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「ヨフ《Layered Depths》とともに考える「スワイプを介して生じる映像と空間との関係」 」の報告文が,日本映像学会の会報に掲載されました

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九州産業大学で開催された日本映像学会第50回大会で発表した「 ヨフ《Layered Depths》とともに考える「スワイプを介して生じる映像と空間との関係」 」の報告文が,日本映像学会の会報に掲載されました. https://jasias.jp/wp-content/uploads/2024/10/JASIAS_NewsLetter201.pdf ヨフの《Layered Depths》を分析していった最後に,作品に即して,次のように書きました. 最後に,相即の感覚を伴う映像体験は情報的に生じている「擬似空間」で強く感じるものであり,そこでは映像と空間の関係を見るだけでなく,行為とともに考えることが要請されていることを主張して,発表を終えた. これはヨフの作品だけでなくて,映像作品全般を「行為とともに考える」ことが必要だという主張でもあります.映像を認知して,意識に生じる「行為」につながる感じを含めて,映像を分析する必要があるのではないかということです. インターフェイス体験が一般化してきた今では,映像は見て,認知して,何かしらの意味を生じさせるだけでなくて,何かしらの行為を引き起こすようになっていると考えると,映像の捉え方が豊かになるのではないかということです.言い換えると,「情動」という言葉で澄ますことができない,実際に行為に直結するベクションのようなことが,ベクションのようにあからさま形でなくても,映像を認知した際に意識に生じる「疑似空間」で起きているとした上で映像体験を記述しないといけないのではないという主張です.

日本映像学会第48回大会で「インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性」という発表をします🧐(追記:2022/06/06 発表資料の追加)

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Expanding the Sensory Experience with Core Haptics in WWDC2019のプレゼンテーションスライド 6月5日に京都大学で行われる 日本映像学会第48回大会 で「 インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性 」という発表をします🧐 横浜国立大学の中川 克志さんに誘われて音の研究会に出ていて,そこで考えたコンピュータの内部音というのはコンピュータメタファーと関係あるのではということから考え始めて,発表はどんどんと音自体からは離れていくものになったような気もしますが,概要を書いた3月の時点では聴こえる音と感じる音としての振動=触覚について考えていますね. 音を考えることで,ディスプレイ外の事象というインターフェイス体験で半ば意識外のことを考えられるようになった気がします.意識外のことを考えるというのは,映像学に書いた 「 「認知者」としての作品──エキソニモのUN-DEAD-LINK展を事例に 」から続く,ヒトがコンピュータとともに非意識的領域の情報を感覚できるようになっているのではないか,という問題意識です.ディスプレイ外の事象というのも聞こえているけど,考えられてはこなかったという点で,非意識とは異なるけど,意識のフレームの外にあったものを扱うという点では,今の私の問題意識で改めてデスクトップメタファーを扱って,ハプティックなインターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性につなげるということかもしれません. 発表も概要から外れるものではないですが,もっとチャーマーズよりというか, it-from-bit-from-it な感じになっているような気がします🫡 発表概要です. インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性  哲学者のデイビッド・チャーマーズは仮想現実と哲学の問題を扱う『Reality+』において,「デジタルオブジェクトは完全に実在する物体」と主張する.「デジタルオブジェクト」とは,仮想現実内のオブジェクトであり,ビットのパターンで構成されたものである.私はチャーマーズの主張をインターフェイスデザインに応用してみたい.彼の主張が真だとすると,私たちはインターフェイスにおいて「デジタルオブジェクト」を幻影ではなく「完全に実在する物体」として体験していることになる.これは直観に反す...

『[クリティカル・ワード]メディア論──理論と歴史から〈いま〉が学べる』への寄稿

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 門林岳史・増田展大編 『 クリティカル・ワード メディア論 理論と歴史から〈いま〉が学べる 』の「触覚メディア」の項目を執筆しました. キーワードは以下のようになっています. タッチスクリーン,ハプティック、インターフェイス,グラフィカル・ユーザー・イン ターフェイス(GUI),ダグラス・エンゲルバート,アラン・ケイ,オブジェクト指 向プログラミング言語,スキューモーフィズム,マテリアルデザイン キーワードからわかるように「インターフェイス」 について書きました.「インターフェイスが触覚メディアなのか❓」ということは,読んでみてください🙇‍♂️ MASSAGE の連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」でカバーイラストを提供してもらっているカワイハルナさんのイラストレーションが表紙になっていて,とてもいい感じです. よろしくお願いします☺️ -- 目次 はじめに 門林岳史・増田展大 第1部 理論編──メディア理論の現在  1 身体 門林岳史・増田展大  2 知能 原島大輔  3 遊び/ゲーム 吉田寛  4 ニューメディア/ソフトウェア 堀潤之  5 アーカイヴ 大久保遼  6 メディアエコロジー 門林岳史  7 プラットフォーム 増田展大  8 政治とメディア 清水知子  9 資本とメディア 水嶋一憲  10 ポストヒューマン 飯田麻結 第2部 系譜編──メディア思想の潮流  1 フランクフルト学派 竹峰義和  2 マクルーハンとトロント学派 門林岳史  3 ドイツのメディア哲学 鈴木恒平  4 カルチュラル・スタディーズとメディア論 毛利嘉孝  5 ジェンダーとメディア 田中洋美  6 ポストメディア 門林岳史  7 アートとメディア 馬定延 第3部 歴史編──メディア考古学の実践  1 複製メディア 増田展大  2 出版メディア 門林岳史  3 画像メディア 増田展大  4 聴覚メディア 福田貴成  5 音声メディア 秋吉康晴  6 触覚メディア 水野勝仁  7 没入メディア 岩城覚久  8 憑依メディア 浜野志保  9 ヴァナキュラー・メディア 前川修  10 スクリーン・メディア 大久保遼  11 インターネット・メディア 喜多千草  12 モバイル・メディア 光岡寿郎  13 観光メディア 佐藤守弘  14 物流メディア 遠藤英樹  15...

ÉKRITS で「ヒトを呼び寄せ、死を呼び寄せる《Realm》」が公開されました

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ÉKRITS で「 ヒトを呼び寄せ、死を呼び寄せる《Realm》 」が公開されました☺️ エキソニモの久しぶりのネットアートの作品《Realm》についてです.よろしくお願いします🙇‍♂️ エキソニモにとっても「中間地点」になる作品だと思うし,自分にとってもインターフェイスを考える上で,ちょうど折り返し地点になりそうな感じです.もうそんな歳になってきました. 編集の大林さんからのメールで,インターフェイスについての連載「インターフェイスを読む」から3年経っていることを知り,時間の流れが早いな,この先,どこまでインターフェイスの変化について考え,言語化できるのか,できるところまで考えていきたいです. このテキストはJSPS科研費 20H01203「ライフ/デス・アートの美学」の助成を受けたものです.

木村翔馬個展「dreamの後から(浮遊する絵画とVRの不確定)」のカタログへの寄稿

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木村翔馬さんの個展「dreamの後から(浮遊する絵画とVRの不確定)」のカタログに「VRをめぐる「感覚の空回り」からあらたな絵画を生み出す「感覚の絡まり」へ」というテキストを寄稿しました. Apple PencilとiPadでメモを買い続けているときの感覚の空回り感から,木村さんのVR絵画とインターフェイスのはじまりとも言えるアイヴァン・サザランドの「スケッチパッド」を「重力」を使って接合して,結果として画面のこちら側と向こう側とで感覚が絡まっていく🌀,ということを書きました. 木村さんとgnckさん,若山満大さんのトークの記録,飯岡陸さんの「木村翔馬の落書き帳───しくじったフォーマリズム」,きりとりめでるさんの「メディア論的吸血と美術史的吸血」と充実した内容になっています.

「paperC」no.17で,美術家の金氏徹平さんと対談しました

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おおさか創造千島財団の情報発信紙「paperC」no.17で,美術家の金氏徹平さんと対談しました.私はいつも通り,ユーザーインターフェイスの話をしていますが,金氏さんのおかげで,インターフェイスがマルセル・デュシャンの《大ガラス》につながり,さらに,YCAMでエキソニモが共同キュレーションした「メディアアートの輪廻転生」に至り,最後に,Apple Pencilで終わるという興味深い流れができました✏️ 金氏さんが言った「白で書く」という言葉が今でも印象に残っています🏳️ PDFはこちらです→ http://www.chishimatochi.info/found/letter/ インクの匂いが心地よい紙版はご希望の方にお送りしますので,下のフォームにご記入ください🗞 読み込んでいます...

批評誌『ヱクリヲ9』に寄稿

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批評誌『 ヱクリヲ9 』に「ジェスチャーとともに写真のフレームを無効化する「写真」───ピンチイン/アウトによる「写真」の拡大縮小」を寄稿しました.身近な行為から「写真」について考えています.よろしくお願いします😊 『ヱクリヲ9』の「特集 写真のメタモルフォーゼ」の序論で次のように紹介されています. 水野勝仁 による「 ジェスチャーとともに写真のフレームを無効化する「写真」───ピンチイン/アウトによる「写真」の拡大縮小 」は,かつて写真の本質的な特徴と見做された「フレーム」が現代の技術環境で見せる変容についての分析だ.ピンチ・イン/アウトというスマートフォンで一般化した触覚的な知覚はどのように仮想空間に作用しているだろうか.この未知の行動様式がもたらすメディア論的な可能性が見いだされる.p.10 ヱクリヲのTwitterでは次のように紹介されています. スマートフォンは、フレームレスになっていたデジタル画像に「縁」を与えたと同時に、世界を四角く切り取ってきた写真の「フレーム」を無効化しました。それは、ジョブズがiPhoneで親指と人差し指を使って「ピンチイン/アウト」ジャスチャーを行ない、画像を拡大縮小させたときに起こりました。 pic.twitter.com/JHGpKeaVWC — エクリヲ|vol.9発売開始 (@ecrit_o) 2018年12月1日 ジョブズが触れていたのは写真でも画像でもなく、ディスプレイのフレームをはみ出していく「写真」という操作可能な未知のオブジェクトでした。「写真」は物理的フレームとしてのディスプレイだけでなく、写真が持っていた被写体と被写体以外とをまとめ上げてきた「フレーム」もはみ出していくのです。 pic.twitter.com/3815kPYEf7 — エクリヲ|vol.9発売開始 (@ecrit_o) 2018年12月1日 「写真」は操作可能なオブジェクトとして「フレーム」を意識せずに見ることを可能にしたのです。だからこそ、私たちは見るだけでなく指で触れながら、スマートフォンの一部として存在している「写真」について考えていかなければならないのです。『ヱクリヲ9』掲載の水野勝仁による論考です。 pic.twitter.com/...

【新版】UI GRAPHICS 成功事例と思想から学ぶ、これからのインターフェイスデザインとUX

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【新版】UI GRAPHICS 成功事例と思想から学ぶ、これからのインターフェイスデザインとUX に「 思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる 」というテキストを寄稿しました.また,2015年版から「 メタファー、ボタン、テクスチャ、色面、ピクセル 」と「 GUI の歴史:インターフェイスは常に身体の中にあった… 」の二つのテキストが再録されています. 書き下ろしの目次 ・Apple が目指す「流れるインターフェイス」 | 安藤剛 ・思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる | 水野勝仁 ・個人的なインタラクション | 萩原俊矢 ・ユーザーのウェルビーイングのためのUI/UX | ドミニク・チェン ・導線としての制約を作る | 菅俊一 ・動きとUI デザイン | 鹿野護 ・話法について | 有馬トモユキ ・UI の外在化とメタハードウェア | 渡邊恵太 ・世界観への期待を創るUI デザインとエクスペリエンサビリティを向上するUX | 須齋佑紀/津﨑将氏 目次を見ると気になる著者名とタイトルがずらりと並んでいて,私自身もこれらから読むのが楽しみです😊 今回,私が書くことになったテキストの最初の構想を編集の庄野祐輔さんに送ったメールの一部をここに置いておきます. -- インターフェイスの移り変わりは本当にはやいですね. 現在,インターフェイスで興味があるのは,周回遅れの感じがありますが,Apple Pencilで書くことです.正確に言うと,Apple Pencilでいくら書いても,そこにあるのはiPad Proの一枚のディスプレイということでしょうか.私は何を一体書いているのだろうということです. でも,これだと今回の趣旨に合わないなと思っていたところで,今回のWWDC18でAppleが「Designing Fuild Interfaces」という発表しました.そのなかに「A tool that feels like an extension of your mind」という言葉があって,さらに「Interface that extend our minds」とありました.これ見たときに,もう「extens...

建築夜楽校2018 シンポジウム「建築のインターフェイス」で使った資料と簡単な振り返り

インターフェイス🔁サーフェイス 建築夜楽校2018 シンポジウム「建築のインターフェイス」で使った資料です.最後の引用として使っている 『GRAPHICS FOR UI UX』(10月19 日刊行予定) に書いたテキスト 「思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる」は発表時よりも引用を短くしました.気になった人はぜひ本を買ってください🙏 タイトルにもある通り「インターフェイス」のことを「サーフェイス」として捉えて考えても,実際にそれは「インターフェイス」であり続けるのであって,この行き来のなかで考えるしかないのかなということを,今回の改めて考えました. 発表者の一人の青木淳さんがコーリン・ロウの「透明性」に言及しつつ,「リテラルなインターフェイス」と「フェノメナルなインターフェイス」という言葉が言っていたのが気になりました.そこから,「リテラルなインターフェイス」としてサーフェイスがあって,こちらの部分はあまり評価されてこなかったから,あえて,インターフェイスをリテラルにサーフェイスとして捉えることが重要なのではないかということを考えつつ,福尾匠さんの『 眼がスクリーンになるとき 』で提示されている「リテラル」と絡めて考えると面白いかもしれないなどと思っています. 追記:2018/10/05 シンポジウムで3人のレクチャーが終わり,次のディスカッションへの休憩時間のあいだに,青木さんの話を受けて,谷口さんが「 フェノメナルな 透明性」は様々な要素が入り込んでできるものだとすると,「 フェノメナルなインターフェイス」は入出力以外の要素が入り込んでくると考えられて,とても興味深い,と言っていたのが気になっていたことを思い出したので,追記しておきます.確かに,「インターフェイス」はふたつの存在のあいだにだけあるものではなくて,もっと多数のあいだにも現れるものとしても考えられるかもしれない.

東京大学大学院講義「建築設計学第3」:建築と「もの」の振り返り

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建築家で東京大学大学院建築学専攻 隈研吾研究室 助教の平野利樹さんに誘われて,7月6日に東京大学大学院講義「建築設計学第3」:建築と「もの」でゲストレクチャーをしました.雨の中,聴きに来てくれた皆さん,ありがとうございます🙇‍♂️ レクチャーは,エクリでの連載「インターフェイスを読む」の第4・5回をGoogleの マテリアルデザイン を中心にまとめ直して,Appleの Designing Fluid Interfaces のスライドに書かれていた「A tool that feels like an extension of your mind」というテキストに言及して終わるものでした. レクチャーノート 🕋インターフェイス➡️サーフェイス➡️プリミティブなモノ レクチャーを終えて,平野さんの話しているときに,平野さんが一枚のスケッチを書きました.それは,発表で使われた大林寛さんの「 インターフェース、その混血した言語性 」のインターフェイスのファザードモデルと, akiramotomura さんが私のテキストを図解してくれた「 ヒトとコンピューター5(エクリから) 」の図の一つでした. インターフェース、その混血した言語性 ヒトとコンピューター5(エクリから) これら二つの図を書きながら,平野さんはグレアム・ハーマンから考えると,オブジェクトのサーフェイスで乱反射する行為の関係もまたオブジェクトになりますよね,ということを言われた. レクチャーしているときに,大林さんのインターフェイスのファザードモデルを使って,行為のリフレクション(反射)が起こると「光」を念頭において話しておきながら,その直後に,akiramotomuraさんの図を使って,行為が粘着的な感じで,コンピュータというモノのサーフェイスを引き伸ばすというのがどこか矛盾する感じがしていた.しかし,平野さんが私の目の前で書いてくれたスケッチは,その矛盾を解消するようなものであった.それを自分なりに解釈して書いたのが,次のスケッチです. ヒトとコンピュータとのあいだに行為のリフレクションが起こる.それは乱反射するように,ヒトとコンピュータとのとのあいだを満たして行く.行為がヒトとコンピュータとのあいだを充填し...

ゴットを信じる会《告白》について考えたことと,これからエキソニモとゴットのどちらを探るのだろうか?

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トークで,ゴットを信じる会の会員であり,「 ゴットを、信じる方法。 」展のキュレーターである中川恵理子さんが《告白》は「私たちへの問いかけによって,私たちのなかにゴットが生まれる」と言っていたのが興味深かった.エキソニモの「 ゴットは、存在する。 」は,私たちに明確な問いかけはない.それは,インターフェイスが私たちの身体=存在の代理となっているので,そこに 私たち=ヒトが 必要としないことを示しているからであろう.しかし,ゴットを信じる会の《告白》は,私たちを必要とする.そこが「ゴット」をめぐる大きなちがいであり,この10年間でのインターフェイスのちがいも含まれているような気がする. けれど,ここでゴットを信じる会がゴットに半信半疑だったことも考えなくてはいけないだろう.マウスとカーソルとの連動の感覚を全面的に内面化していた人たちにとっては,エキソニモの《祈》を見ることはシャーマンの儀式を見ることに近い.そしてそれは,信じるも信じないもなく,アニミズムが活きている状態なのである.それは信じるも信じないも,カーソルという画像を依代にして,目の前で実践されているシャーマンの儀式なのである.だが,《告白》においてはもはやアニミズムは活きた状態ではない.いや,マウスとカーソルによる儀式を見るといった他人事ではないものになっていると言えるだろう.《告白》では,見る者自体がシャーマンとならないといけないのである.ここでは傍観者のままゴットを感じることはできない,当事者にならなければならない. マウスとカーソルといった依代的インターフェイスが,タッチパネルというよりダイレクトなインターフェイスとなり,私たち自身にシャーマンとなるように要請する.私たちは,ゴットを信じる信じないにかかわらず,よりゴットに近くになっているのかもしれない.だが,それゆえに,私たち自身がゴットを受け入れるのかどうか問われていると言えるだろう.私にはまだわからないが,きっと,ここにはインターフェイスをめぐる一つの変化があるはずである. と,ここまで書いてきたのだが,私は《告白》を見ているときに,ゴットを感じることができなかった.私はゴットを感じるのに「依代」を必要としているのであり,自分自身が依代になれるほどには,ダイレクトにゴットを受け入れられていないのかもしれない.私は...

VRトーク&ワークショップイベント「没入の宴 〜”俺の嫁”から”嫁が俺”へ〜」でのトークの告知💬とメモ✍️

告知💬 よーへんさんに誘われて名古屋のGOLDEN ARTS CAMP (黄金4422.bldg.5F)で開催される VRトーク&ワークショップイベント「没入の宴 〜”俺の嫁”から”嫁が俺”へ〜」 に出ます.私が出るのは6月24日14時からの トーク2「VRと妄想社会」 です.名古屋で話すのは久しぶりで,VRについて話すのははじめてです.よろしくお願いします😊 メモ✍️ VRについてはどう考えていいのか,迷いつつ,「呼吸」を手がかりにして,同一化の話をして,ディスプレイを通して体験しているUIの平面の重なりの話を経由して,身体変容へとたどり着けたらと考えています. VRにおける呼吸 身体が空間に融けていく 自己帰属感 シャー・デイヴィスによる《Osmos》(1995)は,大きな注目を集めた作品である.HMDに加えて装着するスーツは,呼吸による胸郭の動きを検出するシステムとなっており,体験者はこれによって海底や森の中を連想させるいくつかの作品内部の空間を移動してゆくことになる. スキューバダイビングの体験が元になっているというこのインタラクティヴィティは,呼吸という身体性によるナヴィゲーションを用いることにより,まったく新たな感覚を与えた. それはデータグローブやジョイスティックによる方向の指示に見られるような,体験者が空間に対して操作を加えるという意識を与えず, 自然に空間と一体化するように感じさせ,無意識的に身体を適応させるもであった .体験者は,ジョイスティックなどを使う場合よりも格段に強く,ヴァーチャル・スペースと無意識のうちに結びつく.その結果身体が本当に空間の中に溶け込んでいるような印象を味わい,ある種の感覚的状態になるといわれている. メディアアートの教科書,白井雅人・森公一・砥綿正之・泊博雅 空間自体が身体と連動する 砂山──最近さまざまなプロジェクトで実験的にVRを使うことが多いのですが,テクスチャーの表面だけでぬるっと連続していくような世界への没入感は,一見するとオールオーヴァーですが, 図と地が共存するような奇妙なリアリティ をもたらします. 石岡良治・砂山太一対談「20世紀の遺産から考える装飾」 体とそれ以外を分ける境界があらかじめ決められたものではなくなったとき...