お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_16

記事を書きました→デジタルアートのオークションPaddles On!が開催中

この記事に入れると長くなりそうだったので入れなかったのが「インターネットヤミ市」と「Paddles On!」との対比.この対比からは英語圏と日本におけるアートをめぐるインターネット・リアリティのちがいが見えてくるのではなないかと考えています.インターネットヤミ市についてはつい先日,ドキュメンタリー映像がYouTubeにアップされています.



[ヤミ市や開催団体であるIDPWについての雰囲気を伝えるギズモードの記事→

「インターネットヤミ市」や「どうでもいいねボタン」を生んだ秘密結社IDPWドキュメンタリーフィルム公開(動画)


デジタルアートやネットアートを扱ったオークション「Paddles On!」に関する記事を読んでいくと,ネットアートという「変わり者」が現代美術界というビックリーグへ参入しだしたという流れがあります.アーティストであり批評家としても鋭いテキストを書いているブラッド・トルメルはTumblrなどで活動しているアーティストの集団を「マイナーリーグ」と呼んでいました.彼ら・彼女らが「アートワールド」の一軍に昇格できるかどうかの試金石が今回のオークションになりそうです.

対して,日本ではインターネットの初期から活動しているエキソニモも参加しているIDPWが,ネットに関する面白いものをアンダーグラウンドに集めて「インターネットヤミ市」を開催しました.そこにはインターネットはアンダーグラウンドな場所で自由だったけれども,近頃,その自由がなくなってきているよねという意識があって,だったら,さらなるアンダーグラウンドとして「現実の地下」的な場所に行こうという流れがあります.

英語圏には「アートワールド」がしっかりと存在しているので,ネットアートの人たちはそこにどう入り込むか,あるいは逆にアートワールドも虎視眈々と「次の」作家を探しているので,今回のように双方の思惑が一致することもあるわけです.そのなかで「データ」といういくらでもコピーできるものにどのような価値づけができるのか,ということをアーティストとオークション会社がそれぞれの立場で挑もうとしていると思われます.今回のオークションにおいては,あとはコレクターがどのような判断を下すのかという状況にあります.

でも,日本には「アートワールド」というものがそもそもないので,そこでは「マイナーリーグ」という概念すら生じません.さらには「アート」と「アートでないもの」の区別すら希薄になっています.なので,ネット上にある「アート」は「アートの」に経済価値を見出すということも皆無になっているような感じです.そのような状況のなかで「知的すぎて馬鹿になってしまった人たちが、石やゴミデータなどどうでもいいものを売ったり買ったりする熱狂的なイベント[ギズモードの記事より引用]」としてインターネットヤミ市が第2回まで開催されているわけです.そこにはお金の流れが生まれています.しかし,それは「ヤミ市」という場の力が大きいという感じがします.

「オークション」という制度でお金の流れを公につくりだすのと,アンダーグラウンドの場の力のなかでの私的なお金の流れ.このふたつのあいだに違いがあるとすれば,制度のなかで一度生まれたお金の流れは継続的に発生していくということでしょうか.今回のオークションが成功すれば,ネットアートは少しずつ現代美術界に入り込んでいくでしょう.それとともに「データを買う」ということへの意識も変わっていくことでしょう.作家だけでなく,オークションという制度が絡みつつアートワールド全体が購買・所有の意識を変えていくとしたら,「インターネットヤミ市」の位置づけはどうなるでしょうか.「インターネット的なもの」が制度に入り込んでいく/飲み込まれていくなかでの「ヤミ市」という図式になるとすると,それは「ヤミ市」のもともとも出発点でもあるので,常にその制度の外に存在し続けることになるのか.それとも,「データ」や「インターネット」に関する意識が変化するなかで「知的すぎて馬鹿になってしまった人たち」がふと我に返り「知的な人たち」になって,その熱狂は冷めてしまうのでしょうか.と同時に,「ヤミ市」に売られていたようなものが英語圏のオークションに出品されるようになるのでしょうか.

今の段階ではよく分からないことだらけなのでで,まずはオークションの結果を待つことにします.

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