エキソニモ・千房さんとの共著論文「アート表現にはランダムを“積極的に”使え」
日本バーチャルリアリティ学会誌 Vol.24 No.1 2019に,エキソニモの千房けん輔さんとの共著論文「アート表現にはランダムを“積極的に”使え」を書きました.
追記(2021/05/14)👉論文がオンラインで公開になりました🔗https://doi.org/10.18974/jvrsj.24.1_7
大阪電気通信大学の教授で,メディアアートの展覧会の企画を多く手がけてきた原久子さんからのお誘いで,千房さんと論文を書くことになりました.特集は「VRとメディアアート───芸術表現と科学技術の往来」となっているのですが,私たちの論文は「VR」には一切触れていません.千房さんと私の論文は副題の「芸術表現と科学技術の往来」を,エキソニモの作品における「ランダム」を中心に論じています.エキソニモ研究者として,エキソニモ作品の初期からNY以後を,エキソニモ本人と考えるという機会はとても貴重で,不思議な体験でした.
論文は「ランダムから考える表現」「初期エキソニモ作品の中に横たわる「ランダム信仰」」「ランダムから「人間」を考える」「責任を持ってランダムを引き受ける」という4つの節で構成されています.「ランダムから「人間」を考える」は,今のエキソニモを表しているいい言葉だと思っています.そして,「責任を持ってランダムを引き受ける」という言葉は,メディアアートにおけるエキソニモ作品が持つ特異さを説明できるような気がしていています.
日本バーチャルリアリティ学会誌がどこで手に入るのかイマイチわからないので,最終節の「責任を持ってランダムを引き受ける」だけですが,とても気に入っている文章なので,みなさんに読んでもらいたいです.
責任を持ってランダムを引き受けるエキソニモ作品では,高名なアルゴリズムをあえて使用しない,もしくは使用していてもそれを表明しないと言ったが,それはアート表現において,科学的な根拠を持った後ろ盾があっては,その価値がサイエンスの側にあるのか,アートの側にあるのかが曖昧になるからである.テクノロジーがアートの存在を手助けするのであれば,テクノロジーの価値をアート作品の価値から遠ざけることが,重要であると考える.因果の連鎖のもとにあり,人間から離れていくサイエンスとテクノロジーを使いながら,人間の存在そのものの起源に辿り着くような作品を作らなくてはならない.このような理由から「アート表現にはランダムを“積極的に”使え」と,ここでは言っておきたい.“積極的に”という形容句がついているのは,それを無自覚に使っても意味がなく,ランダムが本質的に持っている意味と,その結果に対して,責任を持って引き受ける態度そのものこそが,アートの本質と近いところにあると考えるからである. p.14
ちなみに,著者紹介の写真で,私の顔の後ろに写っているのはエキソニモの作品《ナチュラル・プロセス》の絵画作品《A Web Page》の〈エキソニモの「猿へ」〉 バージョンです.