕のMacのディスプレイにあります. GIF BOOK で「 The Gif Connoisseur 」を考察したときに,「最前面−前面−背面−最背面」という重なり=距離の問題を指摘しました.GIFをみている「おじさん」は「最前面」でGIFを見ているということを考えました.そのあと,GIF論文を書きながら,GIFを見ている「おじさん」は,GIFを見ているのではなくGIFと衝突しているのではないかと考えました.でも,よくよく考えてみると「衝突」はしていない,だけど「遭遇」はしていると考えるようになりました.「見る」というよりも,もう少しなんか「モノ」というか,そこに存在するものに出くわすという感じ.そして,ディスプレイにGIFを見ている「おじさん=私」も,GIFと遭遇しているのではと考えたわけです. おじさんが最前面にいるように,ディスプレイを見ている「私」も「最前面」にいるという感じ.「レイヤー=層」というような別々の平面にいるのではなく,同一平面にありながら,重なり順が異なるという感じ.Illustratorを習得するときに,オブジェクトの重なり順というのがイマイチ体感できかなった.「レイヤー」はすんなり理解できたけど,オブジェクトの重なり順は違和感があった.でも,考えてみれば,描いた順に重なるというのは,リアルの世界で出来事に近いというか,そのものなんですね.でも,それに対して違和感を懐いた.「レイヤー」という程には明示されない感じに違和感を感じたのだと思う.Illustratorのレイヤーのウィンドウを開いて,さらにひとつのレイヤーを見れば,オブジェクトの重なり順を確認することができるから,レイヤーと同じと言えば同じなんだけれど… レイヤーのなかにレイヤーがあるような入れ子になっている部分に違和感を感じているのかもしれないと,書きながら思った.で,言葉もちがう.「レイヤー」と「オブジェクトの重なり」.言葉がちがうのであればその存在のニュアンスもやはりちがう. ...

GIFとの遭遇:ザ・ブルー・マーブルとearth.gif

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昨日,やっとGIFについての論文を書き終えました.タイトルは「GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメ化された世界」.「GIFとの遭遇」の部分は「未知との遭遇」から. 最初はヴァルター・ベンヤミンやロザリンド・クラウスの「視覚的無意識」やロジェ・カイヨワの「擬態」という言葉を使って,「GIFになる」ということを書こうとしていたのですが,どうもちがう感じがして,最後は「選択的認識」という言葉を作って,それについて考えました.そのときに,参考にしたのは,センボーのブログの「 コンピュータ 記憶 シンクロ 」とHGWのBLANKの「 保存について 」でした.そうしたら,パーカー・イトーの テキスト も参考になって,GIFの話というよりも「ポスト・インターネット」的状況におけるヒトとコンピュータとの認識についてのテキストになっていたような感じがします.「GIFとの遭遇」が認識の変化をさぐるきっかけになっているような感じ. 「選択的認識」というのは,iPhoneとかで解像度を気にすることなく次々に写真をとって,どんどんいろんなサービスにデータをアップしていくようなものと考えました.ここでは写真を撮影することも「選択」された行為だし,そのあとどのサービスにあげるかも「選択」される必要があるわけで,常に「選択」が行われていて選択されなかったものは,そこに存在しもしないような認識. じゃ,「選択的認識」とGIFがどう関係しているかというと,それはGIFがディスプレイ平面から引き離すことができない画像というところです.「選択的認識」はディスプレイ経由で起るので,ディスプレイ・ネイティブの画像形式としてのGIFが最もその特徴を表して,ヒトとコンピュータとを同じ認識のもとに巻き込んでいるのかなと考えました.論文を出してしまった後ですが,今ここに書いていることのほうが,いい説明になっているのではないかと思います.このあたりはもっと考える必要があります. ザ・ブルー・マーブル earth.gif 「選択的認識」で言いたかったことは,高解像度の認識をするのではなくて,低解像度の認識をできるだけ多く行なっていくという方向性もありなのかなということだと思います.今までは「高解像度の世界=ザ・ブルー・マーブル」だったけれど,膨大な低解像度の認識がヒトとコン...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_9

記事を書きました→ 制作者から見た「GIF」:『GIF BOOK』と「GIFアニメ再起動!」 去年から定期的に観測している「GIF」について.これまでは「海外」「批評家」側からの「GIF」でしたが,今回は「国内」「制作者」側からの「GIF」.「GIF」について少し掴めたような気がします. [過去]のGIF記事 お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_1 記事を書きました→ ロンドンのフォトグラファーズ・ギャラリーで「Born in 1987」展開催 お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_6 記事を書きました→ オックスフォード大学のアメリカ出版局が「GIF」を2012年の言葉として選ぶ  

memo_20130205

2月16日にICCで行われるインターネット・リアリティ研究会の 座談会「[インターネット アート あれから]」 のためにと,3月15日まで書こうとしているGIF論文のために,以前読んだ Vito Campanelli, Web Aesthetics: How digital media affect culture and society にコメントしたものをツイートしました.こんな動画もあった(未見). Book Launch: Web Aesthetics by Vito Campanelli from network cultures on Vimeo . Remix It Yourselfはサイボーグにつながる考えだけれども,ひろがりがある感じがする.なによりも,「技術的な超−主体」という言葉.こういったことが夢ではなく,現実に起こっているからこそ,考える必要がある.私たちは少しづつだが,確実に変わっている. — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) February 5, 2013 あらゆるものが「拡散」していく.「拡散の美学」.GIFの拡散.拡散するからこそ,そこに様式が生じる. — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) February 5, 2013 「リブログ」というシステムを開発者:ヒトに発想させるのが,ウェブなのか.それともヒトは以前から「リブログ」したかったが,実装する方法がなかったのか.リブログの実装によって,GIFが世界に拡散していく契機のひとつができあがる. — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) February 5, 2013 すべてが予め決められている流れのなかのクリックひとつで移動していく.ウェブサーフィンという言葉はよく出来ていたのかも.自分の力だけではだめで,「波」をうまく利用しないという意味で. — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) February 5, 2013 データは常に流れているが,インターフェイスはそれが静止しているように見せている.けど,タイムラインは動き続ける.動きを見せている. — mizuno masanori (@mmmmm_...

お仕事:GiF BOOKへのコラムの寄稿

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「 The Gif Connoisseur ,それはつまり「あなた」である」というコラムを『 GIF BOOK───コンテンツ制作者のためのGIFガイド 』に書きました.それと,GIF年表にも「監修」というかたちで関わりました.ご一読いただければ幸いです. 少しずつ読んで,この本からのフィードバックをブログに書きつつ,GIFに関する「論文」を3月まで書きたいなと思っています. あと, Web Designing 2013年2月号 の特集「GIFアニメ再起動」のイントロダクション「画像形式「GIF」と拡張機能「アニメーションGIF」」のなかにブログの記事「 GIFアニメーションに関するメモ 」が引用されています.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_6

記事を書きました→ オックスフォード大学のアメリカ出版局が「GIF」を2012年の言葉として選ぶ 「GIF」が2012年の言葉に選ばれました.今年のはじめにはGIFについて研究しているとは思っていなかったし,このような記事を書く仕事をして,GIFについて書いているとは思ってもいなかった.流れ流れてこの先はどこに続くのやら.この勢いで,2013年にはGIFについての論文を書きたいけれど,どうかけばよいのやら.悩んでないで,とりあえず勢いで書く.