「インターネットの物質性」を捉えるためのパースペクティブ?
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恵比寿映像祭でJODIのトークを聞いて,家に帰ってきてからパンフレットでJODIのところを読んでいたら「インターネットやゲームの属性および記号的意味を解体しながら,その抽象性や物質性を顕在化させるような作品制作を展開している」と書かれていて,「インターネットの物質性」と自分でも書いてしまうことがあるけれども,これって何なのだろうか? ということを考える.グリッチなどのエラーのようなものが示す「物質性」とは何か? モノが壊れるときにでる音やヒビの感じで物質性を感じるのと同じことなのだろうか.でも,そこには単にディスプレイでの表示しか無いわけで.その表示しかないものに「物質性」を担わせるような私たちの認識が問われていると思われる.だとすると,近頃のまとめて紹介されている人類学のあたらしい動きのひとつの「パースペクティズム」とか使えるのかもしれない.
多文化主義という観念は,自然の単一性と文化の多元性という相補的な含意───自然の単一性は身体や物質の客観的な普遍性に,文化の多元性は精神や意味に関する主観的な特殊性に保証されている───に基づいている.これとは反対に,アメリカ大陸先住民の概念は,精神の単一性と身体の多元性を措定しているようである.文化,すなわち主観的なものは,普遍性の形相を帯びる.自然,すなわち客観的なものは特殊性の形相を帯びる.
アメリカ大陸先住民パースペクティズムと多自然主義,エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ/近藤宏訳 現代思想2016年3月臨時増刊号 総特集=人類学のゆくえ
コンピュータはヒトと単一の「精神」をもっていて,その「身体」が多様である.物質のほうが特殊だと考えること.ここでの物質はコンピュータの材質とかではなくて,それらの総体としてのハードウェアと考えてみる.それが特殊であること.客観的なモノと考えていた存在が特殊性を帯びた存在であると考えること.そうすると,データをディスプレイのピクセルで具現化されたものは記号と考えるのではなく,その壊れ方でその「身体」が何であるかを確かめるための特殊性を帯びた物質なのかもしれない.いや,コンピュータで厄介というか,興味深いのは精神を単一のものと考えた方が都合がよくて,さらにその精神が個別の身体にインストール可能ということにある.だから,アメリカ大陸先住民のように考えた方がすっきりするのだけれど,そのパースペクティブがよく掴めないから,その存在がわからなくなっている?