ÉKRITS_「中途半端な分かり方⇄Any-ness」が行き来するスカスカな管

ÉKRITSに「中途半端な分かり方⇄Any-ness」が行き来するスカスカな管」を寄稿しました。

佐藤雅彦さんと入不二基義さんという独自の表現・哲学をする二人を組み合わせて、意識に現れては消える表象を考えてみました🥸

2025年6月に佐藤雅彦さんにインタビューするための準備で感じた佐藤作品のこわさが、最も表れているのが「中途半端な分かり方」という表現でした。この表現の謎を突き止めたくなり、入不二基義さんの哲学を応用するといいのではないかと考えていました。そこに、入不二さんが「Any-ness・偶然性・現実性」という論文の先行読者を募集していたので、申し込んで、読みました。そうすると、みるみる謎が解けていきました。

あくまでもわたしの中で謎が解けたということですが、一つの表現の謎が解けて、そのとき、わたしに何が起こっていたのかを記述したテキストです。

ぜひ読んでみてください🙏

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