「ユリイカ2025年6月号 特集=佐藤雅彦」で佐藤雅彦さんへのインタビューの聞き手をしました

 

インタビュー「よく考えるとすごく変」の扉

ユリイカ2025年6月号 特集=佐藤雅彦」で佐藤雅彦さんへのインタビューの聞き手をしました。編集の熊谷さんがつけたタイトル「よく考えるとすごく変」がとても気に入っています。

佐藤さんへのインタビューのためのリサーチページの記録を見ると、熊谷さんからメールが来たのが5月16日だった。午前中に作業をしていたら、メールが来て、佐藤さんへのインタビュー!?、私でいいのかとドギマギして、午前中の作業は吹っ飛んだ。

「佐藤雅彦」といえば、私にとって憧れというか、「とてもすごい人」だった。その人にインタビューするのか、私が…  論考なら書けるかもしれないけど、インタビューできるのか…  私がやったことがあるインタビューといえば、科研の研究でしたアーティストの山形一生さんへのインタビューだけで、しかも山形さんは全く知らないわけではない間柄でやったインタビューだから、私は仕事としてのインタビューはしたことないぞ、それでいいのか… 、と、ぐるぐると考えた結果、依頼を受けることにして、正午過ぎに熊谷さんに返信した。

メールを読んで、佐藤雅彦さんへの聞き手の依頼は大変うれしくもあり、熊谷さんがしっかりと理由を書いているのを読んでもなお「なぜ私?」という気持ちもありました。しかし、私が聞き役とし適任だろうと思い浮かべた人たちはみんな企画の中に名前がありました。彼ら彼女らの論考は私自身も読みたいので、聞き手は別の人だなと思うと、私が聞き手になるというのも意外性があって面白いのではないかと、気持ちが落ち着きました。

メールにも書いたように、インタビューを受けた一番の理由は、聞き役として適任だろうと私が考えた人たちは、みんな論考やエッセイの執筆に名前が挙げられていたからということであった。いや、それは表向きで、一番の理由は、やはり佐藤さんに会ってみたかっただろうな。

インタビューの聞き手を引き受けた5月16日から、私は「佐藤雅彦合宿」に入った。というのも、佐藤さんの仕事は膨大にあるのと、インタビューの依頼が「これまでの活動の一つ一つを照らし出していくようなご質問」をすることだったから。佐藤雅彦関連の本を研究室で探したら、結構あって、ないものは大学の図書館で借りたり、Amazonで購入していった。そして、片っ端から読んでいったり、映像を見たりしていった。

「佐藤雅彦合宿」をしているとき、何度も「なんでこの仕事を受けたのか」という気持ちが何度もやってきた。知れば知るほど、佐藤さんの仕事は膨大だから、それを1時間半のインタビューでどう聞き出せばいいのかに悩んだ。論考だったら、「ここが自分にとっての謎」を見つければ、そこを一点突破すればいいが、インタビューはそうはいかない。今回は特に、これまでの活動を聞くことであり、自分の考えを示すのではなく、佐藤さんの考えを聞くことが仕事だから。自分はインタビューの聞き手として向いてないのではないかと思いつつ、「佐藤雅彦合宿」をずっとしていた。

6月5日の今回の特集で「主要著作解題」をしている大林寛さんと、Zoomで相談をした。お互い、対象が広すぎて不安だったのが面白くて、色々と話して、気分が楽になったので、大林さん、ありがとうございます。

そんな感じで、不安と共に合宿をしていたけど、佐藤さんの本を読んでいくと、とてもゾワゾワする体験が何度もあって、その体験を率直に話して、佐藤さんに話を聞くことに決めたら、なんか覚悟が決まったようになって、準備が面白くなった。

@2025年6月9日 9:41 インタビュー方針
佐藤雅彦さんのインタビューは、私が作品を体験してゾワッとしたやつを起点に全て話を始めていくようにする。

インタビュー方針を決めた後に、私は佐藤さんが『新しい分かり方』に書いていた「中途半端な分かり方」に取り憑かれてしまった。何を考えても、このことと結びつけて考えてしまうようになって、とても困って、今でもそうだけど、思考が開ける感じがして楽しい。

どちらを選んだのかは 分からないが、 どちらかを選んだことは はっきりしている。『新しい分かり方』p. 111
『新しい分かり方』p. 111

私は中途半端な分かり方に取り憑かれて、次のようなメモを書いた。

@2025年6月12日 17:09
どちらかを選んだ。その情景を想像させる。佐藤雅彦さんは私たちが想像してしまう中途半端な部分をCMにしていた。いや、CMを企業と私たちと結ぶ中途半端な部分において、想像上の選択と一致させてしまったのかもしれない。そして、その後の表現では、想像上の選択を文字通り私たちに想像させる方法をとって、作品を作り、体験を作っている。

このメモを書いたとき、佐藤さんの表現が「こわい」と思ったことを覚えている。このような表現をつくる人の考えと向かい合うには、何かが必要だと思い、私はその何かとして、入不二基義さんの『現実性の極北』を選んだ。

@2025年6月15日 12:44 見えない表象そのものが現れる力
入不二さんの『現実性の極北』を読み始めた。どんどん読んでしまう。読んでしまわないと先に進めない気がする。佐藤雅彦さんの作品体験にも通じるところがある。佐藤作品体験で見えない部分を見てしまう、否応なく、誰もがそれぞれ見てしまうあの表象を考えるためには、入不二さんの哲学、動的な哲学がなければならないと思う。なんだろう。あって、それを体験しているけれど、その体験を言語化できない。佐藤さんはそこに至るまでのことをとても丁寧に言語化してくれているから、高い精度でその表象を改めて体験できるけれど、その表象そのものの現れる力はわからない。その力を入不二さんは記述してくれているような気がする。

私が佐藤さんにインタビューする6月30日まで、あと2週間くらいのときに、入不二さんの『現実性の極北』を読み始めた。佐藤さんの著作や作品をあらかた体験して、そこで謎になっている部分を考えて、記述するために、私は入不二さんの哲学に助けを求めたのであった。

そうこうしているうちに、インタビューが近づいてきたので、インタビュー案を作成して、熊谷さんとZoomで打ち合わせをした。

当日のインタビューで叩き台にしたメモはこちらです。

このインタビュー案を見ながら、当日インタビューをして、佐藤さんの返答を聞きながら、メモを書いた。佐藤さんは質問一つ一つに、じっくりと考えて、自分が作ったものを見せながら、回答してくれた。佐藤さんのレクチャーを受けているようで、楽しかった。

インタビューで、私は「中途半端な分かり方」のことが聞きたくて、時間配分も考えずに多くのことを聞いてしまった。そして、「「どちらか」の道ではなくて、真ん中を突っ切ることもできますよね」という質問をした。「つまらないですよね」と、佐藤さんは即答した。そのことをインタビューが終わった後も考えて、自分が「つまらない質問」をしてしまったと思った。

@2025年6月30日 22:36
佐藤さんの「どちらを選んだのかはわからないがどちらかを選んだことははっきりしている」は、入不二さんの円環モデルに時間を取り入れたものなのではないだろうか。この形しかあり得ない。気泡のようにこのかたちしかあり得ない。つまらない質問をしてしまった。そして、このことをテキストに書きたい。私はまだ佐藤さんのあの図に惹かれてしまっている。

無数の選択肢は面白くない。最小限の選択肢で「はっきり」とした表象をつくる強さがないと「現に」を成立させる力にはならない。空を飛んだとしても、それは可能性が増えただけであって、この図が示している面白さには何もプラスしない。この図は「どちらかを選んだことははっきりしている」ということが重要。時の流れとともに、現れては消える、脳・意識で編集されて現れる表象の強さが重要になってくる。ああでもないこうでもないでもなく、否応なく辻褄合わせをしてしまう、編集してしまう。その強さが重要なのだ。

インタビューが終わったあとも、そこで聞いたことを色々と考え続けている気がしていて、私は熊谷さんへのお礼のメールを次のように書いていた。

佐藤さんが時間ギリギリまで話してくれて、図録のテキストとは異なる角度でこれまでの表現を話してくれたのが印象的でした。

帰りにあらゆることを自分の外に置いて、それらを適宜使って表現をしていくということを徹底していて、表現するために自分は「空」であり続けるという感じがしました。そのような人は見たことないなと思いました。「空」にするための表現のために必要なことを「ルール」や「トーン」、まだ言語化されていない「何か」として外に出しておく。「トーン」や「呪術性」は他者が言ったものを自分のものとしながら、自分の外に置いておく。

「人が作ったものでしかない」という表現も印象的でした。人以上の存在が作るために「場」をつくって、場が生み出す「状況」が表現をするということを感じて、こちらも「佐藤雅彦」という人が出てこない。そこから、私は入不二基義さんの『現実性の極北』で扱われる「空集合」を感じました。「空集合」として振動し続けて、表現をし続ける「佐藤雅彦」とはなんなのかという興味を改めて強くしました。

インタビューして、佐藤さんのことを少し知れたと思ったのに、一晩経つとさらに謎が深まってというか、「佐藤雅彦」という存在そのものの底の知れなさと書くと「普通ですよ」と返されると思いますが、佐藤さんに「表現のための無」のようなものを感じて、インタビューする前よりも佐藤さんのことがわからなくなりました。

聞き手がこのような状態になっているので、構成は大変になっているのではないかと思います。申し訳ないです。構成、頑張ってください!!

 「佐藤雅彦合宿」をしたのに、「佐藤雅彦」は更なる謎として、わからなくなってしまった。そんな状態のインタビューを、熊谷さんが見事にまとめてくれたのが「よく考えるとすごく変」です。「ユリイカ2025年6月号 特集=佐藤雅彦」で読んでください!!!

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