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展覧会「ゴットを、信じる方法」のカタログへの寄稿

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今はなきARTZONEで2018年5月に開催された展覧会「 ゴットを、信じる方法 」のカタログができました.私は「ゴットを、信じる方法」トークイベントと参加しつつ,「📲How to believe in Got. ゴットに巻き込まれた告白💬の行方」というテキストを寄稿しています. 「ゴットを、信じる方法」トークイベント 「ゴットを、信じる方法。」 世代観と「ゴット」の行方 《ゴットは、存在する。》と《告白》 それぞれの「ゴット」 時代とインターフェイス 「ゴット」の居場所 Q&A 📲How to believe in Got. ゴットに巻き込まれた告白💬の行方 🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️  🖱ゴットはどこにいるのか? 📲解釈によって幽閉されたゴット 💬とともにインターフェイスに現れるゴット 告白💬の行方 この展覧会を企画した中川恵理子さんとは20歳近くの差があるので,インターフェイスの体験が全く異なっていました.そのような状況で「ゴット」はどこにいるのか,そして,エキソニモという存在に巻き込まれてしまった中川さんと水野はこれからどうなるのか,というようなことを書きました. カタログ冒頭のページのQRコードからアーカイブサイトに飛べるようになっていて,そこに「📝」の項目があるので,後ほど,テキストがウェブで公開されると思います. 🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️ 🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️  ゴットを信じる会《告白》について考えたことと,これからエキソニモとゴットのどちらを探るのだろうか? 

🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️

🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️ * エキソニモとライダー・リップス     * 身体のちがい         * エキソニモ             * 消える身体         * ライダー・リップス             * スポーツする身体     * リップス「ネット≒リアル」         * 身体をヒンジにしてネットとリアルとを「ほぼイコール」な関係で結びつける             * 身体がネットとリアルとを重ね合わせる     * エキソニモ「ネット⇄リアル」         * 身体を置いていってしまう             * ネットからリアルへ、リアルからねっとへと「連れて行かれる」                 * 「連れて行かれる」という感覚は再制作されたゴットにはなかった                 * そもそも「ゴット」は「ゴッド」に意識を連れて行ってしまうものであった             * 身体をどこに置いていくのか?                 * 🕳のなか?                     * その後のディスプレイ🖥の作品との関連から考えられないか💡       ...

「ゴットを、信じる方法。」でのトークの告知💬とメモ✍️

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告知💬 ゴットを信じる会が企画した展覧会「 ゴットを、信じる方法。 」で,エキソニモの《ゴットは、存在する。》やメディアアートの再制作を巡って,林田さんと中川さんとトークします.よろしくお願いします🖱🖥⌨️💻📱 日時:6/2(土) 15:00~(1時間半~2時間ほど) 場所:ARTZONE1階 出演:水野勝仁 (メディアアート、インターフェイス研究者)林田新(京都造形芸術大学アートプロデュース学科専任講師)、中川恵理子(京都造形芸術大学アートプロデュース学科4年生) メモ✍️ 「ゴットを、信じる方法。」を見にいったときに,自分の名前を発見しました.ゴットを信じる会は,私が以前書いた「エキソニモとライダー・リップス」の記事を参考にしてくれたそうです.私も過去の自分のテキストに赤を入れて,トークに臨みたいです. インターネット・リアリティ・マッピング(4)「エキソニモとライダー・リップス(前編)」 インターネット・リアリティ・マッピング(5)「エキソニモとライダー・リップス(中編)」 インターネット・リアリティ・マッピング(6)「エキソニモとライダー・リップス(後編)」 このテキストでは,70年代生まれのエキソニモと80年代生まれのライダー・リップスを比較しましたが,再制作を行なったゴットを信じる会はおそらく多くが90年代生まれだと思われるので,これら世代のちがいが,インターフェイスやインターネットに対する感覚のちがいにつながるのかなどを話せたらと思います. また,先日,展示を見たときに再制作されたゴットは,どこかゴットが特定されていた感じがありました.はっきりとは言えないのですが,この「特定」感が,エキソニモがつくったゴットとのちがいなのではないかと感じています.エキソニモはもっとアノニマスなゴットをつくりあげていたよう.つかみどころのないゴットと言えるかもしれません.エキソニモのゴットはつかみどころがないから,どこか不穏な感じがしていた.この不穏さが,今回のゴットにはなかったというとネガティブですが,「不穏さのなさ」が,今回の良さであり,考えるべきところなのかもしれないと,私は考えています.トークが楽しみです.