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「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」展カタログへの寄稿

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5月6日まで水戸芸術館で開催されている「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」展に「 可塑的な表面でつくり直されるヒトの顔🤥 」というテキストを寄稿しました. ヒト・シュタイエル,エキソニモ,小林健太,レイチェル・マクリーンの作品に出てくる「顔=フェイス」を論じています🙂 カタログには作品の展示画像だけでなく,キュレーターの山峰潤也さんの「早期機器発見装置としての芸術」,多方面で活躍している砂山太一さんの「Strange World, Strange Love」が掲載されています✍️ デザインはゼミトランスペアレント・デザインの田中良司さんです😊 水戸芸術館,および,ナディフ各店で購入できるとのことです📖 よろしくお願いします😂😂😂 🗄🗄🗄🗄🗄 ハロー・ワールド展 トーク・シリーズためのメモ   💬《I randomly love you / hate you》💬 

小林健太「自動車昆虫論/美とはなにか」のトーク:本当に美だと感じているものに近づくことができるのではないだろうか

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小林健太「自動車昆虫論/美とはなにか」 のトークを聞いてきた(トークの メモ ).小林が低解像度の美学と言っていて,そこに「退屈」という言葉を出していた.小林の「退屈」を,セミトラやエキソニモの千房が書いていた「退屈」との対比.千房はセミトラの本に寄せたテキストで次のように書いていた. ものを作るという行為は本来「退屈」を減らす行為なのではないか.目の前の美しさに目を奪われれば,退屈は失われていく.しかし,美しさを目前にしながらも退屈を感じてしまう,そんな二重化された感性をもつことによって,構造的に表(スクリーン)と裏(ソースコード/データ)から成り立っているデジタルな世界から現れて来た彼らが,本当に美だと感じているものに近づくことができるのではないだろうか.(p.7)  半透明な記憶から,千房けん輔 『セミトランスペアレント・デザイン』 ディスプレイ(表)とプログラム・コード(裏)とを重ね合わせると「美」と「退屈」とが重なりだす.セミトラの展示はコードの再帰構造をディスプレイ,そして,物理世界に取り出してくるところに退屈さと美をみつけていた( 再帰のなかで現われるピクセル感_セミトランスペアレント・デザインの「退屈」展(1) ).それはテクノロジーのあたらしさがもつ面白さや美ではなく,コンピュータの特質を物理世界に引っ張り出してきた美であり,退屈さなのだろう.それはどこかヒト以外の論理が働き,理解できないような状況をつくりだしているのであろう. 小林の「退屈」はコンピュータを基準面とした表と裏との重なり合わせででてくるのではなく,「GUI」というディスプレイレベルでの「退屈」となる.トーク相手の山峰潤也(水戸芸術 館現代美術センター 学芸員)が小林のことを「GUIネイティブ」といったように,小林はディスプレイのグリッドシステムに退屈を感じている では,ソースコードと重なり合うことないディスプレイのグリッドシステムのみの退屈とはなんだろうか.小林は「画像感」と言っていた.ビットマップによる区切られた感覚であり,物質を分割するグリッドシステムに退屈を見出す.けれど,ここで興味深かったのが,小林は文字も分割システムと言っていて,さらに,文字が「あいうえお表」のようにグリッドに配置されていると...

2016年の振り返り

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2016年にはこの投稿を含めて35本の記事を書いています.2015年が63本だったから,ほぼ半減です.来年はもう少し書けたらと思っています. 今年はMASSAGEではじめた連載「モノとディスプレイとの重なり」でほぼ毎月,モノとディスプレイとイメージとの関係を考えていました.連載の現在の流れは,「ポストインターネット」の状況を改めて考えるという趣旨からは少しズレてしまっているかもしれません.しかし,タイトルの「モノとディスプレイとの重なり」は今のアートの状況を的確に示しているような気がしています. (といっても,ディスプレイを用いた作品しか見ていない私の観測範囲内ですが…)  それでもこれまで連載が止まることなく書けるほど,ディスプレイを用いた興味深い作品がでているのは,「ディスプレイ」というメディウムを考える必要を示しているとも思っています.来年も「モノとディスプレイとの重なり」を追っていきたいと考えています🚀🚀🚀  MASSAGE連載00_「ポストインターネット」が設定したクリティカルな状況 MASSAGE連載01_ポストインターネットにおけるディスプレイ MASSAGE連載02_「光の明滅」というディスプレイの原型的性質 MASSAGE連載03_光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス MASSAGE連載04_モノと光とが融け合う魔術的平面 MASSAGE連載05_ iPadがつくる板状の薄っぺらい空間の幅 ─── 谷口暁彦「思い過ごすものたち《A.》」と「滲み出る板《D》」について MASSAGE連載06_《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ MASSAGE連載07_水平に置かれたディスプレイが物理世界のルールを上書きする───永田康祐《Translation #1》について  もうひとつ大きなテキストとしては,ÉKRITSに寄稿した絵文字😭😭😭についてのテキストです.このテキストを書くことによって,「文字を書く」という流れのなかで絵文字によって意味の流れがどのように形成されていくのかをじっくりと考察できました.これもまたインターフェイス論のひとつかなと自分では考えています. ÉKRITSへの寄稿:絵文字😂😊😱は空白をつ...

写真家・小林健太さんとのトーク「ダーティーなGUI」のスライドとその後のメモ

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スライドのPDF→ https://drive.google.com/open?id=0B3RHXdLnqTi-b3JadFRKZWdVRHc 10月の連続トークの最終週は 飯岡陸 さんのキュレーションする「 新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン 」展での,写真家・ 小林健太 さんとのトーク「ダーティーなGUI」でした. 「ダーティーなGUI」というタイトルは「 GUIの歪み 」というタイトルの講演を考えているときに出てきた言葉でした.そして,今回はその言葉を使って,「クリーンなGUI」としてのラファエル・ローゼンダールと「ダーティーなGUI」としての小林健太を対比させることで,何が考えられるのか,ということを,小林本人と話してみようと考えました. 小林  指が大事な気がしていて.写真って実際の行為は,いろいろ身体を動かすにしても,ボタンを押し込むっていうそれだけで,そのボタンを押し込むっていう行為と,出て来た画像との間に,動作的な分断がある.その感じが面白いと思っていて.一方編集では指先と,そこから延びる筆致に連続性があって.  [投稿|トーク]小林健太「#photo」を巡って|小林健太×荒川徹×飯岡陸×大山光平(G/P gallery)  今回のトークはGUIが中心ではなく,小林の作品と作品制作の行為がメインなので,事前にいくつもの小林のインタビューやテキストを読んだなかで,気になったのが上の言葉でした.撮影の「ボタンを押す」という行為と編集の指で「描く」という行為との組み合わせ.小林は別のインタビューでは「行為をバインドしたいんすよね.撮る行為と,編集する行為を重ね合わせたい」と言っています.  カメラはボタンを押すという最小の行為で,物理世界を画像に移してしまう.物理世界を写し取るためにヒトが培ってきた行為を「ボタンを押す」という最小行為にしてしまったのが,カメラであり,その延長にコンピュータがあると考えられます.だから,私はGUIというシステムはヒトの行為を最小化していく流れにあるものだと考えています.しかし,コンピュータの論理世界にヒトが入り込むには,キーボードの一つひとつのボタンを押す行為によって文字列を入力していくことが最適でしょう.そこになぜわざわざGUIなんてものがでてきたのか....

2016年度 中部支部 第1回研究会で講演_「GUIの歪み」のスライドなど

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スライドのPDF→ https://drive.google.com/open?id=0B3RHXdLnqTi-WUQ5UjN2blduUmM 10月8日は情報科学芸術大学院大学(IAMAS)で開催された2016年度 日本映像学会中部支部 第1回研究会で 「GUIの歪み」 という講演をしました.映像学会の 中部支部 は名古屋大学大学院時代にとてもお世話になったところです.映像学会のなかで「メディアアート」や「インターフェイス」についての発表をし続けても,受け入れてくれた懐の深い支部です. 発表要旨は以下になります. 要旨: 写真家の小林健太は自らを「GUIネイティブ」と呼び,「自分が何かと接する時に,その間に何かフィルターが介入していて,歪みが生じている.そういう状況に慣れきったような感覚」があるという.小林が言うように,デスクトップメタファーからフラットデザイン,マテリアルデザインといった流れをもつGUIは,物理世界の再現を目指すわけではなく,その構造のみを取り入れた独自の世界をディスプレイに展開してきたと考えられる.GUIを操作し続けるヒトには,物理現象に還元できない表象がつくる物理世界を裏切るような歪んだ感覚が蓄積してきた.「ポストインターネット」と呼ばれた状況以後,この蓄積された感覚が閾値を越えて,作品として現われ続けている.今回の発表では,GUIによる歪んだ感覚を示すふたりのアーティストを取り上げる.ひとりは先述の小林であり,もうひとりはベクター画像の特性を活かした作品をつくり続けるラファエル・ローゼンダールである.小林とローゼンダールの作品を通して,GUIの歪みを示していきたい. 当日は,小林健太とラファエル・ローゼンダールの考察のまえにGUIの流れをアイヴァン・サザーランドからGoogleのマテリアルデザインまで追っていきながら,身体とGUIとの歪んだ関係を先ず示しました.その後で,その歪みを引き受けた作品として,ラファエル・ローゼンダールと小林健太の作品を紹介しました.この発表を考えているときに,ローゼンダールはベクター画像が示すような数学的な完全さとともにある「クリーンなGUI」で,小林は身体と物理世界とが「クリーンなGUI」に「汚れ」をつけていく「ダーティーなGUI」なのではないか,というアイデアを得ま...