田中一光→セミトランスペアレント・デザイン
先日,「インターネットヤミ市」に参加しました.そこでの戦利品の紹介などは後日書くことにして,今回は21_21 DESIGN SIGHTで開催されている「田中一光とデザインの前後左右」で展示されているセミトランスペアレント・デザイン(以下,セミトラ)の作品について考えてみたいと思います.
田中一光という日本を代表するデザイナーについての展示については「すごい」というしかないという感じします.そんなグラフィックデザイナーの回顧展のなかにウェブ中心に活動しているセミトラが参加しているのが興味深いのですが,田中さんはデジタル表現についてとても興味を持っていたとセミトラの作品キャプションに書いてありました.
セミトラの作品は「三宅一生+Reality Lab.」とともに「継ぐものたち」と名づけられたコーナーにありました.その作品は,まず田中一光のポスターが展示してあります.
ポスターの横にディスプレイが2台あって,ひとつはピクセル状の映像が表示されていて,さらにその横に上の画像に「グリッチ」をかけたような映像が映されています.ポスターの前に立つと,横のピクセル状の映像が乱れますと同時に,グリッチ状の画像も乱れます.この3つの画像が連動していることに気づきます.
ポスターとディスプレイとは逆の壁面を見ると2台のカメラが設置されています.キャプションを見ると,1台のカメラがポスターを撮影して,その画像をコンピュータで非可逆圧縮するそうです.それがピクセル状の画像で,この画像をもうひとつのカメラで撮影して,復元したものがグリッチがかかったような画像となっているということです.だから,ポスターとカメラのあいだに人がたつと,「田中一光のポスター+鑑賞者」が映像として捉えられ,圧縮変換され表示されて,さらに復元されて表示されるので,映像に変化が生じるわけです.
ここで興味深いのは,体験者がポスターの前にたった時と,ピクセルの映像の前にたったときで,最後の映像の表示具合が異なることです.ピクセルの前に立ったほうが最後の映像の変化が大きかったと思います.「ポスター→ピクセル→復元映像」という流れで,鑑賞者が圧縮過程に干渉するか,それとも復元過程に干渉するかで異なる映像は何を示しているのでしょうか.
そんなことを考えていると,この作品で画像を変換していくプロセス自体が,現在のイメージをめぐる状況であることに気づきました.ポスター等のモノがあり,それが画像になりJPEGなどに圧縮され,送信され,どこかのディスプレイで復元され表示される.田中さんの上の画像もJPEGです.おそらく世界中の多く人が現物のポスターではなく,このようなJPEG画像で田中さんのこの作品を見ているはずです.
そして,この状況に意識的なのがパカー・イトーやアーティ・ヴィアーカントなどのポストインターネット世代のアーティストです.彼らは自分たちの作品がJPEG画像として世界中の人に見られることを意識します.それはコピー可能であり,さらに改変も可能です.Tumblrでリブログされて画像が延々とインターネットに流れていくことを良しとする感覚.そのあいだに改変が起こっても良しとする感覚.これを「ポスター→ピクセル→復元映像」に当てはめると,「ピクセル→復元映像」のあいだへの干渉が,ネット上でのコピペやリブログ,そして改変にあたると考えられます.改変された画像はもちろんその変化が見た目的に大きいですが,その他のコピペ,リブログされたものにおいても,画像自体は変化しないかもしれませんが,それが持つ意味が大きく変わることがあります.例えば,多く人がグラフィックデザイナーとしての田中さんの作品をリブログしていくうちに,その作品が全く異なる文脈で評価されることもあるということです.それがきっかけで,田中さんの画像がGIFアニメに変化しているということもありうるということです.つまり,現在のネット環境では,作品の「復元プロセス」に多く人が関われるようになっていて,それゆえに,作品への干渉が大きくなっていると考えられるのです.
上のプロセスは,見る人によっては作品の「劣化」だと考えることもあるでしょう.セミトラの作品を鑑賞した人のなかにも,「田中一光さんのポスターをなぜ改変するのか」と思った人もいたかもしれません.しかし,ここでおこっていることは「劣化」でも「改変」でもないのです.では「何が起こっているか?」と聞かれると,はっきりしとした言葉が思いつきません.今までの考え方でセミトラの作品の目に見える部分だけを考えるならば,「劣化」「改変」という言葉ほど当てはまるものはないと思います.けれど,セミトラが提示しているのは「目に見える」部分だけでなく,それが生じる「プロセス」だと考えると,それはキャプションにも書かれているように「デザインのその先に光を宿す」ものなのです.そして,「その先の光」を名指す言葉を探す必要があるのです.