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紀要論文 オリジナルからアルゴリズムとともにある「ソースへ」:常に変化していくデジタル画像を捉えるための枠組みの転換

昨年度まで非常勤でお世話になっていた 名古屋芸術大学 の研究紀要に「オリジナルからアルゴリズムとともにある「ソースへ」:常に変化していくデジタル画像を捉えるための枠組みの転換」という論文を書きました.自分的には ucnv さんの作品を通して「グリッチ」を扱った第3節「ソースを映し込むグリッチ」が気に入っています. 紀要で手に入りづらいので, PDF です(しばらくしたら名芸の http://www.nua.ac.jp/download/kiyou.html でページ数が入った正式なものがあげられると思います).もし興味があって,時間もたっぷりあるという人がいたら,ご利用ください. [追記_20140812:名芸にPDFがアップされました→ http://www.nua.ac.jp/kiyou/kiyou2014_2.php?file=/0002%8C%A4%8B%86%8BI%97v%91%E635%8A%AA%81i%98_%95%B6%81j/0022%90%85%96%EC%8F%9F%90m.pdf&name=%90%85%96%EC%8F%9F%90m.pdf ] また,以下のテキストは論文でもっとも重要だけれど,もっと考えないといけないことがたくさんある第2節「アルゴリズムとともあるソース」です. −− 第2節 アルゴリズムとともあるソース ケネス・ゴールドスミスは『非創造的な書き方』で,絵を描くことにとって写真が大きな影響を与えたように,インターネットが文章を書くことの性質を変えるとしている6.その理由はコンピュータのOSが何百万行のテキストで書かれていたり,画面上の画像や音楽,そしてテキストもまた「言語」で構成されているからである7.ゴールドスミスはインターネットとともにあるテキストを論じるが,そこにはJPEG画像が正常に表示されずに文字化けすることや,シェクスピアの画像を文字列で表示させその文字を操作して画像を変形させるといった画像と文字が表裏一体となった例が数多く示されている.インターネット以前も,コンピュータが表示する画像は文字としても表示できたが,文字としても表示できる画像がこれほどまでに流通したのはインターネットによるところが大きい.複製技術のもとでテキストはテキストとして,画像は画像としてコピーされ続けた...

ucnvさんのアーティストトークとともに考えた「サンプル」と「顕在化」

【今回のテキストはTumblrに書いた memo とそれへの付け足しでできています】 ucnv さんのトークをICCで聞きました.ICCの オープンスペース2013 で展示されている 《Tab. Glitch》 をずーっと見ていると,何を見ているのかわからない状態になっていたのですが,トークを聞いてその謎が自分的に解けてきたような気がしました.それは,僕は「写真」とか「画像」という形式・メディアにとても引っ張られているなということです. 《Tab. Glitch》はグリッチした「画像」がプリントされた「写真」状のものが整然と並べられています.どれも「グリッチ」されたと感じられる「画像」であり「写真」です.「画像」「写真」という言葉を使った時点で,そこに「オリジナル」を探したり,どれも「コピー」なのかなと思ったりします.また「グリッチ」という言葉から,今見ている「画像」なり「写真」なりの「下」というか,ここには見えていない「文字列」の操作がこの今見えているものをつくりだしていると考えてしまう. もちろん目の前にあるものは「画像」であったもので,それをプリントした「写真」みたいなもので,そこに写しだされているものには「グリッチ」という名前が与えられているのだけれど,ucnvさんとゲストの谷口暁彦さんの話を聞いていると,それはほんの少し違うように思えてきました.ucnvさんがしきりと《Tab. Glitch》の展示を「昆虫採集」に例えていました.「グリッチ」という現象を採集して,標本化するということです.ここで比喩をあえて文字通りに受け取ると,昆虫採集で採集され,ピン止めされて標本化されるのは「個体」です.「個体」にはオリジナルもコピーもなく,ただそこにいて,採集されて,標本化されているサンプルにすぎません.それは「画像」とか「写真」とかがもつ「オリジナル/コピー」といった意味がなく,単に「サンブル」でしかないのです.このように考えると,《Tab. Glitch》を見ているときの「分からなさ」が少しなくなっていったような気がしました.僕が見ていたのは「グリッチ」という現象のサンプル集だったわけです.それは「画像」や「写真」という形式で定着されているから,そこに意味が引っ張られることがあるのですが,そこには大きな意味はなくて,あくまでもグリッチという現象の「サ...

告知とメモ_トーク・イベント:ラファエル・ローゼンダール+インターネット・リアリティ研究会

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7月20日(土)から川崎市民ミュージアムで始まる「 セカイがハンテンし、テイク 」展の関連イベントでアーティストの ラファエル・ローゼンダール と インターネットリアリティ研究会 による トークイベント(20日14:30から) があります.お時間があるかたは是非お越しください. 以下,ラファエル・ローゼンダールについてのメモです. ラファエル・ローゼンダールはネットに多くの作品を発表しています.そして作品を掲載しているドメインを売るという手法で「ネット上の作品を売る」という行為を成立させました.例えば, falling falling .com (2011)にいくと作品が見られると同時にタブの部分に「collection of hampus indwall, falling falling .com by rafael rozendaal, 2011. sound by gloumouth1」とオーナーの名前と作品クレジットが記されています. falling falling .com_スクリーンショット ここで興味深いのは,作品がhampus indwallに購入されているのにも関わらずネットに自由に見ることができるという点です.その理由は作品売買の契約書(契約書のテンプレートは公開されています→ http://www.artwebsitesalescontract.com/ )にあります.そこには「作品オーナーはウェブサイトをオンラインに残し,みんながアクセスできる状態にしておかなければならない」と書かれています.なので,気に入った作品を購入しても一人占めはできないようになっているのです.このことはネットにおける「所有」という概念を考える上で重要なひとつの例だと考えられます. 契約書で気になる点が「データの引渡し」の項目です.そこでは基本的に3つのファイルが引き渡されると書かれています. オンライン・ファイル:ウェブページを表示するのに必要なもの 展示ファイル:MacやPCで展示を行うためのもの ソース・ファイル:将来,必要になるかもしれない修復のためのもの これら3つのファイルが引き渡されるわけですが,これらのどれもが「オリジナル」として機能することになるのか,それとも「ソース・ファイル」が「最も」オリジナルなものなの...

メモ:VIlem Flusser "Into the Universe of Technical Images"

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Into the Universe of Technical Images (Electronic Mediations) ヒトとコンピュータとの複合体としてメディアをより精緻に考えるべきだとフルッサーは考えていたと,マーク・ポスターは述べつつ,ドゥルーズもメディアを考えてこなかったとしている. -- テキストとイメージが交代すると二次元的な情報になる. 次元をもたない画像とポスト歴史→「貧しい画像」に囲まれているというのはまさにポスト歴史なのかもしれない.いやいや画像に「深さ」を求めるをやめるべきだとライダー・リップスなんじゃないの.そこに見えているものだけだし,そこにユーモアがあるかどうかでしょ. テクノ画像がもっている幻覚的な力←これどういうことなのかもう一度読んでみるべき. 機能のための粒子・パーティクル.粒子の計算.ピクセルの計算. 「見えない可能性」から「見えている起こり得ないこと」へ.これは大きな変化←と書いたけれど何が大きな変化なのだろうか.「見えない可能性」を探ることをやめようとすることには賛成.「見えている起こり得ないこと」って,CGとかの表現なのだろうか.それもそうだけれども「手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い」みたいな感じもありだとすると,the Joggingが日夜上げている画像のようなものになるし,それが「深さ」ではなく「ユーモア」で考えることができるとすると面白いのかもしれない. インターネットがコピーを誘う.誘惑された認識と選択. ヒトとコンピュータとの複合体から生まれる表象←これをあたり前に見てきた世代・状況としてのポスト・インターネットと考えてみてはどうだろうか? 「分解」と「構成」というふたつの相反する要素をもつテクノ画像. 作品(手),イデオロギー(眼),物語(指)を従えるコンピュータ・プログラム.テクノ画像の時代=世界実装の時代. ボタンのひと押しが「公私」の区別を破壊する!→リブログというボタン! ボタンを押し続ける→脳の構造→Tumblr! 空白に投射されるイメージ.空白ゆえのコピーなのではないだろうか? 「鏡のようにプログラムされている」だから,壊すと「本質」が生じる.世界をただ映し出しているだけではそれは世界のコピーでしかない.壊れることで世界が壊れ...

田中一光→セミトランスペアレント・デザイン

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先日,「 インターネットヤミ市 」に参加しました.そこでの戦利品の紹介などは後日書くことにして,今回は 21_21 DESIGN SIGHT で開催されている「田中一光とデザインの前後左右」で展示されている セミトランスペアレント・デザイン (以下,セミトラ)の作品について考えてみたいと思います. 田中一光という日本を代表するデザイナーについての展示については「すごい」というしかないという感じします.そんなグラフィックデザイナーの回顧展のなかにウェブ中心に活動しているセミトラが参加しているのが興味深いのですが,田中さんはデジタル表現についてとても興味を持っていたとセミトラの作品キャプションに書いてありました. セミトラの作品は「三宅一生+Reality Lab.」とともに「継ぐものたち」と名づけられたコーナーにありました.その作品は,まず田中一光のポスターが展示してあります. ポスターの横にディスプレイが2台あって,ひとつはピクセル状の映像が表示されていて,さらにその横に上の画像に「グリッチ」をかけたような映像が映されています.ポスターの前に立つと,横のピクセル状の映像が乱れますと同時に,グリッチ状の画像も乱れます.この3つの画像が連動していることに気づきます. ポスターとディスプレイとは逆の壁面を見ると2台のカメラが設置されています.キャプションを見ると,1台のカメラがポスターを撮影して,その画像をコンピュータで非可逆圧縮するそうです.それがピクセル状の画像で,この画像をもうひとつのカメラで撮影して,復元したものがグリッチがかかったような画像となっているということです.だから,ポスターとカメラのあいだに人がたつと,「田中一光のポスター+鑑賞者」が映像として捉えられ,圧縮変換され表示されて,さらに復元されて表示されるので,映像に変化が生じるわけです. ここで興味深いのは,体験者がポスターの前にたった時と,ピクセルの映像の前にたったときで,最後の映像の表示具合が異なることです.ピクセルの前に立ったほうが最後の映像の変化が大きかったと思います.「ポスター→ピクセル→復元映像」という流れで,鑑賞者が圧縮過程に干渉するか,それとも復元過程に干渉するかで異なる映像は何を示しているのでしょうか. そんなことを考えてい...

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと

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東京藝術大学 芸術情報センター で8月20・21日に開催された公開講座「 グリッチワークショップ 」を見学しました. 「データを壊す」ってどういうことなんだろうと疑問から見学させてもらったのですが,とても興味深い内容でした. ucnv さん, 林洋介さんによるグリッジの技術的な講義と 針谷周作 さんによるグリッチの歴史とその可能性を示す講義といった,グリッチをめぐる技術と概念を端的に学べました.ワークショップ参加者は,技術を学んだあとに,グループごとに作品作りをしていたので,単に見学していた私よりもはるかに深く「グリッチ」のことを理解できたのではないかと思います.制作には参加しませんでしたが,私自身もこれから自分がメディアアートを考える上で役に立つような「グリッチ」という概念を得たような気がします. ここからはワークショップに参加した私の個人的な感想です. ucnv さんがグリッチの定義として「データは壊れているけれども再生できる」と言われていて,ここでの「壊れている」って何だろうと思いました. バイナリエディタで画像ファイルを開くと,その画像を構成しているデータが文字と数字ででてきて,この時点で自分的にはファイルが「壊れている」と感じてしまうわけですが,それは,画像を構成するデータの別の見え方であるわけです.「攻殻機動隊」や「マトリックス」で,緑の文字・数字が画面を覆い尽くすことのイメージや,概念では画像データを文字・数字で示すことは知っていても,バイナリエディタで画像ファイルを開くだけで,それが文字・数字ででてくると,やはりそれまでとは違って,やはりそうだったのかということを感じます.その文字・数字を適当なところで消したり,コピペなどで編集,保存して,その画像ファイルを画像として開くと,画像が変な感じになっている.バイナリエディタでやっていることは,自分の感覚からいうと「編集」という行為ですが,その結果生じた画像は「壊れた」と感じる.「編集」から「破壊」が生じるという変な感覚です.さらに,コンピュータにとっては別にそのデータが「壊れている」というわけではなくて,それをデータ通りに画像として表示しているわけです. 元画像 バイナリエディタで編集 (ちょっとした)グリッチ画像 コンピュータはデータは壊れ...