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9月, 2012の投稿を表示しています

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_3

記事を書きました→ データ流通に関する2つの事象:《Dead Drops》と「Art.sy」 このブログでも一度取り上げたことがあるアラム・バートルのオフライン・ファイル共有のプロジェクト《 Dead Drops 》と,アート紹介サイトの「 Art.sy 」についてです. バートルを取り上げたエントリー: [インターネット アート これから]の「これから」を考えるためのメモ_06

「Retinaディスプレイに触れる」というのは…

「Retinaディスプレイに触れる」というのは「網膜に触れる」ということであって,面白なと思っています.コンピュータのディスプレイにおいて「見る」と「触れる」の問題があるのと考えているのですが,それらが文字面において直結してしまった感じ.で,「Retinaディスプレイに触れる」という時,「実際には何に触れているのか」ということを考えてみたいのです.そんなことを書くとすぐに「ガラス」に触れているとツッコまれますが,それはもちろんそうだけれども,もう少し考えてみようということです.まずはアップルのサイトからiPhone4SとあたらしいiPadにおけるRetinaディスプレイの説明のテキストを引用します. Retinaディスプレイなら,iPhone 4Sで見るもの,体験するもの,すべてが驚くほど美しくなります.Retinaディスプレイはピクセル密度がとても高いので,人間の目ではひとつひとつを識別できないほど.ゲームも,ビデオも,写真も,画面から飛び出しそうなほど生き生きと映し出されます.本,ウェブページ,Eメールのテキストは,どんなサイズでもくっきりと鮮やか.見るものすべてが,いっそうシャープになります. 新しいiPadを手に取った瞬間,すぐに気づくでしょう.あなたの指は本当に写真に触れ,本当に本のページをめくり,本当にピアノを弾いているのだと.あなたとあなたが大好きなものの間をさえぎるものは何もありません.実際に体験することをさらに魅力的なものにするために,ディスプレイ,カメラ,ワイヤレス接続機能といったiPadの基本になる重要な要素が一段と進化しました.そして生まれたのが,あなたの想像をはるかに超えたことまでできる,新しい第3世代のiPadです. 「ピクセルが識別できない」というのが「Retinaディスプレイ」と言われる所以であるとすれば,「Retinaディスプレイに触れる」というときに,ユーザはヒトの眼の限界を超えたものに触れているものになるわけです.ピクセル単位で操作を行うことはほとんどないにしても,識別できないものを操作している,しかも実際に触れながら操作しているというのは興味深い. iPadのテキストでは,「ピクセルが識別できない=本当に〇〇に触れる=あなたとあなたが大好きなものの間をさえぎるものは何もありません」となっていま