2016年度 中部支部 第1回研究会で講演_「GUIの歪み」のスライドなど
10月8日は情報科学芸術大学院大学(IAMAS)で開催された2016年度 日本映像学会中部支部 第1回研究会で「GUIの歪み」という講演をしました.映像学会の中部支部は名古屋大学大学院時代にとてもお世話になったところです.映像学会のなかで「メディアアート」や「インターフェイス」についての発表をし続けても,受け入れてくれた懐の深い支部です.
発表要旨は以下になります.
要旨:写真家の小林健太は自らを「GUIネイティブ」と呼び,「自分が何かと接する時に,その間に何かフィルターが介入していて,歪みが生じている.そういう状況に慣れきったような感覚」があるという.小林が言うように,デスクトップメタファーからフラットデザイン,マテリアルデザインといった流れをもつGUIは,物理世界の再現を目指すわけではなく,その構造のみを取り入れた独自の世界をディスプレイに展開してきたと考えられる.GUIを操作し続けるヒトには,物理現象に還元できない表象がつくる物理世界を裏切るような歪んだ感覚が蓄積してきた.「ポストインターネット」と呼ばれた状況以後,この蓄積された感覚が閾値を越えて,作品として現われ続けている.今回の発表では,GUIによる歪んだ感覚を示すふたりのアーティストを取り上げる.ひとりは先述の小林であり,もうひとりはベクター画像の特性を活かした作品をつくり続けるラファエル・ローゼンダールである.小林とローゼンダールの作品を通して,GUIの歪みを示していきたい.
当日は,小林健太とラファエル・ローゼンダールの考察のまえにGUIの流れをアイヴァン・サザーランドからGoogleのマテリアルデザインまで追っていきながら,身体とGUIとの歪んだ関係を先ず示しました.その後で,その歪みを引き受けた作品として,ラファエル・ローゼンダールと小林健太の作品を紹介しました.この発表を考えているときに,ローゼンダールはベクター画像が示すような数学的な完全さとともにある「クリーンなGUI」で,小林は身体と物理世界とが「クリーンなGUI」に「汚れ」をつけていく「ダーティーなGUI」なのではないか,というアイデアを得ました.このアイデアは次週の小林健太とのトークにつながっていきます.
また,前週の渡邊恵太とのトークから考えたGUIに関する考察が,このトークに活かされています.とくにフラットデザインからマテリアルデザインに至る流れは,GUI以降の平面を考える上で,インターフェイスの問題だけでなく,アートや写真における平面にも適用できるのではないかと考えるようになりました.
発表を終えたあとで,「ディスプレイのなかを「マテリアル」として意識できる人たちがでてきた.興味ない人にとっては全く興味わかないところだけど,そういった意識を持ち始めてきた人たちがでてきたのは興味深い」いうようなコメントをもらいました.そういった意味でも,Googleの「マテリアルデザイン」という名称は面白いなと,私は考えています.