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Sketchpad と iPad:「ふたつの手」を考えるためのメモ

Sketchpad と iPad を並べてみる.ふたつの手が映っていて,一方の手がディスプレイ上のイメージに直接的に働きかけているところが似ている.コンピュータのひとつの流れとして,Sketchpad のボタンとペンと組み合わせでディスプレイ上のイメージに直接的に働きかけるところからはじまり,GUI でのマウスとカーソルとの組み合わせを経て,私たちは再びディスプレイ上で手を動かすようになった. Sketchpad ではボタンを押すこととペンを使うことで,ディスプレイ上のイメージを自由に描いていたのが,iPad では描くということは行っていないが,片方の手は装置を支えるだけで,もう片方の手がさまざまなジェスチャーでイメージを動かす.ボタンを押すことではなくジェスチャーをすることで,Sketchpad ではふたつの手の共同作業が必要であったものが,iPad ではひとつの手で行えるようになっている.iPad を支える手とディスプレイ上でせわしなく動く手.それは iPhone からはじまっていたこと. 片方の手はモノをしてのiPad, iPhone を持ち,もう片方の手はディスプレイ上のイメージと戯れる.モノとイメージとを同時に,直接的に感じ続けること.

カーソルという記号的存在

指とカーソルが連動している.マウスとのカーソルとのつながりとも異なる感覚.なんかとても違和感がある.どこかにタッチしているようで,まったくどこにもタッチしていない.指がどこにも触れていない.これは多分,疲れると思う.何か触れたときは,触れた物質からの反作用が確実にあるのだけれど,このインターフェイスにはそれがないと思われるから.そして,もしないとすれば,自分の中で物質からの反作用を作らなければならない.そうすると,触れるというアクティブな面と,物質から反作用というパッシブな面の双方を自分の身体で行うことになる.それでは,ヒトはインターフェイスから自らの輪郭を描けないのではないだろうか? 輪郭は,日常に散りばめられた無数の要因の中から,その状況に適応した顕著な因子が瞬時に抽出され結実する.輪郭は外側から導き出される,ということである.手で壁に触れて壁というものを認識することは理解できても,同時に壁が己の手の形を認識させていることにはふつう気づかない.輪郭を見いだすのは易しくない.それははっきりとしたものではない.砂の中のヒラメが動くことで姿を現すように,輪郭は動きの中で「今」「ここ」という瞬間に現れ,結像する.(p.18) デザインの輪郭,深澤直人 ここで「輪郭」という言葉を出したけれども,このインターフェイスの「輪郭」は,タッチによって与えられるのではなくて,カーソルによって与えられると思う.iPhone などのタッチパネルを用いたデバイスにはカーソルがなくなっている.それは.直接ディスプレイ表面に触れるから,そこで私たちの行為の輪郭が,触れる指,触れられる面,そしてそれに伴うイメージの変化で構成される.ここには「触れるー触れられる」という関係と,それに伴うイメージの変化がある.「指と面」との接触が行為の輪郭を描きだし,それにイメージの変化が付随する(もしくは随伴する). だが,このインターフェイスには「触れるー触れられる」の関係がない.それゆえにこの関係を擬似的に作り出さなければならない.この擬似的接触関係を作り出すために必要なのがカーソルである.もちろん,カーソルはこのインターフェイスに限ったものではない.マウスとの組合せ,古くはライトペンとも組み合わされていた(→の形ではないが).それらすべてが擬似的接触関係を作り出すためのものだったといえる.直...

言語的な決めごと/メタファー/人工的自然

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少し前に、工学部の学生と、アップルはなぜ一つボタンにこだわるかという議論をしました。「もうひとつか二つボタンがあるだけで、格段に使いやすくなるのに」という学生に、iPhoneのインターフェースは「やってみればわかる」を基本にしているからじゃないかと私は答えました。 複数のボタンを機能させるためには、必ずある種の決めごとが必要になります。その決めごとは文字や記号で表示されることになり、それを理解しない限り、そのキーを使うことはできません。アップルはそういう言語的な決めごとを嫌ったのでしょう。 iPhoneを使いこなす赤子 in 山中俊治の「デザインの骨格」 「言語的な決めごとを嫌った」というフレーズ.文字や記号での表示をしないこと.直観的と言われていること.「やってみればわかる」.こうなってほしいと思って,やってみるとその通りになる.こうなって欲しいという元に,物理的世界での法則があるときが多いけど,厳密に考えてみると違う.あくまでもメタファー.メタファーの連なり.でも,もうメタファーですらないのかもしれない.もともとメタファーは,ヒトがコンピュータを使っていることを「説明」するために使ったものであって,コンピュータで起こっている事象そのものではない.メタファーなしでコンピュータでの事象を説明すること.説明するためのメタファーが見つからないのではくて,そもそも使うための説明自体が必要ないこと. すべてのものは何らかの仕方でメタファー的に理解されるものです.そのとき,すべての物事は,言語使用なかで使用可能性の圧縮,同一視,豊富化の手続きによって,いわば技術的に自立化されます.「メタファー的」という言葉をこの広い意味で理解するなら,メタファーに対して非難を向けられる筋合いはありません.しかしまたその場合は,一般化して,たとえば「過程」という概念もメタファー的であると言うべきでしょう.この概念は,社会学には哲学から,哲学には法学から,法学には化学から取り入れられたのでしょうか.この方向は逆かもしれませんし,わたしはそれほど厳密に跡づけることはできません.いずれにせよ結局は,すべてはメタファー的なのです.(p.125) システム理論入門:ニクラス・ルーマン講義録【1】 メタファー的ではなく,直接理解されること.右に指を動かすと,ディスプレイ上のイメージも右に動く...

手が「本来」の器用さを発揮する /

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Mag+ (video prototype footage only) from Bonnier on Vimeo . このような電子書籍・雑誌はすぐそこまできているのでしょう.僕たちの手は本のページをめくってきた.本を開いて,その両端を親指で抑えたりしながら.指は,ページの端の方で,なるべく目立たないようにひっそりとしていた.ページをめくるときに,私たちの視界に入ってきても,すぐに端にいく手.じっとしている手.あまり動かない手.ページをめくる手.本を読んでいるときに,多くの時間をページをおさえる,そしてたまにめくるという行為を行っていく手. 下條 :子供にとって本の中身よりもページをめくることのほうが重要だったりするように,文化的に見えるものの生理的な基盤が,見えにくくても動かしがたくある.新しいIT技術はそこをまったくマーケティングしていないですよ.つまり,既存のメディアの周辺的に見えるようなデバイスで,歴史的かつ技術的な制約としてしか捉えられていないもののなかに,じつは人間の生物学的な構造の基盤が反映されていることがあると僕は思っているんです.(pp.155-156) 環境知能と環境管理をめぐって,東浩紀+下條信輔 司会=NTTコミュニケーション科学基礎研究所 in 環境知能のすすめ:情報化社会の新しいパラダイム Mag+の手,指は,せわしなく動き続ける.ここにはめくるという行為はない.ページは人差し指でスワイプされたり,親指でタップされると切り替わる.また,ページ上のイメージは,,人差し指で指されたれて,そのまま拡大されたりする.手はよく動く.私たちの視界の中に遠慮無く入り込んでくる.ページをめくることが「生物学的な構造の基盤」の反映なのか,Mag+で行っているような手の動きがその反映なのかはまだわからない.しかし,ヒトが長い間ページをめくってきたことは事実である.それがただたんに代替のテクノロジーがなかったからなのかどうかが,今やっと実験できるときにきたのではないだろうか. Mag+でヒトの手がせわしなく動くのを見ながら,私はディスプレイ上の→,カーソルのことを思った.コンピュータを使用している際に,私たちの手は視界の外にあるマウスなどのデバイスに置かれ,そこで比較的単純な行為を行ってきた.その単純な行為によって動かされているマウスは...

マウスとトラックパッド /

マジックマウスを買うまでは,MacBook のガラス製トラックパッドをよく使っていた.今も,このなめらかな表面をもつトラックパッドを気に入っているけれど.マジックマウスを使うことが多くなった.なんか手が伸びてしまう.マジックマウスの表面はプラスチックだから,多少ベタッとしていて指がひっかっかるので,ジェスチャーをしても気持ちよくないときが多少ある.でも,この「気持ちよさ」は,ガラス製トラックパッドに比べるということで,マジックマウスのジェスチャーにも満足している. で,結局,トラックパッドとマウスどちらにも満足しているにも関わらず,マジックマウスに手が伸びる.やはり,ヒトは物質的な何かを掴んだり,握りたいのだと思う.このことは 博論 で考えたことだけれど,何かを「掴んで動かす」ということはヒトの行為でとても重要なことなのだ.さらに考えると「掴む」という行為を行っているときの,指や手の平の組み合わせの仕方が重要なのではないか.当たり前だが,マウスを使っているとき,トラックパッドを使っているときとでは,手の使い方は全く異なる.コンピュータ上では,アイコンをドラッグするなど同じ「行為」を行っているにもかかわらず手の使い方は異なる.「能動的触覚(アクティヴタッチ)の生理学」という論文の中で,岩村吉晃氏はサルがどの指を使ってモノを握るかによって脳の体性感覚ニューロンの発火の仕方が違うことを示している.ヒトもサルと同じように,指の使い方と脳との間に関係があるのかどうかは分からないけれど,この岩村氏の指摘はトラックパッドとマウスなどインターフェイスを考える上でとても興味深い. 世の中にはものが数限りなく存在する.これらを手でつまんだり,持ち上げたり,あるいは道具として利用したりするとき,もっとも合理的な持ち方がある.これは相手の形によって違う.手のどの部分がどんな組み合わせで対象に触っているかが重要である.(p.172-173) 岩村 吉晃: “能動的触知覚(アクティヴタッチ)の生理学”, バイオメカニズム学会誌, Vol. 31, No. 4, pp.171-177, (2007) . コンピュータとの対話の中で,マウスが最も合理的なものかどうかは分からないけれど.マウスはデスクトップ・メタファーと結びついて一般化した.なぜ,マウスは「メタファー」という...

マジックマウスの慣性スクロール / Magic Mouse Scroll with momentum.

マジックマウスの慣性スクロール.iPhone でもできてしかも気持ちいいけど.マジックマウスの慣性スクロールも気持ちいい.同じ慣性スクロールなので,やっている行為,指の動きは同じで,ディスプレイ上のイメージの動きも同じ.でもなんか違う.iPhone は,とても滑りのいいガラスの上を指がすいすいと動いて,その指にイメージが反応している感じ.ガラスの滑らかさとイメージの指への吸い付き.マジックマウスは,すこし滑りがわるいプラスチックの表面なんだけど,緩やかな傾斜がついているので,指をその傾斜に沿わして動かしている感じ.指にイメージが反応しているのは一緒だけど,プラスチックも指に吸い付くし,イメージも吸い付く感じ.プラスチックの表面に指が物理的にくっつくことが少し気になる.でも,一番の違いは,iPhone は直接的にイメージに触れているように見えているのに対して,マジックマウスは,指とイメージとが離れているということなのでしょうか.最初は,マジックマウスの傾斜が重要かなとも思ったんですが….でも,この傾斜は人差し指で行ったり来たりするときに,私にとってはとても気持ちいい. どちらにしても,この慣性スクロールは,私たちの物理的世界の慣性をコンピュータの論理世界に入れてしまったわけです,でも,それも論理で実現されているわけです.まわりまわって,いつも私たちが体験していることが,ディスプレイ上のイメージで表現されるとなんか気持ちよさを感じてしまう.少し違うか.慣性というものだけが,ディスプレイ上のイメージに入り込んでいるから気持ちいいのか? 世界の物理法則の一部を切り取って,イメージに入れ込む.それも,私たちの行為にピタリと合った形で.そうすると,実現しているのは物理世界で起こっていることなんだけれど,体感としては何か新しいことが起こっているように感じてしまっているのか?  この新しく感じてしまう慣性スクロールとそれを行う表面の形状の関係について,最初に考えたのは,マジックマウスの緩やかな傾斜は,傾斜に対して私たちは日頃昇るときも勢いをつけるし,下るときは自然と勢いがついてしまうことと関係しているのではということでした.それが,プラスチックの表面という滑りの悪さを補うのかと.でも,私たちの物理世界から慣性だけを切り取って,それを指の...

マジックマウスの「重さ」/ "Weight" of Magic Mouse

マジックマウスを触ってきた.最初の印象は,薄いなあ,ちょっと表面の滑りが悪いなあということでした.マウスは手でしっかり握って使うものだと思い込んでいるせいもあって,マジックマウスの薄さはとてもきになりました.でも,twitter をみていると,みなさんわりとすぐに慣れてしまうみたいです. Gizmode では,この薄さは人間工学というよりも航空工学と言われていますがどうなのでしょうか.個人的には,マジックマウスは手で「握る」というよりも手を「置く」という感じですね.手を置いて,指をその上で動かす.そこで重要なのは,マジックマウスの表面の材質になってくると思うのです.指をその上で自由に動かせるようなものになっていないといけない.ピカピカのプラスチックはつなぎ目がなくスムーズな見た目で期待を持たせます.が,MacBook のガラス製のトラックパッドに比べると,ちょっと指に引っかかる感じがします.これは薄さよりも気になりました.前にも書きましたが,マルチタッチジェスチャーで重要なのは,指の動きをスムーズにするような表面の滑らかさだと思うのです.情報ではなく物質に触れる指がさほどの引っかかりを感じずに動かせるような滑らかさ.それは,情報には重さとか物理的な摩擦がないだけに,とても重要だと思うのです.指を滑らかに動かせて,ディスプレイ上のイメージ,つまり情報がそれに吸い付くように動くことで,気持ちよさを感じる.この気持ちよさは,前に「 吸い付きながらも滑りがよい 」と書きましたが「重さ」を感じさせないということなのかもしれません.しかし,指の汗などでプラスチックとの間に引っかかりが生じてしまうと,そこに何か違和感が生じてしまう.また,ガラス製のトラックパッドという新たな滑らかさの基準を知った身体には,プラスチックの表面を指でなぞる自体にちょっとした引っかかりを感じてしまう.そうするとそこに「重さ」のようなものを感じる.この「重さ」は,物理的な重さというよりも筋肉の緊張というものかもしれません.ディスプレイ上のイメージを動かすためになんか身構えてしまうような感覚.アップルストアで少し使ってきただけの印象ですので,長時間使ってみての感覚を自分で感じるとともに,多くの人が示す感覚を収集して,マジックマウス及びこれから出てくるマルチタッチジェスチャー対応のマウスの意義を考えてい...

10/GUIの可能性:吸い付きながらも滑りがよい / A possibility of 10/GUI: Smooth but sticky

10/GUI from C. Miller on Vimeo . 10/GUI の可能性.マルチタッチ・ジェスチャーを用いたインターフェイスの提案です.今のマウスを中心にしたインターフェイスは,もう30年以上も用いられてきたのだから,そろそろ新しいものになってもいいときかもしれません.が,僕はマウスという物理的なモノを「握る」ということが,ディスプレイ上のイメージという「つかみ」どころのないものを扱うには重要なのかなと考えてきました.「握る」ことと「触れる」ことは全く異なる行為だと思うのです.といいつつ,今は,MacBook のガラス製のトラックパッドに慣れて,マウスで行っていた作業を違和感なく行っています.でも,少し身体に意識を向けると,マウスとトラックパッドでは微妙に感覚が異なるんですね.特に,スクロール.マウスだと,スクロールバーをまさに「掴んで」上下させる感じだったのが,トラックパッドでは「掴む」というよりも,紙を指の先で上下させるという感じで,画面全体に指が吸い付いているような感じがします.そんなときに,スクロールバーが上下しているのを見ると変な感じなんですね.「掴んで」何かを動かすということは,ヒトが昔から行ってきた事だと思います.でも,指の先に何か吸い付いてそれを動かすということはあまりというか,普通に生活してきたなかではめったになかったことだと思います.「吸い付き」と書きましたが,実際にトラックパッドに指が吸い付いたら機能しないわけです.だから,トラックパッドの表面は滑りがよくないといけないわけです.アップルがマルチタッチとともにトラックパッドをガラス製に変えたのは,こうした機能的なことがあると思うんですけれども,僕たちの身体の奥底では「吸い付きながらも滑りがよい」というような相反することを実は感じているのかもしれません.そして,それはまったく新しいということでヒトに好奇心に基づく気持ちよさを与えるかもしれないし,拒絶反応を引き起こすかもしれません.僕は,とても気持ちよく使っています. 話を,10/GUI に戻すと,指の動きに吸い付くように動くディスプレイ上のイメージとそれを活かす画面設計が優れているので,話題になっているのでしょう.僕は,最初,なんか指がつりそうだなと感じましたが,実際使ってみるとすぐに慣れてしまうのでしょう.キーボー...

フリック入力の指の動き

フリック入力の指の動き.押しているのではなく,滑らしている感じ.指がとても器用に動いている.この時のそれぞれの指,手全体,手首,腕の筋肉の緊張具合はどのようになっているのでしょうか.自分でやってみるしかないですね.なんかタイルゲームをやっているみたいです.1個ずつタイルを動かして絵を完成させるやつ.指の動きとディスプレイ上のイメージとの関係の滑らかさ.音の小気味よさ.リズムの良さ.入力している人が慣れているからだろうけど,とても見ていて気持ちよい.あまり力を入れているという感じがしないのが新鮮.ケータイで文字を打つとき,これも僕はできないけど,キーボードを打つとき,これはできるけど,これらの何か物理的なキーを押すというのは明らかに違う感じがする.もっと密接にイメージと指とが関わっている感じ.イメージに指が吸い付いているというか,指にイメージが吸い付いているというか.今は,いろいろと観察していろいろと想像してみよう.そうして,自分でやってみて,その感覚を今見ているだけで書いていることにフィードバックしてみよう.

ただモノの表面に触れていくこと

触れること.何かに触れること.それはだいたいは持つためだったり,握るためだったり,押したり引いたりしたりするときに,手とモノとが接触することだったような気がする.ヒトとヒトとが触れ合うときには,触れ合うことが目的になることが多いけれど,ヒトとモノとの関係において触れることがメインになるときは,手触りを確かめるためが多いような気がする.指をモノの表面でツーと動かして,その感触を確かめる.感触を確かめるだけで,他に何をするわけでもない.愛でる,という感じ.そこではモノは動かずただあり,その表面だけを私たちに向けている.そのとき,手にはあまり力が入っていない.モノを動かしたりしないわけだから,そのモノが重そうに見えていようが,軽そうだろうが関係なく,指をただスーッと動かすだけ.押すという感触ともちとちがう.表面を指を滑らすようにする.なんかこのモノはまったく動く気配もなくというか,私たちがモノを動かす気配もなく,モノに手を伸ばすときというのは,あまり実用的ではないような.だから,愛でる,という感じ.でも,愛でているとき,触れているときに,指の感覚の解像度はドッとあがる.持っているときや握っているとき,押したり引いたりしているときとは全く違う.そう,まさに指の表面が主役となっている.折り曲げる指の関節や,手のひら,手首,肘,肩と続く筋肉が連動して何か動作を行う際の,モノへの接触面というなんか末端の役割のような感じではなく,指の表面の感覚こそに意識を集中するような.ただモノの表面に触れていくこと.モノを動かさずに,ただ触れること. そんなことを iPhone を操作しているヒトの手の動きを見ていると考えてしまう.使っているヒトの手の動きは何かを愛でているような,とても優しげというか,モノを扱っているように見えない.別に大切に扱っているというわけではないのだけれど,指の動きがなんか見慣れないのです.自分はまだ iPhone 持っていないので,まだ観察のみですが.実際に観察したり,youtube で動画を見ていたりすると,なんか興味深い指の動きをしているのです.自分が Macbook のガラス製のトラックパッドに触れているときも,とても滑りがよいときは,スースーと触っているような.どこにもひっかかりがなく淀みなく,ただ触れている.スクロールするためだったり,カーソルを動かすた...

手とマウスとの関係

アップルからマルチタッチジェスチャーに対応する新しいマウスが出るかもしれないという噂が出て久しいし,もうちょっとで本当にでるかもしれない.マイクロソフトも,マルチタッチジェスチャーを採用したマウスの研究成果を発表している. マウスは「握る」ものであったと僕は考えました.それは,指と手のひらを使って「握る」ことが,ヒトにとってとても原初的な行為であって,それが,コンピュータとの対話を一般化するための初期の段階でするするとインターフェイスに入り込んできたと思うのです.コンピュータという未知のものとのやりとりにおいて,ヒトの身体は古くから行ってきた「握る」という行為に頼った.「握る」ということは,持つことでもあって,持つことは,移動することでもあってと,いろいろと応用ができます.で,もっともっといろいろなことをしたいとヒトは手の使い方,とくに指の使い方を洗練させていったのではないでしょうか.で,マウスにマルチタッチジェスチャーが採用されますと.「握る」+「触れる」ということなるでしょうか.「触れる」は,対象の危険性を判断するために必要な行為であったりするし,愛撫などで触れるということは,感情を伝えるということもあるでしょう.でも,「握る」のようにものを何処かに動かしたりという物理的な変化,目に見えるような移動とかの変化を認めにくいような感じがしています.それがどうしたということなんですが.特になんでもないことなのですが,なんか引っかかっています.で,自分の感覚だと,何かを握っているときより,何かを触れている時の方が感覚の解像度が高い気がします.触れるっていうことに基づいたジェスチャーを頻繁に行うということは,指の感覚の解像度を上げることだったり,運動の可能性を開くことになるのでしょうか.

身体の構成の強さと映像技術の強さの間

それは私たちの知覚に浸透し,知覚を拡張し,分散させ,視覚・聴覚の構成そのものに作用しうる.映像は,多くの場合,何かを伝達し,あるいは物語るという次元で受けとられて消費されるが,同時に映像は,視覚・聴覚,そしてそれらを通じて他の知覚にまで作用し,知覚の構成を決定し変化させる.そのようにして映像は有機的な身体の中に浸透し,別の身体を構成しうる.おそらく機械による映像を経験して一世紀を経た人間の身体は,すでに別のものになっている.(p.197) 宇野邦一『映像身体論』 再構成された身体のほうへ 映像への触覚の介入:映像へ介入することができる身体の構成の変化. 自動的に生成される映像. 動く映像. 見る,聞く,動く. そこに,触れるはなかった. 現在,触れるという感覚. 直接操作. 技術の進歩.身体の変容. 視覚と聴覚によって,触覚は映像に介入できるように再構成された. 身体の構成の強さと映像技術の強さの間.

Looking 'Presence in absence' / Touching 'Presence'.

I look Apparent movement on the electric display and move the mouse cursor with holding the plastic mouse or touching the smooth track pad. Looking 'Presence in absence' / Touching 'Presence'.

テクスチャー主義

テクスチャーの出現と非ストーリーテリング的アートは,例えば二〇〇五年一〇に上野で展示されていたアーニッシュ・カプーアの Japanese Mirrors にも鮮明にみることができる.カプーアの今回の作品は,漆を材料にした覗けない漆黒の鏡である.金属でもプラスチックでもないその光沢は,独自のテクスチャーを構成する.光沢を帯びてぬめぬめとした,しかし掴むことのできないテクスチャーは, 視覚的な刺激による触覚的刺激を引き越す 作品である.pp.203-204 ひとつの運動のスタイルから別のスタイルへの変遷を 因果的 に捉えても理解できない.これは因果的というより,”the way thing go”(なりゆき)的なのである.しかし,実はそうした多重なアフォーダンス(可能な行為の束)こそ知覚の本質なんだということを論じた.p.218 つまり,ストーリーテリングにとってかわるテクスチャー重視型記述とは, 因果よりも「つながり」に注目する ということだ.時間発展の根底にあるのは,「横」の通常の時間発展である「どう展開したか」であると同時に,「縦」の仮想の時間発展である「つながりかたの可能性」の総体である.この縦と横はフッサールの現象学が基本とする縦と横の志向性にもつながり,能動性や自由意志を考えて行く上にますます考えなくてはならない二つの軸となる. p.218 池上高志『動きが生命をつくる』 -- 視覚と触覚の二重記述. 重なる世界. 重なった領域が空集合だったら,そこをどのように埋め合わせるか. それとも,どのようにして空集合のまま受け入れるか. 身体の態勢をどのように決定するのか.

Vision is touch-like

Vision is touch-like. Like touch, vision is active. from Action in Perception by Alba Noe. 見ることは触れるようなこと. わかっているようで,わかっていないこの感覚. 視覚と触覚とが重なるところにある空集合としてのディスプレイ上のイメージ. 幻想と仮想の間. actuality と virtuality との間. A field which vision and tactile are overlapping is the image on the electric display as an empty set. Between imagery and virtual. Between actuality and virtual.

windows 7 touch

windows7 も touch. スクリーンに触ることの障壁が,iPhone でなくなった. 心理的な問題.技術的な問題.商業的な問題. 私たちの知覚はどうなるか. 「Windows 7」のタッチ機能--普及の鍵は何か

ユビキタスと直接操作

シュナイダーマンの「直接操作」 ディスプレイ上のイメージへの直接的な働きかけ. 私たちの手も「カーソル」に. 今では,比喩的な意味ではなく,タッチで実際に. 意味論的距離(semantic distance)と接合距離(Articulatory Distance) 意味論的距離を縮める. 意味論的距離を縮める際に,実は,ヒトの身体感覚を多大に利用していた. 接合距離も縮めていた. マークワイザーの「ユビキタス→穏やかな技術」 物理的なものへの直接的な働きかけ. アフォーダンスと消えること. コンピュータは消えていく. 意識にのぼらなくなるという意味で. 暗黙知.訓練.身体でおぼえる. 接合距離(Articulatory Distance)を縮める. 意味論的距離を縮められていないのではないか. 身体行為を重視しながら,ディスプレイ上のイメージとの関係を見失った? 最後は,物理的な物への注目.

「一つの絶対知」としてのインタラクティブ経験

たとえば,私が机のまえに立ったままで居て,両手でもってそれにのしかかっているという場合,私の手だけが強調されていて,私の身体全体はまるで彗星の尾のように手の背後へと流れて行っている.というのも,私の肩なり腰なりの位置が私にわからないからではない.テーブルのうえに突いた両手のその支えのなかに,私の姿勢の全体位置が言わば読みとられるからである.また,私が立って居て,私のパイプをを手で握りしめているという場合,私の手の位置というものは,私の手の位置が私の前腕とのあいだでとる角度,私の前腕が私の上腕とのあいだでとる角度,私の上腕が私の胴体とのあいだでとる角度,最後に私の胴体が大地とのあいだでとる角度──といったものから次々に推論されて行って決まるものではない.私は自分のパイプがどこにあるかを,一つの絶対知によって知ってしまっているのであり,まさにそれによって,私の手がどこにあるのか,私の身体がどこにあるかも知っているのであって,それはあたかも,沙漠のなかで原始人がそのつど一気に方向を見定めてしまって,別に出発以来辿ってきた道のりや外れて来た角度を思い出したり加算したりする必要なぞないのと相似ている.(p.175) モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学』 「一つの絶対知」 マテリアルと身体と間の作用・反作用 As someone who thinks of things from the perspective of creating interactive experiences, I really think that you do need something. from: Q&A: Nintendo’s Shigeru Miyamoto on Mario Zelda, Project Natal and More 宮本さんとメルロ=ポンティを並べてみる. 「一つの絶対知」としてのインタラクティブ経験. そこには,身体が接する何かが必要となる. マテリアルと,マテリアルとしての身体. また, #52 概念を触る指 [Finger touches concepts] 第3章で掲載した角をなぞる図版の延長版であるが,ここでなぞられている角は,点線や括弧など,アクチュアルに決して触る事のできない概念的な要素で構成されている.「概念を触る」という日常で体験できない表...

あるけどないもの:ないけどあるもの

グッドマン:「例示」 佐藤雅彦:「差分」 渡邊恵太:「visual haptic」 フータモ:visual haptic の歴史的経緯 ベイトソン:二重記述

touch to the glass

ガラスへのタッチというのは新しいこと.ガラスは見ること,見ながら遮ることをアフォードしており,見ることはアフォードしてこなかった.ぼくたちは,ガラスにぶつかる.痛い.けど,今,さわりはじめている. It is a new experience to touch the glass because it afford us to only see not touch. However, we begin to touch the glass on the surface of iPhone and Apple's new trackpad. wikipedia Glass generally refers to hard, brittle, transparent material, such as those used for windows, many bottles, or eyewear. Examples of such materials include, but are not limited to, soda-lime glass, borosilicate glass, acrylic glass, sugar glass, isinglass (Muscovy-glass), or aluminium oxynitride. In the technical sense, glass is an inorganic product of fusion which has been cooled through the glass transition to a rigid condition without crystallizing.[1][2][3][4][5] Many glasses contain silica as their main component and glass former.[6] http://en.wikipedia.org/wiki/Glass