ポストシンボリックコミュニケーション 最後にOZのアバターのもうひとつの可能性を考えてみたいと思います.それは「コミュニケーション」についてです.今までの考察で暗黙に前提にしていたことがあります,それは今では多くの人が「インターフェイスの非対称性」を自分の感覚として持っているということです.作品のなかでも,若い人に限らず,老若男女誰もがOZにログインして,アバターを操作している.そして,作品を見ている人も特に何の違和感もなく「OZのアバター」といったものを受け入れられるし,それについて考えるもことができる.つまり,ゲームやコンピュータの体験:「インターフェイスの非対称性」が一般化した今だからこそ,サマーウォーズという作品は生まれたのです.このことの意味はしっかりと考える必要があります.次の引用は,マリオの生みの親として有名な任天堂の宮本茂さんの対談での細田さんの発言です. 細田 本当に,その社会情勢がもたらしたのがあの映画の設定だったと思うんです.そうじゃなければ,とてもああいう設定で普通の人が活躍するってことはできなかったと思いますね.アクション映画はやっぱり,特別な人が活躍するものみたいな部分があって.『マトリックス』じゃないけど,「キミは選ばれし人だ」とか言われないと活躍できない.でも,DSがこれだけ広まっているという世界的な状況があれば,DSや携帯も含めてそこからアクセスできる身近な道具を使うことによって,普通の人でも活躍できるアクション映画が成り立つんじゃないかと.(p.169) 「PLUS MADHOUSE 03:細田守」キネマ旬報社,2009年 ゲームやコンピュータが当たり前の存在となって,選ばれた誰かがヒーローになるのではなく,誰もがヒーローになれる作品が生まれた,というふたりの話はとても興味深いです.では,誰もがヒーローになれる作品の舞台になっているOZについて改めて考えてみたいと思います. 細田監督作品の特徴と言われる記号的表現.その効用のひとつが,色や形態などを単純化する記号を使うことで,表現にある種のスピード感が得られることだ.単純化とは表現力に制限を加えることだが,その反面,視認性がアップする.たとえばその性質は交通標識などによく現われていて,標識に向かい合った人間はその表示内容にすぐさま反応することが求めら...