アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(2)

DISによるDISOWN
「DISOWN─すべての人のためではない」は小売店を真似たアートの展覧会である.あるいは,その逆かもしれない.ファッションでH&Mのためのカール・ラガーフェルドのディフュージョンラインがあるように,DISOWNはアートでのディフュージョンラインになる.嗜好と消費至上主義を考えるために,DISOWNは文化的批評としてあたらしいモデルを提示する.Ryan Trecartin,Jon Rafman,Bjarne Melgaard,Amalia Ulman,Telfar and Hood By Air (HBA)といった30組以上の世界的に著名なアーティストの作品を展示して,DISOWNはアーティスト・Lizzie Fitchによる小売店のインスタレーションとして展開される.アートコレクティブ・DISとキュレーターのAgatha Waraは1ヶ月に及ぶ展示を,3月6日からニューヨークのRed Bullスタジオで開始する[5].

ニューヨークを拠点にするDISはオンラインマガジンのDIS Magagineを刊行してポストインターネット的価値観を表現しているアートコレクティブである.「ポストインターネット」とはもはやインターネットとフィジカルな世界とのあいだにちがいがなく,すべてがインターネットなのである! という考えである.DISの活動の大半はインターネットであるけれど,このアートコレクティブはその活動がリアルで行われようが,インターネットで行われようが気にしていない.例えば,DISOWNはニューヨークのRed Bullスタジオで行われるし,彼ら・彼女らは2016年のベルリン・ビエンナーレのキュレーターに選出されている.フィジカルとインターネット双方において,DISは世界中にポストインターネット的価値観を拡散しようとしている.しかし,「DISOWN─すべての人のためではない」という展覧会が示しているようにポストインターネット的価値観はすべての人ためのものではないのである.この捻じれ自体がインターネット発のあたらしい価値観を示している.

グループ名の接頭辞「dis-」が示しているように,DISは既存のヒエラルキーと権力を批判し続ける.「インターネット」という言葉は大抵「リアルよりも劣った空間」や「悪ふざけの場所」といったように否定的な意味で使われることが多い.しかし,DISはこの一般的通念を逆手にとって,「所詮,インターネットでやっていることだから…」といった感じで「インターネット」という言葉を免罪符のように使って,既存の価値観を徹底的に批判していく.だからといって,DISは伝統的な価値観をただ批判して叩くことを目的としているわけではない.彼ら・彼女らはリアル世界がつくってきた絶対的価値観をインターネット的価値観と対峙させて,相対化しようとしているのである.DISはインターネット経由で既存の価値観を批判し続けて,リアルとインターネットとが重なり合う領域を,ネットとリアルとを等価値に扱う「ポストインターネット」というあたらしい価値観で上書きしていく.最終的には,DISはリアルとインターネットの双方が互いのオルタナティブではないような関係を創造することを目指している.それはインターネットがアクセスするものではなくなり,現象としてただそこにあり,出来事としてただそこで起こり,行為としてただ為される状態になったという意味での「ポストインターネット=インターネットの後の世界」になるだろう.

DISはポストインターネット的価値観を拡散するためにあらゆる方法を使って至るところで,その価値観をテストしている.その試みのなかで,DISOWNは「アートオブジェクトの現在の状態をテストする小売店のプラットフォームとラボ」[6]の機能を果たしている.マルチメディアアーティストのGabby Bessは「この展示はアートワールドの既存のヒエラルキーを混乱させて,伝統的なアート経済の外側で機能することを目指すというDISの特色を巧みに表現している」[7]と指摘している.Bessが指摘するように,DISOWNは,最初,リアル世界の小売店という形式を採用することでアートワールドが長年採用しているギャラリーでの展示販売方式を批判ている.その後,リアル店舗の弱点である地理的・時間的制約をもたないオンラインストアに移行して商品を継続的に売り続けて,ギャラリー展示以外でアーティストが継続的に作品を売ることができるあたらしいフォーマットにしている.DISOWNはリアル展示を行うことでポストインターネット的価値観をフィジカルな場所に持ち込み,伝統的なアートワールドに強い印象を残した.その後,インターネットに戻ってオンラインストアを開設し,ポストインターネット的価値観を継続的に示している.この戦略は,DISがインターネットを「目的」としてではなく,単にポストインターネット的価値観を拡散するためのひとつの「手段」として使っていることを示している.DISはネット発のあたらしい価値観を拡散するためにインターネットを最大限利用しているのである.

Ryan Trecartin,Jon Rafman,Amalia UlmanをはじめとしてDISOWNに参加しているアーティストは,各自がギャラリーで展示している作品のテイストをDISOWNの商品に反映させている.けれども,DISOWNの商品は30ドルから4,800ドルで売られていて,ギャラリーで販売される作品よりも価格設定が安くなっている.ギャラリーとDISOWNの関係性を考えると,アーティストはDISOWNにギャラリーに展示している作品と同じようなテイストの作品を提供しているけれど,価格面から考えるとギャラリーでの作品の方が優先度が高いことが伺われる.このように考えると,DISOWNはDISが規定する通り既存のアートワールドのディフュージョンラインにみえる.しかし,本当にそうなのだろうか?

DISOWNで売られている商品は,アートギャラリーでより高値で売られていても全くおかしくないものである.ポストインターネット的価値観を体現しているアーティストたちは,伝統的なアートワールドで彼ら・彼女らの作品を展示して,売っているにもかかわらず,DISと協力して「DISOWN」というもうひとつのアートの商業システムをつくっている.さらには興味深いのは,ポストインターネット的作品もDISOWNの商品もTumblrに溢れるコピー・アンド・ペースト的テイストの画像の強い影響下にあるということである.Tumblrという観点からアートワールドをみてみると,まずはじめにTumblrに画像が溢れていて,そこからTumblrの画像のようなアート作品が制作されて,それらがギャラリーに展示されることなる.そして最終的に,それらはDISOWNに展示されているような手頃な価格の商品となる.この流れは,インターネットからはじまって,インターネットで終わっている.アートギャラリーはそのあいだに少しだけ現われるフィジカルとネットの接地点として機能している.既存のアートワールドはその性質ゆえにそこでの作品の価値を高く付けざるを得ないのかもしれない,このような観点から見ると,リアルとネットの瞬間的な接地点という貴重性ゆえに,そこに現われる作品は価値が高いともいえる.しかし,価格ではなく,価値観の拡散ということを考えると,Tumblrに溢れる画像とその後のDISOWNの方が強い影響力をもっている.ポストインターネット的価値観はインターネットではじまり,ほんの少しフィジカルを経由して,インターネットで終わる流れを示す.そして,その貴重なフィジカルな接地点でもインターネット発の価値観が強く示されている.この流れのなかでは「すべてがインターネット!」になっている.しかし,その流れでフィジカルを担うアートワールドの存在感はインターネット上では薄い.「アートワールド」という権威はインターネット/Tumblr上では容易に抜け落ちてしまう.そこで,DISは伝統的アートワールドでトリックスター的な扱いのポストインターネットのアーティストと共同で,フィジカルにポストインターネット的価値観をより強く刻みこむ場として,アートワールドとは別ラインでインターネットをフィジカルに接地させるDISOWNをつくったと考えられるのである.

DISはポストインターネット的価値観をインターネットとリアル双方で試しつつ,インターネットを使って既存のアートワールドに反抗している.ここでは,フィジカルとインターネットという二項対立が,伝統的・物質的アートワールドと非物資的カルチャーを表現するポストインターネット的価値観との対立に変わっている.だから,DISはポストインターネット的価値観を拡散するためには,フィジカルな展示だろうとインターネットの展示であろうと問題せずに次々に展示を行ってきたのである.リアルとインターネット両方を使って,DISはアートのディフュージョンラインとしてポストインターネット的価値観をもったアートを普及させていく.その結果として,ディフュージョンラインがコレクションライン=既存のアートワールドよりも重要な位置を占めることを狙っている.DISはインターネット発の「ポストインターネット」という価値観を広めていくことで,アートワールドにあたらしい秩序をつくろうとしているのである.

Winkleman Galleryによる「Send me the JPEG」展はインターネットの非物質性に両義的な感覚を示していたけれど,DISはそのインターネットの特質をそのまま使ってポストインターネット的価値観を拡散している.DISはインターネットによって引き起こされたアートワールドの混乱を乗り越えるだけでなく,その混乱に乗じてポストインターネット的価値観に基づいたあたらしい秩序をつくろうとしている.そのひとつの試みがDISOWNのリアル展示であり,その後のオンラインストアの展開なのである.DISはフィジカル空間とインターネットの二項対立を超えた全くあたらしい価値観を示して,私たちに「インターネットのあたらしい価値観についてこれていますか?」と問いかけている.だから,DISOWNのスローガンは「すべての人のためではない」なのである.

参考文献・URL
5. DIS, DISOWN at Red Bull Studios, http://www.redbullstudios.com/newyork/events/disown [Accessed 2nd, August 2015].
6. About DIS, http://dismagazine.com/about/ [Accessed 2nd, August 2015].
7. Gabby Bess, DISOWN Blows Away The Boundaries Between Art And Commerce, http://www.papermag.com/2014/03/disown_art_show.php [Accessed 2nd, August 2015].

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