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ÉKRITS連載_カーソル・ラバーハンド錯覚・スワイプ ── 「画面帰属感」がつくる自己を画面に帰属させたミニマルセルフ - インターフェイスを読む #8

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エクリでの連載「インターフェイスを読む」を更新しました.第8回目のタイトルは「 カーソル・ラバーハンド錯覚・スワイプ ── 「画面帰属感」がつくる自己を画面に帰属させたミニマルセルフ 」となります. 先日参加した, 表象文化論学会オンライン研究フォーラム2023のシンポジウム「皮膚感覚と情動:メディア研究の最前線」 の発表原稿に加筆修正して,エクリに掲載してもらいました.そのため,連載で使ってきた「合生的」という言葉が使われていません.しかし,最後で現れる「画面帰属感」という言葉は,これまで連載で書いてきた「合生的行為」や「合生的出来事」の源にあるit-from-bit,情報主導の世界を紐解く端緒になるかなと思っています. 「合生的行為」や「合生的出来事」は, ヒトが画面に帰属した先に情報への帰属を感じながら,意思と予測情報とが入り混じった感じを抱きながら行う行為であり,その感じとともに現われる出来事なのではないかということです. 科研「 生命と物質に関わる理論的調査と制作実践 」で 「物質としてのインターフェイスの生命化」ということを考えて来たら,物質と生命を統合する情報に帰属するヒトという考えができ来た感じです.

ÉKRITS連載_最小化された行為の先にある合生的認知 - インターフェイスを読む #7

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エクリでの連載「インターフェイスを読む」を更新しました.第7回目のタイトルは「 最小化された行為の先にある合生的認知 」となります. 科研「 生命と物質に関わる理論的調査と制作実践 」で 「物質としてのインターフェイスの生命化」ということを考えつつ,ヒトとコンピュータとのあいだで起こる「予測」の曖昧さについて考察しようと,iPadOSの「磁性」について書こうとしていました. ですが,その前にiPhone 13 Pro に実装された指の動きに連動する ProMotionを考えてみたくなり,今回はこちらを考察しています.これまでの連載で考えたこと,エキソニモ論文での「認知者」という概念などをリンクさせるテキストになりましたので,読んでもらえると嬉しいです🙏

ÉKRITS連載_ディスプレイ上のポインタがオブジェクトに「触れる」 — iPadOSの「適応精度」から考える - インターフェイスを読む #6

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  久しぶりにエクリでの連載「インターフェイスを読む」を更新しました.第6回目のタイトルは「 ディスプレイ上のポインタがオブジェクトに「触れる」 — iPadOSの「適応精度」から考える 」となります.  このテキストの元になったのは,日本映像学会での発表でした. 日本映像学会第47回大会で発表しました🧐(追記:2021/10/01)  その後,共同研究者となっている科研「生命の物質化・物質の生命化に関する理論調査と制作実践」の研究会で発表しました.ここでは「物質としてのインターフェイスの生命化」ということを考えています. これらの発表でもらったコメントをもとにテキストにしたいなと思っていたときに,エクリでの「インターフェイスを読む」として書くのが,最もしっくりくるのではないかと思って,エクリの大林さんに掲載をお願いしたら,快諾してもらいました. 発表では,iPadOSの「適応精度」とともに「磁性」という要素も扱っていますが,今回のテキストでは一緒に扱えなかったので,次回「磁性」を考えつつ,ヒトとコンピュータとのあいだで起こる「予測」の曖昧さについて考察してみたいです.

ÉKRITS連載_場に顕れるソフトウェア、隠れるオブジェクト - インターフェイスを読む #5

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エクリでの連載「インターフェイスを読む」の最終回「 場に顕れるソフトウェア、隠れるオブジェクト 」が公開されました.今回「読む」のはフラットデザインとマテリアルデザインです. 連載1, 2回目が「 ✋ 🤚 」,3回目は「 👀 」ときて,4回目は「 🏁 」における反射✨となって,最後は絵文字し難いハードウェを包み込む「ソフトウェア」,あえて絵文字にすると🍩という感じでしょうか.穴のあるドーナッツを積み込むチョコレートな感じでしょうか. ここまでが最終回のテキストです.一度,テキストを読んでみてください📖📖📖 よろしくお願いします🏁✨🤳 ⌚️📱📲💻⌨️🖥🖱 最終回になりましたが,どうしても流れのなかで書けなかったことを,次のステップの少し書き残しておきます💡💡💡 エクリ編集部のおかげで連載を最後まで書ききることができました.書きたいことは連載のテキストにすべて書いたので,ここには最初から意識していたけれど,どうしても書けなかったことを書いてみたいです.それは,落合陽一さんの「 コロイドディスプレイ 」についてです. 落合さんは「コンピューテーショナル・フィールド」という言葉で,場を統一的に操作することを提案・実装しています.私がそこで一番興味を持ったものが「コロイドディスプレイ」でした.シャボン膜を超音波で微細に制御して,光の反射や屈折を変えて,そこに映像を投影できるようにしてしまう.まさに「魔法」のような作品です. ここではモノとイメージとが同じように存在しているように感じられます.シャボン膜に触れると壊れてしまうという儚さ,持続のなさがイメージのように感じられるのです.しかし,それはモノであることは確実です.でも,映画のスクリーンやコンピュータのディスプレイとは異なり,イメージ表示面がなくなってしまうことが起こる.イメージとともにスクリーン・ディスプレイが消えてしまうことが,モノとイメージとが重なり合った存在であることを示すのです.コンピュータを基点として,ソフトウェアでモノを微細にコントロールして,モノのサーフェイスを変えてしまうのは,今回触れたフラットデザインとマテリアルデザインにも通じるところがあります.ソフトウェアとハードウェアとは単に機械的に,情報的につなが...

ÉKRITS連載_インターフェイスからサーフェイスへ — スキューモーフィズム再考 - インターフェイスを読む #4

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エクリでの連載「インターフェイスを読む」の第4回目「 インターフェイスからサーフェイスへ — スキューモーフィズム再考 」が公開されました.今回「読む」のは,副題にもあるように「スキューモーフィズム」です. スキューモーフィズムをデスクトップメタファーからフラットデザイン・マテリアルデザインへのつなぎと考えるのではなく,「物理世界の表皮」として考えみたらどうなるだろうかと書いています.そして,スキューモーフィズムとともにスマートフォン📱という薄い板が物理世界とヒトとのあいだに入ってきており🤳,ヒトとコンピュータとのあいだにあるものが「インターフェイス🖥🖱⌨️」ではなく,単に「サーフェイス🏁」となって,ヒトとコンピュータと物理世界とが重なり合って,その重なりにおいて行為🙌が反射(リフレクション)✨するようになっているのではないか,ということを書いています. 連載1, 2回目が「 ✋ 🤚 」,3回目は「 👀 」ときて,今回は「 🏁 」における反射✨からヒトとコンピュータとのあいだの行為を考えるテキストになっています. よろしくお願いします🏁✨🤳

ÉKRITS連載_GUIが折り重ねる「イメージの操作/シンボルの生成」 - インターフェイスを読む #3

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エクリでの連載「インターフェイスを読む」の第3回目「 GUIが折り重ねる「イメージの操作/シンボルの生成 」が公開されました.今回「読む」のは,GUIのスローガンともいえるアラン・ケイの「Doing with Images makes Symbols(イメージを操作してシンボルをつくる)」です. テキストは「Doing」につながるデバイスとして,ダグラス・エンゲルバートのチームが開発した「マウス」から始まっています.マウスが物理世界をXYグリッドに区切り,ヒトの行為をコンピュータのn次元の世界にマッピングしていきます.その後,アラン・ケイの「Doing with Images makes Symbols」を体現する「重なるウィンドウ」の考察を行っています.GUIを考察するときには「ウィンドウが重なる」ことが重要だと,もともと考えていたのですが,その重要性をうまく書くことができませんでした.そんなときに,思想家の東浩紀の ゲンロンβ での連載「観光客の哲学の余白に」で取り上げられていたマーク・チャンギージーの「透視仮説」を知りました.ウィンドウの「重なり」を説明するのに,チャンギージーの「透視仮説」はフィットするのではないかと思い,書いています.その結果として,前回までは「🖐」についての考察でしたが,今回は「👀」からヒトとコンピュータとのあいだの行為を考えるテキストになっています. よろしくお願いします👁👀👓

ÉKRITS連載_スケッチパッドで「合生」される世界 - インターフェイスを読む #2

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エクリでの連載「インターフェイスを読む」の第2回目「 スケッチパッドで「合生」される世界 」が公開されました.今回「読む」のは,GUIの源(ソース)といえるアイヴァン・サザランドの「スケッチパッド」です.1回目のテキストで論じた「最小化した行為」と「手」の問題をスケッチパッドの記録映像から考察しています. はじめは,スケッチパッドでは「行為する手 ✍️ |最小化する手 👍 |制約する手 🖖 」という3つの手が絡み合っていると考えて,テキストのタイトルは「スケッチパッドで絡み合う三つの手」でした.けれど,平倉圭さんの「合生的形象 — ピカソ他《ラ・ガループの海水浴場》における物体的思考プロセス」の「合生的形象」という言葉に惹かれて,今のタイトルとなりました. よろしくお願いします ✍️ 👍 🖖

ÉKRITS連載_最小化するヒトの行為とあらたな手 - インターフェイスを読む #1

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インターフェイスを読んでいく連載を「 ÉKRITS / エクリ」ではじめました😊 エクリにはこれまでに,エキソニモと谷口暁彦さんの作品をインターフェイス的視点から読み解く「 メディウムとして自律したインターフェイスが顕わにする回路 」,絵文字を書く・読むときの感情の流れを考察した「 絵文字😂😊😱は空白をつくり、スリル💦を生む 」「 絵文字😹😸🙀は空白をつくり、感情🔥を区切る 」と書いてきました. インターフェイス的視点で様々なテキストをエクリに書いていくなかで,エクリで「インターフェイスの歴史」を扱ったテキストを書きたいと思い,編集部の浅野さんと大林さんに相談してみたところ,ふたりから刺激的なコメントが返ってきました.そこで,連載というかたちで「インターフェイス」について書いてみたいと以下のように構想を書きました. マクルーハンによる「身体の拡張」から,コンピュータによる「知能の拡張」に至り,渡邊恵太さんの『融けるデザイン』にいたる「物理世界」と「非物理世界」との関係の変化を辿っていきたいと考えていますが,どうでしょうか. でも,初回から,この構想はいい意味でなくりました.それは,久保田晃弘さんの『遙かなる他者のためのデザイン』がでたからです.なので,初回のテキスト「 最小化するヒトの行為とあらたな手 」は,マクルーハンと久保田さんを扱ったものになっています. 1ヶ月半か隔月の間隔でテキストを書いていきたいと思っています😭😭😭 よろしくお願いします😋😋😋