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1月, 2013の投稿を表示しています

お仕事:恵比寿映像祭,Yebizoフォーラムにエッセイを書きました

恵比寿映像祭,Yebizoフォーラムにエッセイ「 あたらしい「私」をつくる───ウェブと映像のリアリティの現在 」を書きました. DJぷりぷり 《金太郎》, 谷口暁彦 《First Person Ustreamer》, 田村友一郎 《Nightless》, パーカー・イトー の個展「The Agony and Ecstasy」から,ネット上の「私」について考えています. 私はカーソルやマウスなどのインターフェイス について考えてきて,それを「映像論」として「映像学会」というところで発表してきました.自分のやっていることを自分では「映像論」の範疇だと考えていても,他の人からみると「それは映像ではない」と思われているのかな思うことが多くありました. なので,「恵比寿映像祭」のウェブにエッセイを書いてみませんかと,編集の人が声をかけてくれたことは,とてもうれしかったです.自分のやっていることが「映像」というカテゴリーに入ったのかもしれないと考えたからです. けれど,ひとつのカテゴリーに入ることがいいことなのかはわかりません.また,「映像」と言えるかどうかスレスレの領域を見つけたいです.

お仕事:GiF BOOKへのコラムの寄稿

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「 The Gif Connoisseur ,それはつまり「あなた」である」というコラムを『 GIF BOOK───コンテンツ制作者のためのGIFガイド 』に書きました.それと,GIF年表にも「監修」というかたちで関わりました.ご一読いただければ幸いです. 少しずつ読んで,この本からのフィードバックをブログに書きつつ,GIFに関する「論文」を3月まで書きたいなと思っています. あと, Web Designing 2013年2月号 の特集「GIFアニメ再起動」のイントロダクション「画像形式「GIF」と拡張機能「アニメーションGIF」」のなかにブログの記事「 GIFアニメーションに関するメモ 」が引用されています.

カンバセーション Semitransparent Design,水野勝仁

昨日(1月13日), 21_21 DESIGN SIGHT で セミトランスペアレント・デザイン とカンバセーション(=トーク)をしました. セミトラの田中さんとの打ち合わせで,「ばらばら」と保坂和志方式で話そうということになっていたので,スライドは用意しつつも,それを最初から終わりまで流すのではなく,スライド全体を見せつつ,話の流れにあわせてスライドを提示するという方法で話しました.なので,下にスライドを置いておきますが,そのすべてについて話したわけではありません(むしろ使ったスライドの方が少ない) スライド: 田中一光→セミトラ カンバセーションは田中さんによるセミトラの活動紹介からはじまりました.そこでの話をうけて,私は「仮想と現実とを地続きにする」というのがセミトラの特徴であり,現在のリアリティのひとつなのかなということを,ポスト・インターネット的なアーティスト,アーティ・ヴィアーカントの「イメージ・オブジェク」の紹介などをしながら話しました. 自分で話したことをまとめようとしたのですが,「ばらばら」と話をすすめたため,やはりその場で出てきたものはその場のもののようでうまくまとめられないので,補足というか,昨日のカンバセーションからの考えを書いてみたいと思います. カンバセーションでは話すことができなかったのですが,「仮想と現実とを地続きにする」ということを,脳神経学者の藤井直敬さんが「 SRシステム 」でのトークで言っていました.SRシステムは,ヘッドマウントディスプレイを巧みに使って,仮想と現実の認識を曖昧にしてしまうものです.藤井さんはそのトークで「現実の解像度を落とす」ことで,「仮想と現実とを地続きにする」と言っていました. 「仮想」の解像度をあげるのではなく,「現実」の解像度を落とすというところが興味深くて,この問題は田中さんがディスプレイでなされるデザインが,印刷でなされるデザインに情報量が劣るがゆえに,もうひとつの次元として「時間」を導入したということにも通じる感じがします.「仮想」の解像度を上げて「現実」に追いつこうという今の私たちの多くが追求しているものではなく,藤井さんの「現実」の解像度を下げるというのでもない.操作可能性が「現実」よりも大きい「仮想」にパラメータを追加して「現実」と地続き

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_7, 8

記事を2つ書きました → 新津保建秀氏の個展「\風景+」が開催 → 書評『イメージの進行形───ソーシャル時代の映画と映像文化』 この2つについてはもっと書きたいことがたくさんあります.とても刺激的な展示と論考です. ですが,その前に 大きな仕事 があるので,そこで話したことも含めて後日まとめてみたいと思っています. 新津保建秀さんの「\風景」や渡邉大輔さんの『イメージの進行形』も示している「デジタル|リアル」とのあいだで揺れ動きながら,私たちの意識が拡がっているのではないかということを,13日に21_21でセミトラさんとお話できればと思っています. https://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/289673230317387776

「\風景」電子版:「\landscape」と「\landscape_archive_7.5」

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新津保建秀の写真集『 \風景 』の電子版が出たので,早速アマゾンで購入してみた.電子版は『\風景』を再構成した「 \landscape 」と,ももいろクローバーZ,やくしまるえつこなどの写真を追加した「 \landscape_archive_7.5 」の2種類でている. まずは,「\landscape」をiPhoneのKindleにダウンロードしてみた.表紙をスワイプして次の「ページ」へ行くと,写真集「\風景」では多くが1ページに1枚の写真だったのが,「\landscape」では下のように表示される. 2枚の写真=画像が画面に余白を残して配置されている.iPhoneだとだいぶ小さく感じる.なので,ピンチして拡大する.これは写真集でもできないし,「 \風景+ 」で展示された作品でもできないこと.当たり前のようだが,電子版だからできるのである. 「\landscape」と「\landscape_archive_7.5」は基本的に,自分で勝手に画像を拡大・縮小,移動させながら見ていくものだと思う.スワイプして次にいき,ピンチして拡大して,移動する.その繰り返しで「写真」を見ていく.そうしていると「ずいぶんと雑に扱っているな」というか,「『写真』に触り放題だな」という感じなった.新津保の個展「\風景+」 では作品に触れるということは,自分のなかのモラルと社会的に一線を超えないとできないことであり,写真集『\風景』を見ているときは,とても丁寧にページをめくって見ていたのに比べると,ディスプレイに触りまくって「写真」を動かすというのは異質の感じであった. 私は「\風景」を写真集,展示,電子版で体験しているのでるが,写真集では見ることに集中していて,そこに写っている「スクリーンショット」の意味などから「ネット」と「リアル」とのあいだで意識がフラフラさせられたのを覚えている.展示の「\風景+」ではもちろん見ることに集中していたわけだが,不意にとても強く作品に触れたくなり,写真の体験が「視覚」と「触覚」とのあいだを彷徨った.それは作品提示の仕方が「紙にプリント」や「アルミマウント」などととても効果的であったからである.それらの展示による写真の質感と,普段触れているようで触れていない「デスクトップ」や,実際に触れているiPhoneのガラス面の感覚な