カンバセーション Semitransparent Design,水野勝仁
昨日(1月13日),21_21 DESIGN SIGHTでセミトランスペアレント・デザインとカンバセーション(=トーク)をしました.
セミトラの田中さんとの打ち合わせで,「ばらばら」と保坂和志方式で話そうということになっていたので,スライドは用意しつつも,それを最初から終わりまで流すのではなく,スライド全体を見せつつ,話の流れにあわせてスライドを提示するという方法で話しました.なので,下にスライドを置いておきますが,そのすべてについて話したわけではありません(むしろ使ったスライドの方が少ない)
スライド:田中一光→セミトラ
カンバセーションは田中さんによるセミトラの活動紹介からはじまりました.そこでの話をうけて,私は「仮想と現実とを地続きにする」というのがセミトラの特徴であり,現在のリアリティのひとつなのかなということを,ポスト・インターネット的なアーティスト,アーティ・ヴィアーカントの「イメージ・オブジェク」の紹介などをしながら話しました.
自分で話したことをまとめようとしたのですが,「ばらばら」と話をすすめたため,やはりその場で出てきたものはその場のもののようでうまくまとめられないので,補足というか,昨日のカンバセーションからの考えを書いてみたいと思います.
カンバセーションでは話すことができなかったのですが,「仮想と現実とを地続きにする」ということを,脳神経学者の藤井直敬さんが「SRシステム」でのトークで言っていました.SRシステムは,ヘッドマウントディスプレイを巧みに使って,仮想と現実の認識を曖昧にしてしまうものです.藤井さんはそのトークで「現実の解像度を落とす」ことで,「仮想と現実とを地続きにする」と言っていました.
「仮想」の解像度をあげるのではなく,「現実」の解像度を落とすというところが興味深くて,この問題は田中さんがディスプレイでなされるデザインが,印刷でなされるデザインに情報量が劣るがゆえに,もうひとつの次元として「時間」を導入したということにも通じる感じがします.「仮想」の解像度を上げて「現実」に追いつこうという今の私たちの多くが追求しているものではなく,藤井さんの「現実」の解像度を下げるというのでもない.操作可能性が「現実」よりも大きい「仮想」にパラメータを追加して「現実」と地続きにすること.その際に現実から持ってきた現象が「劣化」というところが面白い.「劣化」を見ると,人はそこに時間の流れを感じてしまうということを利用しているわけなのですが,その「劣化」というフィジカルな現象をプログラムで構成していくことでつながっていく「仮想」と「現実」.
最後に,田中さんが「近頃はデジタルの人同士でも話しが通じなくて,アナログの人との方が話が通じる」ということを言われていました.それはきっと「仮想」と「現実」を今の技術的環境のなかで自分のこととしてしっかりと考えているか否かということなのかなかと,私は思っています.だから,「仮想と現実とを地続きにする」というシステムを仮想現実屋さんというか,テクノロジー畑の人からではなく,藤井さんという脳神経学者がつくったり,田中さんが挙げていた写真家の新津保建秀さんが出した『\風景』に「現実|仮想」の関係を強く見出させるのかなと思うわけです.
そして,「作る」側の人は「仮想と現実とを地続きにする」ということをつくり始めています.それについて「伝える」「研究する」側の人もどんどんと書いていかなければならないなと思うわけです.その先に,「書く」ことも今の時代に即した書き方のシステムを見つけ出していきたいな.それはきっとセミトラ「について」書くではなく,セミトラ「とともに」書くということなのだろうなと思います.