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デジタル時代の物質性 あるいは 単にPhotoshopのブラシ あるいは 単にブラシ

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スライドのPDF https://drive.google.com/file/d/0B3RHXdLnqTi-VTAxenZPZUtuWFE/view?usp=sharing 第2回 新/視覚芸術研究会 「デジタルメディア時代の視覚と世界変容。出来事、記憶、身体の行方」 のスライドです.問題提起のタイトルに「あるいは 単にブラシ」が追加されました. 発表で扱う(だろう)リンク Panther Modern http://panthermodern.org/index.html http://panthermodern.org/roomtwo.html Artie Vierkant_Image Object http://www.artievierkant.com/imageobjects.php Tabor Robak http://www.taborrobak.com/2014/ エキソニモ_Body Paint (series) http://exonemo.com/works/bodypaint/?ja Houxo Que https://www.flickr.com/photos/day_and_night/with/18005014420/

告知:第2回 新/視覚芸術研究会 「デジタルメディア時代の視覚と世界変容。出来事、記憶、身体の行方」

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8月22日に「第2回 新/視覚芸術研究会」で「デジタル時代の物質性あるいは単にPhotoshopのブラシ」というタイトルで話します.このタイトルはオンラインギャラリー「 Panther Modern 」の展示室2 EVA PAPAMARGARITI さんの展示作品に書かれていた英語を日本語にしたものです. この言葉を手掛かりに以下の作品を紹介しながら,デジタル時代の「ディスプレイ」のあり方を考えてみたいと思っています. エキソニモ《Body Paint – 46inch/Male/White》 2015 Houxo Que 《16,777,216 views》2015 Tabor Robak《A*》2014 Artie Vierkant《Image Object Tuesday 20 January 2015 4:24PM》2015 −− 第2回 新/視覚芸術研究会 「デジタルメディア時代の視覚と世界変容。出来事、記憶、身体の行方」 ■テーマ 視覚文化のデジタル化はこれまでの「見ることの意味」を侵犯しただけでなく、脱領土化をもたらした。電子化された映像が世界の隅々に行き渡れば、場所、身体、時間といった概念は変化せざるを得ないだろう。オリジナルとコピーの区別はすでに消滅して久しいが、作者と作品という関係が無効されるこうした文化状況は、身体そのものを集合的なものへと再編する契機となるのだろうか。さらに高精細度映像の進展はヴァーチャル化した世界を新たな段階へと押し上げるのかもしれない。出来事、記憶、身体のあり方はどこに向かうのか。変容の過程における視覚文化を再読する。 ■日時 2015年8月22日(土) 13時~18時 ■場所 デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO) 〒651-0082 兵庫県神戸市中央区小野浜町 1-4デザイン・クリエイティブセンター神戸 078-325-2201 (JR三ノ宮駅からフラワーロードを南へ徒歩約10分) ■タイムスケジュール 13時00分 開会ご挨拶 13時10分 土屋誠一 沖縄県立芸術大学 14時10分 前田真二郎 情報科学芸術大学院大学 15時10分 松木綾子 甲南女子大学大学院修士課程 1

アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(3)

IDPWによるインターネットヤミ市 のS*の%tが起こります.やったのに慣れていない.いくつかの小さなオフ手渡した民間のコメントはSNS系難戦争になったときのように.または十分に得ていないの心配を「いいね」.誰かが訴えのでYouTubeのビデオは,あなたはもう見ることができない.これらはアップルによって拒否されたためか,アプリはあなたが再生することはできません.むかしたら,インターネットは「自由」のための場所になるはずだった.今日ではそれはとても緊張したのです. それでは,オフにログアウトし,現実の世界に,立ち寄ってみましょう.インターネット闇-ichiが「ブラウジング」対面のためのフリーマーケットです. あなた自身のインターネットの自由は私たちと,ここに*取る. *しかし,誰に危険や違法品,してください!この闇市場は,自由で便利なままにしたい![8]【google 翻訳による翻訳】 インターネットヤミ市(ブラックマーケット*)はリアルで「インターネット的な」ものを扱う,対面方式の蚤の市である.蚤の市とインターネットはともにすばらしいものと役に立たないものを狂信的で秩序なくミックスしている.インターネットヤミ市には,私たちにインターネットをもたらした意志と欲望とかつて私たちがインターネットのなかで見つけた意志と欲望がともに救い出されて,ソーシャルな空間で共有される.インターネットの「バズり」は次第に消えていくなかで,私たちは一緒にインターネットの残光をオフラインで体験する. *日本語の「ヤミ市」は英語に直訳すると「ブラック・マーケット」であるけれど,「ヤミ」は別表記で「病む/中毒」といった意味も持つ.そのため,より正確に英訳すると「インターネットにとり憑かれたマーケット」となるだろう.このマーケットは危険なものや違法なものは扱わない.ヤミ市は明るいマーケットである.[9]【水野による翻訳】 IDPWは1914年に創設された秘密結社であり,インターネットヤミ市のオーガナイザーである.インターネットヤミ市はインターネットを経由したリアルな場所の価値に対する考察であり,「インターネット的な」という感覚をリアル空間にダウンロードするために使われる場所である.インターネットヤミ市ではインターネットとフィジカルな空間との関係が捻れて

アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(2)

DISによるDISOWN 「DISOWN─すべての人のためではない」は小売店を真似たアートの展覧会である.あるいは,その逆かもしれない.ファッションでH&Mのためのカール・ラガーフェルドのディフュージョンラインがあるように,DISOWNはアートでのディフュージョンラインになる.嗜好と消費至上主義を考えるために,DISOWNは文化的批評としてあたらしいモデルを提示する.Ryan Trecartin,Jon Rafman,Bjarne Melgaard,Amalia Ulman,Telfar and Hood By Air (HBA)といった30組以上の世界的に著名なアーティストの作品を展示して,DISOWNはアーティスト・Lizzie Fitchによる小売店のインスタレーションとして展開される.アートコレクティブ・DISとキュレーターのAgatha Waraは1ヶ月に及ぶ展示を,3月6日からニューヨークのRed Bullスタジオで開始する[5]. ニューヨークを拠点にするDISはオンラインマガジンのDIS Magagineを刊行してポストインターネット的価値観を表現しているアートコレクティブである.「ポストインターネット」とはもはやインターネットとフィジカルな世界とのあいだにちがいがなく,すべてがインターネットなのである! という考えである.DISの活動の大半はインターネットであるけれど,このアートコレクティブはその活動がリアルで行われようが,インターネットで行われようが気にしていない.例えば,DISOWNはニューヨークのRed Bullスタジオで行われるし,彼ら・彼女らは2016年のベルリン・ビエンナーレのキュレーターに選出されている.フィジカルとインターネット双方において,DISは世界中にポストインターネット的価値観を拡散しようとしている.しかし,「DISOWN─すべての人のためではない」という展覧会が示しているようにポストインターネット的価値観はすべての人ためのものではないのである.この捻じれ自体がインターネット発のあたらしい価値観を示している. グループ名の接頭辞「dis-」が示しているように,DISは既存のヒエラルキーと権力を批判し続ける.「インターネット」という言葉は大抵「リアルよりも劣った空間」や「悪ふざけの場所」といったよ

デジタルな現象をそのまま扱うということは,モダニズム的な態度

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ucnvさんとのトークで「アーティ・ヴィアーカントの画像はそこにあったものをそのまま映していて,そこで生成されているわけではない」というようなことをucnvさんが言ったことがずっと気になっている. ヴィアーカントのイメージオブジェクト で展示の記録として撮影された画像は,そこで起こっている現象をそのまま記録している.もちろん3次元を2次元に変換するときの欠損はあるけれども,それでもそこで起こっている現象をそのまま記録している. その後,Photoshopでその画像が加工される.このときヴィアーカントはスタンプツールを主に使って,その展示会場で一度記録された色情報以外のものを使っていないということを,ucnvさんの指摘で気付かされた.これはとても大切なことような気がしている.展示空間を記録して,それを加工しているというのはこれまでの写真の見方で,ヴィアーカントは展示空間をスキャン=撮影して,デジタル化して,色情報が集積された平面にしていて,そこにもともとある色情報のみを使うことをルールにしているのかもしれない.スキャンというデジタルの現象をそのまま扱う.そこで生まれた情報のみを扱うという感じだろうか.スキャンによって空間を色情報をもった平面=テクスチャに変換する.そこでは空間や作品画像といった区別はなくなり,すべてが色情報になる.ただ,そこにあるもの以外は使えない.一度のスキャンという現象でうまれる情報だけを扱うこと. 「Vacant Room」での360度写真で感じたことは,見えない部分が生まれるということ.それは一度では見ることがなくなる.「フレームの外」が生まれること.現実も視点からしょうじる視界フレームによって「フレームの外」が生まれる.写真は「フレームの外」をなくして,「フレームの中」だけにする.360度画像には「フレームの外」がある.この感じが,空間をスキャンして色情報として「フレームの中」に閉じ込めるヴィアーカントのイメージオブジェクトと似ている. 「フレームの外」を感じさせる「Vacant Room」と「フレームの中」だけの「イメージオブジェクト」が似ているというはどういうことか.似ているというよりも,それが両立し得るのがデジタルという現象なのではないか.「Vacant Room」のとなりに「イメージオブジェクト」があっても,

アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(1)

A relationship between the Internet and the physical for the art の日本語訳.英語版からだいぶ変更されています. −− アートにおけるインターネットとフィジカルの関係 水野勝仁/甲南女子大学 アブストラクト Julian Stallabrassは「ネットアートの美学[The Aesthetics of Net.Art]」で「インターネットアートの『オブジェクト』は従来のアートのオブジェクトから遠く離れたものであり,それらは劣化なしで複製できるだけでなく,伝送のコストもほとんど無料になっている」と指摘している.この論点はアートの物質性に関わるものである.インターネットの非物質性は物質に基づいたアートワールドを混乱に投げ入れた.私はこの論考でインターネットとフィジカルの関係という観点から,アートワールドで生じている混乱を論じていきたい.そのために,Winkleman Galleryによる「Send me the JPEG」展,DISによるDISOWN,IDPWによるインターネットヤミ市という3つ事例についての考察を行う.最初に,「Send me the JPEG」展がインターネットとフィジカルという二項対立の複雑性を示していることを明らかにする.次に,DISOWNがネットとフィジカルの二項対立を克服し,それらが重なり合う領域に「ポストインターネット」というあたらしい価値をつくろうとしていることを指摘する.最後に,インターネットヤミ市がネットとフィジカルの二項対立をジョークで笑い飛ばしながら,それらの重なりからはみ出た領域を組み直して「インターネットっぽさ」という感覚を現実世界にダウンロードして,インストールしていることを示す. イントロダクション Julian Stallabrassは「ネットアートの美学[The Aesthetics of Net.Art]」で「インターネットアートの『オブジェクト』は従来のアートのオブジェクトから遠く離れたものであり,それらは劣化なしで複製できるだけでなく,伝送のコストもほとんど無料になっている(もしくは,いやむしろ,一度初期投資をしてしまえば,個別の伝送のごくわずかなコストはゼロに近い).もちろん,安価に複製可能な芸術的なメディア

A relationship between the Internet and the physical for the art

I presented my paper about the Internet Yami-ichi at Dubai, ISEA2014 . Although the conference proceeding is editing now, it would not be published before World Wide Internet Yami-ichi week .  So, I publish my paper here. I hope my paper will be a starting‐point for the discussion about the Internet Yami-ichi. Let's join the Internet Yami-ichi and study it!  -- A relationship between the Internet and the physical for the art Masanori Mizuno Konan Women’s University Abstract      In 'The Aesthetics of Net.Art,' Julian Stallabrass described, "The ‘objects’ of Internet art are far from being conventional art objects. They are not only reproducible without degradation but are almost free to transmit." This point is concerned with the immateriality of art. The immaterial nature of the Internet throws the art world into confusion. I want to show the confusion of the art form the viewpoint of the relationship between the Internet and the physical. I wil