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日本映像学会の会報198号(PDF版)に発表の報告文が掲載されました

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日本映像学会の会報198号(PDF版)に日本映像学会第49回大会できりとりめでるさんと共同で発表した「 「モノとディスプレイとの重なり」の振り返りから考える日本のポストインターネット・ アートにおける「ディスプレイ」の役割 」の報告文が掲載されました. 会報198号(PDF版) https://jasias.jp/wp-content/uploads/2023/10/JASIAS_NewsLetter198.pdf

日本映像学会第49回大会での発表:「モノとディスプレイとの重なり」の振り返りから考える日本のポストインターネット・ アートにおける「ディスプレイ」の役割

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6月11日(日)に日本映像学会第49回大会できりとりめでるさん(@kiritorimederu)と「「モノとディスプレイとの重なり」の振り返りから考える日本のポストインターネット・ アートにおける「ディスプレイ」の役割」というタイトルで発表しました.過去に書いた自分の連載を振り返るというレアな発表でしたが,きりとりさんによる考察とアーティストへのアンケートによって,とても充実したものになりました. きりとりさんが2014〜2016年に発表された「ディスプレイに着目した作品」の展示情報を調べてくれて,その中に私の連載「モノとディスプレイとの重なり」を位置付けてくれました.そこで,きりとりさんが私のテキストを簡潔にまとめてくれた言葉が私には新鮮だったので,きりとりさんの言葉を通して,改めて,自分のテキストを考える時間となりました. アーティストには全部で8つの質問をしました.発表では全部扱うことはできないので,一つの項目の回答のみを扱うことにしました.アンケートに対しての考察もしたのですが,アンケートの回答を読むだけでも,2010年代の一時期にディスプレイを用いた作品をつくっていたアーティストがディスプレイに対してどのような意識を持っていたのがわかるものになっていると思います. 発表資料です. きりとりさん発表資料 / 水野発表資料 発表は終了しましたが,この後,アンケートのまとめやアンケートを考察したテキストを掲載した「 パンのパン 」が出ます.きりとりさんによる編集を,私はテキスト執筆を引き続き頑張ります💪

💋《Body Paint〉で「ニュッ」と出てきた映像から《キス、または二台のモニタ》を考えてみる😘

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エキソニモ《 Body Paint 》を見る体験の流れを考えてみる. - 一部を絵具で塗りつぶされたモニタを見る  - モニタのフレームのなかに絵具を見る    - 通常はフレームで区切られた表面にはピクセルの光が存在する      - フレームのなかの表面にピクセルの光と絵具というモノが混在する        - 光とモノとのあいだで,見ている人の認識に混乱が生じる          - モニタの表面から「ヒト」がニュッと出てくるように見えてしまう 畠中 ディスプレイに映し出される人体の背景をペイントで塗りつぶしてしまうエキソニモの作品《Body Paint》(2014)も,そもそもディスプレイという,そこに映っているものに没入させる機能があるものを実体化させる行為だったと思います.そうすることで,実体が,映像であるはずですが,ディスプレイの向こうからニュッと出てきてしまう.そういうメディアとオブジェクトのあいだをすり抜けて映像が立ち上がる作品で,とても秀逸な作品だったと思います.p.94  メディア・アート原論 あなたは、いったい何を探し求めているのか?,久保田晃弘・畠中実編著 さらに,《 Body Paint〉で「ニュッ」と出てきた映像から《 キス、または二台のモニタ 》を考えてみる - モニタの表面から「ヒト」がニュッと出てくるように見えてしまう  - 2台のモニタを重ねたら,ニュッと出てている二人のヒトはキスできてしまう    - 実際にはモニタが重なっているだけれども…      - モニタ一面に表示された顔(フェイス)を考えて見る        - モニタの表面(サーフェイス)が映像に覆われてヒトの顔(フェイス)になる          - Body Paintのように「ニュッ」と映像が実体化していると感じるのではないか? ...

MASSAGE連載12_ディスプレイなきディスプレイ場/ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》

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MASSAGEでの連載「モノとディスプレイとの重なり」の第12回「 ディスプレイなきディスプレイ場/ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》 」が公開されました. 「モノとディスプレイとの重なり」と題して書いてきた連載ですが, ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》を取り上げた 今回は「ディスプレイ」は出てきません.代わりに出てくるのは「穴」や「影」といったモノのようでモノでなくて,モノに依存しているような存在です.ディスプレイはイメージの支持体として考えられますが,よく考えてみれば,イメージに依存して存在する「穴」や「影」のような存在なのかもしれません.だから,モノとしてのディスプレイが消えたとしても,ディスプレイは一つの場として,イメージとの関係のなかで存在し続けるのでしょう.そして,谷口暁彦さんによるカバーイメージは,最後は宇宙にまでいってしまいました.そんなこんなで今回で連載は一区切りです🖥🕳💻 よろしくお願いします😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊

MASSAGE連載11_光/絵具で塗りつぶされたディスプレイ エキソニモ 《201704EOF》、《A Sunday afternoon》

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MASSAGEでの連載「モノとディスプレイとの重なり」の第11回「 光/絵具で塗りつぶされたディスプレイ ───エキソニモ 《201704EOF》、《A Sunday afternoon》 」が公開されました. 連載11回目は,再び, エキソニモ の作品を取り上げます.4回目で考察した《Body Paint - 46inch/Male/White》《Heavy Body Paint》と同じくディスプレイを主題にして,NYのhpgrp GALLERY NEW YORKで発表された《201703EOF》,《201704EOF》,《A Sunday afternoon》という3つの作品を分析していきます.《201703EOF》,《201704EOF》はフレームを強調した作品であり,そして,《201704EOF》は光で塗りつぶされたようになっています.さらに,《A Sunday afternoon》はディスプレイが絵具で塗りつぶされて,この連載でディスプレイの原型的性質とした「光の明滅」が全く見えません.私はテキストの最後で「ディスプレイ場」というアイデアを書きましたが,ディスプレイを光/絵具で塗りつぶして,エキソニモはどこに向かおうとしているのか. ディスプレイ場と言うアイデア面白い。今考えてる新しい作品とのシンクロ二シティもありそうな気がする https://t.co/YwSJkVaCLE — Sembo / センボー (@1000b) 2017年7月13日 是非,テキストを読んでもらえればと思います.よろしくお願いします🙏🙏🙏

MASSAGE連載10_谷口暁彦《夜だけど日食》と《透明感》@「超・いま・ここ」/ ディスプレイを軸に畳み込まれ、重なり合う複数の空間

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第10回「 谷口暁彦《夜だけど日食》と《透明感》@「超・いま・ここ」/ ディスプレイを軸に畳み込まれ、重なり合う複数の空間 」が公開されました. 記念すべき10回目は,5回目で一度取り上げた谷口暁彦さんの個展「 超・いま・ここ 」で展示された作品について書きました.谷口さんは個展「超・いま・ここ」で2007年から2017年までの10年間の活動を振り返っていました.今回の連載は谷口さんの振り返りに引っ張られる感じで,谷口さんのふたつの作品 《夜だけど日食》 (2008−2010)と 《透明感》 (2015)とりあげて,モノの側面からディスプレイの「これまで」を振り返りつつ,イメージの側面からディスプレイの「これから」を考えています.ディスプレイの「これから」を考えるのは10回目だからというわけではなく,谷口さんの「超・いま・ここ」が単にディスプレイの現在地を示すだけでなく,《透明感》を含む2015年の連作である「スキンケア」で,ディスプレイの先・奥を示し,会場で配布されたテキストでも「折りたたまれたディスプレイ」とディスプレイの「これから」を示してことに反応した結果です.

メモ:視野角と透明感

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http://prostheticknowledge.tumblr.com/post/157792586526/mr-styly-preview-of-upcoming-mixed-reality-fashion http://prostheticknowledge.tumblr.com/post/135580649616/skincare-interactive-installation-by-akihiko Psychic VR Lab に行き,ゴットスコーピオンさんと会い,MicrosoftのHoloLensを体験させてもらった.目の前には何も着ていない服のボディがあり,その前で手を開く動作をすると,ボディに服が被さる.HoloLensの視野角が狭いために,服に近づくと私にはボディの一部にしか服が被さってない状態が見えるけど,視線を動かすたびに,そこに服が現れる体験は新鮮であった.物理空間には服はなくて,HoloLensを通すと服が見える.さらには,HoloLensは上のGIFのように服の全体,カメラが捉える領域のデータが処理されているのだけれど,ヒトは適切な距離からは画像のように全体を捉えることもあれば,服に近づいたときには,自分の視線の先に服の一部を見るということが起こる.物理空間と仮想空間とが入り混じりつつも,視野角というヒトとデバイスのフィジカルな制限で仮想空間と物理空間との重なりが決定され,その境界がつねに自分の動きに追随するというのは興味深い体験だった. この体験は,谷口暁彦さんの「 スキンケア 」の作品《透明感》を考察する際に有効かもしれない.谷口さんはディスプレイがディスプレイを内包したときのことを考えているのかもしれない.

MASSAGE連載09_小林椋《盛るとのるソー》 ディスプレイを基点に映像とモノのあらたな「画面」状態をつくる

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第9回「 小林椋《盛るとのるソー》 ディスプレイを基点に映像とモノのあらたな「画面」状態をつくる 」が公開されました. 1年間連載をしてきて,やっと9回目です.今回は小林椋さんの《盛るとのるソー》を取り上げました.小林さんの作品はディスプレイが動きます.ひとつの不動点というか消失点であったディスプレイが動くことで,ディスプレイが基点となってモノと映像とが重なり合って,あたらしい画面が生まれてくるのではないか,ということを書きました. 名古屋市立大学芸術工学部の小鷹研理さんが「 「展示の記録と周辺|からだは戦場だよ 2017」 」でエキソニモの《Body Paint》について書いているテキストを,画家・評論家の古谷利裕さんが引用して,次のように書いていました.引用の引用となるので少し長いですが引用します. このテキストで,エキソ二モの作品に触れることから導き出される,下のような見解はとても重要だと思う.  《おそらく,美術というのは,多かれ少なかれ,現実と虚構との(本来)抜き差しならない関係を,それぞれの仕方で扱おうとするものであるからして,ポスト・インターネットが,美術の歴史のなかで,何か特別に新しい視座を提供しているというよりは,そういった美術の伝統を,新しい道具を使って,正しく継承しているという言い方が正確なのかもしれない.そのうえで,僕がこの一連のムーブメントに関心を持つのは,ポスト・インターネットが,美術が伝統的に題材にしてきたであろう諸問題を,非常にわかりやすいかたちで鑑賞者に提示してくれているようなところがあって,結果的に,美術という難解な装置の,優れたメタファーとして機能している(その意味では,美術であると同時にメタ美術でもあるような),と,少なくとも僕にとってはそんな魅力がある.》  《この「わかりやすい」という印象は,作品の受容において,体感レベルの手応えが果たす役割が大きくなっていること,とも関係している.つまり,(美術のコンテクストを知っていようが知っていまいが発動するような)物理空間とディスプレイ内空間との区別が失効するような錯覚が現に生じること,そのことそのものが作品の価値の重要な側面を構成してしまうこと.これは,ある意味で...

ディスプレイと物理世界との重ね合わせと物理世界から外れたディスプレイ:「一枚の絵の力」の永田さんと山形さん

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花房太一 さんが展示アドバイザーとして関わっている「 一枚の絵の力 」に 永田康祐 さんと 山形一生 さんの作品を見に行った.永田さんと山形さんともにディスプレイを用いた作品をつくっていて,それを見ていて,考えたのは,永田さんはディスプレイの外にレイヤーをつくるというか,ディスプレイのなかだけで映像が完結しないというか,外に伸びていく感じがあるということ.これはこれまで「 モノとディスプレイとの重なり 」で書いていたことでもある.今回の新作はそれがきれいなかたちででていて,もはや具体的な像ではなく,単にグラデーションの光となった映像とその上の水のレイヤーとの重なりがきれいだった.光と水,水の色とグラデーションの光とが混ざりあって.ディスプレイの光に水の色の情報が重ね合わされていく感じ. 前回の個展よりもディスプレイとその前の空間に置かれたモノ=水+アクリル(?)の水槽とが密着している感じがあったことと,ディスプレイが映しているのがグラデーションの映像だからか,どこか前回の個展でエアキャップにくるまれて壁に立てかけられた作品を強く思い出した.映像が具体的なものではないということが強く影響しているのかもしれない.あと,ディスプレイの表示面すべてにモノが重なっているからかもしれない.表示面すべてが被われていることも相まって,モノの輪郭を明確に示すことがない映像は単にディスプレイが光っているようにも見える.けれど,それもまたひとつの情報のあらわれであって,ディスプレイから放射される光は色の情報を示しているという点では,それが具体的な何かを示していようがいまいが関係ない.ディスプレイは光を放ち,その光はモノを通過していき,ヒトの網膜にあたる.このとき,ディスプレイはひとつの面であり,モノも面であり,網膜も面である.どこがインターフェイスかということを考えていると,それぞれがインターフェイスであって,これら複数のインターフェイスが包み込んでいるモノやヒトが同時に存在している場のあり方を考えることが重要なのだろうなと思う. 山形さんの作品には,郷治竜之介さんとの二人展「 optical camouflage 」のときから気になっていた「ディスプレイの内側」ということが,今回のエイの作品にも感じられた.エイの作品はディスプレイの外側に水が少し入ったペッ...

MASSAGE連載08_ディスプレイ周囲で癒着する光とモノとがつくる曖昧な風景───永田康祐《Inbetween》について

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第8回「 ディスプレイ周囲で癒着する光とモノとがつくる曖昧な風景───永田康祐《Inbetween》について 」が公開されました. 今回も前回に引き続き,永田康祐さんの作品を考察しました.けれど,前回は水平に置かれたディスプレイでしたが,今回は主に垂直に設置されたディスプレイについてです.ディスプレイの光とモノとそのあいだの空間について書いています.最後の節は,それがひっくり返る感じです. 引き続き,よろしくお願いします😊😊😊

2016年の振り返り

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2016年にはこの投稿を含めて35本の記事を書いています.2015年が63本だったから,ほぼ半減です.来年はもう少し書けたらと思っています. 今年はMASSAGEではじめた連載「モノとディスプレイとの重なり」でほぼ毎月,モノとディスプレイとイメージとの関係を考えていました.連載の現在の流れは,「ポストインターネット」の状況を改めて考えるという趣旨からは少しズレてしまっているかもしれません.しかし,タイトルの「モノとディスプレイとの重なり」は今のアートの状況を的確に示しているような気がしています. (といっても,ディスプレイを用いた作品しか見ていない私の観測範囲内ですが…)  それでもこれまで連載が止まることなく書けるほど,ディスプレイを用いた興味深い作品がでているのは,「ディスプレイ」というメディウムを考える必要を示しているとも思っています.来年も「モノとディスプレイとの重なり」を追っていきたいと考えています🚀🚀🚀  MASSAGE連載00_「ポストインターネット」が設定したクリティカルな状況 MASSAGE連載01_ポストインターネットにおけるディスプレイ MASSAGE連載02_「光の明滅」というディスプレイの原型的性質 MASSAGE連載03_光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス MASSAGE連載04_モノと光とが融け合う魔術的平面 MASSAGE連載05_ iPadがつくる板状の薄っぺらい空間の幅 ─── 谷口暁彦「思い過ごすものたち《A.》」と「滲み出る板《D》」について MASSAGE連載06_《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ MASSAGE連載07_水平に置かれたディスプレイが物理世界のルールを上書きする───永田康祐《Translation #1》について  もうひとつ大きなテキストとしては,ÉKRITSに寄稿した絵文字😭😭😭についてのテキストです.このテキストを書くことによって,「文字を書く」という流れのなかで絵文字によって意味の流れがどのように形成されていくのかをじっくりと考察できました.これもまたインターフェイス論のひとつかなと自分では考えています. ÉKRITSへの寄稿:絵文字😂😊😱は空白をつ...

MASSAGE連載07_水平に置かれたディスプレイが物理世界のルールを上書きする───永田康祐《Translation #1》について

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第7回「 水平 に置かれたディスプレイが物理世界のルールを上書きする─── 永田康祐《Translation #1》について 」が公開されました.iPhoneの上に🐸が乗っています.このことは本文と関係があります. 今回考察した永田さんの作品にはいつもクリーンさを感じていて,いつかGoogleマテリアルデザインと対比してみたいと考えていました.なので,永田さんの作品をインターフェイスのデザインに引きつけて書いています. 引き続き,よろしくお願いします😊😊😊

MASSAGE連載06_《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第6回「 《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ 」が公開されました.また,今回からタイトル画像がマットブラックのiPhoneになりました!  Gallery Out of Place でのWINDOWS展に展示されている 須賀悠介 さんの作品 《Empty Horizon》について論じています.WINDOWS展は須賀さんと Houxo Que さんの2人展で,Queさんの作品《16,777,216 view》 シリーズを連載の3回目「 光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス 」で論じていますので,合わせて読んでもらえるとうれしいです. 引き続き,よろしくお願いします😊😊😊

MASSAGE連載05_ iPadがつくる板状の薄っぺらい空間の幅 ─── 谷口暁彦「思い過ごすものたち《A.》」と「滲み出る板《D》」について

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第5回「 iPadがつくる板状の薄っぺらい空間の幅 」が公開されました. いつもカバー画像を提供してもらっている 谷口暁彦 さんの作品「思い過ごすものたち《A.》」と「滲み出る板《D》」を取り上げて, 具体的な厚さもつ  iPad というモノとそのディスプレイが示す実質的な厚さをもたないピクセル平面とのあいだにつくられる「 板状の薄っぺらい空間の幅 」について考えています. 「厚さをもつ/もたない」は存在論的な話ではなくて,ヒトの認識のことでしかない.けれど,そのヒトに見えている部分=認識をちょっとずつバグらせた結果として,存在そのものも変わるのかなと,ふと考えました.認識の変化が存在を変化させる,というか,その存在の物理条件を明らかにしていくような感じです. 次回もがんばります😊😊😊

MASSAGE連載04_モノと光とが融け合う魔術的平面

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第4回「 モノと光とが融け合う魔術的平面 」が公開されました. エキソニモ の《Body Paint - 46inch/Male/White》と《Heavy Body Paint》について書きました.この2つの作品はともにICCで開催中の「 オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス 」に出品されています.是非,リアルに体験してみてください.光とモノとが融け合いながら,ヒトと絵具のビンとが飛び出してくるのを体験できます.これは実際に体験すると,まさに認識がバグります😖 Giuliana Brunoの『 Surface:MATTERS OF AESTHETICS, MATERIALITY, AND MEDIA 』を読んでいるのですが,ここでの「Surface(表面)」」はスクリーンや建築のファザードがメインで「ディスプレイ」はあまり出てきません.でも,「ディスプレイ」の表面もまた,今の時代,考えるべき平面のひとつとなっているはずです.手付かずではないが,あまり考えられていない「ディスプレイ」というモノと平面を考えつつ,平面の向こう=情報との関係も捉えていきたいです. 次回は,いつもカバー画像を提供してもらっている 谷口暁彦 さんの作品を取り上げる予定です. 次回もがんばります😊😊😊 修正情報 2017/06/12 結論部分を10回目までの議論に引きつけたかたちで修正しました.

メモ:須賀悠介の《Empty window》を見て

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須賀悠介さんの個展が7月24日まで原宿のBLOCK HOUSEで開催されています.そこに展示されていたディスプレイをモチーフにした作品が興味深ったので,会期が終わる前にメモを残しておこうと思います. 後日,改めて,出張報告書(別紙)にまとめようと思っています. 須賀悠介の割れたディスプレイを木彫で表現した作品《Empty window》を見て,最初に気になったのは,スマートフォンの前面のディスプレイ以外の部分,iPhoneで言えばホームボタンやフロントカメラなどは排除されていることであった.確かに,ホームボタンなどのところはディスプレイではないから,当たり前である.しかし,「ディスプレイが割れた」という言うとき,実際に割れているのはスマートフォンの保護ガラスであって,それはホームボタンやフロントカメラの周囲を覆っている.だから,「割れたディスプレイ」というとスマートフォンの前面の保護ガラスが割れるのであって,ディスプレイが割れるということはないのではないか.保護ガラスが割れるだけだから,ディスプレイは機能している.しかし,ヒトは保護ガラスの割れをディスプレイの割れと思う.恐らく,須賀はこのような問題を回避するために,ディスプレイ部分のヒビのみを彫ることにしたのだろう.そうすることによって,ヒビはよりディスプレイに密着する.保護ガラスはディスプレイの一部になる.ディスプレイの上に位置して,スマートフォン前面全体を覆っていたものが,ディスプレイの一部となる.これは保護ガラスが割れたディスプレイを操作している時にも感じる.ヒビによる凹凸によって,普段は意識しないガラスの存在が顕わになる.ディスプレイは普段は画像表示装置であって,画像の支持体としてその存在を画像のもとにひっそりと隠している.しかし,保護ガラスというディスプレイ自体を保護するガラスが割れることで,ディスプレイは保護されているひとつのモノとして強く存在するようになる.だからこそ,それは木彫として表現することできる.

MASSAGE連載03_光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第三回「 光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス 」が公開されました. Houxo Queさんの 《16,777,216 view》 シリーズ とEvan Rothの 《Dances For Mobile Phones》 シリーズからあらたな平面について書きました! ディスプレイは普段は光,モノ,データとがぴったりと重なり合っているけれど,それをあえて引き剥がし,また重ねると,そこにあらたな平面が現れるということを書きました. 谷口暁彦 さんが作成してくれたイメージに「手」がでてきたのと呼応するように,ディスプレイに対するヒトの意識や行為が考察のなかに入ってきました. 次回もがんばります😊 😊😊

MASSAGE連載02_「光の明滅」というディスプレイの原型的性質

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第二回「 「光の明滅」というディスプレイの原型的性質 」が公開されました. 渡邉朋也さんの《 画面のプロパティ 》を,gnckさんの テキスト を経由して考えつつ,たかくらかずきさんによってtoggetterにまとめられた「 メディウム・スペシフィシティを巡って 」を参照して,ディスプレイで光が明滅していることについて書きました. 今回のテキストは書き進めて,修正を重ねていくなかで, 谷口暁彦 さんが作成してくれたイメージのように,自分がディスプレイとともに荒野に投げ出された感じがあります. 次回もがんばります😊

MASSAGE連載01_ポストインターネットにおけるディスプレイ

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第01回「 ポストインターネットにおけるディスプレイ 」が公開されました. ポストインターネットにおけるディスプレイのあり方と渡邊恵太さんの『 融けるデザイン 』経由でディスプレイの外に拡がるアニミズムについて書いています.少し長いので時間のあるときに,読んでもらえたらうれしいです. 今回もタイトルイメージを 谷口暁彦 さんにつくってもらいました.ありがとうございます!

MASSAGE連載00_「ポストインターネット」が設定したクリティカルな状況

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MASSAGE で「 モノとディスプレイとの重なり 」という連載を始めました! 今回は連載00回ということで,連載の目的を書いています.この連載ではもう下火だと考えられている「ポストインターネット」という言葉で語られてきた作品を「モノ」と「ディスプレイ」との関係から考えていくものです.詳しくはMASSAGEを読んでください! タイトルイイメージを 谷口暁彦 さんにつくってもらいました.連載ではこの画像が示しているような,モノがディスプレイに映し出されていて,そのディスプレイ自体もモノであるから,他のモノと関係を持ちつつも,それ自体がすべてコンピュータのディスプレイに映し出されたイメージであるのだけれど,でも,それもモノでしょ,でも,そこではモノの不加入性はなくなって互いに貫入しまくって,重力もなくいるよ,それではもうモノの属性が崩れているよ,でも,イメージではないよ,モノだよ,そして,タイトルイメージの真ん中にあるようにディスプレイ自体がフレームから逃れつていってしまう状況では,何が起こるのか? ということを考えていきたいです. 毎月,修行のように書いていきます!