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『表象18』の共同討議「皮膚感覚と情動──メディア研究の最前線」に参加

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2023年11月に開始されたシンポジウムが,共同討議「皮膚感覚と情動──メディア研究の最前線」としてまとめられて,『表象18』に掲載されました.「スワイプ」と「錯覚」からインターフェイスを考えていますので,ぜひご覧ください. また,以下の3冊をブックガイドで紹介しています.『融けるデザイン』や『からだの錯覚』を『表象』で紹介できて,とても良かったと思っています☺️ 渡邊恵太『 融けるデザイン──ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論 』.BNN新社.2015年 小鷹研理『 からだの錯覚──脳と感覚が作り出す不思議な世界 』,講談社,2023年 ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼカー『 ゲシュタルトクライス──知覚と運動の人間学 』,木村敏・濱中淑彦訳,みすず書房,2022年

日本映像学会第50回大会での発表:ヨフ《Layered Depths》とともに考える「スワイプを介して生じる映像と空間との関係」

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  九州産業大学で開催された日本映像学会第50回大会での「ヨフ《Layered Depths》とともに考える「スワイプを介して生じる映像と空間との関係」 」という発表をしてきました. ヨフ の《Layered Depths》は何度も見てもらうことが一番理解が進むし,発表の理解にもつながると思ったので,発表のあいだ,上の画像のようにヨフから提供してもらった《Layered Depths》の記録映像をループで流しておくようにしました.そのおかげで,作品の魅力もうまく伝わったと思います.発表終了後,作品についての感想を多くいただきました. 私の発表については,こちらに発表資料とこの発表ために書いたテキストを載せていますので,興味のある方は読んでみてください.テキストは発表でいただいたコメントをもとに修正して,大学の紀要論文に投稿する予定です.文字数が超過しているので圧縮作業も必要になってくるのが悩ましいところです👻 発表資料とテキスト ヨフ《Layered Depths》とともに考える「スワイプを介して生じる映像と空間との関係」

2021~23年度科研費「生命の物質化・物質の生命化に関する理論調査と制作実践」成果報告会

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九州福岡で科研の成果報告会に参加します🥸   私のメインは永田康祐さんの「一杯のお茶から: ノーマ京都とコンプレックス・シンプリシティ」を読んで,食べていないのにノーマ京都の料理を感じて,テキストの執筆者にその感じを話すというところです🍽️

メディア映像史 (2023年度水野担当分)の授業資料

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今年度も 愛知県立芸術大学のメディア映像専攻 で「メディア映像史」を担当しました.15回中5回を「インターフェイスとともに考えるメディア映像史」という感じで,インターフェイスの歴史を振り返りました. エクリでの連載「 インターフェイスを読む 」や『 UI GRAPHICS 』で書いてきたことを,今の自分の関心に沿って書き直しながら授業資料をつくっていくと, 「インターフェイスの歴史はヒトとコンピュータの複合体がデジタルオブジェクトの検出可能性を高めてきたもの」という視点で改めて読み解いていくことになりました.その結果,以前にはなかった視点が多く出てきました. メディア映像史 (2022年度水野担当分)の授業資料   上に書いたように昨年度デジタルオブジェクトを検出することを大きな目的としたけど,今年度は「検出」されるものではなく,「デジタルオブジェクトは感じられる」ものとしました.そして,ヒトがインターフェイスを介して,デジタルオブジェクトをさまざまに感じていくと,存在の根源である情報の一状態としての「情報体 Information Gestalt」とのリンクが,ヒトとコンピュータとのあいだに生じるのではないだろうかという問いで,授業資料を大幅に書き換えていきました.その結果,だいぶわかりやすい感じで全体を修正できたと思う. 「わかりやすい」というか無理のない感じになったと思う.デジタルオブジェクトという見えている,触れているものを「検出」するという言葉で語るのは無理があったけど,「情報体」は見えないし触れ得ないので「検出」するという言葉がフィットすると思う.でも,テキストでは書けても,実際に授業で口頭で説明するとなると,うまくできなったところが多かったと思う.だから,まだ「情報体」とは何かということは考えられていない.デジタルオブジェクトを感じ続けた先にある何かでしかない. 今年度の愛知県立芸術大学メディア映像専攻は学生がみんな女性で.共学だけれど女性しかいないというのは,女子大とは別の感じがあったような気がします.授業終わりに「お疲れさまでした」と言われたのが,うれしかったです.最後の授業を体調不良で行けなかったのが残念でした.関口先生,ありがとうございました🥸 メディア映像史 (2023年度水野担当分)の授業資料 https://mmmmm-mmmmm.no

メディアアート論(2023年度)の授業資料

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昨年度から甲南女子大学で「メディアアート論」を担当しています.昨年度同様,「メディアアートとは?」という授業ではなくて,私が興味を持っている考え方や作品を紹介するという授業にして,これまで自分の考えをまとめつつ,アップデートすることを目指しました.というのよりは,昨年度の授業資料のアップデートを目指した感じになっています. 昨年度と大きく変わったのが,メディアアートの作家・作品紹介の回を入れたところです.私の考えに基づいて一つの作品を考察していくことをしてきましたが,学生はもっと幅広くメディアアートについて知った方がいいのではないかと考え,終盤に入れました.と言っても,私が興味のある作家・作品なので,偏りはあります.ですが,授業でできる限りの作家・作品を次々に紹介していくというのは,学生にとっては興味が広がり良かったみたいです.私にとっても,改めて,より多くの作家・作品の魅力を再確認できて良かったです. この授業資料が,メディアアートを考えるための一つの参照項になったりすればうれしいです🥸 授業資料を公開するにあたって,学生からの質疑応答のコメントは削除しました.また,コメントメインの振り返り回, 高尾さん に授業をしてもらったところの授業資料は「なし」にしてあります. メディアアート論(2023年度)の授業資料 https://mmmmm-mmmmm.notion.site/54f1e5af7da743f693b92cd4d0421017?v=c0f11f65058a4fb99ebb8a5f052f4ba2 - メディアアート論(2022年度)の授業資料

2023年の振り返り👀✍️

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2023年はこの投稿を含めて23本の記事を書いています.2022年が9本だったから,結構増えました🥸 ただ,そのうちの10本が Tumblr に書いていた記事を転載したものになります. ちなみに note には26本の記事を書いています.こちらも他のウェブ媒体で書いていた記事の転載とかもあるので,0から今年書いたというテキストは少ないですね.でも,なんであれ合計して49本の記事が書けたのは良いとしましょう. 2023年は2022年にやった授業資料を公開するところから始まりました. メディアアート論(2022年度)の授業資料 メディア映像史 (2022年度水野担当分)の授業資料   2023年度もふたつの授業を担当していますので,また資料をあげたいと思います.メディアアート論は「作家紹介」をする回をつくったので多少は多少はあたらしくなっていると思います. 新年5日から私の担当が始まるメディア映像史は,デジタルオブジェクトを介して「情報体」を体験するという枠組みで書き直しています. 写真ウェブマガジン「iiiiD」に連載していた 「フラットネスをかき混ぜる🌪」の5回目を掲載しました.この後, 「iiiiD」は活動を停止しました.転載の許可をもらったので,テキストを加筆修正しつつnoteにまとめています. 「フラットネスをかき混ぜる🌪(5)認知負荷ゲームとしてのエキソニモ「Sliced (series)」(2) ──《A shot computer keyboard, sliced》から認知プロセスを透かし見る👀」が公開されました  noteのマガジン: フラットネスをかき混ぜる🌪️ アーティストの山形一生さんへのインタビューをもとにした論文「 山形一生へのインタビューとともに考える「デジタルオブジェクトのリアルな感じとその生と死」 」が大学の紀要として出版されました. 紀要論文「山形一生へのインタビューとともに考える「デジタルオブジェクトのリアルな感じとその生と死」」  日本映像学会の学会誌「映像学」に掲載されていた論文が J-Stageに掲載されました. 「映像学」に掲載された論文がJ-Stageに掲載されました👻  紙媒体で残るのもいいけど,思い立ったときに検索してすぐに論文が読めるのはとても大切なことだと私は思っています.その思いもあって,ずっとブログ

ÉKRITS連載_カーソル・ラバーハンド錯覚・スワイプ ── 「画面帰属感」がつくる自己を画面に帰属させたミニマルセルフ - インターフェイスを読む #8

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エクリでの連載「インターフェイスを読む」を更新しました.第8回目のタイトルは「 カーソル・ラバーハンド錯覚・スワイプ ── 「画面帰属感」がつくる自己を画面に帰属させたミニマルセルフ 」となります. 先日参加した, 表象文化論学会オンライン研究フォーラム2023のシンポジウム「皮膚感覚と情動:メディア研究の最前線」 の発表原稿に加筆修正して,エクリに掲載してもらいました.そのため,連載で使ってきた「合生的」という言葉が使われていません.しかし,最後で現れる「画面帰属感」という言葉は,これまで連載で書いてきた「合生的行為」や「合生的出来事」の源にあるit-from-bit,情報主導の世界を紐解く端緒になるかなと思っています. 「合生的行為」や「合生的出来事」は, ヒトが画面に帰属した先に情報への帰属を感じながら,意思と予測情報とが入り混じった感じを抱きながら行う行為であり,その感じとともに現われる出来事なのではないかということです. 科研「 生命と物質に関わる理論的調査と制作実践 」で 「物質としてのインターフェイスの生命化」ということを考えて来たら,物質と生命を統合する情報に帰属するヒトという考えができ来た感じです.