光の軽やかさとなめらかな物質としてのプラスチックをつなげること

さて問題は,この光の固まりの出現と消滅の「軽やかさ」にひそんでいる,と私はにらんでいた.「インベーダー」と名づけられたその光の固まりは,真っ黒な空間から,とつじょとして出現する.それがどこから来るのかは,まったくわからない.しかも,つぎからつぎへとあらわれてくるのである.全身が光でできているだけあって,その「侵入者」には,物質がしめす特有な抵抗感のようなものがまるで感じられない「侵入者」たちは,存在の軽さを楽しむかのようにして,ふわっと出現して,ひらひらと飛行し,そしてまたふっとかき消すように消えていってしまうのだ.(pp.20-21)


カプセルやボールが介在することで,子どもはその感覚からスマートな分離ができるようになるのだ.プラスチックの表面の乾燥してつるつるしている感触が,その分離感を強めている.しかも,子どもは「対象a」から薄い膜ひとつ隔てて分離されていながら,いまやそれを手に持ったリュックにつめて,持ち運びできるようになったのである.子どもはカプセルやボールの存在によって,母体との接触の記憶につながりをもつあのやっかいな境界物との間に,こうしてはなれもせず近づきもしない,まさに適正な距離を見いだすことができたわけだ.(pp.97-98)

中沢新一『ポケットの中の野生』


光の軽やかさとなめらかな物質としてのプラスチックをつなげること.

光という「インベーダー」と,それを囲む,操作する乾燥してつるつるした感触をもつプラスチック.

この関係を,もっともっと,自由に,考えていくこと.

福嶋さんの「モノとして記号」の物質性を生じさせている「インベーダー(侵入者)」としての光.

デジタルによる空気感.ディスプレイの光の空気感.

光に多くのものを負わせすぎなのかもしれないけど,

僕たちが常に体験している光を見ることは,確実にヒトの感覚のつながりを変化させていると信じることからはじめる.

強く信じることが,とても大切に思えている.

そして,光とプラスチックやガラスといったなめらかな物質との関係とを考える.

光の軽やかさに適正な距離を与えてくれる物質としてのガラスとプラスチック.

現状の認識にすぎないかもしれないけれど.

ここから考えることをはじめること.信じることをはじめること.

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