出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

12日は六本木の東京ミッドタウン・デザインハブに行き「デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン その過去と未来」を見た.展示は「現在までのデジタルメディアとグラフィックデザインの関係を,プレデジタルメディアの時代(70年代以前),CGの時代(80年代),マルチメディアの時代(90年代),ウェブ広告の時代(00年代)に分け,コンピュータを道具ではなく環境として、あるいは素材として制作された先駆的な作品を集め」たものであった.展示方法で興味深かったのは,記録映像や紙媒体での展示ではなく,発表当時のコンピュータを使って作品が体験できるようになっていたことである.また,各時代のキーパーソンのインタビューも行われていて,その映像も視聴できた.時間の都合で,CGの時代の藤幡正樹,ウェブ広告の時代の田中良治のインタビューしか視聴することができなかったが,コンピュータとともに表現の領域を切り開いてきたふたりの言葉はとても示唆に満ちたものであった.藤幡がコンピュータのアルゴリズムに美を見つけていたのに対して,田中はコンピュータをインターネットにつなぐための道具と見なしていた.このコンピュータに対する感覚のちがい,それはまたインターネットという環境に対するちがいでもあるものは,とても興味深いものであった.

13日は午前中に六本木の国立新美術館に「第19回メディア芸術祭」を見に行った.アート部門の大賞作品はCHUNG Waiching Bryanによる《50 . Shades of Grey》で,これは様々なプログラミング言語で50段階の灰色のグラデーションの画像を制作したものである.ここでのメインは50段階の灰色のグラデーションの画像ではなく,それを生み出すプログラミン言語である.同一画像であっても,プログラミン言語によってその記述方法は全く異なる.全く異なる記述から同一の画像が生みだされるのも興味深いことであったけれど,この作品の展示で一番興味があったのは額装された6つの「プログラミン言語」の横にそれぞれつけられた作者の「思い出」である.そこにはそれぞれのプログラミン言語に対して,CHUNG Waiching Bryanがいつ,どのようにそれを学んだのか,その言語を最後に使ったのはいつかなどが書かれていた.私はほとんどのプログラミン言語を理解することはできなかったが,「思い出」の言葉を読むことで「プログラミン言語」がアーカイブの対象となるというか,情動の対象になったような気がした.プログラミン言語はコンピュータに対しての命令列であって,そこには時の流れを示すものがない.だから,それ単体からは「時間」は発生しなので,そこにノスタルジーなどを感じることはない.しかし,そこに時の流れを示す「思い出」を語る言葉が付けられると,それが単なる命令列の記録ではなくなっていくような感じがある.それは「デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン」が示していたデータ自体にはあたらしいも古いもないのだけど,データを再生するコンピュータのハードウェアやディスプレイに映し出される画像から「懐かしさ」を感じるのと同じかもしれないということを考えた.

13日の午後は「第8回恵比寿映像祭 動いている庭」に行き,展示を見るとともに初期ネットアートから活躍しているJODIのヨアン・ヘームスケルクのトークを聞いた.ヨハンはトークで「ハッキングではなくツイストをしている」ということを言っていた.また,「ハッキング」という言葉を使うならば「マインドハック」だろうとも言っていた.確かにJODIの作品はネットの構造を上手く捻って(ツイスト)して使うことで,ネットの構造を顕わにするものが多いので,この言葉にはとても納得するものがあった.JODIが展示していた《Burnout (History of Car Games) 》は,自動車のタイヤを空転させて摩擦で煙を生じさる「バーンアウト」をゲームで行い続け,道路にタイヤ痕のドローイングを描く作品である.ヨアンはトークでこの作品について話していたときに,キーボード操作でバーンアウトをし続けるのが大変だったので,キーボードに重しを置いたということを言っていた.これはとても興味深い話であった.コンピュータにとってはキーボードを操作するのがヒトであろうが,モノであろうが関係ないのである.さらに,その結果できあがったものは,ヒトでもモノでもなく,どこかプログラムによってつくられたような質感を感じさせるものになっている.人間とモノとコンピュータとが入り混じりながら表現をつくりあげていくJODIの作品とそれを淡々と語るトークは,今後の研究に大きな示唆を与えてくれるものであった.


(1:04から《Burnout (History of Car Games) 》が紹介されている)

14日は東京都庭園美術館で行われた「レンズ系とジェネ系の世紀,ふたつの黎明#3」に行った.このイベントは細馬宏通による「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」とエキソニモによる「インターネットで超えられない境界」という2つのセッションから構成されていた.ここではエキソニモのトークについて報告する.このトークはアスキーアートを写経することからはじまった.コンピュータが「一(One)」「神(Gods)」「智(Wisdom)」といったように漢字を一文字ずつ示す.それを見聞きした参加者は,予め渡されていた方眼紙の右上からコンピュータが示す漢字を書きながらマスを埋めていき,「改行(New Line)」の合図で次の行にうつる.「一」を書くのは簡単だが「識」「滅」「観」といった画数が多い漢字を書き続けるのは結構な苦行であった.「改行」によるわずかな休憩をはさみながら,この作業を30分すると方眼紙には漢字の線の密度による濃淡が生まれ,ひとつの絵文字(💩)が描かれていた.



この写経という行為は,コンピュータが生成したアスキーアートを身体を通して物理世界にダウンロードすることであった.アスキーアートの写経は,音楽家の三輪眞弘による「逆シミュレーション音楽」と似ていると思われる.三輪の「逆シミュレーション音楽」は,コンピュータでシミュレーションした音楽をヒトの身体で実行するものである.「逆シミュレーション音楽」ではヒトは次の行為をコンピュータ同様に演算し,それを身体行為で実行する必要があり,演算の間違いによって演奏が中断することがある.対して,エキソニモによるアスキーアートの写経でも漢字を書き写す際にヒトのなかで演算が行われていることは確かではあるけれど,「書く」という身体行為の方が演算よりも前面化している感じがある.また,文字を崩して書くなどの身体行為によってヒトの演算の遅さをごまかすことが可能な仕様になっている.三輪の「逆シミュレーション音楽」がコンピュータのOSをヒトの精神に移植するような感覚があるとすれば,エキソニモのアスキーアート写経は身体に密着したかたちでコンピュータをヒトに移植していると言えるだろう.そして,このことはOSを移植することなくヒトがコンピュータに近づくこともできることを示している.エキソニモはトークの終盤に自作を示しながら,インターネットと身体の関係を語り,最後に「インターネットにActiveなヒトだけしかいないのはアンバランス.インターネットが自然だとするとInactive/無意識的なものもそこに入り込まないといけない」と語っていた.今回のアスキーアート写経が示したのは,OSを移植することなくヒトがコンピュータに近づけるということであり,そこにヒトがInactiveな状態でコンピュータやインターネットと向き合えるようになるヒントがあるのかもしれない.

15日は森美術館に行き「村上隆の五百羅漢図」展を見た.その後,銀座にあるクリエイションギャラリーG8に移動し,エキソニモの千房けん輔とセミトランスペアレント・デザインの田中良治によるトークを聞いた.インターネットの黎明期から表現をし続けているふたりのトークは過去を懐かしむものではなく,常に変化していくインターネットとともに未来を語るものであった.

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