投稿

ラベル(Ryder Ripps)が付いた投稿を表示しています

🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️

🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️ * エキソニモとライダー・リップス     * 身体のちがい         * エキソニモ             * 消える身体         * ライダー・リップス             * スポーツする身体     * リップス「ネット≒リアル」         * 身体をヒンジにしてネットとリアルとを「ほぼイコール」な関係で結びつける             * 身体がネットとリアルとを重ね合わせる     * エキソニモ「ネット⇄リアル」         * 身体を置いていってしまう             * ネットからリアルへ、リアルからねっとへと「連れて行かれる」                 * 「連れて行かれる」という感覚は再制作されたゴットにはなかった                 * そもそも「ゴット」は「ゴッド」に意識を連れて行ってしまうものであった             * 身体をどこに置いていくのか?                 * 🕳のなか?                     * その後のディスプレイ🖥の作品との関連から考えられないか💡       ...

お仕事:インターネット・リアリティ・マッピング(6)「エキソニモとライダー・リップス(後編)」

DMM.make で記事が公開されました. インターネット・リアリティ・マッピング(6)「エキソニモとライダー・リップス(後編)」 これで7月に書き終わって編集部に送っていた分がすべて公開されました! とてもすっきりしました!! これで気持ち的に次にいける!!!  今回もライダー・リップスを使ってエキソニモ論を書いている感じです. 次は,リップスを介して,ということは,エキソニモも経由した感じで谷口暁彦論が書けたらと思っています.

お仕事:インターネット・リアリティ・マッピング(5)「エキソニモとライダー・リップス(中編)」

DMM.make で記事が公開されました! インターネット・リアリティ・マッピング(5)「エキソニモとライダー・リップス(中編)」 今回はわりと長めのエキソニモ論になっています.エキソニモの作品の流れのなかで彼らがIDPW名義で行っている「インターネットネットヤミ市」を位置づけてもいます.こんな感じでエキソニモ論を書いてみたい.もちろん,ライダー・リップスも登場します.結構長いので,お時間のあるときに読んでみてください!

お仕事:インターネット・リアリティ・マッピング(4)「エキソニモとライダー・リップス(前編)」

DMM.make で記事が(やっと)公開されました! インターネット・リアリティ・マッピング(4)「エキソニモとライダー・リップス(前編)」 ネットをメインにとてもコンセプチャルな表現をするエキソニモとライダー・リップスを3回にわたって比較していきます.といっても,初回はもっぱらライダー・リップスについてです. 追記_2014年12月29日 リンク先のテキストは2段落ほど抜けていました. 「リップスはアーティスト活動と並行して、OKFocusというデジタルデザインの会社もやっています。彼は自分のことを「独立(ビジネスオーナー)のことを心配して、(技術、未来について)すぐうんざりしてしまうコンセプチュアル・アーティストだね」(MASSAGE 9( http://themassage.jp/ ) p.84)と言っています。」 このテキストに以下のテキストが続きます. − 空手着を着たリップスに戻りましょう.これは2013年に行なわれた「Hyper Current Living」[http://ryder-ripps.livejournal.com/1099.html]というパフォーマンスの際のリップスの自撮りになります.「Hyper Current Living」は,リップスがRed Bullを飲みながら延々とアイデアをツイートしていくというパフォーマンスです.ツイートするだけなら,別に自分の身体をネット上に出す必要はないのですが,リップスはわざわざ空手着をつくって,それを着て,自らの身体をネットに晒しながら,アイデアを練って,それをツイートしていきます.前回比較したJodiとエキソニモでは,Jodiが「遊ぶ身体」で,エキソニモで「消える身体」だったので,「スポーツ」という言葉を使うリップスはJodiに近いと言えるでしょう. コンセプチャルアートとしてのスポーツ でも,ここで言われている「スポーツ」は「コンセプチャルアートとしてのスポーツ」なんですね.この言葉はとても面白いところがあります.頭でっかちな感じがする「コンセプチャルアート」と身体性が強い「スポーツ」という普段隣り合うことがない言葉が組み合わせされているからです.リップスはこのギャップを際だたせるように空手着を着ているし,身体を強く刺激するRed Bullを飲むわけ...

JAGDAトーク_復習

イメージ
7月28日に行なわれたJAGDAトークの復習. 取り上げたアーティスト・作品 John Rafman《9 eyes》 Doug Rickard《A New American Picture》 Justin Kemp《Adding to the Internet》 Parker Ito《The Most Infamous Girl in the History of the Internet》 Ryder Ripps《Adrianne Ho Paintings》 Artie Vierkant《Image Objects》 Joshua Citarella《Compression Artifacts》 渡邉朋也《ツナとマヨネーズ》 −− トークを終えて,「情報」と「物質」との結合が解かれて,抽出された「情報」が常にそこにある状態で,その「情報」を「概念」として提示していくのか,「物質」に再び定着させるのか.これが「インターネット以後のアート/グラフィック」の問題なのではないかと考えた.もちろん,情報が抽出されていくことは「インターネット」にはじまったことではないけれど,「インターネット」によって「情報」の抽出とその拡散のインフラが整ったとは言える. トークのなかで,「情報」が「物質」から切り離されてきたことから生じる問題も「情報」を「概念」のまま作品を提示できるアートと,「情報」を「物質」に定着・固定化する必要があるデザインとでは異なることがわかった.「情報」を「物質」に固定しなければならないデザインは,その成果物に「情報」と「物質」とが一度は切り離されつつあることの痕跡を見つけるのは難しい.しかし,デザインにも確実に変化が起こっていて,作品のテイストがここ3〜5年のあいだに変化していると,菊地さんは指摘していた.この指摘から,アートでは既に「物質」のみならず現実との関係を疑うような作品が出てきているが,それは「情報」を「概念」として流通させることが可能なフォーマットだからだと考えるようにあった.「アート」というフォーマットゆえに渡邉さんの《ツナとマヨネーズ》のような「物質」に「情報」が定着した彫刻作品と情報のみの平面作品とをセットで提示することが可能...

儚いソーシャル麻婆豆腐

イメージ
「陳さんの麻婆豆腐を味わいながら「ソーシャル麻婆豆腐」について思索するクロージングイベント」に行って,しっかりと「陳さんの麻婆豆腐」を食べてきた.そして,「チームラボによる『チームマーボー』です!」というアナウンス,そして何かが起こるのかちょっとした期待とともに会場が少し静かになるが,結局何も起こらずに,そのアナウンスもなかったかのようにまたみんながしゃべりだすということを何回か経験しながら,いつしかアナウンスが会場に流れても,誰も気にかけなくなっていった.この一連の体験を通して「ソーシャル麻婆豆腐」についての思索が深められたと思う. このクロージングイベントの体験から,「ソーシャル麻婆豆腐」の展示を再び考えてみる.「ソーシャル麻婆豆腐」の展示会場にあるのは,キャプションと音声解説用のiPodが2台のみ.音声解説されるべき「視覚的表現」はどこにもない.ただただキャプションの前にたって音声解説を聞く.とてもシンプルな体験であるが,脳内に拡がるのを止められない「ソーシャル麻婆豆腐」をめぐる想像力がうまれる.「ソーシャル麻婆豆腐」は文字通りにとればどこにもないけど,NHK福岡の女性アナウンサーの心地よい声で読み上げられるテキストのなかには「ソーシャル麻婆豆腐」がある,というか,「ここに,あそこに,そこに,どこかに,ソーシャル麻婆豆腐があるんだ」と想像できてしまう. 作品に関する数少ない視覚的情報であるキャプションを見ていくと,そこには「妙心寺の開山(2014)素材:大豆,大豆加工品」「インタラクティブプロジェクション麻婆豆腐(2013)素材:大豆,大豆加工品」「島の神々(2016)素材:大豆,大豆加工品」「猛獣(1920)素材:大豆,大豆加工品」と書かれている.写真を撮り忘れてしまったので正確ではないが,「完治物語」という作品の制作年が「平成時代初期」となっていったところで,私の時代感覚は大きく歪み,ソーシャル麻婆豆腐はあったのかもしれない,いや,ソーシャル麻婆豆腐はこれから生まれるのかもしれない,いやいや今目の目にソーシャル麻婆豆腐が生まれつつあるのかもしれないと考え込んだ. 私のiPhoneにはキャプションと会場の写真がいくつかのこっているが,そこで聞いた心地よい女性の声によるテキストは全く残っていない.今思えばそれを録音す...

《Ryder Ripps Facebook, 2011》を全部見てみた

ライダー・リップスの《 Ryder Ripps Facebook, 2011 》を全部見てみた.《Ryder Ripps Facebook, 2011》は2011年11月1日までのリップスのFacebookのすべてをアーカイブしたという作品です.作品のタグにあるようにまさに「ファイルとしての自分[self as file]」な感じな「厚み」と,他人の人生の一部を見続ける徒労感を味わいました. RhizomeのThe Downloadというプログラムでも提供されています→ http://rhizome.org/the-download/2011/nov/ http://t.co/dWzY4jcrKK 延々とスクロールしている — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014 まだまだスクロールしている  http://t.co/dWzY4jcrKK — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014 女子大生の人生楽しい感じのツイートを横目に,僕はライダー・リップスという人の人生=Facebookを延々とスクロールしている. — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014 Ryder Ripps ❤♡◠‿◠ฺ♡❤ ━► HAPPY VALENTINES! February 14, 2011 at 14:36 Friends って,リップスも楽しそうだ… — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014 リップス? うなだれている… pic.twitter.com/M4dhAppcUn — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014 リップス,何かはじめたらしい. February 13, 2011 at 3:36 Only Me pic.twitter.com/bs8XNBskI9 — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) May 20, 2014 リップス,母から February 12, 2011 at 15:25 Only Me pic.twitter.com/7G75W3r6r...

ポスト・インターネットのなかに「幸村真佐男」を置いてみる

イメージ
幸村真佐男→youpy/ライダー・リップス/パカー・イトー/Tumblr/JOGGING/reretlet→幸村真佐男? 幸村真佐男とyoupy 幸村真佐男 幸村真佐男展/LIFE LOGー行雲流水ー 幸村がこれまでに日常的に撮り溜めてきた 300万枚 に及ぶ写真.その全ての写真を秒30コマのフレームに落とし込み,約27時間30分間の映像化を目指す. http://n-mark.com/projects_kohmura.html  http://www.flickr.com/photos/fomalhaut/ 幸村真佐男 は「写真」を撮り続けているのか? LIFE LOGー行雲流水ー のトークで「 デジタル写真はコンピュータ・グラフィックス 」と言われていたのが印象に残っている. 「世界」をプログラム可能な画像へと置き換える. 2014.2.11(祝) 愛知芸術文化センター主催. AACサウンドパフォーマンス道場特別公演「The SINE WAVE ORCHESTRA」撮影:Yuichi Okazu Ito 「 幸村真佐男 glitch 」展 youpy http://www.flickr.com/photos/youpy/ youpy:(約)1600万色を入れる予定で.でもいまは500万色ぐらいかな. 渡邉:まあこういうかたちで,1色1色って言ったらいいんですかね…… youpy:そうですね. 千房:RGBの数値を一個ずつずらして,全部上げてくっていうことですよね. 渡邉:256の3乗(=1,677,216)色ってことですね.Flickrという写真共有サーヴィスの上で,そういうことをやっている.いま,世界で一番写真がアップロードされているんでしたっけ? youpy:Flickrでたぶん一番上がってる. (一同爆笑) youpy:これって実際のプログラムは10行ぐらいなんですよ.でも,そんな簡単なものでこれだけインパクトあるものができるのが,インターネットのすごいところだと思って.   座談会「インターネット・リアリティとは?」  かれは,自分と写真機...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_19

記事を書きました→ 「インターネット・カルチャー」を特集した「MASSAGE」の第9号が刊行 インターネットには2種類のスピードがあるということを「MASSAGE」に掲載さていた作家のインタビューを引用しながら示しました.2つのスピードのひとつは歴史の形成もさせないような作品・画像流通の速さで,もうひとつは作品制作におけるアイデア→制作→発表という一連の流れ自体の速さです. [この2種類の速さというのは,私が「MASSAGE」に書いたライダー・リップス氏についてのテキスト「 『新鮮な暗闇』に立ち向かうためのユーモア 」で書いたものに通じるものです] また,最終的にはうまくまとまらなかったので削除しましたが,2つの速度とそこから生じる大量の画像の蓄積とのあいだで「イメージの中の手触り」が生じるのではないかということも書いていました.「イメージの中の手触り」というのは「MASSAGE」にヌケメさんが寄稿したインターネットとファッションとの関係を解説したテキストにあった言葉です.響きがいい言葉です.なので,どうしても使いたかったのですが… ヌケメさんとは異なる観点から「イメージの中の手触り」が生じる,まさにその状況を考えるのがとても難しかく,挫けました. インターネット・カルチャーのなかのアーティストのインタビューや ヌケメ さんのファッション記事が読める「 MASSAGE 」を是非,読んでみてください! −− 以下,ボツテキストです. カレントコンテンツのテキストの「歴史」「スピード」のあとに書いていてものになります. 手触り ニューヨーク在住のAlexander Gibon氏がスウェットやTシャツの画像にグラフィックを貼りつけた作品を大量に上げたTumblrのプロジェクト「 Bad smelling boy 」.Alexander Gibon氏は制作したグラフィックを洋服に貼りつけて発表することに対して,それは「アート」でも「ファッション」でもない「どこにも属していないもの,実際に存在していないものに属することは,とても健康的なことだと思ってる(p.103)」と述べている. グリッチ刺繍で有名なヌケメ氏は,Gibon氏のプロジェクト「Bad smelling boy」を含めて,インターネットとファッションとの関係を論じている.その論...

お仕事:インディペンデント・カルチャー・マガジン「MASSAGE」に短いテキストを書きました

イメージ
「インターネット・カルチャー」を特集したインディペンデント・カルチャー・マガジン「 MASSAGE 」の第9号に,テキスト「『新鮮な暗闇』に立ち向かうためのユーモア」を書きました.テキストはアーティストのライダー・リップスさんの2つの作品《 Refreshing Darkness 》(2013)とパフォーマンス「 Hyper Current Living 」(2013)を1000字程度で論じた短いものです.また,ライダー・リップスさんへのインタビューの質問もいくつか考えました. メディア芸術カレントコンテンツの「 平成25年度[第17回]文化庁メディア芸術祭「アート部門」受賞作品 」という記事で明貫紘子さんが現代美術とメディアアートがそれぞれの前提から解放され,入り交じるようになってきたと指摘しているけれども,上のテキストでは,現在のインターネット上の表現はこのふたつのアートの潮流から少し離れたところにありそうかなということを書いています.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_15

記事を書きました→ OKFocusが顔文字ジェネレーター「Newmoticons」を発表 ლ,ᔑ^人^ᔐ.ლ メディア芸術カレントコンテンツ に「顔文字」についての記事を書きました.記事に書いたように「顔文字」も興味深いのだけれど,取り上げたふたつのプロジェクトを行っている人たちがデザインとアートの領域を跨いで活動していることもまたとても興味深いです. -- 今回の記事では取り上げようとした「おおがきビエンナーレ 2013」で開催された渡邊淳司さんと秋庭史典さんのトーク「〈生命〉を感じる体験デザイン」は記事にまとめるのが難しくて断念.自分のブログに書こうと思っています.

メモ:VIlem Flusser "Into the Universe of Technical Images"

イメージ
Into the Universe of Technical Images (Electronic Mediations) ヒトとコンピュータとの複合体としてメディアをより精緻に考えるべきだとフルッサーは考えていたと,マーク・ポスターは述べつつ,ドゥルーズもメディアを考えてこなかったとしている. -- テキストとイメージが交代すると二次元的な情報になる. 次元をもたない画像とポスト歴史→「貧しい画像」に囲まれているというのはまさにポスト歴史なのかもしれない.いやいや画像に「深さ」を求めるをやめるべきだとライダー・リップスなんじゃないの.そこに見えているものだけだし,そこにユーモアがあるかどうかでしょ. テクノ画像がもっている幻覚的な力←これどういうことなのかもう一度読んでみるべき. 機能のための粒子・パーティクル.粒子の計算.ピクセルの計算. 「見えない可能性」から「見えている起こり得ないこと」へ.これは大きな変化←と書いたけれど何が大きな変化なのだろうか.「見えない可能性」を探ることをやめようとすることには賛成.「見えている起こり得ないこと」って,CGとかの表現なのだろうか.それもそうだけれども「手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い」みたいな感じもありだとすると,the Joggingが日夜上げている画像のようなものになるし,それが「深さ」ではなく「ユーモア」で考えることができるとすると面白いのかもしれない. インターネットがコピーを誘う.誘惑された認識と選択. ヒトとコンピュータとの複合体から生まれる表象←これをあたり前に見てきた世代・状況としてのポスト・インターネットと考えてみてはどうだろうか? 「分解」と「構成」というふたつの相反する要素をもつテクノ画像. 作品(手),イデオロギー(眼),物語(指)を従えるコンピュータ・プログラム.テクノ画像の時代=世界実装の時代. ボタンのひと押しが「公私」の区別を破壊する!→リブログというボタン! ボタンを押し続ける→脳の構造→Tumblr! 空白に投射されるイメージ.空白ゆえのコピーなのではないだろうか? 「鏡のようにプログラムされている」だから,壊すと「本質」が生じる.世界をただ映し出しているだけではそれは世界のコピーでしかない.壊れることで世界が壊れ...