日本映像学会第48回大会で「インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性」という発表をします🧐(追記:2022/06/06 発表資料の追加)
6月5日に京都大学で行われる日本映像学会第48回大会で「インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性」という発表をします🧐
横浜国立大学の中川克志さんに誘われて音の研究会に出ていて,そこで考えたコンピュータの内部音というのはコンピュータメタファーと関係あるのではということから考え始めて,発表はどんどんと音自体からは離れていくものになったような気もしますが,概要を書いた3月の時点では聴こえる音と感じる音としての振動=触覚について考えていますね.
音を考えることで,ディスプレイ外の事象というインターフェイス体験で半ば意識外のことを考えられるようになった気がします.意識外のことを考えるというのは,映像学に書いた「「認知者」としての作品──エキソニモのUN-DEAD-LINK展を事例に」から続く,ヒトがコンピュータとともに非意識的領域の情報を感覚できるようになっているのではないか,という問題意識です.ディスプレイ外の事象というのも聞こえているけど,考えられてはこなかったという点で,非意識とは異なるけど,意識のフレームの外にあったものを扱うという点では,今の私の問題意識で改めてデスクトップメタファーを扱って,ハプティックなインターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性につなげるということかもしれません.
発表も概要から外れるものではないですが,もっとチャーマーズよりというか,it-from-bit-from-it な感じになっているような気がします🫡
発表概要です.
インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性
哲学者のデイビッド・チャーマーズは仮想現実と哲学の問題を扱う『Reality+』において,「デジタルオブジェクトは完全に実在する物体」と主張する.「デジタルオブジェクト」とは,仮想現実内のオブジェクトであり,ビットのパターンで構成されたものである.私はチャーマーズの主張をインターフェイスデザインに応用してみたい.彼の主張が真だとすると,私たちはインターフェイスにおいて「デジタルオブジェクト」を幻影ではなく「完全に実在する物体」として体験していることになる.これは直観に反するように感じられる.しかし,インターフェイスデザインは,彼の主張を裏付ける流れになっている.本発表では,コンピュータの音とディスプレイの表象との関係に注目して,インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性を考えていきたい.
デスクトップメタファーとともに一般化していった初期のコンピュータの多くは箱型で,内部からカリカリとハードディスクの音が聞こえ,ブラウン管から微かな機械音が聞こえていた.これらの音は文字通りにコンピュータ内部の空間に置かれた機器の状態を示すと同時に,コンピュータに「サイバースペース」や「ネット空間」といった比喩的な空間を与えていたと考えられる.やがて,ハードディスクがSSDになるなど可動部品が少なくなったり,部品が密に配置されたりして,コンピュータ内部からの音はなくなっていった.特に,スマートフォンは冷却ファンを搭載しないため,無音のデバイスとなった.
無音のスマートフォンは,コンピュータに対するユーザのメンタルモデルに影響を与え,コンピュータはもう一つの「空間」ではなく,手元の「平面」として捉えられるようになった.その結果,異なる空間を結びつけるための空間性を想起させないフラットな表象が,インターフェイスのあらたなデザインとして現れた.次に,メタファーが担っていたユーザと仮想世界との橋渡し役の代わりとして,部品を隙間なく配置した内部空間が可能にする精巧な振動と音とを組み合わせたハプティック技術がスマートフォンに導入された.そして,ハプティックの振動的な配列とピクセルの平面的な配列とを同期させ,視聴覚の体験では表象に留まってきたデジタルオブジェクトを3つの感覚を用いて設計された「同時性」のもとで体験させることで,その実在をユーザに体感させる試みが始まったと考えられる.
追記:2022/06/06 発表資料の追加
無事に発表を終えました.発表資料です👻