[GIF]ボタンに納得がいかない
iPhoneのtumblr公式アプリには[GIF]ボタンがある.こんな感じのやつ.これがとても気になる.
その場で動くから[GIF]ボタンにしたのかもしれないし,ボタンを押した後は短い映像が延々とループするから,YouTubeに上がっている映像などとは区別したかったのかもしれないけれど,GIFアニメーションを見るためにいちいちボタンを押すのは,なんか納得がいかない.GIFアニメは画面に現れた時点で,有無をいわさず動いていて,それも延々とループしていてなんとなくウザイ感じがいいのに,再生のためにユーザにお伺いを立てるGIFアニメーションなんて,GIFじゃない.
しかし,tumblrはなぜに[GIF]ボタンを設置したのか? 素人考えでは,iPhoneの限られた処理能力をやりくりするためだとは思うけれど,もっと深遠な理由があるのかもしれない.なんといってもtumblrである.画像流通に関して大きな変革を遂行しているともいえるtumblrが,なぜにGIFボタンを設置したのか.あまりにもGIFアニメがウザイとクレームが来たのか.それとも「動画」としてカテゴライズさせたかったのか,そうだとするとなぜ[▷]ボタンにしないかったのか.[▷]を押して,GIFアニメーションだったときのガッカリ感を軽減するためのなのか.
tumblrのダッシュボードを流れてくるGIFアニメーション.パソコンで見るときには,流れてきて画面内に入ってきた時には,既に再生・ループしている.ちょっとそこに意識がいく.意識が滞留する感じ.しかし,iPhoneだと[GIF]ボタンがあるので「押そうかな」と一瞬思って,押さないこともある.そうすると,GIFアニメは他の画像や動画のように流れていく.意識がどんどん流れていく感じ.
滞留と流れ.ストックとフロー.iPhoneのtumblrアプリはダッシュボードにおけるフローの体験を重視したのかもしれない.[GIF]ボタンを設置することで,GIFアニメーションだとユーザにお知らせしつつ,「興味あったら他の動画と同じように再生してね」とすることで,GIFアニメを「動画」として均してダッシュボードの流れを整えたのかもしれない.
[GIF]ボタンの設置で「再生するか,しないか」という選択肢を増やし,それが「ボタンを押す」というインタラクションをひとつ増やすことになり,GIFアニメを「動画」としてしまう.そして,ひとつひとつインタラクションの積み重ねが現在のコンピュータを成立させていると考えると,「GIF」ボタンはインタラクションなしで勝手に再生&ループするGIFアニメーションを「インタラクション=コンピュータ」という枠組みのなかに取り込むためのとても重要な装置と考えることができる.
と,いろいろ書いてみても納得はできないのですが…
[GIF]ボタン |
この[GIF]ボタンを押さないと,アニメーションが再生されない.GIFアニメーションが勝手に再生されないから,ちょっと調子が狂う.ひと目で「GIF」だということはわかるけれども,勝手に「再生」されないというか動いていないので,[GIF]ボタンをタッチしてようやくアニメーションを楽しむことができる.
GIFアニメーション以外の動画には[▷]ボタンがついている.
[▷]ボタン |
GIFアニメーションは他の動画とは「違う」ことになるが,ボタンを押さないと「動画」を楽しめないという点では同じになっている.GIFアニメーションは[GIF]ボタンを押すとその場で「再生」されるのに対して,他の動画はページが遷移する.
その場で動くGIFアニメ |
画面遷移 |
その場で動くから[GIF]ボタンにしたのかもしれないし,ボタンを押した後は短い映像が延々とループするから,YouTubeに上がっている映像などとは区別したかったのかもしれないけれど,GIFアニメーションを見るためにいちいちボタンを押すのは,なんか納得がいかない.GIFアニメは画面に現れた時点で,有無をいわさず動いていて,それも延々とループしていてなんとなくウザイ感じがいいのに,再生のためにユーザにお伺いを立てるGIFアニメーションなんて,GIFじゃない.
しかし,tumblrはなぜに[GIF]ボタンを設置したのか? 素人考えでは,iPhoneの限られた処理能力をやりくりするためだとは思うけれど,もっと深遠な理由があるのかもしれない.なんといってもtumblrである.画像流通に関して大きな変革を遂行しているともいえるtumblrが,なぜにGIFボタンを設置したのか.あまりにもGIFアニメがウザイとクレームが来たのか.それとも「動画」としてカテゴライズさせたかったのか,そうだとするとなぜ[▷]ボタンにしないかったのか.[▷]を押して,GIFアニメーションだったときのガッカリ感を軽減するためのなのか.
tumblrのダッシュボードを流れてくるGIFアニメーション.パソコンで見るときには,流れてきて画面内に入ってきた時には,既に再生・ループしている.ちょっとそこに意識がいく.意識が滞留する感じ.しかし,iPhoneだと[GIF]ボタンがあるので「押そうかな」と一瞬思って,押さないこともある.そうすると,GIFアニメは他の画像や動画のように流れていく.意識がどんどん流れていく感じ.
滞留と流れ.ストックとフロー.iPhoneのtumblrアプリはダッシュボードにおけるフローの体験を重視したのかもしれない.[GIF]ボタンを設置することで,GIFアニメーションだとユーザにお知らせしつつ,「興味あったら他の動画と同じように再生してね」とすることで,GIFアニメを「動画」として均してダッシュボードの流れを整えたのかもしれない.
[GIF]ボタンの設置で「再生するか,しないか」という選択肢を増やし,それが「ボタンを押す」というインタラクションをひとつ増やすことになり,GIFアニメを「動画」としてしまう.そして,ひとつひとつインタラクションの積み重ねが現在のコンピュータを成立させていると考えると,「GIF」ボタンはインタラクションなしで勝手に再生&ループするGIFアニメーションを「インタラクション=コンピュータ」という枠組みのなかに取り込むためのとても重要な装置と考えることができる.
と,いろいろ書いてみても納得はできないのですが…