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デジタルな現象をそのまま扱うということは,モダニズム的な態度

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ucnvさんとのトークで「アーティ・ヴィアーカントの画像はそこにあったものをそのまま映していて,そこで生成されているわけではない」というようなことをucnvさんが言ったことがずっと気になっている. ヴィアーカントのイメージオブジェクト で展示の記録として撮影された画像は,そこで起こっている現象をそのまま記録している.もちろん3次元を2次元に変換するときの欠損はあるけれども,それでもそこで起こっている現象をそのまま記録している. その後,Photoshopでその画像が加工される.このときヴィアーカントはスタンプツールを主に使って,その展示会場で一度記録された色情報以外のものを使っていないということを,ucnvさんの指摘で気付かされた.これはとても大切なことような気がしている.展示空間を記録して,それを加工しているというのはこれまでの写真の見方で,ヴィアーカントは展示空間をスキャン=撮影して,デジタル化して,色情報が集積された平面にしていて,そこにもともとある色情報のみを使うことをルールにしているのかもしれない.スキャンというデジタルの現象をそのまま扱う.そこで生まれた情報のみを扱うという感じだろうか.スキャンによって空間を色情報をもった平面=テクスチャに変換する.そこでは空間や作品画像といった区別はなくなり,すべてが色情報になる.ただ,そこにあるもの以外は使えない.一度のスキャンという現象でうまれる情報だけを扱うこと. 「Vacant Room」での360度写真で感じたことは,見えない部分が生まれるということ.それは一度では見ることがなくなる.「フレームの外」が生まれること.現実も視点からしょうじる視界フレームによって「フレームの外」が生まれる.写真は「フレームの外」をなくして,「フレームの中」だけにする.360度画像には「フレームの外」がある.この感じが,空間をスキャンして色情報として「フレームの中」に閉じ込めるヴィアーカントのイメージオブジェクトと似ている. 「フレームの外」を感じさせる「Vacant Room」と「フレームの中」だけの「イメージオブジェクト」が似ているというはどういうことか.似ているというよりも,それが両立し得るのがデジタルという現象なのではないか.「Vacant Room」のとなりに「イメージオブジェクト」があっても,...

CBCNETにテキストが載りました!

CBCNETにテキストが載りました!→ 『エキソニモの「猿へ」』を読み解く 〜 水野勝仁:《DesktopBAM》がミスると猿がキーキー叫ぶ ずっと読んでいた媒体に自分のテキストが載るというのはうれしいものです! 力を抜いて書いていたら,あらぬ方向へ着地した感じなりました.でも,エキソニモが投げかけられた「猿へ」に対して,何かしらの応答ができているのではないかと思います. 上のテキストではコンピュータが「間違える」ということについて,三輪眞弘氏の逆シミュレーション音楽と絡めても書きたかったのですが,うまく書けなかったのでまた挑戦したいと思っています. そして, 『エキソニモの「猿へ」』に関して,これで5本目のテキストになります.その他のテキストは以下になります. メディア芸術カレントコンテンツに書いた展覧会全体のまとめ的なテキスト アートユニット・エキソニモの個展「エキソニモの『猿へ』」が福岡で開催 上のテキストの告知→ お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_17  自分のブログで「1999」「2005」「2009」と展覧会のセクションごとに書いた3つのテキスト 「エキソニモの『猿へ』」を見てきた(1):「1999」と全体の流れを考えてみた  「エキソニモの『猿へ』」を見てきた(2):見えているからこそ,よりわからない  「エキソニモの『猿へ』」を見てきた(3):あとはPCにまかせた 

Evan Roth《One Gif Compositions》が示すパフォーマティブな画像(群)

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http://officechair-on-greenyellow.com CBCNET で紹介されていた  Evan Roth の《 One Gif Compositions 》には,文字通りの意味で「膨大な低解像度の画像がディスプレイのスキマを埋めていく」感じがあるような気がしている.単一のファイルを多くの別の名前にすることによって,ブラウザはそれぞれを独立したファイルと認識するので,ダウンロードやキャッシュに時間差が生じて上のような画像が生まれる.同一の画像のコピーがとても簡単にできるデジタルの特性とGIFのループをうまく組み合わせて,大量のアニメーションが画面を埋め尽くすようになっている. 「複製技術技術時代の芸術」での「複製技術」の範疇を超えてしまった「コピー」の連鎖みたいなものをこの作品に感じる.それは「オリジナル」と「コピー」という関係の消滅につながる.美術批評家のボリス・グロイスは「画像ファイル」に関して,ファイル自体は見ることができない,つまり「オリジナル」を見ることができないものだとしている.その上で,「画像ファイル」に基いてディスプレイに表示される「画像」は「コピー」ではなく,楽譜に基づいた演奏などに似た一回限りのパフォーマンス的なものであると指摘している[Boris Groys, From Image to Image File—and Back: Art in the Age of Digitalization in Art Power, MIT Press, 2008, pp.84-85.] ディスプレイに表示されている画像は「オリジナル」と「コピー」という関係が成立しないもので,パフォーマティブな画像だというグロイスの指摘は興味深い. グロイスの指摘を経由すると,CBCNETでの紹介記事タイトル「同じGIFアニメを別名称で大量に再生することによって生まれるモーション表現」にある「同じ」「別名称」「大量」「再生」という3つの言葉が結びつているところが「画像ファイル」のひとつの特徴をなし,ディスプレイでのパフォーマンスに深くつながっていると考えられる.実際,ブラウザとキャッシュという仕組みをうまく使っているので, Evan Rothの《One Gif Compositions》は「画像ファイル」のパフォーマ...