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インターネットヤミ市東京2016での授業とトークのスライド

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スライドのPDF→ https://drive.google.com/open?id=0B3RHXdLnqTi-bWMxS21faGpiY3c 10月の連続トークの最後はインターネットヤミ市で授業とトークをしました.一日で2つのプレゼンは疲れました… けど,ヤミ市だから話せることもあったので楽しかったです😊😊😊😊😊 インターネットヤミ教室 の1限「忘れちゃいけない! ポストインターネットアート…」を担当しました.ヤミ市での授業なので,インターフェイスと物理世界との関係でアートを捉えるという私の考え方がストレートに話せました.物理世界とディスプレイ世界を「重力」を軸として話していて,花房太一さんの「 サイバースペースで彫刻は可能か? 」を参照しつつ,最後に超弦理論の重力に関する変換について読んだ時の興奮がスライドの最後に入られています. スライドのPDF→ https://drive.google.com/open?id=0B3RHXdLnqTi-Sk5DS0g2YWFZT28 「文化庁メディア芸術祭20周年企画展―変える力」のなかのひとつのイベントとして開催されたトーク「 ポスト・インターネット時代の「かえるちから」 」で使ったスライドです.「インターネットヤミ市」のことを「ポストインターネットのライフスタイル」を提供する(していた) DIS と比較しながら考えたものです.一緒にトークに参加していたコラムニストの辛酸なめ子さんのおかげで,わかりやすくヤミ市の魅力が伝えられたと思います.

アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(3)

IDPWによるインターネットヤミ市 のS*の%tが起こります.やったのに慣れていない.いくつかの小さなオフ手渡した民間のコメントはSNS系難戦争になったときのように.または十分に得ていないの心配を「いいね」.誰かが訴えのでYouTubeのビデオは,あなたはもう見ることができない.これらはアップルによって拒否されたためか,アプリはあなたが再生することはできません.むかしたら,インターネットは「自由」のための場所になるはずだった.今日ではそれはとても緊張したのです. それでは,オフにログアウトし,現実の世界に,立ち寄ってみましょう.インターネット闇-ichiが「ブラウジング」対面のためのフリーマーケットです. あなた自身のインターネットの自由は私たちと,ここに*取る. *しかし,誰に危険や違法品,してください!この闇市場は,自由で便利なままにしたい![8]【google 翻訳による翻訳】 インターネットヤミ市(ブラックマーケット*)はリアルで「インターネット的な」ものを扱う,対面方式の蚤の市である.蚤の市とインターネットはともにすばらしいものと役に立たないものを狂信的で秩序なくミックスしている.インターネットヤミ市には,私たちにインターネットをもたらした意志と欲望とかつて私たちがインターネットのなかで見つけた意志と欲望がともに救い出されて,ソーシャルな空間で共有される.インターネットの「バズり」は次第に消えていくなかで,私たちは一緒にインターネットの残光をオフラインで体験する. *日本語の「ヤミ市」は英語に直訳すると「ブラック・マーケット」であるけれど,「ヤミ」は別表記で「病む/中毒」といった意味も持つ.そのため,より正確に英訳すると「インターネットにとり憑かれたマーケット」となるだろう.このマーケットは危険なものや違法なものは扱わない.ヤミ市は明るいマーケットである.[9]【水野による翻訳】 IDPWは1914年に創設された秘密結社であり,インターネットヤミ市のオーガナイザーである.インターネットヤミ市はインターネットを経由したリアルな場所の価値に対する考察であり,「インターネット的な」という感覚をリアル空間にダウンロードするために使われる場所である.インターネットヤミ市ではインターネットとフィジカルな空間との関係が捻れて...

アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(2)

DISによるDISOWN 「DISOWN─すべての人のためではない」は小売店を真似たアートの展覧会である.あるいは,その逆かもしれない.ファッションでH&Mのためのカール・ラガーフェルドのディフュージョンラインがあるように,DISOWNはアートでのディフュージョンラインになる.嗜好と消費至上主義を考えるために,DISOWNは文化的批評としてあたらしいモデルを提示する.Ryan Trecartin,Jon Rafman,Bjarne Melgaard,Amalia Ulman,Telfar and Hood By Air (HBA)といった30組以上の世界的に著名なアーティストの作品を展示して,DISOWNはアーティスト・Lizzie Fitchによる小売店のインスタレーションとして展開される.アートコレクティブ・DISとキュレーターのAgatha Waraは1ヶ月に及ぶ展示を,3月6日からニューヨークのRed Bullスタジオで開始する[5]. ニューヨークを拠点にするDISはオンラインマガジンのDIS Magagineを刊行してポストインターネット的価値観を表現しているアートコレクティブである.「ポストインターネット」とはもはやインターネットとフィジカルな世界とのあいだにちがいがなく,すべてがインターネットなのである! という考えである.DISの活動の大半はインターネットであるけれど,このアートコレクティブはその活動がリアルで行われようが,インターネットで行われようが気にしていない.例えば,DISOWNはニューヨークのRed Bullスタジオで行われるし,彼ら・彼女らは2016年のベルリン・ビエンナーレのキュレーターに選出されている.フィジカルとインターネット双方において,DISは世界中にポストインターネット的価値観を拡散しようとしている.しかし,「DISOWN─すべての人のためではない」という展覧会が示しているようにポストインターネット的価値観はすべての人ためのものではないのである.この捻じれ自体がインターネット発のあたらしい価値観を示している. グループ名の接頭辞「dis-」が示しているように,DISは既存のヒエラルキーと権力を批判し続ける.「インターネット」という言葉は大抵「リアルよりも劣った空間」や「悪ふざけの場所」といったよ...

アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(1)

A relationship between the Internet and the physical for the art の日本語訳.英語版からだいぶ変更されています. −− アートにおけるインターネットとフィジカルの関係 水野勝仁/甲南女子大学 アブストラクト Julian Stallabrassは「ネットアートの美学[The Aesthetics of Net.Art]」で「インターネットアートの『オブジェクト』は従来のアートのオブジェクトから遠く離れたものであり,それらは劣化なしで複製できるだけでなく,伝送のコストもほとんど無料になっている」と指摘している.この論点はアートの物質性に関わるものである.インターネットの非物質性は物質に基づいたアートワールドを混乱に投げ入れた.私はこの論考でインターネットとフィジカルの関係という観点から,アートワールドで生じている混乱を論じていきたい.そのために,Winkleman Galleryによる「Send me the JPEG」展,DISによるDISOWN,IDPWによるインターネットヤミ市という3つ事例についての考察を行う.最初に,「Send me the JPEG」展がインターネットとフィジカルという二項対立の複雑性を示していることを明らかにする.次に,DISOWNがネットとフィジカルの二項対立を克服し,それらが重なり合う領域に「ポストインターネット」というあたらしい価値をつくろうとしていることを指摘する.最後に,インターネットヤミ市がネットとフィジカルの二項対立をジョークで笑い飛ばしながら,それらの重なりからはみ出た領域を組み直して「インターネットっぽさ」という感覚を現実世界にダウンロードして,インストールしていることを示す. イントロダクション Julian Stallabrassは「ネットアートの美学[The Aesthetics of Net.Art]」で「インターネットアートの『オブジェクト』は従来のアートのオブジェクトから遠く離れたものであり,それらは劣化なしで複製できるだけでなく,伝送のコストもほとんど無料になっている(もしくは,いやむしろ,一度初期投資をしてしまえば,個別の伝送のごくわずかなコストはゼロに近い).もちろん,安価に複製可能な芸術的なメディア...

A relationship between the Internet and the physical for the art

I presented my paper about the Internet Yami-ichi at Dubai, ISEA2014 . Although the conference proceeding is editing now, it would not be published before World Wide Internet Yami-ichi week .  So, I publish my paper here. I hope my paper will be a starting‐point for the discussion about the Internet Yami-ichi. Let's join the Internet Yami-ichi and study it!  -- A relationship between the Internet and the physical for the art Masanori Mizuno Konan Women’s University Abstract      In 'The Aesthetics of Net.Art,' Julian Stallabrass described, "The ‘objects’ of Internet art are far from being conventional art objects. They are not only reproducible without degradation but are almost free to transmit." This point is concerned with the immateriality of art. The immaterial nature of the Internet throws the art world into confusion. I want to show the confusion of the art form the viewpoint of the relationship between the Internet and the physical. I w...

お仕事:美術手帖 6月号「ポスト・インターネット」への寄稿

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美術手帖 6月号「ポスト・インターネット」に「 世界制作のプロトタイプ 」展のレビュー 「「リアル」と「インターネット」の密着を透かし見る方法」 を書きました.「透かし見る」というのは,展示のことを考えていたら出てきた言葉です.「リアル」からかもしれないし,「インターネット」からかもしれないけど,どちらかでもそれは「もう,どっちでもいいよ」[ マテリアライジング展Ⅲ に提示されていた渡邉朋也さんのエッセイタイトル]という感じで,どちらからも透けて見えてるという状態は気に入っています.あと,今回の特集を読んでいて思ったという後出しですが,「リアル」から「インターネット」を透かした場合は,インターネットの透過光がリアルを通過するときに反射光の影響を受けるし,逆もまたあるということが思い浮かびました.こうやって,後出しでも次々に考えたことを書いていくことは重要な感じがしています. それと 「ポスト・インターネット用語集20」 を高岡謙太郎さんと一緒に書きました.ここには「 [インターネット アート これから]───ポスト・インターネットのリアリティ 」展と「 インターネットヤミ市 」ことが書けてよかったです.日本の「ポスト・インターネット」的状況を考えるときに,これらを外すことはできません.これら展示・イベントフォーマットを海外の「ポスト・インターネット」な展示などと比較することは自分的な課題でもあります.あと,「 new jpegs 」 展のところに,「 便秘をどうにかしたい!newjpegs 」という,残念な言葉を入れられたのもよかったです.もう過ぎ去ったかもしれない「ポスト・インターネット」には,この「残念な」感じが漂っていたような気がします.「new jpegs」 展がドメイン更新しないで,「便秘をどうにかしたい!newjpegs」と放置しているのは微かに残る「ポスト・インターネット」の名残りかもしれないです.

2014年の振り返り

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2014年にはこの投稿を含めて76本の記事を書いています.2013年が95本だったから,結構減ってしまいました.それは4月から甲南女子大学文学部メディア表現学科で働くようになったからもしれないし,単に怠けていただけかもしれません. 今年1番の研究上の出来事は,11月にドバイに行ってISEA2014に参加して「インターネットヤミ市」について発表してきたことです.アートの世界には「ポスト・インターネット」といって「リアル」と「インターネット」とが重なり合う部分にあたらしい価値を見出そうとするムーブメントがあるのですが,「重なり合っている部分」だけに注目するだけいいの? というのは「インターネットヤミ市」の考察を通じて言いたかったことです.重なり合っている部分はもちろん重要だけれども,その重なっている部分の「インターネット」はだいぶ「リアル」に侵食されてきているインターネットでもあります.DISはリアルの侵食を「インターネット」から押し返しているのですが,IDPWは「リアル」と「インターネット」との重なりの外にある「インターネット」をリアルに落としこんできて「インターネット的」な感覚をつくっているところが面白い,というような発表をしました. これからどうなるのかわかりませんが,DMM.makeで「 インターネット・リアリティ・マッピング 」という連載をしました.JODI,エキソニモ,ライダー・リップスの分析をこれまでしてきました. また,今年度もメディア芸術カレントコンテンツで月1くらいのペースでメディアアートの紹介してきました. [2013年度] 「インターネット・カルチャー」を特集した「MASSAGE」の第9号が刊行 (1月15日更新) ロッテルダムのMAMAがラファエル・ローゼンダール氏によるJODIの解説ページを開設 (2月12日更新) Googleの新プロジェクト「Tango」と、Holly HernDon氏と谷口暁彦氏によるミュージック・ビデオ「Chorus」に見る「3Dモデリングという表現」の可能性 (3月12日更新) [2014年度] カオス*ラウンジによる展覧会「LITTLE AKIHABARA MARKET」が開催 (5月28日更新) スロベニアのリュブリャナ市民ギャラリーで「net.art Painter...

メモ:インターネットを受け入れるマインドセットがまずあって

ISEA2014の発表の質疑応答で「ビットコイン」の話題になった.どうしてそうなったのかは,アートは現実に追いついていないという文脈だったような気がする.ビットコインをどうアートであつかうのか,あるいはどう考えるのかだったような.それで,ひとりアーティストがビットコインの技術的な話をしていた. 僕はそれを聞きながら,たぶんそんな技術的なことではなくて,ビットコインを受け入れているマインドセットこそ問題にすべきなのではないだろうか,と思った.それはインターネットヤミ市に通じるところなのだが,インターネットを受け入れるというか,インターネットで起きていることを「リアル」と同等に受け入れるマインドがビットコインを受け入れさせているような気がする.ビットコインはネットから出てきて,リアル通貨とも交換できる.そこが面白いところで,もともと貨幣は仮想的なもので,ただそれがリアルで実行力をもつからあたかもリアルに存在しているかのようだけれども,それはたんに紙切れにすぎない.でも,たんに紙切れにすぎないと言えないところが貨幣で,ビットコインも単にデータにすぎないのだけれど,それがたんにデータにすぎないと言えないマインドセットに私たちがなっているところが,インターネットとそれを構成する膨大なコンピュータ群を受け入れている証拠なのではないかと思ったわけです. そして,それがリアルの貨幣と交換されるとなると,それは単に心情的に受け入れているというわけではなくて,なにかリアルとインターネットとをまたぐ存在になっているわけで,その点がインターネットヤミ市に似ているのかなとも思ったわけです.インターネットを受け入れるマインドセットがまずあって,そのあとにリアルとの接点があって,リアルとインターネットとがマインドとブツというな存在と入り交じることになっているのが,ビットコインであり,インターネットヤミ市なのかなと思ったわけです.

My text and slides for ISEA2014 presentation

My text and slides for ISEA2014 presentation.  Thank for audiences at ISEA2014, IDPW members, the Internet dude and others! -- Slides [PDF in Google Drive]  https://drive.google.com/file/d/0B3RHXdLnqTi-UlRQNmU5cnJVY3c/view?usp=sharing Text A relationship between the Internet and the physical for the art In 'The Aesthetics of Net.Art,' Julian Stallabrass described, "the 'objects' of Internet art are far from being conventional art objects. They are not only reproducible without degradation but are almost free to transmit (or rather, once the initial outlay has been made, the marginal cost of each transmission is close to zero). Cheaply reproducible artistic media have long existed, of course, but attempts at their wide dissemination have foundered on the cost of distribution. "  This point is concerned with the relationship between the Internet and the physical for the art. The Internet art can show artworks as almost perfect copies anywhe...

インターネットヤミ市インタビュー_エキソニモ/渡邉朋也編

金曜日(10/31)の夜からドバイに行きます.ドバイで ISEA2014 (電子芸術国際会議)が行われていて,そこで「A relationship between the Internet and the physical for the art」という発表をしてきます.発表の「インターネットヤミ市」を海外の事例と比較しながら分析するというものです. 取り上げるのはインターネットヤミ市の他に,Send me the JPEG by Winkleman Gallery,DISown by DIS です. 分析は以下のようになっています. −− 作品のJPEG画像をギャラリーのリアル空間で展示したグループ展: Send me the JPEG by Winkleman Gallery がアートワールドで「インターネット」と「現実空間」のあいだに起こる混乱を示している. アートのディフュージョンラインとして小売店舗を模したインスタレーションをリアルに展示し,その後オンラインストアを開設した: DISown by DIS は「インターネット」と「現実空間」の重なりの部分を「ポスト・インターネット」というあたらしい価値観で上書きしようとしている. スマホからポチるキミに悲報.わざわざ行かないと買えない,残念なECこと The Internet Yami-ichi by IDPW は 「インターネット」と「現実空間」のあいだの混乱を避けて,ネットと現実の重なりの余白の部分,つまりネットそのものと現実そのものをハッキングして,リアルに「インターネット的感覚」をインストールしている. DISとIDPWは感覚は似ているが,DISには明確にディスる対象として「アート」があるのに対して,IDPWにはそのような対象がない.その結果としてIDPWは「インターネット」そのものに対して意識を向けている.だから,IDPWはインターネットヤミ市でインターネット自体をハッキングして,インターネットが着地するフィジカルな場所というこれまでにないものをつくっているのではないか.そして,「インターネットヤミ市」自体がひとつのコンセプチャルなアートになっているのではないか,というものです. −− 前置きが長くなりましたが,今回の発表のためにインターネットヤミ市関係者にインタ...

memo:CCC gets physical

以前, メディア芸術カレントコンテンツ [ お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_12 ]  で紹介した「 COPIE COPAINS CLUB 」が 「フィジカル」を獲得した とのこのことです.存命中のアーティストの作品をコピーし続けることはネットだから許されているのかなと思ったら, アートフェスティバル での展示を行われることになるとは… ネットに上がっているコピー作品のすべてが展示されるわけのはフィジカルな制約からか,果たしてコピーという行為の制約からなのか.まあ「コピー」というよりも「オマージュ」と言っているから,許されるのかな.このあたりは微妙なバランスにあるのでしょう. このネットの活動がリアル展示を行うとは考えられなかったけど, DIS が2016年のベルリンビエンナーレのキュレーションを担当するとかあるから,時代の流れは「ネット→フィジカル」なのでしょうか.「ネット」で普通に行われていることを「フィジカル」にもってきて,そこでの差異を楽しんだり,そこでの認識の変化を味あうような「 インターネットヤミ市 」的な感覚というのが広まってきているのかもしれない.いや,もともとインターネッツの人たちには広く共有されていた感覚を制度が取り込もうとしているのでしょう.この感覚が制度に消費されていくのか,それとも制度を変えていくのか,このあたりに注目していきたい.

500w abstract_A relationship between the Internet and the physical for the art and a memo for my full paper

500w_A relationship between the Internet and the physical for the art In 'The Aesthetics of Net.Art,' Julian Stallabrass described, "The ‘objects’ of Internet art are far from being conventional art objects. They are not only reproducible without degradation but are almost free to transmit." This point is concerned with the immateriality of art. The internet art can show artworks as almost perfect copies anywhere because of its immaterial nature. However, contemporary art is getting the immaterial nature and stepping on the Internet now. The immaterial nature of the Internet throws the art world into confusion. I want to show this disorder situation of the art form the viewpoint of the relationship between the Internet and the physical. I will examine 3 cases: Send me the JPEG by Winkleman Gallery, DISown by DIS, Internet Yami-ichi by IDPW. 1. Send me the JPEG by Winkleman Gallery Now, the physical place is equal to or subordinate to the Internet for the art w...

ISEA2014のためのインターネットヤミ市の考察(案)_2

インターネットヤミ市をひとつのフォーマットとして考えると,リアルとネットとのあいだを行き来する展示フォーマットとしてAram Barthollの「 Speed Show 」とラファエル・ローゼンダールの「 BOYO (Bring Your Own Beamer) 」挙げられるだろう.Domenico Quarantaは論考「In Between」のなかで,オンラインの文脈をオフラインに持ち込むフォーマットとしてSpeed ShowとBYOBを取り上げて,以下のように書いている. BYOBとSpeed Showは,何十ものイベントが世界中でオーガナイズされてミームように広がっていった.これらふたつのフォーマットは同じような特徴を示している.それは安く,早く,簡単にオーガナイズできて,レイブパーティーのようなアナーキな感じで楽しい感じがある.この2つのイベントはオンラインで生まれたコミュニティを集めようとするものであり,メンバーのあいだでの対話や意見交換を促すものである.そして.それらはアートをオンラインやアーティストのデスクトップに残しているが,同時にそれら自身がフィジカルな空間に現われている.それらはアーティストにとってとても興奮するオンラインの環境をつくるいくつかのモノとインターネットを打ち解けさせる.それは,コミュニティの感覚であり,DIY的アプローチであり,既存の社会的・制度的構造から外れたところでの機能するアイデアであり,そして,それらがパブリックな場であることである.(p.32) In Between, Domenico Quaranta in Art and the Internet ヤミ市と同様にSpeed ShowとBYOBもともに別のしかたで,これまでにない場をつくっていると言えるが,これらは全く同じなわけではない.ここではBOYBよりも直接的にネットとリアルとの関係を扱っているSpeed Showを取り上げて,ヤミ市との相違点を考えていく.その補助線として,Brad TroemelがBarthollについて書いた「In Us We Trust」をみていきたい.ToremelはBarthollを次のように評している. Aram Barthollはテクノロジーを揺り動かしその眠りから覚ます示唆的な介入をしていくアーティストである.な...

ISEA2014ためのインターネットヤミ市の考察(案)

インターネットヤミ市の「ヤミ」は「ブラックマーケット」と「病む」とふたつの意味をもっている.違法のものは売れない明るいブラックマーケットしてのヤミ市.フェティシュで中毒性が高くてどんどん病んでいく,ネットにずぶずぶと入り込んでいくような感覚を示すヤミ市.インターネットに入り込んでいくような感覚なのに,インターネットヤミ市はリアルで行われていて,現地に行かなければ買えない残念なECになっている.もちろん,ここでの「残念」はポジティブな意味である.さやわかさんの『10年代文化論』で示されたポジティブな意味での「残念」感をヤミ市は共有している. その「残念」を示すために,IDPWが選択したのは「turn off, log-out, and drop in on the real world for a change」であった.もともと設定がゆるくて自由であったインターネットが,近頃,窮屈になってきたことから,そこから,コンピュータの電源を切って,ログアウトして,リアルに飛び降りようという感じだろうか.ログインをして自由の世界に行っていたのは全く別のことを行う.そこには,ログオフしてもインターネットの感覚,インターネットっぽさはもう僕たちの身体に入り込んでいるという確信があったのだろう.それは単に「インターネットは自由だ」と言うだけよりも,インターネットを信頼しているし,僕たち自身の感覚も信頼している感じがする.インターネットと身体を信頼することで,お金まみれのカリフォルニア・イデオロギーの「自由」の欺瞞を乗り越えてしまう. インターネットヤミ市はインターネットのゆるい設定に,自身の感覚と身体をインストールして,インターネットとともにあるリアルを書き換えてしまう.そして,ヤミ市はインターネット自体を二次創作していく. つまり,はちゅねミクやネギなどの「残念」な味付けは,このキャラクターは「何でもあり」なのだということを表す記号になっているわけだ.初音ミクはクールなイメージで使ってもいいし,バカバカしいことに使ってもいい.「残念」な要素はそれ自体が持つコミカルな意味以上に,初音ミクが持つ自由な象徴としてあるのだ.(p.71) さやわかさんが初音ミクの設定のゆるさが自由の象徴として,その後の多種多様な表現に結びついたと指摘するように,IDPWはイン...

「Paddles On!」と「インターネットヤミ市」に関する少しまとまったメモ

Paddles On! が前提としているのは「アートマーケット」.これはオークションだから当たり前だけれど,「ブラックマーケット」の「 インターネットヤミ市 」とは決定的に異なる部分. Paddles On! はアートマーケットを前提としているけれども,そのアートマーケットでは「デジタルアート」と「現代美術」は決定的に異なる存在とされている.現代美術は「とても形式的なビッグリーグ」であるが,デジタルアートはそこに入り込めていない.Paddles On! はデジタルアートを現代美術のなかに組み込むためことを目標としている.だから,デジタルアートを1960年代からアートの流れに組み込む言説をつくりあげる. Paddles ON! NY はデジタルアートを現代美術のプラットフォームであるオークションで扱うこと自体にとても「興奮」した雰囲気がある.そして,ウェブサイトやGIFといったまさに「非物質的」な「デジタルアート」を選んでいる.これはとても挑戦的である.アート界の外からは「なんで壁に掛けられない作品にお金を出すの?」といった感じである.まだまだ作品としてその価値を認められていないものを買うという行為は,ヤミ市に近い部分がある. Paddles ON! London はデジタルアートは本当に現代美術に組み込めるのかというシビアな評価がなされている.デジタルアートは21世紀のアートの大きな潮流になるだろうが,20世紀初頭のシュルレアリスムやダダのような作品は出てきていないと指摘される.「作品」としての価値はまだまだ劣るということであろう.確かにロンドンに出品された作品はデジタルそのものではなく,デジタルな意識を応用した「絵画」「写真」「彫刻」が多かった.それらは「意識」はデジタルであたらしいかもしれないが,作品としての完成度は既にある「絵画」「写真」「彫刻」には敵わないものだったのかもしれない.この評価はあくまでも既存の評価軸のなかでの評価であるから,デジタルがあらたな評価軸をたてることになるとしたら,またその評価は変わってくるものであろう. 「アートマーケット」を前提とすることは,常に既存のアート作品と同じ評価軸でデジタルやインターネットの意識が評価されるということだから,これは意外と難しいのかもしれない.物質的なアートワールドにいかに非物質的なデジタル...

ISEA2014_500w の日本語訳

5月にISEA2014に提出した500 wordsのアブストを訳してみた.インターネットヤミ市関係者にインタビューを終えた今,まだまだ考えることはあるし,それを英語にしていかないとならないなー. −− This paper discusses some differences between English language regions and Japan about a relationship of real world and the Internet for the art. 'Send Me the JPEG' at Winkleman Gallery or a digital art auction 'Paddles ON!'and 'the Internet yami-ichi [the Internet black market]' show each relationship between the physical and the Internet in English language regions and Japan. [私はリアルとオンラインの関係について英語圏の地域と日本とのいくつかの違いを考えたい.Winkleman Galleryの'Send Me the JPEG’ 及びうデジタルアートのオークション'Paddles ON!’とインターネットヤミ市とのあいだにあるちがいは英語圏と日本でのアートにおけるインターネットとフィジカル空間との関係のちがいを示している] In 'The Aesthetics of Net.Art,' Julian Stallabrass described that; "The ‘objects’ of Internet art are far from being conventional art objects. They are not only reproducible without degradation but are almost free to transmit." This point is concerned with the immateriality of art; ...

インターネットヤミ市4 in 札幌!

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8月3日=ヤミの日に札幌で「 インターネットヤミ市4 」が開催されました.今回の会場はさっぽろテレビ塔.第1,2回は床に直置きでしたが,今回は長机がありました.空調も効いていて,なんかとてもきちんとしたイメージではじまりましたが,時間が経つにつれ,ヤミ市独特の雰囲気になっていきました.特に,インターネットおじさん vs テレビ父さんとのクイズ対決は面白かった. 今回,私はいつもの「論文」ではなく「カーソル」や「カーソルについての講義」を売っていました.「カーソル」は3Dプリンタで出力したこともあって,結構売れました. さっぽろテレビ塔でやっていることもあって,おじいちゃん・おばあちゃんがふらっと会場にいるのが面白かったです.あと,テレビの取材が入ったり,「札幌国際芸術祭」だから海外のプレスの人も来ていました. ヤミ市で購入したものです.上の写真をプリントしたものは,新津保建秀さんのものです.新津保さんの『\風景』を追いかけてきた私にとっては,いや私でなくても,これは「お宝」ではないでしょうか.画像データの固定先として「普通」のコピー用紙が選択されて,「普通」にプリントアウト,いい感じの質感です.これはまた今度考えてみたい. その下の生写真にはインターネットおじさんとIDPWのおふたりが写っています.いつみても,いい写真です.サイン入りです.新津保さんの写真もひとつはサイン入りです. 生写真のおとなりのピンクの額縁に入った絵はMerce Deathさんの「父の絵画.bmp(反アンチエイリアス派)」です.お父さんがWindowsのペイントソフトで描いた絵.「父の絵画」みたいなものが世界中のパソコンのハードディスクにあると思うと興味深いですね.そして,その下にあるがのが絵を買うともれなくついてきた「父とインターネット」by Merce Deathです. 「父とインターネット」のよこにある木の置物が「USBメモリ置き」です.出店者の名前は忘れてしまったのですが,普段,居場所なさ気なUSBメモリに置き場をつくってあげるだけで,ちょっとした高級感が味わえます.これ,結構好きです. 「ヤミいちにきたヨ」は「ユニットSD」さんによる「即時印刷サービス」でプリントしたものです.レーザカッターでアクリルを文字の...