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『メディア芸術・研究マッピング メディアアート研究の手引き』への寄稿

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「文化庁メディア芸術連携促進事業」の一環として2017年刊行されている「 研究マッピング 」シリーズの 『 メディア芸術・研究マッピング メディアアート研究の手引き(PDF) 』に「 「1990年代のネットアート」の当時と今 」というテキストを書きました. このテキストのリサーチで以下の文献を見つけました. 大榎淳「インターネットとアート/表現の可能性と限界」,『季刊 インターコミュニケーション 13号 特集:インターネットの政治経済学』,NTT出版,1995,92-95頁. 1995年に書かれた大榎のテキストが,あいちトリエンナーレ2019をめぐる状況と重なっていたことから, 「「1990年代のネットアート」の当時と今」というタイトルにしようと考えました.2020年となった「今」,早めに読んでもらえるとうれしいです.そして,20年後に,私のテキストも参照されて 「「1990年代のネットアート」の当時と今」が書かれるといいなと思っています. また,馬定延さんが編集した「初学者のための重要文献」に,私の博士論文「 GUIの確立にみる「ディスプレイ行為」の形成過程 」が挙げられています.うれしい😊

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_29

記事を書きました→ シンポジウム「メディウム(=メディア)からはじまる新時代の〈批評〉」レポート 20代の3人と発表者と40代のモデレーターによるシンポジウムに対する30代のネットアート・メディアアート研究者の感想です.このシンポジウムを聞きながら,私のメディウムへの意識はどうも中途半端だなと思っていました.その点,gnckさんのような仕事が自分でもしたいと思いつつ,メディウム・スペシフィックというよりも,そこから派生する認識の問題を自分は扱っているような感じがする.たまたま『日本メディアアート史』の馬定延さんと一緒に聞いたこともあって,自分の研究の立ち位置を確認できたシンポジウムでした.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_28

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記事を書きました→ オンラインギャラリーCERMÂで展覧会「act natural」が開催中 オンラインギャラリーCERMÂがリアルギャラリーと協力して開催中の展覧会「act natural」について書きました.展覧会のイントロダクションの冒頭で言及されていたのが「中国のLEDの太陽」でした.「LEDの太陽」を受け入れてしまう「マインドセット」から「自然な行為(act natural)」について書いています. 「act natural」とは直接関係はありませんが.wiredの記事「 絵筆を3Dプリンターに持ち替えた「ポストデジタル・アート」10選 」のなかにも「ポストデジタルは定義というよりは「マインドセット」なのだ[ post-digital is less about a definition than it is about a mindset.  ]」という感じで「マインドセット」という言葉が使われていたのが気になります. 「ポストインターネット」にもみられるような「ポスト−」といったものが「状況」という外的なものではなく,マインドセットという内的なものになってきたのかもしれません.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_27

記事を書きました→ New Museumのオンラインプロジェクト「Frist Look」で、アマリア・ウルマン氏の《Excellences & Perfections》が公開 大学の一般教養で「インターネットを通して現実をみる」という感じの授業をしているのですが,そこで「Instagram」を取り上げてみました.これまでInstagramに関してはあまり考えたことがなかったのだけれど,Instagramが実現した画像のコミュニケーションは興味深いなと思ってところで,SNSの「アーカイブ」の問題で記事を読んでいたアマリア・ウルマンの《Excellences & Perfections》を思い出しました.この作品はまた画像だからこそ,それもInstagramだからこそ成立するコミュニケーションから生まれた作品だと思います. 授業で取り上げたところ,学生さんの関心も高かったです.彼女たち自身も少なからずウルマンのように演じながら画像をあげているのかもしれませんし,そうしたことを楽しんでいるのかもしれません. 例のごとく長くなってしまったので,僕自身がこの作品をInstagramで見ていった体験を書いたところはカットしたので,ここに置いておきます. 私はこの作品をリアルタイムに体験していないので,「アートだ」という指摘の後に多くのフォロワーがどんな気持ちになったのかわわからない.私自身は「作品」としてウルマン氏のInstagramを眺めていたので,そこで起こっていることはすべてフェイクであることがわかっていた.なので,いつ「これは作品だ」というコメントがつけられるのかを期待していたところもある.Instagramをリアルタイムに見ていた人にとっては,これがアートであろうがなかろうが関係なく「アマリア・ウルマン」という女性,しかも「かわいい」女性を眺めることができればそれで良かったのではないかと,私は考えている.ウルマン氏が言っているように,かわいい女性のパーフェクですばらしい生活とそこから転落していく不幸を見ることはひとつのエンターテイメントだったのだろう.また,《Excellences & Perfections》はパソコンでも見られるのだが,できることならスマートフォンで見ることをお勧めしたい.「スマートフォン」という手のなか...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_26

記事を書きました→ DISが2016年のベルリンビエンナーレのキュレーションを担当 タイトルの通りのことを書きましたが,2年後のインターネットをめぐる状況はどうなっているのか,とても興味があります.2016年のベルリンビエンナーレで「ポストインターネット」がテーマとなりうるのか,それとももう別の言葉が使われているのか? 「インターネット」という言葉自体が抜け落ちたりするのか?

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_25

記事を書きました→ エヴァン・ロス氏が新作《No Original Research》を公開 エヴァン・ロス氏の新作について書きました. 作品の解説・考察でテキストが長くなってしまったのですが,できればロス氏スタジオ移転についても書きたかった. − 今回の展示を知ったのはロス氏のeメールによるニュースレターだったのだが,そこにはロス氏がスタジオを移転したとの知らせもあった.スタジオ移転を知らせるブログは「 Hello World... 」というタイトルで,そこにはGoogleMAPで所在地が示されていて,もちろんストリートビューでその場所を見ることができる. さらに,ロス氏のスタジオのシャッターにはアーティストの Mathieu Tremblin氏のよってペイントされていて,そこには, READY PRINT "HELLOW WORLD!" HELLOW WORLD! READY. ■ と描かれている.そのシャッターの様子はGIFアニメで見ることができる.さらに,アラム・バートル氏がフォーマットをつくった「Offline Art」のノードが備えられているので,ロス氏のスタジオ近くに作品を体験できるかもしれない.そして,私も含めてパリになかなか行けない人は,Tor Browserさえインストールすれば,デープネットにあるロス氏のスタジオにアクセスできる. スタジオをストリービューで見せて,さらにGIFアニメというオンラインでのスタジオ擬似訪問,リアルに現場に行かないと体験できないOffline Art,ネットはネットだけれども普通にはたどり着けないディープネットと盛りだくさんのスタジオ移転報告であった.URL=http://www.blog.ni9e.com/hello-world-studios/をみると「studios」と,しっかりと複数形になっていた.今やスタジオがあるのはリアルだけとは限らないし,ネットも複数あるという時代になっているのかもしれない.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_24

記事を書きました→ Fach & Asendolf Gallery でCèsar Escudero Andaluz氏の《File_Món》が展示中 デスクトップ・リアリティについて考えました.デフォルトの機能・イメージでできることはまだありそうな気がします.また,iPhoneなどのスマートフォンでもこのような作品が出てくるのか,出てきたらとしたらどんな「形式」なのか気になります.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_23

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記事を書きました→ スロベニアのリュブリャナ市民ギャラリーで「net.art Painters and Poets」が開催中 ネットアートがポスト・インターネット化を試みる方法としてリアル展示をしているというような内容です.インターネットの後に出てきたという意味では,ネットアートもポスト・インターネットアートも同じなわけです.ポスト・インターネットアートの影響からネットアートが変容していく,というようなことをネットの情報から書きました.展示の 特設ページ (dead link)のポップアップウィンドウが開きまくる感じが懐かしくもあり,でも,そのデザインが今っぽくもあって,味わい深いです. ボツテキスト 同時に,自分たちよりも若い世代が考案した「net.artdatabase」のフォーマットで展覧会の予告動画をつくり,リアルとネットが相互にインタラクションしている場を提示している.それは単にいつもネットをやっている風景にすぎないのだが,デスクトップやノートブックというパソコンのかたちに合わせて,ネットを体験しているリアルの場が変化していることが示されている.net.artにおけるネットとリアルとの関係を再考するようなこれらの展示形式に加えて,ネットもリアルも等価値に扱う「ポストインターネット」と呼ばれる状況のなかで作品をつくるアーティストの作品も展示することで,net.artが示してきた「リアルよりもネット」という関係が,2014年というポストインターネットのように「ネットもリアルもほぼ等価値」なものとして示せすことができるのでは.と問いかけているような展示の流れになっている. ー ネットとリアルとは等価値とは言いつつも,net.art世代のĆosić氏はひとつひねりを加えている.それは展覧会の特設サイトには展示されているすべての作品のリンクが掲載されていることである.私は日本にいながらにして,今回の展示されている作品をネットでは見ることができる.リアルな場所限定せずに作品を体験できるというのは,net.artだけでなく現在インターネット上で展開さている表現の大きな利点である.しかし,作品の本来のかたちはそのリンクの先にあるとなると,ギャラリーでの展示で作品を見るという体験は何を意味しているのであろうか.net.artを含めてネットアートをリアル...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_22

今年度も メディア芸術カレントコンテンツ で記事を書くことになりました.よろしくお願いします! 今回は「 カオス*ラウンジによる展覧会「LITTLE AKIHABARA MARKET」が開催 」という記事を書きました. 今,「インターネットヤミ市」を中心にネットとリアルとの関係のなかの「マーケット」について考えているので,カオス*ラウンジが展覧会のタイトルに「MARKERT」とつけていたのでとても興味をもった次第です.なので,以下のテキストも入れようかと思いましたが,今回はどうもしっくりこないので外しました. *カオス*ラウンジと並行して,リアルとネットとを等価な場として活動をつづけるインターネット秘密結社IDPWによる「インターネットヤミ市」や,ラファエル・ローゼンダール氏によるプロジェクターをもちよって作品を自由にプロジェクションする「BYOB」,そして,USBメモリやDVDドライブなどオフラインでのデータのやり取りのなかで作品の配布を行ったりするAram Bartholl氏の「Dead Drops」や「OFFLINE ART」など,インターネット的感覚を多分に自らに取り入れた作家・集団が独自のフォーマットをそれぞれつくりだしていることはとても興味深い.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_21

記事を書きました→ Googleの新プロジェクト「Tango」と、Holly HernDon氏と谷口暁彦氏によるミュージック・ビデオ「Chorus」に見る「3Dモデリングという表現」の可能性 Googleの新プロジェクト「Tango」によって「3Dモデリング」という手法が表現のプラットフォームになっていくときにおそらく見えなくなっていくであろう「裏からの視点」というものを,Holly HernDon氏と谷口暁彦氏によるミュージック・ビデオ「Chorus」が示しているのではないか,ということを書きました. 谷口さんが行っている写真を撮るように3Dモデリングをしていくという行為[→ 日々の記録 ]は,ヒトとコンピュータがともにつくりだす「多視点性」という点でとても興味深い.「多視点性」というのは,ヴィレム・フルッサーがカメラとともにあらわれたテクノ画像の領域では,より多くの視点を取ることが重要になってくると指摘していたことを意識しています.谷口さんが行っていることはカメラ単体では不可能であったし,ヒトも見たことがなかったモノの「裏」からモノを見るというか,モノの表即裏という視点をつくりだしている点で,ひとつ視点をつけ加えているものだと思います.それは「3Dモデリング」にはつきものの視点であるから,谷口さんのオリジナルなものではないかもしれないけれど,日常の中にこの視点を取り入れるという視点がとても新鮮であり,モノの表即裏というコンピュータの演算によって生み出される視点を際立たせているのではないか,と私は考えてます. カレントのテキストでは「親密さ」という言葉も出てくるのですが,それはヒトとコンピュータとがつくりだす世界における「親密さ」は「3Dモデリング」に現れる/記録されるのではないかということです.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_20

記事を書きました→ ロッテルダムのMAMAがラファエル・ローゼンダール氏によるJODIの解説ページを開設 ネットアートのパイオニアJODIの作品について,ネットアートの革新的良心(?)ラファエル・ローゼンダールが「実況」している映像についての解説を書きました. 記事にはうまく書けなかったけれど,ラファエルさんのこの試みはアーカイブ的にも興味深いと思います.ということでボツテキスト. ネットアートのアーカイブに関しても,ローゼンダール氏のJODI実況は興味深い.ローゼンダール氏はゲームを題材にした《http://www.untitled-game.org/》にアクセスするのだが,そこ書かれていたのは「mac OS9」という文字である.それはこの作品が現状のMacOSでは動かないことを意味する.そこでローゼンダール氏はYouTubeにいき「jodi untitled game」と検索して,その作品が撮影された動画を探すことにする.ここでの彼の行為が示しているのは,作品がOSのバージョンの違いによって動かなくなることであり,同時に,その作品が「映像」としてYouTubeやVimeoなどの動画共有サイトに残っている可能性があるということである.ローゼンダール氏はJODI実況をJODIのアーカイブページを探すところから始めたのだが,最後になってJODIのアーカイブページである「http://joid.org/archive/」を見つける.そこにはJODIの作品だけではなく,作品に関する動画・画像を含んだあらゆるページヘのリンクがある.そして,ローゼンダール氏は見つけたアーカイブページをWikipediaのJODIのページに「Full archive of Jodi」というリンクを追加する. そして,考えれるほど興味深いということで,ボツテキスト.「実況」が映し出す行為の連鎖みたいなものがあるのかなーと思います. 実況の最後の方で,ローゼンダール氏は《http://x20xx.com/》を体験しながら,映像作品のようにリニアに決定されているように見える作品もプログラムから生成されたものであることを指摘する.作品そのものではないが,ローゼンダール氏のJODI実況も決まった順路で作品を巡っていくのではなく,彼がリンクを行きつ戻りつしながら作品を見ていく様子をスクリ...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_19

記事を書きました→ 「インターネット・カルチャー」を特集した「MASSAGE」の第9号が刊行 インターネットには2種類のスピードがあるということを「MASSAGE」に掲載さていた作家のインタビューを引用しながら示しました.2つのスピードのひとつは歴史の形成もさせないような作品・画像流通の速さで,もうひとつは作品制作におけるアイデア→制作→発表という一連の流れ自体の速さです. [この2種類の速さというのは,私が「MASSAGE」に書いたライダー・リップス氏についてのテキスト「 『新鮮な暗闇』に立ち向かうためのユーモア 」で書いたものに通じるものです] また,最終的にはうまくまとまらなかったので削除しましたが,2つの速度とそこから生じる大量の画像の蓄積とのあいだで「イメージの中の手触り」が生じるのではないかということも書いていました.「イメージの中の手触り」というのは「MASSAGE」にヌケメさんが寄稿したインターネットとファッションとの関係を解説したテキストにあった言葉です.響きがいい言葉です.なので,どうしても使いたかったのですが… ヌケメさんとは異なる観点から「イメージの中の手触り」が生じる,まさにその状況を考えるのがとても難しかく,挫けました. インターネット・カルチャーのなかのアーティストのインタビューや ヌケメ さんのファッション記事が読める「 MASSAGE 」を是非,読んでみてください! −− 以下,ボツテキストです. カレントコンテンツのテキストの「歴史」「スピード」のあとに書いていてものになります. 手触り ニューヨーク在住のAlexander Gibon氏がスウェットやTシャツの画像にグラフィックを貼りつけた作品を大量に上げたTumblrのプロジェクト「 Bad smelling boy 」.Alexander Gibon氏は制作したグラフィックを洋服に貼りつけて発表することに対して,それは「アート」でも「ファッション」でもない「どこにも属していないもの,実際に存在していないものに属することは,とても健康的なことだと思ってる(p.103)」と述べている. グリッチ刺繍で有名なヌケメ氏は,Gibon氏のプロジェクト「Bad smelling boy」を含めて,インターネットとファッションとの関係を論じている.その論...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_18

記事を書きました→ 「いま、映像でしゃべること?- Orality in Moving Image -」が開催 12月7日、8日に渋谷ヒカリエ 8/ COURTで開催された東京藝術大学大学院映像研究科オープンラボ「いま、映像でしゃべること? – Orality in Moving Image -」presented by GALAXY Lab. について書きました. 記事のなかで「私はここ1年くらいのあいだ,スマートフォンを使った作品に対して言語化できないモヤモヤしたもの感じていた」と書いていますが,このモヤモヤのキッカケは今回も出品していた谷口暁彦さんの個展「 思い過ごすものたち 」でした.この展示を見てブログを書いたのですがそのタイトルが「 ユラユラフラフラしているモノ 」なので,ユラユラフラフラしたモノに対してモヤモヤをずっと抱いていたといことになるでしょうか. 「いま、映像でしゃべること?」ではサムスン電子のGALAXY というスマートフォンが使われていました.タッチ型インターフェイスを備えたデバイスですが,今回は「タッチ」という部分ではなく,その板状のかたちがフィーチャーされていました.板状のデバイスがつくることができる映像の可能性を探るという感じです.ただその際に「映像」だけが取り上げられていることが気になりました.1日目のトークに出ていた徳井直井さんは私とは逆の観点ですがこのことを上手く指摘してくれています. モバイル端末を使った映像表現というとどうしてもOSが取り込んだ映像データをソフトウェアの上でごにょごにょすることを考えがち.  一方で開発者でない芸大生はまず端末を設置するフレームをレーザーカッターで作ったり,カメラにつけるアタッチメントを作ったり,端末をのせて走らせるラジコンを作ったりと、 OSがデータとして取り込む前の映像,そしてディスプレイに表示され出力される映像の見せ方,端末の「外」を最大限に利用していました. Nao Tokui loves to write.  私は徳井さんとは逆に端末の「外」を利用したものよりも,「センサーをハックする」というテキストを会場で販売されていたブックレットに書いていた谷口さんの作品のように端末の「内」も最大限に利用したものに惹かれました.それは目の前にある一枚の...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_17

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記事を書きました→ アートユニット・エキソニモの個展「エキソニモの『猿へ』」が福岡で開催 ブログでは個別の作品紹介をしないで書いているので,今回は短いですがひとつひとつ紹介していくかたちにしました.記事を書いていて,最後にポール・ゴーギャンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」というタイトルの絵画のことを思いました.いつもよりも長くなっていますが,読んでください.そして,展示を見に行ってください.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_16

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記事を書きました→ デジタルアートのオークションPaddles On!が開催中 この記事に入れると長くなりそうだったので入れなかったのが「インターネットヤミ市」と「Paddles On!」との対比.この対比からは英語圏と日本におけるアートをめぐるインターネット・リアリティのちがいが見えてくるのではなないかと考えています.インターネットヤミ市についてはつい先日,ドキュメンタリー映像がYouTubeにアップされています. [ヤミ市や開催団体であるIDPWについての雰囲気を伝えるギズモードの記事→ 「インターネットヤミ市」や「どうでもいいねボタン」を生んだ秘密結社IDPWドキュメンタリーフィルム公開(動画) ] デジタルアートやネットアートを扱ったオークション「Paddles On!」に関する記事を読んでいくと,ネットアートという「変わり者」が現代美術界というビックリーグへ参入しだしたという流れがあります.アーティストであり批評家としても鋭いテキストを書いているブラッド・トルメルはTumblrなどで活動しているアーティストの集団を「マイナーリーグ」と呼んでいました.彼ら・彼女らが「アートワールド」の一軍に昇格できるかどうかの試金石が今回のオークションになりそうです. 対して,日本ではインターネットの初期から活動しているエキソニモも参加しているIDPWが,ネットに関する面白いものをアンダーグラウンドに集めて「インターネットヤミ市」を開催しました.そこにはインターネットはアンダーグラウンドな場所で自由だったけれども,近頃,その自由がなくなってきているよねという意識があって,だったら,さらなるアンダーグラウンドとして「現実の地下」的な場所に行こうという流れがあります. 英語圏には「アートワールド」がしっかりと存在しているので,ネットアートの人たちはそこにどう入り込むか,あるいは逆にアートワールドも虎視眈々と「次の」作家を探しているので,今回のように双方の思惑が一致することもあるわけです.そのなかで「データ」といういくらでもコピーできるものに どのような価値づけができるのか,ということをアーティストとオークション会社がそれぞれの立場で挑もうとしていると思われます.今回のオークションにおいては,あとはコレクターがどのような判断を下すのか...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_15

記事を書きました→ OKFocusが顔文字ジェネレーター「Newmoticons」を発表 ლ,ᔑ^人^ᔐ.ლ メディア芸術カレントコンテンツ に「顔文字」についての記事を書きました.記事に書いたように「顔文字」も興味深いのだけれど,取り上げたふたつのプロジェクトを行っている人たちがデザインとアートの領域を跨いで活動していることもまたとても興味深いです. -- 今回の記事では取り上げようとした「おおがきビエンナーレ 2013」で開催された渡邊淳司さんと秋庭史典さんのトーク「〈生命〉を感じる体験デザイン」は記事にまとめるのが難しくて断念.自分のブログに書こうと思っています.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_14

(少し前になりますが)記事を書きました→ オリア・リアリナ氏が新作GIFアニメ《Summer》を公開 「GIF」を使ったあたらしい表現の紹介です.詳しくはカレントニュースで! あと,《Summer》と一緒に紹介したかった作品→ The Pirate Cinema by Nicolas Maigret  はP2P通信からデータをとってきたその映像を見せるという作品. 《Summer》もそうですが「一対一対応」から逸脱して映像を見せるということが面白いです.データ伝送が今よりも速くなって,ネットとの接続に「ズレ」がなくなっていくと,そこではひとつの地点からデータを受け取るのではなくて,複数から受け取りつつも,それに気づかないということが起こるのではないのか.それが何を意味するのかはわからないのですが,ズレがなくなり,複数のデータがスムーズにつながっていくことから,あたらしい映像表現がでてくるのではないかということを,上の2つの作品から考えました. 追記 文字数の関係から記事から外したテキスト.GIFアニメをVineで撮影して説明するということについて. −− また興味深いことに,コナー氏はリアリナ氏の《Summer》を「Vine」という映像制作共有アプリで撮影した動画を 紹介記事 に添えている.Vineは最長で6秒という制限を撮影時間に設けることで映像を手軽に作成できるアプリであり,GIFアニメの代わりとなるかもしれない映像表現のひとつである.GIFアニメをVineを用いて紹介するということにも,技術的環境の移行を示す徴候があらわれている. こんな感じ インターネットという技術的環境は接続速度やHTMLの仕様などが常に変化しているため,ウェブ上の作品は当時の環境そのものを保存することが不可能に近い.それゆえに,ウェブ上の作品は美術館などに収蔵されている絵画や彫刻などに較べて,多くの人にいつでもどこからでも見る機会を与えるものだが,それが作品本来の見え方なのかはわからないし,突然見れなくなることも少なくない.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_13

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記事を書きました→ リアクションが全く生じないメッセージアプリ「ETHIRA」 アマリア・ウルマン(Amalia Ulman) 氏の「 ETHIRA 」というメッセージアプリについて書きました.タイトルにもあるようにこのアプリはメッセージへのリアクションが全く起こりません.ただただメッセージを投稿するのみのアプリです. テキスト入力前 テキスト入力中 テキスト送信→数秒表示 送信後数秒でテキスト消える

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_12

今年度も メディア芸術カレントコンテンツ に記事を書くことになりました. 今年度最初の記事→ 作品をコピーしあう仲間たちのクラブ:《The Copy Companion Club》 《The Copy Companion Club》は現存作家の作品をコピーし続けます.デジタル情報になったら「⌘C+⌘V」でコピーできるのだから行為の上では「オリジナル」がなくなったように感じつつも,サイト上でオリジナルとコピーの作品を並列することで「オリジナル」の存在を強く押し出している感じもする.しかし,そこに掲載されている「オリジナル」の作品はデジタルデータ化されたものであるから,それ自体がコピーであるとも言えます. 《The Copy Companion Club》の創設者のひとり Caroline Delieutraz はネットを流通している画像を用いて作品をつくっているアーティストです.自己紹介文に次のような一文が書かれています.  彼女は「オリジナル」の消去と呼ばれることや,それと関連するコピー・アンド・ペーストの世界という概念を恒久化しようとしているのかもしれない.しかし,画像データのオリジナルや他の人によってつくられた作品を否定するわけではない.それどころか,大本の画像は彼女の作品に統合され,重要な部分になる. She might be perpetuated what could be referred to as the deletion of the "original", a relative concept in a world of copy-and-paste, but she does not negate neither the origins of these data nor the work done by the others. On the contrary, direct sources of images are an integral and significant part of her work .  彼女の言葉からは「オリジナルなんてものはもうない」という意識と「いやいや,つくった人いるのだからやはりオリジナルはあるでしょ」という意識とが衝突しているようにみえる.「コピー・アンド・ペーストの...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_11

記事を書きました→ 《Data Centers Grand Tour (This Data Belongs Here)》が示す地球の上の「データの場所」 Silvio Lorusso による《 Data Centers Grand Tour (This Data Belongs Here) 》は,データが「ある」場所を示す作品です.私はこの作品を体験ときに「地球」を強く意識しました.しかし,そのときの「地球」はひとつではなくふたつです.ひとつは,スチュワート・ブランドの『 ホールアースカタログ 』でも表紙を飾った宇宙から撮影された「地球」.もうひとつは, Google Earth が示すような「青くて丸い地球」ではあるけれど,ズームインすることで,地図のように平面になってしまう「データによる地球」です.「データによる地球」は「earth.gif」とも関連をみつけられそうです. また,最初は「データがある」ということを示すシンプルな作品だと考えていたのですが,テキストを書いていくと,とても複雑なものに思えてきました.例えば,「データがある」ということはどうゆうことなのか.そういったことを考えてみたのですが,結局はうまくまとまりませんでした.以下,ボツテキスト. 「インターネット」というもうひとつの世界を成立させているのが「データ」であることは確かだが,それが地球上のどこかにある「建物」にあることを意識させると同時にそれが衛星写真という俯瞰の映像で捉えられていることがとても興味深い.ストリートビューのような地上レベルの画像であっても,私たちはそこにデータの存在を認めるのであろうか.俯瞰であるからこそ,そこに「データがある」ことを認めるのだろうか.  しかし,その「ある」をどのレベルに求めるのかを考え始めると混乱しはじめる.データセンターなのか,サーバーラックなのか,それともメモリーなのか.このように考えると,「データ」は今までのモノが「ある」という感覚と同じレベルでは存在しないのではないか.それでも,データをモノのように感じたいと,私たちは願うのではないだろうか.それが《Data Centers Grand Tour (This Data Belongs Here)》によって行われているデータにデータセンターという建物を与えることことだと考えら...