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MASSAGE連載07_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/「モノ」らしさを持つデータとサーフェイスを包含して剥き出しになったバルク」

MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第7回「 「モノ」らしさを持つデータとサーフェイスを包含して剥き出しになったバルク 」を書きました✍️✍️✍️ 前回の続きで,ucnvさんの作品を分析しています. 「超臨界流体」という奇妙な言葉も出てきますが,とても興味深い物質の状態のことです.ucnvさんの作品タイトルからこのような物質の状態があることを知りました. カワイさんのカバーイラストでは透明なサーフェイスと白いサーフェイスとが混じりあっていますが,この辺りもテキストを読んでもらえると納得できる感じです.サーフェイスの奥にある厚み=バルクを考えてきましたが,奥にあるバルクがサーフェイスを包んで,表も裏もないような状態になってきているのではないでしょうか,ということを書いています🧐

MASSAGE連載06_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクとサーフェイスとを含む「波のようなマテリアル」

MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第6回「 バルクとサーフェイスとを含む「波のようなマテリアル」 」を書きました✍️✍️✍️ 「モノとディスプレイとの重なり」を書いているときから,ずっと取り上げたかったucnvさんの作品をやっと取り上げることができました.グリッチは,🌊のように表面=サーフェイスでありつつ,ある実体=バルクを持つような表現なのではないか,ということを書いています.まだ前編という感じで,次回もucnvさんの作品を考察していきます. カワイさんのカバーイラストも白い布のようなものが波打ってくれています🌊 その下にふたつのサーフェイスがあり,上のサーフェイスは透けていて,下のサーフェイスには影が落ちています.これまで書いてきたことが図示されているみたいです.そうなると,🌊となっている白い布の「バルク=中空」の部分,二つのサーフェイスを貫通する3本の黄色い棒のようなものが気になります 🧐  バルクやサーフェイスを貫通する何かを考えてみたいです🌞 🏄‍♂️🏄‍♀️ 🏄‍♂️🏄‍♀️ 🏄‍♂️🏄‍♀️ また,第6回のテキストでこれまでの議論と重複するためカットした部分をnoteにアップしましたので,連載テキストと合わせてお読みください🙇‍♂️ 086:モノとデータとの複合体としてのあらたなバルク

デジタルな現象をそのまま扱うということは,モダニズム的な態度

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ucnvさんとのトークで「アーティ・ヴィアーカントの画像はそこにあったものをそのまま映していて,そこで生成されているわけではない」というようなことをucnvさんが言ったことがずっと気になっている. ヴィアーカントのイメージオブジェクト で展示の記録として撮影された画像は,そこで起こっている現象をそのまま記録している.もちろん3次元を2次元に変換するときの欠損はあるけれども,それでもそこで起こっている現象をそのまま記録している. その後,Photoshopでその画像が加工される.このときヴィアーカントはスタンプツールを主に使って,その展示会場で一度記録された色情報以外のものを使っていないということを,ucnvさんの指摘で気付かされた.これはとても大切なことような気がしている.展示空間を記録して,それを加工しているというのはこれまでの写真の見方で,ヴィアーカントは展示空間をスキャン=撮影して,デジタル化して,色情報が集積された平面にしていて,そこにもともとある色情報のみを使うことをルールにしているのかもしれない.スキャンというデジタルの現象をそのまま扱う.そこで生まれた情報のみを扱うという感じだろうか.スキャンによって空間を色情報をもった平面=テクスチャに変換する.そこでは空間や作品画像といった区別はなくなり,すべてが色情報になる.ただ,そこにあるもの以外は使えない.一度のスキャンという現象でうまれる情報だけを扱うこと. 「Vacant Room」での360度写真で感じたことは,見えない部分が生まれるということ.それは一度では見ることがなくなる.「フレームの外」が生まれること.現実も視点からしょうじる視界フレームによって「フレームの外」が生まれる.写真は「フレームの外」をなくして,「フレームの中」だけにする.360度画像には「フレームの外」がある.この感じが,空間をスキャンして色情報として「フレームの中」に閉じ込めるヴィアーカントのイメージオブジェクトと似ている. 「フレームの外」を感じさせる「Vacant Room」と「フレームの中」だけの「イメージオブジェクト」が似ているというはどういうことか.似ているというよりも,それが両立し得るのがデジタルという現象なのではないか.「Vacant Room」のとなりに「イメージオブジェクト」があっても,...

SOBOギャラリートークで使うかもしれないリンク集

視点 Aram Bartholl http://www.datenform.de http://www.datenform.de/point-of-view.html モデルとテクスチャ Jon Rafman http://jonrafman.com http://theheadquarters.org/Ionline.htm >モデルを覆うテクスチャとなって,作品が「装飾」になる Clement Valla http://clementvalla.com http://clementvalla.com/work/tex-archive/ 地図 「未知の風景」を描く地図:「The Amazing iOS6 Maps」と《9-Eyes》 人類は多大な労力をかけて世界を測量して地図を描き,世界から未知の領域を失くしてきた.だが,アップルの地図やグーグル・ストリートビューはこれを反転させてしまった.地図にだけ「未知の風景」を生み出したのである.いや,そもそも地図には建物や遠路などの「記述」はあっても「風景」はなかったはずである.しかし,地図が画像とデータ上で組み合わされ,そこに「風景」が出現しているのである.つまり,アップルとグーグルによる「地図」は新しい機能を実装していくなかで,未踏の地を自ら作り出し,自ら測量しているといえる.これからも,この2つのテクノロジー企業がデータと現実との接点に「未知の風景」を描いていくことに期待したい. 2D-3Dのあいだで宙に浮く感じ Joe Hamilton http://www.joehamilton.info http://indirect.flights Artie Vierkant http://artievierkant.com http://artievierkant.com/imageobjects.php Lucas Blalock http://www.lucasblalock.com lucas blalock 谷口暁彦 http://okikata.org http://okikata.org/☃/shimideruita/ THE COPY TRAVELERS by THE COPY TRAVELERS http://www.nadiff...

メモ:2Dでも3Dでもある/ないような「Vacant Room」

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「 Vacant Room 」は展示の記録写真であって,Virtual Reality=VRとはあまり関係がないような気がしてきた.インタラクティブなVRだと思うのは,360度写真とスマートフォンが連動しているからだから,確かにVR的要素はあるのだけれど,それは大したことではない.というか,VRだと見る人に思わせておいて,でも「Vacant Room」は単なる「写真」であって,だから,ピンチアウトで拡大できたりする.これは「写真」というよりも「カメラアプリ」でリアルタイムにリアル空間を見ているときの感覚に近い.でも,拡大はできたと思って,スワイプして画像を動かそうとするとできない.ここでの画像は「写真」ではなくて,リアカメラからのリアルタイム画像のようになっている. 2Dでありながら3Dという感覚を醸し出しつつ,見る人の意識が3Dに行こうとするとそれを妨げる仕掛けがいくつもしてある.仕掛けは「カメラアプリ」のようなリアルタイム映像と「写真」として表示される画像とのあいだの行き来であったり,ホワイトキューブを再現したVRと思わせつつも360度写真であって,作品に寄ることができないというか,スマートフォンを固定しながら前後に歩いても,上下に屈伸運動してもディスプレイ内の映像は変化しない=写真のようだったりするものである.これらの体験をしていると,展示を見ていてそれが3Dだと認識しそうになると同時に2Dに引き戻されるという感覚になって,2Dでも3Dでもある/ないような「Vacant Room」に連れて行かれる. この感覚は Joe Hamilton の作品《 Indirect Flights 》にちかいものがある.この作品は航空写真のコラージュの上にもうひとつ金網やサッシ,絵具,筆跡といった平面的質感を強調するモノのコラージュが重ねられている.Googleマップのようにドラッグしてふたつのレイヤーを動かすことができるけれど,ふたつのレイヤーの動きはそれぞれ異なる.この作品を見ていると,航空写真を見た際生じる立体的な感覚が常に阻害される感じがする.ディスプレイに映っている映像が3D的なものであろうと,そこに見ているものは物質的に2Dのディスプレイでしかないのだから,3Dなんてそこにはない.あるのは徹底的に2Dの重なりでしかな...

告知:SOBOでucnvさんとトークします

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7月25日(土)16:30から神保町にある SOBO で開催中の展覧会「Vacant Room」で,企画・展示設計を行った ucnv さんとトークをします.トークでは,今のところ先日の映像学会で発表した「 テクスチャを透してモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D−3D 」から考えた「テクスチャ」と「画像/写真」との関係や展示のドキュメントのことなどを話そうと考えています. テクスチャとなったリアルの重ねるかたちで3Dモデルを置いてみる.リアル3Dモデルからその表面=テクスチャだけを抜き取るのが写真=画像. — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) 2015, 7月 5 ( リアルの →リアルに) 反射光で見ていることにはなるが,どっか世界を透過している感じを与えているという感覚が興味深いのかもしれない.枠を透して世界を見る.カメラで世界を枠付けるのではなく,枠そのもので世界を切り取ること.薄い板というかたちから考える. — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) 2015, 7月 5

紀要論文 オリジナルからアルゴリズムとともにある「ソースへ」:常に変化していくデジタル画像を捉えるための枠組みの転換

昨年度まで非常勤でお世話になっていた 名古屋芸術大学 の研究紀要に「オリジナルからアルゴリズムとともにある「ソースへ」:常に変化していくデジタル画像を捉えるための枠組みの転換」という論文を書きました.自分的には ucnv さんの作品を通して「グリッチ」を扱った第3節「ソースを映し込むグリッチ」が気に入っています. 紀要で手に入りづらいので, PDF です(しばらくしたら名芸の http://www.nua.ac.jp/download/kiyou.html でページ数が入った正式なものがあげられると思います).もし興味があって,時間もたっぷりあるという人がいたら,ご利用ください. [追記_20140812:名芸にPDFがアップされました→ http://www.nua.ac.jp/kiyou/kiyou2014_2.php?file=/0002%8C%A4%8B%86%8BI%97v%91%E635%8A%AA%81i%98_%95%B6%81j/0022%90%85%96%EC%8F%9F%90m.pdf&name=%90%85%96%EC%8F%9F%90m.pdf ] また,以下のテキストは論文でもっとも重要だけれど,もっと考えないといけないことがたくさんある第2節「アルゴリズムとともあるソース」です. −− 第2節 アルゴリズムとともあるソース ケネス・ゴールドスミスは『非創造的な書き方』で,絵を描くことにとって写真が大きな影響を与えたように,インターネットが文章を書くことの性質を変えるとしている6.その理由はコンピュータのOSが何百万行のテキストで書かれていたり,画面上の画像や音楽,そしてテキストもまた「言語」で構成されているからである7.ゴールドスミスはインターネットとともにあるテキストを論じるが,そこにはJPEG画像が正常に表示されずに文字化けすることや,シェクスピアの画像を文字列で表示させその文字を操作して画像を変形させるといった画像と文字が表裏一体となった例が数多く示されている.インターネット以前も,コンピュータが表示する画像は文字としても表示できたが,文字としても表示できる画像がこれほどまでに流通したのはインターネットによるところが大きい.複製技術のもとでテキストはテキストとして,画像は画像としてコピーされ続けた...

ucnvさんのアーティストトークとともに考えた「サンプル」と「顕在化」

【今回のテキストはTumblrに書いた memo とそれへの付け足しでできています】 ucnv さんのトークをICCで聞きました.ICCの オープンスペース2013 で展示されている 《Tab. Glitch》 をずーっと見ていると,何を見ているのかわからない状態になっていたのですが,トークを聞いてその謎が自分的に解けてきたような気がしました.それは,僕は「写真」とか「画像」という形式・メディアにとても引っ張られているなということです. 《Tab. Glitch》はグリッチした「画像」がプリントされた「写真」状のものが整然と並べられています.どれも「グリッチ」されたと感じられる「画像」であり「写真」です.「画像」「写真」という言葉を使った時点で,そこに「オリジナル」を探したり,どれも「コピー」なのかなと思ったりします.また「グリッチ」という言葉から,今見ている「画像」なり「写真」なりの「下」というか,ここには見えていない「文字列」の操作がこの今見えているものをつくりだしていると考えてしまう. もちろん目の前にあるものは「画像」であったもので,それをプリントした「写真」みたいなもので,そこに写しだされているものには「グリッチ」という名前が与えられているのだけれど,ucnvさんとゲストの谷口暁彦さんの話を聞いていると,それはほんの少し違うように思えてきました.ucnvさんがしきりと《Tab. Glitch》の展示を「昆虫採集」に例えていました.「グリッチ」という現象を採集して,標本化するということです.ここで比喩をあえて文字通りに受け取ると,昆虫採集で採集され,ピン止めされて標本化されるのは「個体」です.「個体」にはオリジナルもコピーもなく,ただそこにいて,採集されて,標本化されているサンプルにすぎません.それは「画像」とか「写真」とかがもつ「オリジナル/コピー」といった意味がなく,単に「サンブル」でしかないのです.このように考えると,《Tab. Glitch》を見ているときの「分からなさ」が少しなくなっていったような気がしました.僕が見ていたのは「グリッチ」という現象のサンプル集だったわけです.それは「画像」や「写真」という形式で定着されているから,そこに意味が引っ張られることがあるのですが,そこには大きな意味はなくて,あくまでもグリッチという現象の「サ...

メモ:画像ファイル,パフォーマンス,グリッチ,オリジナルとコピー

美術批評家のボリス・グロイスは「From Image to Image File—and Back: Art in the Age of Digitalization」において,コンピュータがディスプレイに表示している画像はコピーであり,そのオリジナルは「画像ファイル」であり,それ自体は見ることができないものだと考えている.そして,画像ファイルのデータが見えない状況でのみ,デジタル画像はコピーでありながら,画像が表示されるという出来事は「オリジナル」となる.なぜなら,デジタル画像は見ることができないオリジナルのコピーであるから,それをオリジナルと比較するすべがないからであり,そうすると,そこにあるのはオリジナルとコピーという関係というよりも,楽譜に基づいた演奏などに似た一回限りのパフォーマンス的なものになり,楽譜の解釈はその都度「歪み」が入るのが不可避のために,パフォーマンスはすべてオリジナルとなるからである. グリッチは,グロイスが問題視する画像ファイルの「見えない」領域=オリジナル領域を直接操作して,画像を「破壊」するとされている.グリッチにおいては「見えない」領域は明確に操作可能な見える領域として処理される.そうすると,グロイスが考える「見えない」オリジナルから,パフォーマンス的な意味でのオリジナルな「コピー」画像が生じる前提が崩れることになる.グロイスは「見えない」部分を神聖視しすぎているのではないだろうか.ロサ・メンクマンとucnvとHugh S. Manon and Daniel Temkinの「グリッチ」に関するテキストから,このことを考えてみたい. ロサ・メンクマンはグリッチは体験するヒトの知覚のなかにのみ存在するとしている.これはグロイスの画像ファイル不可視説と対をなす考えだといえる.グロイスは画像ファイルを不可視にすることで「オリジナル」を現象的なものにしたが,メンクマンはヒトの知覚というブラックボックスを用いることで,グリッチを心象的現象にして「オリジナル」の一回性を保持していると考えられる.グロイスもメンクマンもともに「オリジナル」を重要なものとして考え,それを生み出すために不可視な部分をつくりだしている. ucnvは「 Turpentine 」と題されたテキストで「グリッチとは,意図されておらず予測されていなかった状態が再生装...

メモ:「ファイル形式」から画像を眺めるというか

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ICC で ucnvさんの展示 を見てからグリッチがまた気になり始めた.現在の画像を考える上でとても大きな手がかりを示していると思う.表現にファイル形式が大きく影響するというか,その表現をファイル形式が規定しているところ.しかも,「正常」に見えている時よりもファイル形式のちがいが際立つというところが面白い. ある写真のオリジナルから派生,変化した多数のさまざまなヴァリエーションが展示されています.それは,オリジナルに近いものから,同じ写真とはまったく認識できないほどの変化にいたるまで,その状態は多様です.これらの写真には,コンピュータの画面でときどき見かけるような,画像がうまく適正に再現されなかった状態と同じことが起こっています.すべてが,もともとは同じ写真,つまり同じイメージを持ったものでしたが,それぞれに異なるのは,その画像のデータ形式です.同じイメージを表示していても,その画像データの形式が異なっているために,データに欠損を生じた際の現象,表示された状態に差異が生じているのです.  http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2013/Openspace2013/Works/Tab_Glitch_j.html   ICCのページにある解説文を読むと,そこにはグリッチとともに最近気になっている「オリジナル」という言葉が書かれていた.ここでの「写真のオリジナル」というのは「見え方」がオリジナルということになるであろうかということを考えた.「見え方」は同じでもファイル形式が異なる場合,どれがオリジナルになるのであろうか. グリッチに「オリジナル」はないのか? すべてがオリジナルなのか? 大量の同一モチーフのグリッチを目の前にすると不思議な感覚になる.  ICCでucnvさんの作品を見ながら書いたメモ  RAW,PSD,JPEG,GIF,PNGなどなど.これらのファイル形式にグリッチという現象が起こると,画像がそれぞれファイル形式に特有の「破損」が起こる.「破損」が起きたもののほうが,そのファイル形式が際立つので唯一無二の「オリジナル」と思ってしまう感じもある.でも,そのファイル形式は「説明」がないとわからない人がほとんどだと思う. Screen Shot 2...

告知とメモ_トーク・イベント:ラファエル・ローゼンダール+インターネット・リアリティ研究会

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7月20日(土)から川崎市民ミュージアムで始まる「 セカイがハンテンし、テイク 」展の関連イベントでアーティストの ラファエル・ローゼンダール と インターネットリアリティ研究会 による トークイベント(20日14:30から) があります.お時間があるかたは是非お越しください. 以下,ラファエル・ローゼンダールについてのメモです. ラファエル・ローゼンダールはネットに多くの作品を発表しています.そして作品を掲載しているドメインを売るという手法で「ネット上の作品を売る」という行為を成立させました.例えば, falling falling .com (2011)にいくと作品が見られると同時にタブの部分に「collection of hampus indwall, falling falling .com by rafael rozendaal, 2011. sound by gloumouth1」とオーナーの名前と作品クレジットが記されています. falling falling .com_スクリーンショット ここで興味深いのは,作品がhampus indwallに購入されているのにも関わらずネットに自由に見ることができるという点です.その理由は作品売買の契約書(契約書のテンプレートは公開されています→ http://www.artwebsitesalescontract.com/ )にあります.そこには「作品オーナーはウェブサイトをオンラインに残し,みんながアクセスできる状態にしておかなければならない」と書かれています.なので,気に入った作品を購入しても一人占めはできないようになっているのです.このことはネットにおける「所有」という概念を考える上で重要なひとつの例だと考えられます. 契約書で気になる点が「データの引渡し」の項目です.そこでは基本的に3つのファイルが引き渡されると書かれています. オンライン・ファイル:ウェブページを表示するのに必要なもの 展示ファイル:MacやPCで展示を行うためのもの ソース・ファイル:将来,必要になるかもしれない修復のためのもの これら3つのファイルが引き渡されるわけですが,これらのどれもが「オリジナル」として機能することになるのか,それとも「ソース・ファイル」が「最も」オリジナルなものなの...