2016年の振り返り
2016年にはこの投稿を含めて35本の記事を書いています.2015年が63本だったから,ほぼ半減です.来年はもう少し書けたらと思っています.
今年はMASSAGEではじめた連載「モノとディスプレイとの重なり」でほぼ毎月,モノとディスプレイとイメージとの関係を考えていました.連載の現在の流れは,「ポストインターネット」の状況を改めて考えるという趣旨からは少しズレてしまっているかもしれません.しかし,タイトルの「モノとディスプレイとの重なり」は今のアートの状況を的確に示しているような気がしています.
(といっても,ディスプレイを用いた作品しか見ていない私の観測範囲内ですが…)
それでもこれまで連載が止まることなく書けるほど,ディスプレイを用いた興味深い作品がでているのは,「ディスプレイ」というメディウムを考える必要を示しているとも思っています.来年も「モノとディスプレイとの重なり」を追っていきたいと考えています🚀🚀🚀
- MASSAGE連載00_「ポストインターネット」が設定したクリティカルな状況
- MASSAGE連載01_ポストインターネットにおけるディスプレイ
- MASSAGE連載02_「光の明滅」というディスプレイの原型的性質
- MASSAGE連載03_光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス
- MASSAGE連載04_モノと光とが融け合う魔術的平面
- MASSAGE連載05_ iPadがつくる板状の薄っぺらい空間の幅 ─── 谷口暁彦「思い過ごすものたち《A.》」と「滲み出る板《D》」について
- MASSAGE連載06_《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ
- MASSAGE連載07_水平に置かれたディスプレイが物理世界のルールを上書きする───永田康祐《Translation #1》について
もうひとつ大きなテキストとしては,ÉKRITSに寄稿した絵文字😭😭😭についてのテキストです.このテキストを書くことによって,「文字を書く」という流れのなかで絵文字によって意味の流れがどのように形成されていくのかをじっくりと考察できました.これもまたインターフェイス論のひとつかなと自分では考えています.
そして,インターフェイス論つながりでいえば,10月には『融けるデザイン』の渡邊恵太さんとICCで「インターフェイスとは何なのか?」というトークをしました.渡邊さんとは「カーソル」つながりで知り合って,いつか,どこかでトークのようなものがしたいなと思っていたのですが,それが実現できて,とてもよかったです.渡邊さんと話していると,インターフェイスは面白いし,とても刺激を受けました.
10月は渡邊さんとのトークから怒濤の連続トークでした.ICCでのトークを終えて,次の週には大学院時代にとてもお世話になった日本映像学会中部支部で「GUIの歪み」という講演をしました.
その次の週は,写真家の小林健太さんとのトーク「ダーティーなGUI」でした.ここで言ったコンピュータのクリーンさと物理世界のダーティーさという二項対立は,今も自分のなかでとても引っかかていることです.
あと,大学の同僚である馬場さんと毎年開催している新・視覚芸術研究会には谷口暁彦さんに参加してもらいました.私は谷口さんの前で谷口さんの作品について発表しました.谷口さんとともにフォトスキャンの考察ができて,とても刺激的でした.
今年はディスプレイを軸にアートとインターフェイスとのあいだを行き来していたという感じです.来年もアートとインターフェイスとのあいだを行き来しながら,モノの変化やヒトの知覚の変化を考えていけたらいいなと考えています🖥💻🖱📱