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ÉKRITS連載_場に顕れるソフトウェア、隠れるオブジェクト - インターフェイスを読む #5

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エクリでの連載「インターフェイスを読む」の最終回「 場に顕れるソフトウェア、隠れるオブジェクト 」が公開されました.今回「読む」のはフラットデザインとマテリアルデザインです. 連載1, 2回目が「 ✋ 🤚 」,3回目は「 👀 」ときて,4回目は「 🏁 」における反射✨となって,最後は絵文字し難いハードウェを包み込む「ソフトウェア」,あえて絵文字にすると🍩という感じでしょうか.穴のあるドーナッツを積み込むチョコレートな感じでしょうか. ここまでが最終回のテキストです.一度,テキストを読んでみてください📖📖📖 よろしくお願いします🏁✨🤳 ⌚️📱📲💻⌨️🖥🖱 最終回になりましたが,どうしても流れのなかで書けなかったことを,次のステップの少し書き残しておきます💡💡💡 エクリ編集部のおかげで連載を最後まで書ききることができました.書きたいことは連載のテキストにすべて書いたので,ここには最初から意識していたけれど,どうしても書けなかったことを書いてみたいです.それは,落合陽一さんの「 コロイドディスプレイ 」についてです. 落合さんは「コンピューテーショナル・フィールド」という言葉で,場を統一的に操作することを提案・実装しています.私がそこで一番興味を持ったものが「コロイドディスプレイ」でした.シャボン膜を超音波で微細に制御して,光の反射や屈折を変えて,そこに映像を投影できるようにしてしまう.まさに「魔法」のような作品です. ここではモノとイメージとが同じように存在しているように感じられます.シャボン膜に触れると壊れてしまうという儚さ,持続のなさがイメージのように感じられるのです.しかし,それはモノであることは確実です.でも,映画のスクリーンやコンピュータのディスプレイとは異なり,イメージ表示面がなくなってしまうことが起こる.イメージとともにスクリーン・ディスプレイが消えてしまうことが,モノとイメージとが重なり合った存在であることを示すのです.コンピュータを基点として,ソフトウェアでモノを微細にコントロールして,モノのサーフェイスを変えてしまうのは,今回触れたフラットデザインとマテリアルデザインにも通じるところがあります.ソフトウェアとハードウェアとは単に機械的に,情報的につなが...

メモ:イメージ→シンボル

プッシュ通知|風景|2013  Constant Updateが示す風景 -- エキソニモの《風景2013》とFatima Al QadiriとDalton Caldwellによる《Constant Update》から「イメージ」が抜け落ちていることが,ずーっと気になっている.「イメージ」が抜けて落ちていることが「視覚文化」の移行期を示しているのではないかと思いつつも,私たちの周りにはディスプレイに溢れている.ディスプレイを見ればそこには「イメージ」がある.それを見て,何か行為をする.だから,イメージが私たちの行為を駆動していると言えるわけだが,上にあげたふたつの作品からは「イメージ」がなくなっている. アラン・ケイの「Doing with images makes symbols」はGUIをつくるときのスローガンとなった.だから,GUIは視覚的要素=イメージを操作することになる.問題は「シンボル」をつくり出せたのかということになる.GUIを操作している人たちはアイコンやカーソルなどのイメージを操作しながらコンピュータを操作しているので,なんとなくではあるが「シンボル」ができている感じがする.GUIを牽引したデスクトップ・メタファーではとくに「視覚的要素」が重要だった.タッチになってもそれは同様であった.ウェブデザインの流行りの「フラットデザイン」も視覚的要素で構成されていることは変わりがない.ただ「フラットデザイン」では「メタファー」がなくなっている.だとすると,上のふたつの作品からは「イメージ」がなくなったのではなく,「メタファー」がなくなったのだろうか. −− フラットデザインに関して興味深い考察.この考察から,フラットデザインは最小限の視覚的要素とジェスチャーを組み合わせて,ヒトの行為を「プログラミング」すると考えることはできないだろうか. ファンシーなUI部品を誇示したり,あらかじめ決められたタスクをメニューとして強調するのではなく,もっとユーザーが自然にシステムをコントロールできるようにするにはどうすればよいか.必要最低限の要素でシステムの機能性を表現するにはどうすればよいのか.  フラットデザインは,そうしたUIデザインの本質的な部分の模索だと思います.そして次のことを示唆していると...