お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_27
大学の一般教養で「インターネットを通して現実をみる」という感じの授業をしているのですが,そこで「Instagram」を取り上げてみました.これまでInstagramに関してはあまり考えたことがなかったのだけれど,Instagramが実現した画像のコミュニケーションは興味深いなと思ってところで,SNSの「アーカイブ」の問題で記事を読んでいたアマリア・ウルマンの《Excellences & Perfections》を思い出しました.この作品はまた画像だからこそ,それもInstagramだからこそ成立するコミュニケーションから生まれた作品だと思います.
授業で取り上げたところ,学生さんの関心も高かったです.彼女たち自身も少なからずウルマンのように演じながら画像をあげているのかもしれませんし,そうしたことを楽しんでいるのかもしれません.
例のごとく長くなってしまったので,僕自身がこの作品をInstagramで見ていった体験を書いたところはカットしたので,ここに置いておきます.
私はこの作品をリアルタイムに体験していないので,「アートだ」という指摘の後に多くのフォロワーがどんな気持ちになったのかわわからない.私自身は「作品」としてウルマン氏のInstagramを眺めていたので,そこで起こっていることはすべてフェイクであることがわかっていた.なので,いつ「これは作品だ」というコメントがつけられるのかを期待していたところもある.Instagramをリアルタイムに見ていた人にとっては,これがアートであろうがなかろうが関係なく「アマリア・ウルマン」という女性,しかも「かわいい」女性を眺めることができればそれで良かったのではないかと,私は考えている.ウルマン氏が言っているように,かわいい女性のパーフェクですばらしい生活とそこから転落していく不幸を見ることはひとつのエンターテイメントだったのだろう.また,《Excellences & Perfections》はパソコンでも見られるのだが,できることならスマートフォンで見ることをお勧めしたい.「スマートフォン」という手のなかに収まるツールでこの作品を見ると,多くの人がより「親密」な感じが味わえると思われる.私はその「親密さ」ゆえにそこで起こっていることが「嘘」だと知りながらも「リアル」に感じてしまった.さらに興味深いことに,ウルマン氏が使っているハッシュタグを見ていくと,その先にある大量の画像に「嘘」を感じたりしてしまった.