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MASSAGE連載07_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/「モノ」らしさを持つデータとサーフェイスを包含して剥き出しになったバルク」

MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第7回「「モノ」らしさを持つデータとサーフェイスを包含して剥き出しになったバルク」を書きました✍️✍️✍️
前回の続きで,ucnvさんの作品を分析しています.「超臨界流体」という奇妙な言葉も出てきますが,とても興味深い物質の状態のことです.ucnvさんの作品タイトルからこのような物質の状態があることを知りました.
カワイさんのカバーイラストでは透明なサーフェイスと白いサーフェイスとが混じりあっていますが,この辺りもテキストを読んでもらえると納得できる感じです.サーフェイスの奥にある厚み=バルクを考えてきましたが,奥にあるバルクがサーフェイスを包んで,表も裏もないような状態になってきているのではないでしょうか,ということを書いています🧐

日本映像学会第45回大会で発表しました🧐

6月1, 2日に山形大学で行われた日本映像学会第45回大会で「インタラクションにおける映像の物質的質感───ISSEY MIYAKE 「DOUGH DOUGH」のWEBページが示す「マテリアル」という発表をしました🧐
発表のほぼ1ヶ月前に書いた発表概要📝と発表ノート📖です.
発表概要 ISSEY MIYAKE が2019年の春夏コレクションで発表した「DOUGH DOUGH」は,「ねじる,丸める,揉む,折る,伸ばす───パン生地(dough)のように好みの形へと変化させ”自遊”自在に楽しむことのできる布」である.そして,「DOUGH DOUGH」のウェブサイトもまた布のような質感を持った表現となっている.ウェブサイトと映像をディレクションしたコンピューテショナルアーティストの橋本麦はサイト制作の狙いを「クシャクシャっとしたら,その形状がキープされる生地のブランドサイトだったので,Webページ自体が自己言及的にクシャクシャなったら面白いだろうと着想しました」と述べている.そのサイトはスクロールするとウェブページがあたかも布のようにクシャクシャになってスクロールされていくものになっている.
ウェブページはもともと冊子や巻物といった物理的対象をコンピュータの画面内にシミュレーションしたものであった.レフ・マノヴィッチが『ニューメディアの言語』で,コンピュータ画面内において「伝統的なページはヴァーチャルなページとして定義し直されて」いったと指摘するとき,ページは皺をつけずにスクロールできるヴァーチャルなウェブページになったと言える.しかし,皺を持たないヴァーチャルなページは,電子書籍の登場とともに「めくる」ことができるようになり,タッチパネルを備えたスマートフォンの登場とともに「慣性」を取り入れ,徐々に「伝統的なページ」に近いものになっていった.そして,Googleはコンピュータの画面内の要素を「物理的な性質をもった実際のマテリアル」だと考える「マテリアルデザイン」というデザインガイドラインを発表した.インターフェイスデザインにおいて,最初は物理的対象のシミュレーションだった画面内の映像が,現在では「マテリアル」と定義されるようになったのである.
ISSEY MIYAKEのウェブサイトは,スクロールというインタラクションを起点として「DOUGH DOUGH」の物質的質感を示す…

MASSAGE連載06_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクとサーフェイスとを含む「波のようなマテリアル」

MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第6回「バルクとサーフェイスとを含む「波のようなマテリアル」」を書きました✍️✍️✍️
「モノとディスプレイとの重なり」を書いているときから,ずっと取り上げたかったucnvさんの作品をやっと取り上げることができました.グリッチは,🌊のように表面=サーフェイスでありつつ,ある実体=バルクを持つような表現なのではないか,ということを書いています.まだ前編という感じで,次回もucnvさんの作品を考察していきます.
カワイさんのカバーイラストも白い布のようなものが波打ってくれています🌊 その下にふたつのサーフェイスがあり,上のサーフェイスは透けていて,下のサーフェイスには影が落ちています.これまで書いてきたことが図示されているみたいです.そうなると,🌊となっている白い布の「バルク=中空」の部分,二つのサーフェイスを貫通する3本の黄色い棒のようなものが気になります🧐  バルクやサーフェイスを貫通する何かを考えてみたいです🌞


🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️ また,第6回のテキストでこれまでの議論と重複するためカットした部分をnoteにアップしましたので,連載テキストと合わせてお読みください🙇‍♂️

086:モノとデータとの複合体としてのあらたなバルク

展覧会「ゴットを、信じる方法」のカタログへの寄稿

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今はなきARTZONEで2018年5月に開催された展覧会「ゴットを、信じる方法」のカタログができました.私は「ゴットを、信じる方法」トークイベントと参加しつつ,「📲How to believe in Got. ゴットに巻き込まれた告白💬の行方」というテキストを寄稿しています.



「ゴットを、信じる方法」トークイベント
「ゴットを、信じる方法。」世代観と「ゴット」の行方《ゴットは、存在する。》と《告白》 それぞれの「ゴット」時代とインターフェイス「ゴット」の居場所Q&A📲How to believe in Got. ゴットに巻き込まれた告白💬の行方 🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️  🖱ゴットはどこにいるのか?📲解釈によって幽閉されたゴット💬とともにインターフェイスに現れるゴット告白💬の行方
この展覧会を企画した中川恵理子さんとは20歳近くの差があるので,インターフェイスの体験が全く異なっていました.そのような状況で「ゴット」はどこにいるのか,そして,エキソニモという存在に巻き込まれてしまった中川さんと水野はこれからどうなるのか,というようなことを書きました.
カタログ冒頭のページのQRコードからアーカイブサイトに飛べるようになっていて,そこに「📝」の項目があるので,後ほど,テキストがウェブで公開されると思います.

🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️🏄‍♂️🏄‍♀️ 🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️ ゴットを信じる会《告白》について考えたことと,これからエキソニモとゴットのどちらを探るのだろうか? 

エキソニモ・千房さんとの共著論文「アート表現にはランダムを“積極的に”使え」

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日本バーチャルリアリティ学会誌 Vol.24 No.1 2019に,エキソニモの千房けん輔さんとの共著論文「アート表現にはランダムを“積極的に”使え」を書きました.

大阪電気通信大学の教授で,メディアアートの展覧会の企画を多く手がけてきた原久子さんからのお誘いで,千房さんと論文を書くことになりました.特集は「VRとメディアアート───芸術表現と科学技術の往来」となっているのですが,私たちの論文は「VR」には一切触れていません.千房さんと私の論文は副題の「芸術表現と科学技術の往来」を,エキソニモの作品における「ランダム」を中心に論じています.エキソニモ研究者として,エキソニモ作品の初期からNY以後を,エキソニモ本人と考えるという機会はとても貴重で,不思議な体験でした.
論文は「ランダムから考える表現」「初期エキソニモ作品の中に横たわる「ランダム信仰」」「ランダムから「人間」を考える」「責任を持ってランダムを引き受ける」という4つの節で構成されています.「ランダムから「人間」を考える」は,今のエキソニモを表しているいい言葉だと思っています.そして,「責任を持ってランダムを引き受ける」という言葉は,メディアアートにおけるエキソニモ作品が持つ特異さを説明できるような気がしていています.
日本バーチャルリアリティ学会誌がどこで手に入るのかイマイチわからないので,最終節の「責任を持ってランダムを引き受ける」だけですが,とても気に入っている文章なので,みなさんに読んでもらいたいです.
責任を持ってランダムを引き受ける
エキソニモ作品では,高名なアルゴリズムをあえて使用しない,もしくは使用していてもそれを表明しないと言ったが,それはアート表現において,科学的な根拠を持った後ろ盾があっては,その価値がサイエンスの側にあるのか,アートの側にあるのかが曖昧になるからである.テクノロジーがアートの存在を手助けするのであれば,テクノロジーの価値をアート作品の価値から遠ざけることが,重要であると考える.因果の連鎖のもとにあり,人間から離れていくサイエンスとテクノロジーを使いながら,人間の存在そのものの起源に辿り着くような作品を作らなくてはならない.このような理由から「アート表現にはランダムを“積極的に”使え」と,ここでは言っておきたい.“積極的に”という形容句がついているのは,それを無自覚に使っても意…

木村翔馬個展「dreamの後から(浮遊する絵画とVRの不確定)」のカタログへの寄稿

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木村翔馬さんの個展「dreamの後から(浮遊する絵画とVRの不確定)」のカタログに「VRをめぐる「感覚の空回り」からあらたな絵画を生み出す「感覚の絡まり」へ」というテキストを寄稿しました.
Apple PencilとiPadでメモを買い続けているときの感覚の空回り感から,木村さんのVR絵画とインターフェイスのはじまりとも言えるアイヴァン・サザランドの「スケッチパッド」を「重力」を使って接合して,結果として画面のこちら側と向こう側とで感覚が絡まっていく🌀,ということを書きました.
木村さんとgnckさん,若山満大さんのトークの記録,飯岡陸さんの「木村翔馬の落書き帳───しくじったフォーマリズム」,きりとりめでるさんの「メディア論的吸血と美術史的吸血」と充実した内容になっています.

「paperC」no.17で,美術家の金氏徹平さんと対談しました

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おおさか創造千島財団の情報発信紙「paperC」no.17で,美術家の金氏徹平さんと対談しました.私はいつも通り,ユーザーインターフェイスの話をしていますが,金氏さんのおかげで,インターフェイスがマルセル・デュシャンの《大ガラス》につながり,さらに,YCAMでエキソニモが共同キュレーションした「メディアアートの輪廻転生」に至り,最後に,Apple Pencilで終わるという興味深い流れができました✏️
金氏さんが言った「白で書く」という言葉が今でも印象に残っています🏳️
PDFはこちらです→http://www.chishimatochi.info/found/letter/
インクの匂いが心地よい紙版はご希望の方にお送りしますので,下のフォームにご記入ください🗞
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紀要論文「ふたつの光の合流───ライトボックスとロボットアームがつくる計算資源の場」

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紀要論文「ふたつの光の合流───ライトボックスとロボットアームがつくる計算資源の場」が掲載された「甲南女子大学研究紀要Ⅰ 第55号」が刊行されました.この論文はJSPS科研費 JP17H02286の助成を受けたものです🛰
紀要論文の冒頭です🛰🛰 アルフォンソ・キュアロンが監督した「ゼロ・グラビティ」は,光を自在にコントロールできるLEDライトボックスと精細にカメラを制御できるロボットアームというふたつのユニークな撮影装置を用いて撮影された.ライトボックスは物理法則に基づいた計算によってコンピュータ内に設計された微小重力空間の性質を保持した光を地球の重力下で演技をする役者の身体表面に「コピー」するものになっている.そして,仮想の微小重力空間におけるヴァーチャル・カメラの軌道を地球の重力下で再現するロボットアームに取り付けられたカメラが役者から反射した光を正確に捉える.さらに,カメラが捉えた光はコンピュータ内の微小重力空間を構成するひとつのオブジェクトとしての「役者」に貼り付けられて,地球の重力下での撮影でありながら,微小重力のイメージがつくられていく.
 本論文はライトボックスとロボットアームというふたつの装置を使った撮影方法を考察しながら,計算で構成された仮想的な微小重力空間の光と地球の重力下の光が合流していき,すべてが計算資源とみなされる場が形成されるプロセスを探るものである. 追記と取り消し:2019/06/11
学術情報リポジトリにPDFが掲載されました.
ふたつの光の合流 : ライトボックスとロボットアームがつくる計算資源の場

いずれ甲南女子大学の学術情報リポジトリにPDFが掲載されると思います.紙で読みたいという方がいましたら,以下のフォームから申込ください.抜き刷りを発送します🛰🛰🛰

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マイケル・ベダンコート『モーション・グラフィックスの歴史───アヴァンギャルドからアメリカの産業へ』

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翻訳に参加したマイケル・ベダンコート『モーション・グラフィックスの歴史───アヴァンガルドからアメリカの産業へ』が出版されます.私は第5章・第8章を担当しました.

普段の研究分野と被りそうで被らない分野の翻訳で苦労しましたが,現在のインターフェイスやメディアアートの大元の部分につながるところを勉強できたような気がしています🧐

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三元社のホームページから
モーション・グラフィックスの歴史───アヴァンギャルドからアメリカの産業へ
[著者]マイケル・ベタンコート
[監訳者]伊奈新祐
[訳者]水野勝仁・西口直樹

“カラー・ミュージック”や“ヴィジュアル・ミュージック”にその起源をもつ「モーション・グラフィックス」は、20世紀初めの前衛映画や実験映画において誕生し、映画産業やテレビ業界が商業的に応用する中で発展した。映画、デザイン、CM、アニメーション、ヴィデオ・アート、ゲームなど、各ジャンルのパイオニアの貢献を追い、従来の映画史・美術史・デザイン史からこぼれ落ちたその理論と歴史を概観する。

定価=本体 4,000円+税
2019年3月15日/A5判並製/426頁/ISBN978-4-88303-481-9

[目次]

はじめに   7

第1章
前史   10
共感覚   11
カラー・ミュージック   16
カラー・ミュージックの発明家   21
ヴィジュアル・ミュージック   26
キネティック・タイポグラフィー   36

第2章
抽象映画の創出   50
未来派の抽象映画(1909?1912)   52
レオポルド・シュルヴァージュ(1879?1968)   57
ダダ/構成主義の映画(1919?1929)   60
マン・レイの《理性への回帰》(1923)   63
マーフィー&レジェの《バレエ・メカニック》(1924)   66
ヴァルター・ルットマン(1887?1941)   68
ヴァイキング・エッゲリング(1880?1925)   73
ハンス・リヒター(1888?1976)   78
マルセル・デュシャンの《アネミック・シネマ》(1926)   83
ラースロー・モホイ=ナジ(1895?1946)   89
メディアの普遍的言語へ   92

第3章
サウンド・フィルム   94
モンタージュ   96
オスカー・フィッシンガー(1900?1967)   104
メアリー・エレン・ビュート(1906?1983)   110
レ…

​​​多摩美 メ芸 卒制展「#00000000」「画像」トーク​🎤

3月3日に多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース卒業制作展「#00000000」 で,写真家の港千尋さん,セミトランスペアレント・デザインの田中良治さん,そして,多摩美の学生の竹久直樹と「画像」についてのトークをしました.

このトークをして,私は「画像」そのものではなく,インターフェイスに組み込まれた「画像」というのをいつも考えているのだなと感じました.なので、私が考える「画像」はジェスチャーとともにあるのかなと思いつつも,「画像」がデータの圧力によって変化して,「厚み=バルク」を持ち始めているのではないかとも考えているので,インターフェイスからはみ出す「画像」も最近は考えているのかなとも感じています.


トーク🎤ためのノートです(トークでは全く使わなかったですが…)

​​​🎤​多摩美卒業制作展#00000000 トーク


MASSAGE連載05_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクと空白とがつくる練り物がサーフェイスからはみ出していく

MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第5回「バルクと空白とがつくる練り物がサーフェイスからはみ出していく」を書きました✍️✍️✍️
今回は作品やインターフェイスのデザインではなく,哲学者の入不二基義さんの『あるようにあり、なるようになる』のなかに出てきた「無の厚み」という言葉を手がかりにして考察を進めています.考察を進めるなかで出てきた「練り物」という言葉は,どこか不定形で,不純な感じして気に入っています.ディスプレイに映る画像や映像は,いまやサーフェイスではなくて,どこか厚み=バルクを持つようになってきたと感じて,これまで連載を書いてきたわけですが,インターフェイスを経由した画像や映像がなぜバルクを持つようになったのかということを,入不二さんのテキストを参照して書いています.
カワイさんのカバーイラストにもドーナツ🍩のような「空白」を持ったモノが描かれています.「空白」に棒が差し込まれていますが,「空白」はいかなるモノを受け入れていきます.カバーイラストには「空白」だけはなく,これまで論じてきた「重なり」「影」も描かれています.カワイさんのカバーイラストを眺めながら,これまでのことと次のことを考えます🧐

ポップアップストア「ÉKRITS ROPPONGI」📚

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六本木の「文喫」ポップアップストア「ÉKRITS ROPPONGI」で開催される「エクリの執筆者が「わたしをデザインした書物」をピックアップした選書フェア「エクリをデザインした書物たち」」に参加しました.
私はマーシャル・マクルーハン『メディア論』,藤幡正樹『不完全な現実』,渡邊恵太『融けるデザイン』の3冊を選びました📚
よろしくお願いします🙏

MASSAGE連載04_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/影のマスキングがバクルとサーフェイスとを引き剥がす

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MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第4回「影のマスキングがバクルとサーフェイスとを引き剥がす」を書きました✍️✍️✍️
今回は名古屋市立大学芸術工学部で身体の錯覚についての研究を進めている小鷹研理さんの作品《公認候補》を軸にして,下からの光が物理世界を切り取ることによって,バルクの位置付けが曖昧な空間が生まれ,そこにバルクから剥がれた「理念的サーフェイス」が生まれるということについて書いています.
また,小鷹さんの「研究」では無く「作品」にフォーカスして考えみたかったということもあります.小鷹研の研究は「からだは戦場だよ」や学会発表を通して多くの人に知られるようになりました.そして,小鷹さん個人は研究と同時に,エキソニモや永田康祐さんの作品に言及したり,小林椋さんの個展のレビューを書いたりしています.私は小鷹さんのテキストに強い影響を受けていました.そのような中で,小鷹さんが研究ではなく,作品を作成したというので,名古屋まで展示を見に行きました.そこで出会ったのが今回取り上げた《公認候補》と《ボディジェクト指向 #1》でした.《ボディジェクト指向 #1》は小鷹さんの研究とも直接的につながっている作品で,こちらは画家・評論家の古谷利裕さんが偽日記に書いています.《公認候補》は研究とは少し離れていて,ポストインターネット的な問題設定,私的には「モノとディスプレイとの重なり」の問題圏にあると考え,今回のテキストとなりました.
カワイさんのカバー画像では一枚の布がふわりと宙に浮いていて,「影」がしっかりとサーフェイスに記されています.「影」があるからこそ,それが宙に浮いていて,下のサーフェイスと関係を持っていることがわかります.そして,「影」と白い布のあいだの空間自体が「影」と白い布というふたつのサーフェイスに切り取られたバルクのようにも感じられてきます.また,下のサーフェイスもいくつか重なっていますが,そこには影はありません.それらは重なっていないのかもしれません.重なっていないとすると,そこにはバルクもないのかもしれません.