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2025年の振り返り🥸🦆

2 025年はこの投稿を含めて12本の記事を書いています。2024年が12本なので、同じ数ですね。ちなみに note には37本 の記事を書いています。そのほか、2024年からずっとしずかなところで、毎日テキストを書くようにしていて、2025年終了までに589本の記事が上がると思います。こちらにテキストを書いて,noteにまとめるという流れが出てきたので、noteの投稿が増えていて、毎週投稿できるようになっています。 2025年は2月に授業資料をあげるところからスタートしています.愛知県立芸術大学でやっている「メディア映像史」で私が担当している5回分の授業資料をアップしました。2年目になる女子美術大学で「メディアアート概論」の5回分も投稿していますね。 メディア映像史 (2025年度水野担当分)の授業資料 メディアアート概論(2025年度水野担当分)の授業資料 女子美のメディアアート概論の授業は「プロセスの中での変化を捉える」という方法論を、授業設計として実装したものだと思います。2025年にAIとともにレビューを書きながら考えてきたことが、学生に教えることを通じて形になったような気がします。そしてAIを使って授業資料をアップデートしたことや、授業で学生の前でAIを使うことも、一つの変化だったかな。 そして、メディア映像史の授業資料はカーソルと身体とコンピュータの関係から考えたことが残っている気がします。「1つの私と複数の世界の現れ」があって、それらをリンクするメディウムとしてコンピュータが機能している。そして、コンピュータを操作するのは、もはや「私だけ」ではないということを、私は2025年に強く実感するようになっています。カーソルを操作するのは、私だけでなく、AIエージェントもするよね。 自分の大学で担当している「メディアアート論」の授業資料はあげ忘れていますね。2024年度も上げていないので、過去の自分が何か考えたかな。来年度は上げるようにしよう。 2月には、私も運営委員になっているけど、難波阿丹さんが色々とやってくれている日本映像学会の「 映像身体論研究会」 で「『ポストインターネットにおいて,否応なしに重なり合っていく世界』から考えていること」という発表をしました。 7年前の論文を紹介するという奇妙な体験でした。難波さんのお父さんである 難波和彦さんが発表終...

NICOGRAPH 2025で「エキソニモの《Body Paint》における立体視効果の生起条件と印象の変化」を発表しました

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イラストレーターのガトーさんによる実験説明のイラスト 11月30日に広島で開催された芸術科学会の NICOGRAPH 2025 で「エキソニモの《Body Paint》における立体視効果の生起条件と印象の変化」を発表しました。この発表は、甲南女子大学心理学部の星野貴俊さんとの共同研究です。星野さんのゼミ生の卒論をブラッシュアップして、今回の発表となりました。 研究を発表しようとなったのですが、お互いに入っている学会も違うし、どうしようかとなりました。そんなとき、芸術科学会は「非会員」でも発表できるということを知ったので、発表を申し込みました。ロングペーパーでの発表を申し込みましたが、残念ながらショートペーパーでの採択となりました。 発表を終えて、ホッとしながら出張報告書を書いていました。日程を確かめるために、NICOGRAPH 2025のページに行くと、私たちの論文が「優秀論文賞(ショートペーパー)」になっていました。「非会員」だと、こういった表彰制度があるのも知らないですし、たとえあっとしても、「非会員」は審査から除外されるものだと思っていたので、とても驚きましたし、芸術科学会は懐が深いなと感じました。 ということで、発表をして、賞ももらいました。 研究のために作品の映像データの提供や、実験用に作品のカラーバリエーション制作を快く許可してくださった エキソニモ のお二人には感謝しかありません。 星野ゼミの学生さんたち、論文のためのイラストを描いてくれた、私のゼミの学生でもある、イラストレーターのガトーさんに感謝です。 そして、何よりも、私から《Body Paint》の視覚効果を認知科学的に解明したいという急な申し出にのっていただき、3年近い時間をかけて、卒論の指導や論文の執筆をしていただいた星野さん、ありがとうございました! 最後に、論文( ロングペーパー )( ショートペーパー )のPDFです。 ー 星野先生(心理学科)と水野先生(メディア表現学科)の共同研究論文が 芸術科学会にて優秀論文賞に選ばれました

【2023~2024 私のこの3点】を書きました.あと,期間を確認しないで期間外の3点を選んで書いてしまったテキストもあるよ

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美術評論家連盟 会報24号の 【2023~2024 私のこの3点】に,「宮下恵太|わたしたちの光、おおらかなしるし」,Apple Pencil Proの「影」,藤倉麻子「Sunlight Announcements / 日当たりの予告群」をあげて,短い文章を書きました🩻 https://critique.aicajapan.com/7886 3つを選ぶときに選んでいい期間を間違えて,以下の3つについても短文を書いたので,ここに載せておきます. 新津保建秀展「消え入りそうなほど 細かくて 微妙な」  MIZUMA ART GALLERY 2023年4月19日 → 2023年5月20日 新津保建秀の写真は目の前の景色だけではなく,撮影者の新津保の,そして,その写真を見る人の認知プロセスをも一瞬止めてしまうような感じがある.私の認知プロセスが止まると同時に,そこに写っている景色の時間が止まる.結果,「写真が時を止めた」と感じる. エキソニモ「On Memory」 WAITINGROOM 2023年7月5日 → 2023年8月6日 この個展は記憶・メモリをテーマにしたもので,撮影禁止だった.記憶は消失もするけど,改変されながらも,残り続ける.「On Memory」に関する私の記憶がテキストデータになって,メモリに記録される.さらに,書くたびに改変される私の記憶を誰かが読んで.別の記憶が生じることを願って,この文章を書いていてる. 余宮飛翔「Mask」 PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA 2024年10月5日 → 2024年10月27日 Photoshopでつくられた凸凹のない平面を囲む額縁の凹凸とが私の意識で組み合わされて,瞼を閉じると,作品平面と展示空間とが私の意識に現れる空間においてスムーズにつながり,互いに置き換わることも可能かもしれないと感じさせる状況が,とても新鮮で驚きだった.

科研の最終報告会での発表「 私たちに残された行為はただ一つ,ゲーム機本体の電源を落とすことである.」

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JSPS 科研費 JP 20H01203「 ライフ/デス・アートの美学 」の最終報告会で,山形一生さんの《Blank Screen》を取り上げて「 私たちに残された行為はただ一つ,ゲーム機本体の電源を落とすことである.」という発表しました.タイトルは山形さんのテキストからとってきています.《Blank Screen》というウェブ作品の体験を通して,明確なインタラクションがあった作品が終わりを迎えて,何も反応しなくなった際のなんとも言えない感じを考えています.このなんとも言えない感じを伝えるために,発表で《Blank Screen》の作品実況をしました.実況は発表資料にはありません. また,発表で「認知者」という言葉を使っているのですが,それは同じ科研で昨年度まとめた「 「認知者」としての作品──エキソニモのUN-DEAD-LINK展を事例に 」で論じているので,この論文のまとめが発表の前半部分になります. 発表資料:  私たちに残された行為はただ一つ,ゲーム機本体の電源を落とすことである.

「フラットネスをかき混ぜる🌪(5)認知負荷ゲームとしてのエキソニモ「Sliced (series)」(2) ──《A shot computer keyboard, sliced》から認知プロセスを透かし見る👀」が公開されました

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作品や論考を掲載する(ほぼ)月刊の写真ウェブマガジン「iiiiD」の11月号に連載「フラットネスをかき混ぜる🌪」の5回目が掲載されました.タイトルは「 認知負荷ゲームとしてのエキソニモ「Sliced (series)」(2) ──《A shot computer keyboard, sliced》から認知プロセスを透かし見る👀 」です.タイトルにあるようにエキソニモ「Sliced (series)」を取り上げています.よろしくお願いします🙏 2023/12/11追記: iiiiD の更新が停止しため,連載は note に転載しています.

2022年の振り返り

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2022年にはこの投稿を含めて9本の記事を書いています.2021年が13本だったから,4本減りました👻 ちなみに note には21本の記事を書いているので,合計して30本の記事を書いたことになります.2021年は53本の記事を書いていたので,だいぶ減りましたね😢 2022年は久しぶりに査読論文が出ました.『映像学』には3本目の論文掲載です.査読論文の掲載はやはりうれしいですね! 日本映像学会の『映像学』の107号に論文「「認知者」としての作品──エキソニモのUN-DEAD-LINK展を事例に」が掲載されました🎉 ÉKRITSで断続的に掲載してもらっている「インターフェイスを読む」の7回目のテキストを書きました.8回目で書きたい題材はあるもですが書けないまま2023年になっていきます. ÉKRITS連載_最小化された行為の先にある合生的認知 - インターフェイスを読む #7 いつもとはちがうこともしました.私が勤めている甲南女子大学文学部メディア表現学科の卒業生・尾松琴音さんの映画『コットンダイアリー』の公式HPをNotionで作成しました.最初は検索にかからないなどの苦労がありましたが,少しはお役に立てたかなと思います.この作品を元町映画館に観にいったときは補助席が出るほどの満員でした👏  映画『コットンダイアリー』の公式HPの作成 原久子 さんのお誘いで ENCOUNTERS × Vislab Osakaトークセッション①でお話ししました. ENCOUNTERS × Vislab Osakaトークセッション① 映像学会で発表しました.毎年発表したいなと思っているので,今年も発表できてよかったです.大学院生の発表が多くて,教員の発表が少ないなと感じているのですが,教員なっても毎年発表していた 小出正志 先生が今年で退職になるのも知りました.小出先生のように毎年発表できるように頑張りたいなと持っています 日本映像学会第48回大会で「インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性」という発表をします🧐(追記:2022/06/06 発表資料の追加) 日本映像学会第48 回大会報告が発行されました🧐 かつて,「インターネット・リアリティ・マッピング」という連載をしていたのですが,ページがなくなってしまったので,noteに転載しました🗺 「インターネット...

「フラットネスをかき混ぜる🌪(4)認知負荷ゲームとしてのエキソニモ「Sliced (series)」(1) ──《A destroyed computer mouse, sliced》を見る体験を記述する👀✍️」が公開されました

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作品や論考を掲載する(ほぼ)月刊の写真ウェブマガジン「iiiiD」の11月号に連載「フラットネスをかき混ぜる🌪」の4回目が掲載されました.タイトルは「 認知負荷ゲームとしてのエキソニモ「Sliced (series)」(1) ──《A destroyed computer mouse, sliced》を見る体験を記述する👀✍️ 」です.タイトルにあるようにエキソニモ「Sliced (series)」を取り上げています.そして,(1)とあるように(2),(3)と続きます(予定). 猿山さんの紹介文とともにこれまでの連載回も「iiiiD」で読めるようになっていますので,ぜひ初回から読んでみてください. 「iiiiD」11月号: https://iiiid.photography/2022-11/ 2023/12/11追記: iiiiD の更新が停止しため,連載は note に転載しています.

『映像学』の107号に論文「「認知者」としての作品──エキソニモのUN-DEAD-LINK展を事例に」が掲載🎉

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日本映像学会の『映像学』の107号に論文「 「認知者」としての作品──エキソニモのUN-DEAD-LINK展を事例に 」が掲載されました🎉 論文の要旨です. 本論稿は,エキソニモがUN-DEAD-LINK展に展示した初期のインターネットアート作品の映像とモノとの組み合わせを,N・キャサリン・ヘイルズの「認知者」「非意識的認知」「認知的集合体」という言葉を手がかりに考察していくものである.UN-DEAD-LINK展に展示された初期インターネットアート作品は,その特質と言える作品と体験者とのインタラクションがない状態で展示されている.この状態は,作品を死骸や残骸のように見せている.しかし,エキソニモの言葉を辿っていくと,これらの作品はインタラクションを切り落としたとしても,別のあり方で体験者の意識に現れる可能性を持つように調整されていることがわかる.この作品の別のあり方が,ヘイルズが「認知者」と呼ぶ存在である.彼女は,ヒトを含めたすべての生物とともにコンピュータも世界を解釈して意味を生み出す「認知者」だとしている.「認知者」は認知プロセスとして「物理的プロセス」,「非意識的認知」,「意識のモード」という三つのレイヤーを持っているが,エキソニモは「非意識的認知」のレイヤーで作品の修正を行い,雑多な情報が「非意識的認知」で解釈され,モニターに「意識のモード」として現れるパターンを記録する.さらに,彼らはこの認知プロセスを記録した映像をあらたな「物理的プロセス」と組み合わせて提示し,作品が単なる物質ではなく,「認知者」として現れるようにしているのである.   キーワード:エキソニモ,インターネットアート,メディアアート,N・キャサリン・ヘイルズ いずれ オンライン にPDFが掲載されると思います➡️ jstageに登録されました: https://www.jstage.jst.go.jp/article/eizogaku/107/0/107_010705/_article/-char/ja 紙で読みたいという方がいましたら,以下のフォームから申込ください.抜き刷りを発送します📮 手元になくなったら発送を終わりにします🙇‍♂️ 読み込んでいます…

2021年の振り返り

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2021年にはこの投稿を含めて13本の記事を書いています.2020年が13本だったから,同じですね👻 ちなみに note には40本の記事を書いているので,合計して53本の記事を書いたことになります.2020年は51本の記事を書いていたので,ほんの少しだけ増えました☺️ https://note.com/wrap_up/annual_2021/7e947113-c180-49b8-b565-3abdfb3ec4aa 2021年は MASSAGE で「 サーフェイスから透かし見る👓👀🤳 」の連載が終わりました. ひとつの物体に現れる,同じでありながら外界とのインタラクションのあるなしで異なる名称を与えられる バルクとサーフェイスを考えてきて,この連載を通しての「バルクとは何か」ということを最後に2回書きました.アート作品を媒介にした世界認識の方法として面白いので,本にまとめたいな📘 MASSAGE連載11_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクはサーフェイスからはみ出して「モノもどき」になった🧊  MASSAGE連載12_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクを体験する──主観と客観とを接合していくあたらしい体験  連載つながりで, ÉKRITS での連載「インターフェイスを読む」を久しぶりに更新しました.iPadOSのポインタについてです. ÉKRITS連載_ディスプレイ上のポインタがオブジェクトに「触れる」 — iPadOSの「適応精度」から考える - インターフェイスを読む #6 このテキストの元になったのが日本映像学会での口頭発表です. 日本映像学会第47回大会で発表しました🧐(追記:2021/10/01) カーソル/ポインタをインターフェイスのミニマルセルフと考えて,もう1,2本テキストを書けたらと考えています.「インターフェイスを読む」も,インターフェイスの歴史と現象学的な考察とが入り混じったテキストで他にないと思うので,こちらも本にまとめたいです📗 写真評論を毎月発信していく「FOUR-D notes」で,「フラットネスをかき混ぜる🌪」という連載を書いていて,その3回目を書きました.3回目から無料で読めるようになりましたが,4回目が掲載できるかどうかはわかりません😵‍💫 「フラットネスをかき混ぜる?...

【記録】画廊放浪記 #15|エキソニモ『CONNECT THE RANDOM DOTS』|エキソニモ×水野勝仁×高尾俊介

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  「【Live配信】画廊放浪記 #15|エキソニモ『CONNECT THE RANDOM DOTS』|エキソニモ×水野勝仁×高尾俊介」でトークをしました. トークでエキソニモの千房さんが言っていた「情報=生,ランダム=死」という言葉が興味深かった.千房さんが今考えていることらしい.時間の関係で説明はなかったけど,私は私はランダムがオンオフ=あるなしの羅列で,ランダム自体が「生と死」と考えていたので,「情報=生,ランダム=死」は興味深いと思いつつトークを聞きながら,「情報=生,ランダム=死」は「秩序のあるなしかもしれない」と思った. エキソニモの作品についての話,高尾さんのGenerativemasksとNFTについての話を興味深く聞いて,勉強になったし,刺激になった.議論はほぼNFTについてだったけど,インターネットヤミ市とNFTとの関係をエキソニモに聞けてよかった. 自分のトークの資料です. https://paper.dropbox.com/doc/CONNECT-THE-RANDOM-DOTS--BUxCfzO6U3Sc22_jTzgSelKaAQ-GabvGe0xZNAept1TeRXRP トークに向けて色々と考えたメモと当日のメモ [[October 23rd, 2021]] インターネットヤミ市とNFT インターネット的な価値を売買するという点は同じかもしれない ポストインターネットと呼ばれた状況も,インターネット的な価値をいかにアートマーケット=リアルなシステムに位置付けるかの問題 足りなかったのはビットコインのようなデジタルな貨幣だった? インターネット価値を交換するのにリアルな法定通貨を使うしかなかった インターネット的な価値を価値づけを永続させるデジタル貨幣が存在していなかった インターネット自体の不安定さがランダム ブロックチェーンの安定? コメント 情報=生,ランダム=死 ランダムを引き受ける覚悟 👉運命論 ランダムを引き受ける=死を引き受ける 千房さんが最近考えていること 私はランダムのオンオフ,あるなしが生死かと思っていた 秩序のあるなしかもしれない やえさんの線を引いた感想 コンピュータ怖い,ランダム怖い コンピュータにダイレクトにインタラクションした感じがある エキソニモはNFTで何が起こるかを知りたい インターネットヤミ...

ÉKRITS で「ヒトを呼び寄せ、死を呼び寄せる《Realm》」が公開されました

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ÉKRITS で「 ヒトを呼び寄せ、死を呼び寄せる《Realm》 」が公開されました☺️ エキソニモの久しぶりのネットアートの作品《Realm》についてです.よろしくお願いします🙇‍♂️ エキソニモにとっても「中間地点」になる作品だと思うし,自分にとってもインターフェイスを考える上で,ちょうど折り返し地点になりそうな感じです.もうそんな歳になってきました. 編集の大林さんからのメールで,インターフェイスについての連載「インターフェイスを読む」から3年経っていることを知り,時間の流れが早いな,この先,どこまでインターフェイスの変化について考え,言語化できるのか,できるところまで考えていきたいです. このテキストはJSPS科研費 20H01203「ライフ/デス・アートの美学」の助成を受けたものです.

UDL Podcast #1_memo

エキソニモ個展「UN-DEAD-LINK」で「UDL Podcast #1 (ゲスト 水野勝仁)」が公開されました😊 UDL Podcast #1 (ゲスト 水野勝仁) – UN-DEAD-LINK | INTERNET エキソニモ作品,展示について,キーワード「#Interface」で1時間近く話しています. ポッドキャストに参加するために書いたメモです. https://www.dropbox.com/s/17k54exwxc6h0kt/UDL%20Podcast%20%231_memo.rtf?dl=0

2019年の振り返り

2019年にはこの投稿を含めて16本の記事を書いています.2018年が43本だったから,結構減ってしまった感じです.昨年から, note にもテキストを書くようになり,こちらのブログは告知やまとめを書く場所になっているから「16本」というのは妥当な数かなと思います👻 ちなみにnoteには82本の記事を書いているので,合計して98本の記事を書いたことになります. 2019年は MASSAGE で「 サーフェイスから透かし見る👓👀🤳 」の連載を継続していきました.以下の,5本の記事を書きました. MASSAGE連載04_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/影のマスキングがバクルとサーフェイスとを引き剥がす  MASSAGE連載05_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクと空白とがつくる練り物がサーフェイスからはみ出していく  MASSAGE連載06_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクとサーフェイスとを含む「波のようなマテリアル」  MASSAGE連載07_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/「モノ」らしさを持つデータとサーフェイスを包含して剥き出しになったバルク」  MASSAGE連載08_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/「デスクトップ上の正しい角度」で描かれたカーソルがつくるあらたな加工物  エキソニモの千房けん輔さんと共著で論文を書くという貴重な体験をするなど,論文は2本書きました. 紀要論文「ふたつの光の合流───ライトボックスとロボットアームがつくる計算資源の場」 エキソニモ・千房さんとの共著論文「アート表現にはランダムを“積極的に”使え」  2つの展覧会カタログにテキストを寄稿しました. 木村翔馬個展「dreamの後から(浮遊する絵画とVRの不確定)」のカタログへの寄稿  展覧会「ゴットを、信じる方法」のカタログへの寄稿  すごく前に翻訳したいた本が出ました. マイケル・ベダンコート『モーション・グラフィックスの歴史───アヴァンギャルドからアメリカの産業へ』  久しぶりに日本映像学会で発表したのも含めて,2回の発表をしました. 日本映像学会...

MASSAGE連載08_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/「デスクトップ上の正しい角度」で描かれたカーソルがつくるあらたな加工物

MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第8回「 「デスクトップ上の正しい角度」で描かれたカーソルがつくるあらたな加工物 」を書きました✍️✍️✍️ 久しぶりにエキソニモの作品について書きました.2007年の《断末魔ウス》から2019年の《Click and Hold》に至るまでに,「カーソル」はどのように変わったのか,あるいは,変わらなかったのか.そして,カーソルが蝶番としてつなぐ物理世界と仮想世界との関係はどうのように変化したのか,ということをルチオ・フォンタナ,摩擦攪拌接合を経由して書いています. カワイさんのカバーイラストで,黄色棒が少し斜めになっている空間でありつつ,平面にもなっている部分があります.ここは,エキソニモの《Click and Hold》をずっと眺めているときに感じる不思議な感覚を示していると思います. カワイさんのカバーイラストと共に,テキストを読んでもらい,エキソニモ の《Click and Hold》が物理世界と仮想世界ととを攪拌していくプロセスを楽しんでください😊

展覧会「ゴットを、信じる方法」のカタログへの寄稿

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今はなきARTZONEで2018年5月に開催された展覧会「 ゴットを、信じる方法 」のカタログができました.私は「ゴットを、信じる方法」トークイベントと参加しつつ,「📲How to believe in Got. ゴットに巻き込まれた告白💬の行方」というテキストを寄稿しています. 「ゴットを、信じる方法」トークイベント 「ゴットを、信じる方法。」 世代観と「ゴット」の行方 《ゴットは、存在する。》と《告白》 それぞれの「ゴット」 時代とインターフェイス 「ゴット」の居場所 Q&A 📲How to believe in Got. ゴットに巻き込まれた告白💬の行方 🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️  🖱ゴットはどこにいるのか? 📲解釈によって幽閉されたゴット 💬とともにインターフェイスに現れるゴット 告白💬の行方 この展覧会を企画した中川恵理子さんとは20歳近くの差があるので,インターフェイスの体験が全く異なっていました.そのような状況で「ゴット」はどこにいるのか,そして,エキソニモという存在に巻き込まれてしまった中川さんと水野はこれからどうなるのか,というようなことを書きました. カタログ冒頭のページのQRコードからアーカイブサイトに飛べるようになっていて,そこに「📝」の項目があるので,後ほど,テキストがウェブで公開されると思います. 🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️ 🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️  ゴットを信じる会《告白》について考えたことと,これからエキソニモとゴットのどちらを探るのだろうか? 

エキソニモ・千房さんとの共著論文「アート表現にはランダムを“積極的に”使え」

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日本バーチャルリアリティ学会誌 Vol.24 No.1 2019に,エキソニモの千房けん輔さんとの共著論文「アート表現にはランダムを“積極的に”使え」を書きました. 追記(2021/05/14)👉論文がオンラインで公開になりました🔗 https://doi.org/10.18974/jvrsj.24.1_7 大阪電気通信大学の教授で,メディアアートの展覧会の企画を多く手がけてきた原久子さんからのお誘いで,千房さんと論文を書くことになりました.特集は「VRとメディアアート───芸術表現と科学技術の往来」となっているのですが,私たちの論文は「VR」には一切触れていません.千房さんと私の論文は副題の「芸術表現と科学技術の往来」を,エキソニモの作品における「ランダム」を中心に論じています.エキソニモ研究者として,エキソニモ作品の初期からNY以後を,エキソニモ本人と考えるという機会はとても貴重で,不思議な体験でした. 論文は「ランダムから考える表現」「初期エキソニモ作品の中に横たわる「ランダム信仰」」「ランダムから「人間」を考える」「責任を持ってランダムを引き受ける」という4つの節で構成されています.「ランダムから「人間」を考える」は,今のエキソニモを表しているいい言葉だと思っています.そして,「責任を持ってランダムを引き受ける」という言葉は,メディアアートにおけるエキソニモ作品が持つ特異さを説明できるような気がしていています. 日本バーチャルリアリティ学会誌がどこで手に入るのかイマイチわからないので,最終節の 「責任を持ってランダムを引き受ける」だけですが,とても気に入っている文章なので,みなさんに読んでもらいたいです. 責任を持ってランダムを引き受ける エキソニモ作品では,高名なアルゴリズムをあえて使用しない,もしくは使用していてもそれを表明しないと言ったが,それはアート表現において,科学的な根拠を持った後ろ盾があっては,その価値がサイエンスの側にあるのか,アートの側にあるのかが曖昧になるからである.テクノロジーがアートの存在を手助けするのであれば,テクノロジーの価値をアート作品の価値から遠ざけることが,重要であると考える.因果の連鎖のもとにあり,人間から離れていくサイエンスとテクノロジーを使いながら,人間の存在その...

2018年の振り返り

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2018年にはこの投稿を含めて43本の記事を書いています.2017 年が28本だったから,結構増えた感じです.本当はもっと増やしたかったのだけど,途中から note にもテキストを書くようになったので,結果として,こちらのブログは告知やまとめを書く場所になっていきました👻 ちなみにnoteには51本の記事を書いているので,合計して94本の記事を書いたことになります. 2018年は二つの連載をしていました.一つは MASSAGE で「 サーフェイスから透かし見る👓👀🤳 」で,もう一つは ÉKRITS で「インターフェイスを読む」です. MASSAGEの連載「 サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」は2016-2017年に連載していた 「モノとディスプレイとの重なり」の問題意識を「ディスプレイ」以外にも拡張して考えてみようというものです.現在,0回を含めて3回目まで書きました✍️ MASSAGE連載00_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/インターフェイスはいつからサーフェイスになるのか?  MASSAGE連載01_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/サーフェイスからバルクとしての空間を透かし見る  MASSAGE連載02_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/3DCGを切り取る「型」としてのバルクとサーフェイス  MASSAGE連載03_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/浮遊するバラバラのサーフェイスがつくるバルクがマテリアルを拡張する  ÉKRITSの連載「インターフェイスを読む」は今年4, 5回目を書いて,終了しました.自分なりに「インターフェイスの歴史」をまとめられられたかなと思います. ÉKRITS連載_インターフェイスからサーフェイスへ — スキューモーフィズム再考 - インターフェイスを読む #4  ÉKRITS連載_場に顕れるソフトウェア、隠れるオブジェクト - インターフェイスを読む #5  ÉKRITSの連載の問題意識の延長として,『 【新版】UI GRAPHICS 成功事例と思想から学ぶ、これからのインターフェイスデザインとUX 』に「思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる」を書きました. 【新...

artscape連載「メディアから考えるアートの残し方」の第1回でエキソニモにインタビューをしました

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artscape で始まったメディアの視点からアートの保存,そして「作品」というあり方を捉え直す連載「 メディアから考えるアートの残し方 」の第1回でエキソニモにインタビューをしました.「 メディアアートの輪廻転生 」展を起点にして,エキソニモの話を聞きながら,私はメディア/インターフェイスと接する身体の感覚の保存はできるのだろうかという話をしています.編集を担当してもらった水野雄太さんのおかげで読みやすい流れになっています.ぜひ,お読みください😊 インタビュー準備のために書いたnote 032:作品の歴史における履歴としての死 039:「Looking through(透かし見る)」のメディウム 042:それもまた《Magnet TV》である 043:「動的ふるまい」を生成するプラットフォーム インタビュー収録の様子のスクリーンショットに映っている「 ⌛️エキソニモへの質問案 」

ゴットを信じる会《告白》について考えたことと,これからエキソニモとゴットのどちらを探るのだろうか?

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トークで,ゴットを信じる会の会員であり,「 ゴットを、信じる方法。 」展のキュレーターである中川恵理子さんが《告白》は「私たちへの問いかけによって,私たちのなかにゴットが生まれる」と言っていたのが興味深かった.エキソニモの「 ゴットは、存在する。 」は,私たちに明確な問いかけはない.それは,インターフェイスが私たちの身体=存在の代理となっているので,そこに 私たち=ヒトが 必要としないことを示しているからであろう.しかし,ゴットを信じる会の《告白》は,私たちを必要とする.そこが「ゴット」をめぐる大きなちがいであり,この10年間でのインターフェイスのちがいも含まれているような気がする. けれど,ここでゴットを信じる会がゴットに半信半疑だったことも考えなくてはいけないだろう.マウスとカーソルとの連動の感覚を全面的に内面化していた人たちにとっては,エキソニモの《祈》を見ることはシャーマンの儀式を見ることに近い.そしてそれは,信じるも信じないもなく,アニミズムが活きている状態なのである.それは信じるも信じないも,カーソルという画像を依代にして,目の前で実践されているシャーマンの儀式なのである.だが,《告白》においてはもはやアニミズムは活きた状態ではない.いや,マウスとカーソルによる儀式を見るといった他人事ではないものになっていると言えるだろう.《告白》では,見る者自体がシャーマンとならないといけないのである.ここでは傍観者のままゴットを感じることはできない,当事者にならなければならない. マウスとカーソルといった依代的インターフェイスが,タッチパネルというよりダイレクトなインターフェイスとなり,私たち自身にシャーマンとなるように要請する.私たちは,ゴットを信じる信じないにかかわらず,よりゴットに近くになっているのかもしれない.だが,それゆえに,私たち自身がゴットを受け入れるのかどうか問われていると言えるだろう.私にはまだわからないが,きっと,ここにはインターフェイスをめぐる一つの変化があるはずである. と,ここまで書いてきたのだが,私は《告白》を見ているときに,ゴットを感じることができなかった.私はゴットを感じるのに「依代」を必要としているのであり,自分自身が依代になれるほどには,ダイレクトにゴットを受け入れられていないのかもしれない.私は...

🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️

🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️ * エキソニモとライダー・リップス     * 身体のちがい         * エキソニモ             * 消える身体         * ライダー・リップス             * スポーツする身体     * リップス「ネット≒リアル」         * 身体をヒンジにしてネットとリアルとを「ほぼイコール」な関係で結びつける             * 身体がネットとリアルとを重ね合わせる     * エキソニモ「ネット⇄リアル」         * 身体を置いていってしまう             * ネットからリアルへ、リアルからねっとへと「連れて行かれる」                 * 「連れて行かれる」という感覚は再制作されたゴットにはなかった                 * そもそも「ゴット」は「ゴッド」に意識を連れて行ってしまうものであった             * 身体をどこに置いていくのか?                 * 🕳のなか?                     * その後のディスプレイ🖥の作品との関連から考えられないか💡       ...