メモ:コンピュータを前にしてヒトは動きすぎてはいけない

「ヒトはこれまで複雑な行為をしすぎてきたのではないだろうか?」というようなことを三輪さんとのトークで言った.行為の複雑化と思考との関係.思考をコンピュータに担ってもらう,演算部分だけでもやってもらうとしたら,身体は複雑な行為をしなくてもいいのではないだろうか.複雑な行為をすることがヒトのヒトらしさではないことに,コンピュータは気づかせてくれたのではないだろうか.

千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない』を読む.タイトルと「中途半端さ」の哲学というところに惹かれた.

タイトルの言葉からヒトとコンピュータとの関係を考えた.

コンピュータを前にしてヒトは動きすぎてはいけない.動きすぎるとコンピュータになってしまう.いや,コンピュータのような論理演算を身体にインストールされる/してしまう.そうしたら,もうヒトではない.ヒトがヒトでありつつも,コンピュータをうまく組み入れていくためには,ヒトは動きすぎてはいけない.マウスで操作するくらいが丁度いいのかもしれない.ジェスチャーは動きすぎているのかもしれない.それは一見ヒトの自由をコンピュータに組み込んでいるようであるが,それはコンピュータがヒトの自由を利用しているにすぎないのかもしれない.

「考え」というか「演算」はコンピュータにやってもらおう.それでいい.思考の外在化を押し進める.そのためには身体を動かしすぎてはいけない.演算を完璧に組み込まれた身体はマシーンとなる.それではいけない(ような気がする).「ヒトはこれまで複雑な行為をしすぎてきた」と考えるならば,コンピュータを手に入れて演算を引き受けてもらうことで,ヒトは複雑な行為を行わなくてよくなるはずである.より単純な行為を行うなかで,単純だからといって動きすぎてはいけない.単純でいて,動きすぎない行為をしていく身体をコンピュータによる演算の外在化とともに考えていく必要がある.

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