映像による「未生」の感覚

映像による「未生」の感覚を考えることが,
これからの映像を考えるときに必要だと思う.
これまでのことではなく,これからのこと.
しかし,それは,考えるだけではだめで,
映像自体で示さないとならない.

だが,考えることが映像の未生の感覚に貢献できる方法もまた,
同時に,考える必要がある.
文字で書くことによる「わかる」ということ.
映像の未生の感覚を文字の流れで「わかる」流れをつくること.

このブログの人気の投稿

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

デスクトップ・メタファーと「ディスプレイ行為」 

画面分割と認知に関するメモ

マジックマウスの慣性スクロール / Magic Mouse Scroll with momentum.

ヌケメさんとのトークメモ

マウスとカーソル:カーソルによる選択行為

2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1)

[インターネット アート これから]の「これから」を考えるためのメモ_06

2021~23年度科研費「生命の物質化・物質の生命化に関する理論調査と制作実践」成果報告会