巨大化したアイコンをスクリーンショットで撮る
Emilio はMacOSXのデフォルトの機能を使って作品を作っていて,今回はアイコンを巨大化して配置した作品を展示しています.
Screenshot. PNG. Original size: 1920x1200 px. 2012.
「Finder」で「⌘J」を押すとアイコンサイズを変えれて,最大サイズにするとEmilioが展示しているようなアイコンになる.アイコン下に通常表示されている「名前」はどうやって消すのかわからないのですが,アイコンだけは誰でも巨大化できます.それだけでも新鮮です.
アイコンが巨大化することで,単なるイメージでありながら若干のモノ感が出てくるところが面白い.Domain Galleryの説明文にも「彫刻的[sculptoric]」という言葉があります.
内蔵ハードディスクや外部接続のUSBメモリなどを示す「アイコン」を巨大化して,彫刻を作るみたいに積み上げて,そのスクリーンショットを撮る.アイコンは「イメージ」で,それを「モノ」のように扱って,最終的にスクリーンショットを撮って「イメージ」にする.あいだにある「モノ」も実際は「イメージ」であるわけだから,始終一貫して「イメージ」なのですが,どこかしら「モノ」感が作品から漂うところが面白い.
ギャラリーの説明文に「物理的なハードウェアの存在とそれを示すデジタルな視覚的な表象」という言葉があって,「確かにそうだよね」ととても納得しました.この作品はOSXの機能を使っているわけだから,スクリーンショットで撮られているデスクトップ上にあるアイコンは,実際にパソコンに内蔵されているハードディスクと紐づけられたものだし,USBポートにフラッシュメモリが接続されている状態を示しているわけです.こう考えると,内と外とが突然繋がる感じがありました.そして一度このように考えはじめると,内蔵ハードディスクの方はパーティションを分けているのかなくらいですが,外部の方はどうなっているのだろうと思うわけです.もしかしたら,外部のメモリやハードディスクは実際に積み重ねられているのかもしれないわけです.
Emilioの作品は一見,とても単純というか「面白い」のひと言で通りすぎて行きそうな感じなんですが,今回はギャラリーの説明文をきっかけにとても広がりの作品となりました.ギャラリーの説明文以外のことを考えると,アイコンという外の物理的なモノとの関係をもつイメージとの関係性を「スクリーンショット」で撮影すると,どことなくモノとイメージとの関係がないものになってしまう感じがします.スクリーンショットはデータの「表層」を剥がす感じがします.ここで突然「データ」という語を出しましたが,アイコンとその実際のモノとはデータの流れのなかでつながっていると考えると,スクリーンショットはそのデータの「表層」だけを剥がしている感じがしたのです.データに「表層」も「深層」もないわけですが,それでもなにかその表の面だけを剥いでいるという感じがするのです.