投稿

ラベル(お仕事)が付いた投稿を表示しています

PaperCに「 REVIEW|展示をめぐるフレーム ──非意識的空間と無意識に至るトンネル」を書きました

イメージ
PaperC の編集をしている永江さんに声をかけてもらって、 ねる による2つの展覧会「ぐねる」と「トンネル」のレビュー「 展示をめぐるフレーム ──非意識的空間と無意識に至るトンネル 」を書きました。公開からしばらく経ってしまいましたが、その紹介ブログです。 永江さんに声をかけてもらったときに、メディアアートの展示でないので、私にレビューが書けるのかということを考えました。でも、ねるが残した展示につながる企画書などを読んでいると、今回の2つの展覧会には「いつまで、どこまでが展覧会か」という問題意識があると思い、それは私が近頃感じていた「レビューはいつから始まり、どこで終わるのか」という問題意識と近いところがあると思って、書いてみようと思いました。 なので、今回はレビューそのものはPaperCに上がっているものですが、そのレビューを書くときに永江さんに送ったメールやメモなどをNotionにまとめたものもリンクで紹介してもらっています。今回の展示は、展示が終わったあとに、感想を積極的に集めていて、その際に書いたテキストもまとめています。展示された作品を中心にした展覧会のレビューらしい「レビュー」は、Notionにまとめられている文章の中にあるかもしれません。 展示のレビューを書き終えて、しばらく経って、「ねるneru企画「ぐねるとトンネル」座談会」のお知らせが届きました。レビューを書いた人として参加しようかと悩みましたが、最終的に出ませんでした。このテキストを書いている今、改めて考えると、「逃げた」ような気もしています。そのときからもこの座談会に出ないのは「逃げ」のような気がしつつ、そのような心持ちで座談会のZoomに参加するのも嫌だと思っていて、最終的、参加しないという選択をしました。そのことをここに書くのもどうかと思いますが、レビューを書くということは、こうやってことあるごとに選択を迫られるものなのだと思い、書いています。 最後に、この紹介のブログを書いているときに、「ぐねる」にも「トンネル」にも「ねる/ネル」と「neru」が入っているなはじめて気づきました。こうやって、大事なことはあとに気づくけれど、そのときはもう自分が書いた文章は自分では変えられないところにあります。

「アーティスト・トーク 古澤龍」を終えて

イメージ
オープン・サロン「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」 出品作家によるイヴェント「アーティスト・トーク 古澤龍」は,とても楽しかったです.畠中さんの司会で,古澤さん,ソニーの小倉さん,そして,私という流れで話しました. 古澤さんのトークで気になったのが 「順応」 ということでした.私は古澤さんの作品を体験中に,作品に慣れというか,作品に馴染んでいく感じがあるなと思っていたので,自分の作品体験と絡められるなと思いながら,古澤さんの話を聞いていました. ソニーの小倉さんは「完璧なディスプレイはフィジカルな世界をそのまま表現できるもの」と言われていて,ディスプレイはまだ完璧ではないけれど,特性ごとに得意分野があるのが,表現に合わせてディスプレイを選択して欲しいと言われていたのが,印象的でした.そして,ディスプレイのスペックが上がってきて,ヒトの認知を考慮する領域に映像は入ってきていると言え荒れていました.「実物感」,「解像感」を考慮した映像表現力が,これからのディスプレイの進化に重要な要素になってきていて,技術的なスペックというよりも「○○感」の進化になっていて,ヒトの 認知特性も加味した映像表現力の活用 が重要になってきているというのは,私の関心とドンピシャで合致していて,とても気になりました.ここは少し聞き逃したところもあるので,小倉さんの言葉そのままではないけれど,「 解像度とフレームレートを合わせた「情報量」をヒトは認知している」 というというところも気になりました. 私のトークの資料はこちらになります> 映像そのものに何かを感じ始める この資料をもとに,二人の話を受けての何を感じて,考えたのかということを話しました. 畠中さん,古澤さん,小倉さん,ありがとうございました☺️

オープン・サロン「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」出品作家によるイヴェント アーティスト・トーク 古澤龍に参加します

イメージ
  オープン・サロン「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」出品作家によるイヴェント アーティスト・トーク 古澤龍 に参加します.ICCのイベントへの参加は久しぶりです. 古沢さんの作品を最初に見たときに興奮していたので,古澤さんからトークの参加を打診してもらったとき,とてもうれしかったです. 古澤さんの作品を体験しているときに,コンピュータと結びついた映像メディアは主観と客観の手前の状態で世界を操作できるものなのではないかと思いました.その結果,私たちが映像や世界に感じるリアリティが変化しているのかもしれないと感じました.その点をこのトークで探っていけたらと思っています 👁️ -- 「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」にて 《Mid Tide #3》 と 《Slack Tide #1》 を展示する古澤龍によるアーティスト・トークを開催します. ゲスト:小倉敏之(ソニーグループ株式会社技術戦略部 Distinguished Engineer),水野勝仁(甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授) 司会:畠中実 (ICC) 日時:2024年10月26日(土)午後2時より 会場:ICC ギャラリーD 定員:100名(当日先着順) 入場無料(展示をご覧になるには入場料が必要です) 主催:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

『メディア芸術・研究マッピング メディアアート研究の手引き』への寄稿

イメージ
「文化庁メディア芸術連携促進事業」の一環として2017年刊行されている「 研究マッピング 」シリーズの 『 メディア芸術・研究マッピング メディアアート研究の手引き(PDF) 』に「 「1990年代のネットアート」の当時と今 」というテキストを書きました. このテキストのリサーチで以下の文献を見つけました. 大榎淳「インターネットとアート/表現の可能性と限界」,『季刊 インターコミュニケーション 13号 特集:インターネットの政治経済学』,NTT出版,1995,92-95頁. 1995年に書かれた大榎のテキストが,あいちトリエンナーレ2019をめぐる状況と重なっていたことから, 「「1990年代のネットアート」の当時と今」というタイトルにしようと考えました.2020年となった「今」,早めに読んでもらえるとうれしいです.そして,20年後に,私のテキストも参照されて 「「1990年代のネットアート」の当時と今」が書かれるといいなと思っています. また,馬定延さんが編集した「初学者のための重要文献」に,私の博士論文「 GUIの確立にみる「ディスプレイ行為」の形成過程 」が挙げられています.うれしい😊

マイケル・ベダンコート『モーション・グラフィックスの歴史───アヴァンギャルドからアメリカの産業へ』

イメージ
翻訳に参加したマイケル・ベダンコート『 モーション・グラフィックスの歴史───アヴァンガルドからアメリカの産業へ 』が出版されます.私は第5章・第8章を担当しました. 普段の研究分野と被りそうで被らない分野の翻訳で苦労しましたが,現在のインターフェイスやメディアアートの大元の部分につながるところを勉強できたような気がしています🧐 -- 三元社のホームページから モーション・グラフィックスの歴史─── アヴァンギャルドからアメリカの産業へ [著者]マイケル・ベタンコート [監訳者]伊奈新祐 [訳者]水野勝仁・西口直樹 “カラー・ミュージック”や“ヴィジュアル・ミュージック”にその起源をもつ「モーション・グラフィックス」は、20世紀初めの前衛映画や実験映画において誕生し、映画産業やテレビ業界が商業的に応用する中で発展した。映画、デザイン、CM、アニメーション、ヴィデオ・アート、ゲームなど、各ジャンルのパイオニアの貢献を追い、従来の映画史・美術史・デザイン史からこぼれ落ちたその理論と歴史を概観する。 定価=本体 4,000円+税 2019年3月15日/A5判並製/426頁/ISBN978-4-88303-481-9 [目次] はじめに   7 第1章 前史   10 共感覚   11 カラー・ミュージック   16 カラー・ミュージックの発明家   21 ヴィジュアル・ミュージック   26 キネティック・タイポグラフィー   36 第2章 抽象映画の創出   50 未来派の抽象映画(1909?1912)   52 レオポルド・シュルヴァージュ(1879?1968)   57 ダダ/構成主義の映画(1919?1929)   60 マン・レイの《理性への回帰》(1923)   63 マーフィー&レジェの《バレエ・メカニック》(1924)   66 ヴァルター・ルットマン(1887?1941)   68 ヴァイキング・エッゲリング(1880?1925)   73 ハンス・リヒター(1888?1976)   78 マルセル・デュシャンの《アネミック・シネマ》(1926)   83 ラースロー・モホイ=ナジ(1895?1946)   89 メディアの普遍的言語へ   92 ...

​​​多摩美 メ芸 卒制展「#00000000」「画像」トーク​🎤

3月3日に 多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース卒業制作展 「#00000000」 で,写真家の港千尋さん,セミトランスペアレント・デザインの田中良治さん,そして,多摩美の学生の竹久直樹と 「画像」についてのトークをしました. このトークをして,私は「画像」そのものではなく,インターフェイスに組み込まれた「画像」というのをいつも考えているのだなと感じました.なので、私が考える「画像」はジェスチャーとともにあるのかなと思いつつも,「画像」がデータの圧力によって変化して,「厚み=バルク」を持ち始めているのではないかとも考えているので,インターフェイスからはみ出す「画像」も最近は考えているのかなとも感じています. トーク🎤ためのノートです(トークでは全く使わなかったですが…) ​ ​ ​ 🎤 ​ 多摩美卒業制作展# 00000000  トーク

MASSAGE連載12_ディスプレイなきディスプレイ場/ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》

イメージ
MASSAGEでの連載「モノとディスプレイとの重なり」の第12回「 ディスプレイなきディスプレイ場/ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》 」が公開されました. 「モノとディスプレイとの重なり」と題して書いてきた連載ですが, ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》を取り上げた 今回は「ディスプレイ」は出てきません.代わりに出てくるのは「穴」や「影」といったモノのようでモノでなくて,モノに依存しているような存在です.ディスプレイはイメージの支持体として考えられますが,よく考えてみれば,イメージに依存して存在する「穴」や「影」のような存在なのかもしれません.だから,モノとしてのディスプレイが消えたとしても,ディスプレイは一つの場として,イメージとの関係のなかで存在し続けるのでしょう.そして,谷口暁彦さんによるカバーイメージは,最後は宇宙にまでいってしまいました.そんなこんなで今回で連載は一区切りです🖥🕳💻 よろしくお願いします😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊

美術手帖(2017年9月号)にHouxo Que個展「S H I N E」のレビューを寄稿

イメージ
https://twitter.com/kuad_artzone/status/897814268011134976 美術手帖(2017年9月号)に,京都の ARTZONE で開催されたHouxo Que個展「 S H I N E 」のレビュー「凹凸のない光の基底面」を書きました.Queさんの作品を継続的に見てきて,今回はじめてあらわれた「光の色面の重なり」やディスプレイに表示された「文字」について書いています✨ レビューのお供にこちらのテキストもお読みいただけるとうれしいです😊 → モノとディスプレイとの重なり 第3回「 光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス───Houxo Que《16,777,216 view》、Evan Rothの《Dances For Mobile Phones》 」

MASSAGE連載10_谷口暁彦《夜だけど日食》と《透明感》@「超・いま・ここ」/ ディスプレイを軸に畳み込まれ、重なり合う複数の空間

イメージ
MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第10回「 谷口暁彦《夜だけど日食》と《透明感》@「超・いま・ここ」/ ディスプレイを軸に畳み込まれ、重なり合う複数の空間 」が公開されました. 記念すべき10回目は,5回目で一度取り上げた谷口暁彦さんの個展「 超・いま・ここ 」で展示された作品について書きました.谷口さんは個展「超・いま・ここ」で2007年から2017年までの10年間の活動を振り返っていました.今回の連載は谷口さんの振り返りに引っ張られる感じで,谷口さんのふたつの作品 《夜だけど日食》 (2008−2010)と 《透明感》 (2015)とりあげて,モノの側面からディスプレイの「これまで」を振り返りつつ,イメージの側面からディスプレイの「これから」を考えています.ディスプレイの「これから」を考えるのは10回目だからというわけではなく,谷口さんの「超・いま・ここ」が単にディスプレイの現在地を示すだけでなく,《透明感》を含む2015年の連作である「スキンケア」で,ディスプレイの先・奥を示し,会場で配布されたテキストでも「折りたたまれたディスプレイ」とディスプレイの「これから」を示してことに反応した結果です.

お仕事:YCAM YEARBOOK 2017-18への寄稿:バニシング・メッシュ展レビュー「あらゆる世界が重なり合う世界」

イメージ
YCAM YEARBOOK 2017-18に展覧会「 バニシング・メッシュ 」のレビュー「あらゆる世界が重なり合う世界」を寄稿しました. バニシング・メッシュ展には,菅野創+やんツーによる《 Avatars 》とサイン・ウェーブ・オーケストラによる《A Wave》《The SINE WAVE ORCHESTRA stay》《The SINE WAVE ORCHESTRA stay》,計4作品が展示されています.私のレビューでは《Avatars》と《A Wave》とが論じられています.両作品とも展覧会の主旨である「今日の情報化社会への批判的展望」を見せてれているので,私の方もメディアアートで古くから扱われきた「物理世界」と「仮想世界」との関係を今日的にアップデートするようなテキストを書きました. インターフェイスという膜でヒトの物理世界とモノの物理世界とを取り囲み,ヒトとモノとの重なりを生じさせるひとつの仮想世界をつくりだしている.ここでの仮想世界は物理世界と対立するものではなく,ヒトとモノのふたつの物理世界を重ね合わせるために必要な触媒として,ヒトとモノとの世界に重ねられる存在となっているのである.(p.100) あらゆる世界が重なり合う世界,水野勝仁  また, 私はいつも視覚的な作品を考えているので,「サイン波」という音を扱うサイン・ウェーブ・オーケストラの作品を考察するときに,音響文化研究者の中川克志さんの「 作文:サイン波は世界を幻惑する(かもしれない) 」にとても助けられました.中川さんがここで音について論じていることが,《A Wave》という映像を用いた作品でも試みられているのではないかというところから,考察の突破口が開けています. 作品が先に行ってしまっているので,作品とともに考えつつ,テキストがアップデートされていればいいなと思います. 是非,YCAMに行って,バニシング・メッシュ展の作品を見て,YCAM YEARBOOK 2017-18を手に入れて,テキストを読んでみてください. 追伸:YCAM YEARBOOK 2017-18,執筆者に水野姓が3人もいるのもポイントです😜😜😜

MASSAGE連載09_小林椋《盛るとのるソー》 ディスプレイを基点に映像とモノのあらたな「画面」状態をつくる

イメージ
MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第9回「 小林椋《盛るとのるソー》 ディスプレイを基点に映像とモノのあらたな「画面」状態をつくる 」が公開されました. 1年間連載をしてきて,やっと9回目です.今回は小林椋さんの《盛るとのるソー》を取り上げました.小林さんの作品はディスプレイが動きます.ひとつの不動点というか消失点であったディスプレイが動くことで,ディスプレイが基点となってモノと映像とが重なり合って,あたらしい画面が生まれてくるのではないか,ということを書きました. 名古屋市立大学芸術工学部の小鷹研理さんが「 「展示の記録と周辺|からだは戦場だよ 2017」 」でエキソニモの《Body Paint》について書いているテキストを,画家・評論家の古谷利裕さんが引用して,次のように書いていました.引用の引用となるので少し長いですが引用します. このテキストで,エキソ二モの作品に触れることから導き出される,下のような見解はとても重要だと思う.  《おそらく,美術というのは,多かれ少なかれ,現実と虚構との(本来)抜き差しならない関係を,それぞれの仕方で扱おうとするものであるからして,ポスト・インターネットが,美術の歴史のなかで,何か特別に新しい視座を提供しているというよりは,そういった美術の伝統を,新しい道具を使って,正しく継承しているという言い方が正確なのかもしれない.そのうえで,僕がこの一連のムーブメントに関心を持つのは,ポスト・インターネットが,美術が伝統的に題材にしてきたであろう諸問題を,非常にわかりやすいかたちで鑑賞者に提示してくれているようなところがあって,結果的に,美術という難解な装置の,優れたメタファーとして機能している(その意味では,美術であると同時にメタ美術でもあるような),と,少なくとも僕にとってはそんな魅力がある.》  《この「わかりやすい」という印象は,作品の受容において,体感レベルの手応えが果たす役割が大きくなっていること,とも関係している.つまり,(美術のコンテクストを知っていようが知っていまいが発動するような)物理空間とディスプレイ内空間との区別が失効するような錯覚が現に生じること,そのことそのものが作品の価値の重要な側面を構成してしまうこと.これは,ある意味で...

ÉKRITS連載_最小化するヒトの行為とあらたな手 - インターフェイスを読む #1

イメージ
インターフェイスを読んでいく連載を「 ÉKRITS / エクリ」ではじめました😊 エクリにはこれまでに,エキソニモと谷口暁彦さんの作品をインターフェイス的視点から読み解く「 メディウムとして自律したインターフェイスが顕わにする回路 」,絵文字を書く・読むときの感情の流れを考察した「 絵文字😂😊😱は空白をつくり、スリル💦を生む 」「 絵文字😹😸🙀は空白をつくり、感情🔥を区切る 」と書いてきました. インターフェイス的視点で様々なテキストをエクリに書いていくなかで,エクリで「インターフェイスの歴史」を扱ったテキストを書きたいと思い,編集部の浅野さんと大林さんに相談してみたところ,ふたりから刺激的なコメントが返ってきました.そこで,連載というかたちで「インターフェイス」について書いてみたいと以下のように構想を書きました. マクルーハンによる「身体の拡張」から,コンピュータによる「知能の拡張」に至り,渡邊恵太さんの『融けるデザイン』にいたる「物理世界」と「非物理世界」との関係の変化を辿っていきたいと考えていますが,どうでしょうか. でも,初回から,この構想はいい意味でなくりました.それは,久保田晃弘さんの『遙かなる他者のためのデザイン』がでたからです.なので,初回のテキスト「 最小化するヒトの行為とあらたな手 」は,マクルーハンと久保田さんを扱ったものになっています. 1ヶ月半か隔月の間隔でテキストを書いていきたいと思っています😭😭😭 よろしくお願いします😋😋😋

MASSAGE連載08_ディスプレイ周囲で癒着する光とモノとがつくる曖昧な風景───永田康祐《Inbetween》について

イメージ
MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第8回「 ディスプレイ周囲で癒着する光とモノとがつくる曖昧な風景───永田康祐《Inbetween》について 」が公開されました. 今回も前回に引き続き,永田康祐さんの作品を考察しました.けれど,前回は水平に置かれたディスプレイでしたが,今回は主に垂直に設置されたディスプレイについてです.ディスプレイの光とモノとそのあいだの空間について書いています.最後の節は,それがひっくり返る感じです. 引き続き,よろしくお願いします😊😊😊

告知:トークショー 「アートと計算(コンピュテーション)」と,出来事を複製する→出来事を個別化する

イメージ
29日に京都の ARTZONE で開催されている 渡邉朋也個展「信頼と実績」 で,渡邉朋也さんと美学者の秋庭史典さんのトーク「アートと計算(コンピュテーション)」の司会をします.ふたりとも話がおもしろいので,どんな話になるのか楽しみです! 是非,お越しください! −− トークショー 「アートと計算(コンピュテーション)」 日程:2017年1月29日(日) 18:00– 入場料:無料 会場:MEDIA SHOP gallery 登壇者:渡邉朋也氏、秋庭史典氏、水野勝仁(司会) −− このトークのために渡邉さんの作品を考えてみたのが,こちらです.渡邉さんといえば「落合博満」などの野球の話ですが,野球のことがキャプションで言及されているのは,《ツナとマヨネーズ》と《敬遠とフォアボール》だけなんですよね.下に書いたテキストは,最初は渡邉さんの作品全体を視野に入れていたのですが,書き終えてみると,キャプションで野球について触れている,上のふたつの作品にもっともフィットするようなテキストになっているような気がします.当日のトークとは関係あるかもしれないし,ないかもしれません.あくまでも,渡邉さんの作品に対する,私のメモです. 出来事を複製する→出来事を個別化する 渡邉さんの作品を見続けて,浮かんできたのが「出来事が複製される」という言葉である.《ツナとマヨネーズ》のレシートや《敬遠とフォアボール》の試合の再演のようにアルゴリズムをもとに生みだされたフォルムが複数展示されることで「同一性」というフォルムの問題がでてくる.それは単体としてのフォルムではなく,アルゴリズムを経たフォルム,もしくは,アルゴリズムと癒着したフォルムというあたらしいモノとして,そこに存在している.そして,アルゴリズムと癒着したフォルムをもつモノが生まれたときに,「出来事が複製される」という事態が起こっている.しかし,それだと渡邉さんが良く引き合いに出す落合のホームランの説明がつかない.とすれば,「出来事が複製された」結果として,アルゴリズムと癒着したフォルムをもつモノが生まれるときもあると考えてみたらどうだろう.そうすれば,落合にはホームランが残り,渡邉にはモノや映像が残る. 落合はホームランを打つための行...

MASSAGE連載07_水平に置かれたディスプレイが物理世界のルールを上書きする───永田康祐《Translation #1》について

イメージ
MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第7回「 水平 に置かれたディスプレイが物理世界のルールを上書きする─── 永田康祐《Translation #1》について 」が公開されました.iPhoneの上に🐸が乗っています.このことは本文と関係があります. 今回考察した永田さんの作品にはいつもクリーンさを感じていて,いつかGoogleマテリアルデザインと対比してみたいと考えていました.なので,永田さんの作品をインターフェイスのデザインに引きつけて書いています. 引き続き,よろしくお願いします😊😊😊

写真家・小山泰介さんと編集者・塚田有那さんとのトーク

1月6日から恵比寿の G/P gallery で開催される小山泰介個展『Generated X』で,写真家・ 小山泰介 さんと編集者・ 塚田有那 さんとトークをします! モデレーターはG/P galleryのディレクターであり,『 写真は魔術 』の翻訳をされた深井佐和子さんです. 年始早々のこのトークに向けて,私が論じてきた「インターフェイス」や「ポストインターネット」や「モノとディスプレイとの重なり」という枠組みで,小山さんの写真は解釈できるのであろうかと,小山さんの写真をみながら頭を悩ませています. よろしくお願いします! -- 小山泰介個展『Generated X』 会期:2017 年1 月6 日(金)~ 2 月26 日(日) 会場:G/P gallery(東京・恵比寿) 住所:〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-18-4 NADiff A/P/A/R/T 2F URL:www.gptokyo.jp 主催:G/P gallery 協賛:ソニー株式会社 トークイベント 日時:2017 年1 月6 日(金)16 時~ モデレーター:深井佐和子(G/P galleryディレクター) 出演:水野勝仁(甲南女子大学文学部メディア表現学科講師)、塚田有那(編集者/キュレーター)、小山泰介 オープニング・レセプション 日時:2017 年1 月6 日(金)18 時~ プレスリリースより: G/P galleryでは2017年1月6日より、国内では3年ぶりとなる小山泰介の個展『Generated X』を開催いたします。 本展では、2016年4月にロンドンの大和日英基金ジャパンハウスギャラリーで開催し、好評を得た個展『Generated Images』で発表された『PICO』シリーズの写真と映像によるインスタレーションをアップデートして発表いたします。 近年小山は「イメージを体感する」ことを重要視しており、本展でも体験性を重視したインスタレーションが展開されます。また、『あいちトリエンナーレ2016』で発表した名和晃平との新作コラボレーション作品『VESSEL-XYZXY』や、ポストデジタル時代の抽象写真の可能性を探究した『LIGHT FIELD』シリーズなどを併せて展示いたします。 小山は2014年に文化庁新進芸術家海...

MASSAGE連載06_《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ

イメージ
MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第6回「 《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ 」が公開されました.また,今回からタイトル画像がマットブラックのiPhoneになりました!  Gallery Out of Place でのWINDOWS展に展示されている 須賀悠介 さんの作品 《Empty Horizon》について論じています.WINDOWS展は須賀さんと Houxo Que さんの2人展で,Queさんの作品《16,777,216 view》 シリーズを連載の3回目「 光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス 」で論じていますので,合わせて読んでもらえるとうれしいです. 引き続き,よろしくお願いします😊😊😊

2016年度 中部支部 第1回研究会で講演_「GUIの歪み」のスライドなど

イメージ
スライドのPDF→ https://drive.google.com/open?id=0B3RHXdLnqTi-WUQ5UjN2blduUmM 10月8日は情報科学芸術大学院大学(IAMAS)で開催された2016年度 日本映像学会中部支部 第1回研究会で 「GUIの歪み」 という講演をしました.映像学会の 中部支部 は名古屋大学大学院時代にとてもお世話になったところです.映像学会のなかで「メディアアート」や「インターフェイス」についての発表をし続けても,受け入れてくれた懐の深い支部です. 発表要旨は以下になります. 要旨: 写真家の小林健太は自らを「GUIネイティブ」と呼び,「自分が何かと接する時に,その間に何かフィルターが介入していて,歪みが生じている.そういう状況に慣れきったような感覚」があるという.小林が言うように,デスクトップメタファーからフラットデザイン,マテリアルデザインといった流れをもつGUIは,物理世界の再現を目指すわけではなく,その構造のみを取り入れた独自の世界をディスプレイに展開してきたと考えられる.GUIを操作し続けるヒトには,物理現象に還元できない表象がつくる物理世界を裏切るような歪んだ感覚が蓄積してきた.「ポストインターネット」と呼ばれた状況以後,この蓄積された感覚が閾値を越えて,作品として現われ続けている.今回の発表では,GUIによる歪んだ感覚を示すふたりのアーティストを取り上げる.ひとりは先述の小林であり,もうひとりはベクター画像の特性を活かした作品をつくり続けるラファエル・ローゼンダールである.小林とローゼンダールの作品を通して,GUIの歪みを示していきたい. 当日は,小林健太とラファエル・ローゼンダールの考察のまえにGUIの流れをアイヴァン・サザーランドからGoogleのマテリアルデザインまで追っていきながら,身体とGUIとの歪んだ関係を先ず示しました.その後で,その歪みを引き受けた作品として,ラファエル・ローゼンダールと小林健太の作品を紹介しました.この発表を考えているときに,ローゼンダールはベクター画像が示すような数学的な完全さとともにある「クリーンなGUI」で,小林は身体と物理世界とが「クリーンなGUI」に「汚れ」をつけていく「ダーティーなGUI」なのではないか,というアイデアを得ま...

渡邊恵太さんとトーク「インターフェイスとは何なのか?」のスライドやメモなど

イメージ
10月は3週連続で東京に出張して,いろいろなところでトークや講演をさせてもらいました.その記録としてのブログ記事の最初は,10月2日にNTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で行われた,渡邊恵太さんとトーク「 インターフェイスとは何なのか? 」です. 久しぶり「インターフェイス」について,どっぷりと考えられたいい時間でした.しかも,ひとりで考えるのではなく,渡邊恵太さんと一緒に考えられるというのは,とても刺激になりました. トークで使ったスライドです. スライドのPDF→ https://drive.google.com/open?id=0B3RHXdLnqTi-VHJURm5Jb2MwNWM 以下は,渡邊恵太さん含め,渡邊研究室との打合せのときにSlackに書いたメモみたいものです. 渡邊研究室への私からの最初の問いかけ 夏の集中講義で『融けるデザイン』を再読して,そこで「smoon」や「LengthPrinter」は,ヒトの行為を均一化していくものだなと考えました.掬う量に関係なく,ただ「掬う」.長さに関係なく,ただ「引っ張る」.ボタンを押すだけの全自動とは異なり,従来の行為を行いつつも,そこでは大きな変化が起きている.でも,従来の行為と変わらないものとして捉えられてしまう. 「行為の均一化」に似たヒトの行為の縮減は,ディプレイに向かうときにヒトに起こっていたと言えます.「ボタンを押す」だけで,様々なものがディスプレイに生じます.でも,それは「行為の均一化」というよりも,ボタンを押すという単一の行為にヒトの行為を最小化していくものだったと言えます.最小化した行為に物理世界に由来する意味づけをつけるためにメタファーが用いられて,デスクトップメタファーが生まれたと考えられます. 最小化した行為のもとでメタファーを使って,ヒトの行為の構造や意味コンピュータに移行していったとすれば,GUIには歪んだ身体感覚が映されたことになります.しかし,その歪んだ身体感覚のことは考えずに,物理世界そのものをディスプレイに構築しようとしたのがスキューモーフィズムだと言えます.しかし.ディスプレイのなかが物理世界に近づこうすればするほど,最小化した行為とメタファーとのセットで持ち込まれた歪んだ身体感覚とイ...

MASSAGE連載05_ iPadがつくる板状の薄っぺらい空間の幅 ─── 谷口暁彦「思い過ごすものたち《A.》」と「滲み出る板《D》」について

イメージ
MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第5回「 iPadがつくる板状の薄っぺらい空間の幅 」が公開されました. いつもカバー画像を提供してもらっている 谷口暁彦 さんの作品「思い過ごすものたち《A.》」と「滲み出る板《D》」を取り上げて, 具体的な厚さもつ  iPad というモノとそのディスプレイが示す実質的な厚さをもたないピクセル平面とのあいだにつくられる「 板状の薄っぺらい空間の幅 」について考えています. 「厚さをもつ/もたない」は存在論的な話ではなくて,ヒトの認識のことでしかない.けれど,そのヒトに見えている部分=認識をちょっとずつバグらせた結果として,存在そのものも変わるのかなと,ふと考えました.認識の変化が存在を変化させる,というか,その存在の物理条件を明らかにしていくような感じです. 次回もがんばります😊😊😊