投稿

ラベル(田中良治)が付いた投稿を表示しています

「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」展カタログへの寄稿

イメージ
5月6日まで水戸芸術館で開催されている「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」展に「 可塑的な表面でつくり直されるヒトの顔🤥 」というテキストを寄稿しました. ヒト・シュタイエル,エキソニモ,小林健太,レイチェル・マクリーンの作品に出てくる「顔=フェイス」を論じています🙂 カタログには作品の展示画像だけでなく,キュレーターの山峰潤也さんの「早期機器発見装置としての芸術」,多方面で活躍している砂山太一さんの「Strange World, Strange Love」が掲載されています✍️ デザインはゼミトランスペアレント・デザインの田中良司さんです😊 水戸芸術館,および,ナディフ各店で購入できるとのことです📖 よろしくお願いします😂😂😂 🗄🗄🗄🗄🗄 ハロー・ワールド展 トーク・シリーズためのメモ   💬《I randomly love you / hate you》💬 

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

イメージ
12日は六本木の東京ミッドタウン・デザインハブに行き「 デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン その過去と未来 」を見た.展示は「現在までのデジタルメディアとグラフィックデザインの関係を,プレデジタルメディアの時代(70年代以前),CGの時代(80年代),マルチメディアの時代(90年代),ウェブ広告の時代(00年代)に分け,コンピュータを道具ではなく環境として、あるいは素材として制作された先駆的な作品を集め」たものであった.展示方法で興味深かったのは,記録映像や紙媒体での展示ではなく,発表当時のコンピュータを使って作品が体験できるようになっていたことである.また,各時代のキーパーソンのインタビューも行われていて,その映像も視聴できた.時間の都合で,CGの時代の藤幡正樹,ウェブ広告の時代の田中良治のインタビューしか視聴することができなかったが,コンピュータとともに表現の領域を切り開いてきたふたりの言葉はとても示唆に満ちたものであった.藤幡がコンピュータのアルゴリズムに美を見つけていたのに対して,田中はコンピュータをインターネットにつなぐための道具と見なしていた.このコンピュータに対する感覚のちがい,それはまたインターネットという環境に対するちがいでもあるものは,とても興味深いものであった. 13日は午前中に六本木の国立新美術館に「 第19回メディア芸術祭 」を見に行った.アート部門の大賞作品はCHUNG Waiching Bryanによる《 50 . Shades of Grey 》で,これは様々なプログラミング言語で50段階の灰色のグラデーションの画像を制作したものである.ここでのメインは50段階の灰色のグラデーションの画像ではなく,それを生み出すプログラミン言語である.同一画像であっても,プログラミン言語によってその記述方法は全く異なる.全く異なる記述から同一の画像が生みだされるのも興味深いことであったけれど,この作品の展示で一番興味があったのは額装された6つの「プログラミン言語」の横にそれぞれつけられた作者の「思い出」である.そこにはそれぞれのプログラミン言語に対して,CHUNG Waiching Bryanがいつ,どのようにそれを学んだのか,その言語を最後に使ったのはいつかなどが書かれていた.私はほとんどのプログラミン言語を理解することはできなかった...

お仕事:「IDEA No.366 : ポスト・インターネット時代のヴィジュアル・コミュニケーション」に記事を書きました

イメージ
「 IDEA No.366 : ポスト・インターネット時代のヴィジュアル・コミュニケーション 」に「ポスト・インターネットというプラットフォーム上で自生をはじめた複雑な生態系」という「ポスト・インターネット」の状況整理するテキストを書きました. 私の他にも,谷口暁彦さんの個人史に近い「ググっても出てこない,ぼくが知りうるネットアートについての歴史の断片,そして最近のこと」や,髙岡謙太郎さんの的確なまとめ「ウェブサービスにおけるヴィジュアル・コミュニケーションの進化」が載っています. 巻頭を飾るラファエル・ローゼンダールさんについてのテキストをセミトランスペアレント・デザインの田中良治さんが「退屈とクリエイション」というタイトルで書いています.「退屈」,いいキーワードです.あと,ローゼンダールさんのブログの テキスト を日本語訳してくているのがとてもうれしい.ローゼンダールさんのテキストは,ネットと表現の関係が的確に書かれているので,それが日本語で読めるのはとてもいいです. もちろん「ポスト・インターネット」のヴィジュアルも多数載っています! 普段はディスプレイで見ているものですが,紙に定着された状態で見るのもまた新鮮です. あと「光るグラフィック」展も取り上げられているので,本当に盛りだくさんの「ポスト・インターネット時代のヴィジュアル・コミュニケーション」になっています. −− 以前,「光るグラフィック」展について書いた記事→ 「光るグラフィック」展から考えた「光」への感受性

JAGDAトーク_復習

イメージ
7月28日に行なわれたJAGDAトークの復習. 取り上げたアーティスト・作品 John Rafman《9 eyes》 Doug Rickard《A New American Picture》 Justin Kemp《Adding to the Internet》 Parker Ito《The Most Infamous Girl in the History of the Internet》 Ryder Ripps《Adrianne Ho Paintings》 Artie Vierkant《Image Objects》 Joshua Citarella《Compression Artifacts》 渡邉朋也《ツナとマヨネーズ》 −− トークを終えて,「情報」と「物質」との結合が解かれて,抽出された「情報」が常にそこにある状態で,その「情報」を「概念」として提示していくのか,「物質」に再び定着させるのか.これが「インターネット以後のアート/グラフィック」の問題なのではないかと考えた.もちろん,情報が抽出されていくことは「インターネット」にはじまったことではないけれど,「インターネット」によって「情報」の抽出とその拡散のインフラが整ったとは言える. トークのなかで,「情報」が「物質」から切り離されてきたことから生じる問題も「情報」を「概念」のまま作品を提示できるアートと,「情報」を「物質」に定着・固定化する必要があるデザインとでは異なることがわかった.「情報」を「物質」に固定しなければならないデザインは,その成果物に「情報」と「物質」とが一度は切り離されつつあることの痕跡を見つけるのは難しい.しかし,デザインにも確実に変化が起こっていて,作品のテイストがここ3〜5年のあいだに変化していると,菊地さんは指摘していた.この指摘から,アートでは既に「物質」のみならず現実との関係を疑うような作品が出てきているが,それは「情報」を「概念」として流通させることが可能なフォーマットだからだと考えるようにあった.「アート」というフォーマットゆえに渡邉さんの《ツナとマヨネーズ》のような「物質」に「情報」が定着した彫刻作品と情報のみの平面作品とをセットで提示することが可能...