メモ:インターネットを受け入れるマインドセットがまずあって

ISEA2014の発表の質疑応答で「ビットコイン」の話題になった.どうしてそうなったのかは,アートは現実に追いついていないという文脈だったような気がする.ビットコインをどうアートであつかうのか,あるいはどう考えるのかだったような.それで,ひとりアーティストがビットコインの技術的な話をしていた.

僕はそれを聞きながら,たぶんそんな技術的なことではなくて,ビットコインを受け入れているマインドセットこそ問題にすべきなのではないだろうか,と思った.それはインターネットヤミ市に通じるところなのだが,インターネットを受け入れるというか,インターネットで起きていることを「リアル」と同等に受け入れるマインドがビットコインを受け入れさせているような気がする.ビットコインはネットから出てきて,リアル通貨とも交換できる.そこが面白いところで,もともと貨幣は仮想的なもので,ただそれがリアルで実行力をもつからあたかもリアルに存在しているかのようだけれども,それはたんに紙切れにすぎない.でも,たんに紙切れにすぎないと言えないところが貨幣で,ビットコインも単にデータにすぎないのだけれど,それがたんにデータにすぎないと言えないマインドセットに私たちがなっているところが,インターネットとそれを構成する膨大なコンピュータ群を受け入れている証拠なのではないかと思ったわけです.

そして,それがリアルの貨幣と交換されるとなると,それは単に心情的に受け入れているというわけではなくて,なにかリアルとインターネットとをまたぐ存在になっているわけで,その点がインターネットヤミ市に似ているのかなとも思ったわけです.インターネットを受け入れるマインドセットがまずあって,そのあとにリアルとの接点があって,リアルとインターネットとがマインドとブツというな存在と入り交じることになっているのが,ビットコインであり,インターネットヤミ市なのかなと思ったわけです.

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