身体の構成の強さと映像技術の強さの間
それは私たちの知覚に浸透し,知覚を拡張し,分散させ,視覚・聴覚の構成そのものに作用しうる.映像は,多くの場合,何かを伝達し,あるいは物語るという次元で受けとられて消費されるが,同時に映像は,視覚・聴覚,そしてそれらを通じて他の知覚にまで作用し,知覚の構成を決定し変化させる.そのようにして映像は有機的な身体の中に浸透し,別の身体を構成しうる.おそらく機械による映像を経験して一世紀を経た人間の身体は,すでに別のものになっている.(p.197)
宇野邦一『映像身体論』
再構成された身体のほうへ
映像への触覚の介入:映像へ介入することができる身体の構成の変化.
自動的に生成される映像.
動く映像.
見る,聞く,動く.
そこに,触れるはなかった.
現在,触れるという感覚.
直接操作.
技術の進歩.身体の変容.
視覚と聴覚によって,触覚は映像に介入できるように再構成された.
身体の構成の強さと映像技術の強さの間.