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📝メモをTumblrからnoteへ✍️

Tumblrで書いてきた memo が「999」までやってきた.タイトルで連番で書くことで「999」までは書こうとモチベーションをもってやってきた.それが終わってしまった.なので,別のウェブサービスにメモを移そうと思う. もともとBloggerを使っていて,今も使っているけれど,インターフェイスが「メモ」するには向いていない感じだったので,Tumblrを使って,日々のメモを書くようにしたのであった.Tumblrのインターフェイスだからこそ気軽にかけたということも多くあった.その後,Bloggerにテキストをコピペしてさらに考察したということも多々あった.インターフェイスによって書けることが変わってくるというのが面白い経験であった. メモは公開する場所に書くというのが,程よい緊張感でテキスト入力できるので,次はnoteにでもメモの場所を移そうと思う.連番にするかどうかは別にして,noteでメモを書いて,良いメモが書けたら,これまで通り,Bloggerでさらに考察していきたい. note:  https://note.mu/mmmmm_mmmmm

TumblrとInstagramは粒度を膨張させることなく,たんたんと同じような粒度の情報が続いていく

授業でInstagramについて考えた.あと,Tumblrについても考えた.これらふたつのサービスは,そのタイムライン・ダッシュボードに現われる情報の「粒度」[ プログラマーの東窪さんのTumblr論から ]が大きくも小さくもならないで,一定のまま回っていく画像中心のコミュニケーションと考えられる. オリジナルポストをする,Web的に外からSoTする.自分でカメラでとった写真をポストする(空間から選択して切り取った後のものである).人の画像をreblogする.人のテキストをdsbdからreblogする.dsbdから人のテキストの断片を選択してquote的reblogする,webから人のテキストの断片をreblogする.urlの粒度でwebからpostする.チャットをリブログする.みんな同じなんだ.これが大事だ.粒度を近づけたんだ.そりゃそうか.すごい.すごい!   I AM GATHERING YOU  http://toukubo.com/post/51198746794 Tumblrは「言語」も扱うけれども,その言語が「画像」の粒度と同じものに変換されている.そこではもう「言語」は言語としての独自の粒度をもっていない.ならば,画像も独自の粒度を保持できてないとも言える.リブログという意味の粒のレールチェンジを簡単に行える行為を実装することで,「言語」「画像」の区別なく,そして時間の区別もないなかで,ただただダッシュボードに逐次的に現われる「データ」が膨張しないようにしているのが,Tumblrなのではないか.逆かもしれない,「リブログ」を実装した結果,ダッシュボードに逐次的に現われる「情報」が膨張しなくなり,「言語」も「画像」の区別もなく「時間」の区別もなく「情報」を同じ粒度で扱えるようになったのかもしれない. では,Instagramはどうか.Instagramは基本「画像」のコミュニケーションであるが,そこには多くのコメントがつけられる.しかし,それらはその「画像」についてのであろうか.確かに,その画像にコメントはつけられる.しかし,それはその「画像」の意味を膨張させたりしない.画像はテキストは別にそこにありつづける.だが,テキストが膨張して,画像を置き去りにするときがある.テキスト主体のコミュニケーションがはじま...

ポスト・インターネットのなかに「幸村真佐男」を置いてみる

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幸村真佐男→youpy/ライダー・リップス/パカー・イトー/Tumblr/JOGGING/reretlet→幸村真佐男? 幸村真佐男とyoupy 幸村真佐男 幸村真佐男展/LIFE LOGー行雲流水ー 幸村がこれまでに日常的に撮り溜めてきた 300万枚 に及ぶ写真.その全ての写真を秒30コマのフレームに落とし込み,約27時間30分間の映像化を目指す. http://n-mark.com/projects_kohmura.html  http://www.flickr.com/photos/fomalhaut/ 幸村真佐男 は「写真」を撮り続けているのか? LIFE LOGー行雲流水ー のトークで「 デジタル写真はコンピュータ・グラフィックス 」と言われていたのが印象に残っている. 「世界」をプログラム可能な画像へと置き換える. 2014.2.11(祝) 愛知芸術文化センター主催. AACサウンドパフォーマンス道場特別公演「The SINE WAVE ORCHESTRA」撮影:Yuichi Okazu Ito 「 幸村真佐男 glitch 」展 youpy http://www.flickr.com/photos/youpy/ youpy:(約)1600万色を入れる予定で.でもいまは500万色ぐらいかな. 渡邉:まあこういうかたちで,1色1色って言ったらいいんですかね…… youpy:そうですね. 千房:RGBの数値を一個ずつずらして,全部上げてくっていうことですよね. 渡邉:256の3乗(=1,677,216)色ってことですね.Flickrという写真共有サーヴィスの上で,そういうことをやっている.いま,世界で一番写真がアップロードされているんでしたっけ? youpy:Flickrでたぶん一番上がってる. (一同爆笑) youpy:これって実際のプログラムは10行ぐらいなんですよ.でも,そんな簡単なものでこれだけインパクトあるものができるのが,インターネットのすごいところだと思って.   座談会「インターネット・リアリティとは?」  かれは,自分と写真機...

メモ:「貧しい画像」はもうない

2007年に書かれたHito Steyerlの「 In Defense of the Poor Image 」には,高解像度画像の劣化版ではなく独自の存在となった低解像度画像のことが書かれている.2007年といえば,iPhoneが発表された年であるが,インターフェイスでの大変動ともともに画像の認識においても大きな変化が起こっていたと考えるべきであろう. 「In Defense of the Poor Image」の出だしの一文「The poor image is a copy in motion.|貧しい画像は動きのなかでのコピーである」は,「貧しい画像」がもともと「コピー」であり,ネットでの画像流通という「動き」に関係していることを端的に表している.「貧しい画像」は低解像度であっても,実際にはコピーではなく,オリジナルの画像であることもあるかもしれないが,「貧しい画像」と呼ばれる低解像度画像が「コピー」に近い存在で,ネットに流通しているという認識が重要なのである. 低解像度の画像に対してはどこかに「高解像度画像=オリジナル」があるという認識が対として存在しているが,Steyerlはこの認識を間違ったもとして糾弾する.低解像度画像は高解像度画像とは異なる存在意義をもつというのが,Steyerlの主張である.ネット上を隈なく「流通」していくことこそが,低解像度画像の存在意義なのである.ネットは通信速度の制約から高解像度画像は流通しにくい.それゆえに,画像は解像度を落とされ,データ量を減らされたかたちで流通していく.画像は流通すればするほど人目につくようになる.このことこそが「貧しい画像」に求められていることなのである.そこには解像度の高さによる画像の真正さではなく.いかに人目につくのかというあらたな評価基準が適用される.このあたらしい評価基準のもとでは「アウラ」の出現もまた変わってくると,Steyerlは主張する.「オリジナル」が示すアウラのように,それがいつまでも確かに存在しつづけるからこその価値ではなく,「コピー」のはかさなさゆえに「アウラ」が生じるとされる.ここで「アウラ」という言葉を双方に適用していいかは疑問であるが,現在において「アウラ」という存在も変わっていることは間違いない. 論考の最後にSteyerlは「貧しい画像」はリアルな存在が放つオリ...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_10

記事を書きました→ The World's First Tumblr Art Symposium がニューヨークで開催 2013年3月9日に開催されたThe World's First Tumblr Art Symposiumについてです.Tumblrでこれだけ盛り上がれるの,素敵です.そして,記事にも書きましたが,ネットの出来事を考えるための「言葉」をつくっていく必要があります. 記事には文字数の関係で書けなかったのですが,The World's First Tumblr Art Symposiumを紹介する紹介する記事のなかにも興味深いものがいくつかありました. Artlog は,10年前にBloggerやWordPressなどを舞台にして「テキスト」に関して起こっていたことが,Tumblr では「画像」で起きていると書いています.また, SFAQ はTumblrは「具体」などのアートムーブメントと同じようなもので,ネットアートでもあり,あたらしい美学でもある.それがオンラインから生まれているのだとしています.

GIFについてのちょっとしたメモ

ちかごろGIFについてのテキストを立て続けに2本書いていて気づいたことというか,改めて考えたことのメモ. まずは,GIFといっても静止画と動画では扱いが違う「差別」が起こっていること.これはCBCNETのラジオを聞いていて思ったことですが,まずはここから出発.静止画でも「スペーサーGIF」とかとても興味深い事例がある.GIF画像とGIFアニメとを分けて考える必要がある.では,分けることで生まれてくるGIF全体の見え方の変化はあるのか. GIF画像だとJPEG画像との対比が出てくると思うですが,このふたつの画像を「語る位置」があるかなと.JPEGは画像単体で語られて,GIFだと画像が実際的に機能していることや,アニメとして流通している様子といったように画像単体ではあまり語られていないような気がする. GIFアニメはGIFアニメだけを見ていてもだめかもしれないということ.Tumblrに流れているのだけがGIFアニメではないにしても,TumblrとセットでGIFアニメを考えることで,その質感を味わえるのではないか.「よく見る」とかいらなくて,ただリブログしていればいいよ.ただリブログボタンを押すか押さないか.その刹那的な感じ,一期一会の感じがGIFアニメなのかなと. ジャーナリストの人たちもGIFアニメを使い始めてきており,それとポストインターネットのアーティストたちとの意識のちがいがあるのかないのか.そして,もしあるとしたらどのように異なっているのかということも考えてみたい.

GIFアニメとTumblrが出会った!

『 Designing Tumblr 』のなかにアーティストの 谷口暁彦 さんが書いた「GIFアニメの質感」というテキストがあって,そこには次のように書かれています. 一方,GIFアニメには再生ボタンが無く,読み込みと同時に再生され,読み込みと同時に再生され,ほとんどどれも数秒程度の短さでループをひたすら延々と繰り返す.その再生時間の短さ故に,リロードしても,最初から再生し直しているようには見えない.むしろそのページにアクセスする以前から,ずっとGIFアニメは動き続けていたようにさえ感じられる.このようなGIFアニメの在り方は,停止するとイメージが失われてしまう映像よりも,むしろ実際に質感を持った物質のような存在に近いのではないないか.「私がそれを見ていないくてもそこに在りつづけるだろう」というリアリティだ. ここでGIFアニメに関して指摘されている再生ボタンやループの問題は以前から私も考えてきたのだが,その先に書かれている「私がそれを見ていなくてもそこに在り続けるだろう」がとてもいいと思う.実際にTumblrのダッシュボードで流れてきたGIFアニメは,私の眼の前のディスプレイに現われた瞬間には再生されているし,画面から消えていくときにもあいも変わらず再生しているから,いつまでも,そしてどこでも再生しているのだろうなという感じを受ける.まさに,「そこにあり続けるという質感」です. Tumblr関係でもうひとつ面白い指摘があって,それはGoogle Earthの地図のバグを扱ったテキスト「 The Universal Texture 」のなかに不意に現れた一文です.Google Earthを論じたテキストにいきなりTumblrが出てきて驚いたのですが,それは「デジタルメディアの世界で,この流れるような連続性はTumblrの無限スクロールに似ている」というものです.Google Earthが航空写真のコラージュでありながら,「Universal Texture」というアルゴリズムでそれらを滑らかにつないでいく,その滑らかさがTumblrでの延々と続いてくスクロールに似ていると,Clement Vallaは指摘するのです.Vallaのテキスト自体は,Universal Textureによって論理的に正しく画像が滑らかにつながれていくなかで,道路が歪み,建物が波打...

[GIF]ボタンに納得がいかない

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iPhoneのtumblr公式アプリには[GIF]ボタンがある.こんな感じのやつ.これがとても気になる. [GIF]ボタン この[GIF]ボタンを押さないと,アニメーションが再生されない.GIFアニメーションが勝手に再生されないから,ちょっと調子が狂う.ひと目で「GIF」だということはわかるけれども,勝手に「再生」されないというか動いていないので,[GIF]ボタンをタッチしてようやくアニメーションを楽しむことができる. GIFアニメーション以外の動画には[▷]ボタンがついている. [▷]ボタン GIFアニメーションは他の動画とは「違う」ことになるが,ボタンを押さないと「動画」を楽しめないという点では同じになっている.GIFアニメーションは[GIF]ボタンを押すとその場で「再生」されるのに対して,他の動画はページが遷移する. その場で動くGIFアニメ 画面遷移 その場で動くから[GIF]ボタンにしたのかもしれないし,ボタンを押した後は短い映像が延々とループするから,YouTubeに上がっている映像などとは区別したかったのかもしれないけれど,GIFアニメーションを見るためにいちいちボタンを押すのは,なんか納得がいかない.GIFアニメは画面に現れた時点で,有無をいわさず動いていて,それも延々とループしていてなんとなくウザイ感じがいいのに,再生のためにユーザにお伺いを立てるGIFアニメーションなんて,GIFじゃない. しかし,tumblrはなぜに[GIF]ボタンを設置したのか? 素人考えでは,iPhoneの限られた処理能力をやりくりするためだとは思うけれど,もっと深遠な理由があるのかもしれない.なんといってもtumblrである.画像流通に関して大きな変革を遂行しているともいえるtumblrが,なぜにGIFボタンを設置したのか.あまりにもGIFアニメがウザイとクレームが来たのか.それとも「動画」としてカテゴライズさせたかったのか,そうだとするとなぜ[▷]ボタンにしないかったのか.[▷]を押して,GIFアニメーションだったときのガッカリ感を軽減するためのなのか. tumblrのダッシュボードを流れてくるGIFアニメーション.パソコンで見るときには,流れてきて画面内に入ってきた時には,既に再生・ループしている.ちょっと...