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MASSAGE連載04_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/影のマスキングがバクルとサーフェイスとを引き剥がす

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MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第4回「影のマスキングがバクルとサーフェイスとを引き剥がす」を書きました✍️✍️✍️
今回は名古屋市立大学芸術工学部で身体の錯覚についての研究を進めている小鷹研理さんの作品《公認候補》を軸にして,下からの光が物理世界を切り取ることによって,バルクの位置付けが曖昧な空間が生まれ,そこにバルクから剥がれた「理念的サーフェイス」が生まれるということについて書いています.
また,小鷹さんの「研究」では無く「作品」にフォーカスして考えみたかったということもあります.小鷹研の研究は「からだは戦場だよ」や学会発表を通して多くの人に知られるようになりました.そして,小鷹さん個人は研究と同時に,エキソニモや永田康祐さんの作品に言及したり,小林椋さんの個展のレビューを書いたりしています.私は小鷹さんのテキストに強い影響を受けていました.そのような中で,小鷹さんが研究ではなく,作品を作成したというので,名古屋まで展示を見に行きました.そこで出会ったのが今回取り上げた《公認候補》と《ボディジェクト指向 #1》でした.《ボディジェクト指向 #1》は小鷹さんの研究とも直接的につながっている作品で,こちらは画家・評論家の古谷利裕さんが偽日記に書いています.《公認候補》は研究とは少し離れていて,ポストインターネット的な問題設定,私的には「モノとディスプレイとの重なり」の問題圏にあると考え,今回のテキストとなりました.
カワイさんのカバー画像では一枚の布がふわりと宙に浮いていて,「影」がしっかりとサーフェイスに記されています.「影」があるからこそ,それが宙に浮いていて,下のサーフェイスと関係を持っていることがわかります.そして,「影」と白い布のあいだの空間自体が「影」と白い布というふたつのサーフェイスに切り取られたバルクのようにも感じられてきます.また,下のサーフェイスもいくつか重なっていますが,そこには影はありません.それらは重なっていないのかもしれません.重なっていないとすると,そこにはバルクもないのかもしれません.

2018年の振り返り

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2018年にはこの投稿を含めて43本の記事を書いています.2015年が28本だったから,結構増えた感じです.本当はもっと増やしたかったのだけど,途中からnoteにもテキストを書くようになったので,結果として,こちらのブログは告知やまとめを書く場所になっていきました👻 ちなみにnoteには51本の記事を書いているので,合計して94本の記事を書いたことになります.

2018年は二つの連載をしていました.一つはMASSAGEで「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」で,もう一つはÉKRITSで「インターフェイスを読む」です.

MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」は2016-2017年に連載していた「モノとディスプレイとの重なり」の問題意識を「ディスプレイ」以外にも拡張して考えてみようというものです.現在,0回を含めて3回目まで書きました✍️
MASSAGE連載00_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/インターフェイスはいつからサーフェイスになるのか? MASSAGE連載01_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/サーフェイスからバルクとしての空間を透かし見る MASSAGE連載02_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/3DCGを切り取る「型」としてのバルクとサーフェイス MASSAGE連載03_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/浮遊するバラバラのサーフェイスがつくるバルクがマテリアルを拡張する ÉKRITSの連載「インターフェイスを読む」は今年4, 5回目を書いて,終了しました.自分なりに「インターフェイスの歴史」をまとめられられたかなと思います.
ÉKRITS連載_インターフェイスからサーフェイスへ — スキューモーフィズム再考 - インターフェイスを読む #4 ÉKRITS連載_場に顕れるソフトウェア、隠れるオブジェクト - インターフェイスを読む #5 ÉKRITSの連載の問題意識の延長として,『【新版】UI GRAPHICS 成功事例と思想から学ぶ、これからのインターフェイスデザインとUX』に「思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる」を書きました. 【新版】UI GRAPHICS 成功事例と思想から学ぶ、これからのインターフェイスデザインとUX  アート寄りの仕事としてはartscapeで,大学の…

批評誌『ヱクリヲ9』に寄稿

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批評誌『ヱクリヲ9』に「ジェスチャーとともに写真のフレームを無効化する「写真」───ピンチイン/アウトによる「写真」の拡大縮小」を寄稿しました.身近な行為から「写真」について考えています.よろしくお願いします😊
『ヱクリヲ9』の「特集 写真のメタモルフォーゼ」の序論で次のように紹介されています.
水野勝仁による「ジェスチャーとともに写真のフレームを無効化する「写真」───ピンチイン/アウトによる「写真」の拡大縮小」は,かつて写真の本質的な特徴と見做された「フレーム」が現代の技術環境で見せる変容についての分析だ.ピンチ・イン/アウトというスマートフォンで一般化した触覚的な知覚はどのように仮想空間に作用しているだろうか.この未知の行動様式がもたらすメディア論的な可能性が見いだされる.p.10
ヱクリヲのTwitterでは次のように紹介されています. スマートフォンは、フレームレスになっていたデジタル画像に「縁」を与えたと同時に、世界を四角く切り取ってきた写真の「フレーム」を無効化しました。それは、ジョブズがiPhoneで親指と人差し指を使って「ピンチイン/アウト」ジャスチャーを行ない、画像を拡大縮小させたときに起こりました。 pic.twitter.com/JHGpKeaVWC — エクリヲ|vol.9発売開始 (@ecrit_o) 2018年12月1日
ジョブズが触れていたのは写真でも画像でもなく、ディスプレイのフレームをはみ出していく「写真」という操作可能な未知のオブジェクトでした。「写真」は物理的フレームとしてのディスプレイだけでなく、写真が持っていた被写体と被写体以外とをまとめ上げてきた「フレーム」もはみ出していくのです。 pic.twitter.com/3815kPYEf7 — エクリヲ|vol.9発売開始 (@ecrit_o) 2018年12月1日
「写真」は操作可能なオブジェクトとして「フレーム」を意識せずに見ることを可能にしたのです。だからこそ、私たちは見るだけでなく指で触れながら、スマートフォンの一部として存在している「写真」について考えていかなければならないのです。『ヱクリヲ9』掲載の水野勝仁による論考です。 pic.twitter.com/7mbPPemKyl — エクリヲ|vol.9発売開始 (@ecrit_o) 2018年12月1日
『ヱクリヲ9』には他にもピ…

artscape連載「メディアから考えるアートの残し方」の第1回でエキソニモにインタビューをしました

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artscapeで始まったメディアの視点からアートの保存,そして「作品」というあり方を捉え直す連載「メディアから考えるアートの残し方」の第1回でエキソニモにインタビューをしました.「メディアアートの輪廻転生」展を起点にして,エキソニモの話を聞きながら,私はメディア/インターフェイスと接する身体の感覚の保存はできるのだろうかという話をしています.編集を担当してもらった水野雄太さんのおかげで読みやすい流れになっています.ぜひ,お読みください😊
インタビュー準備のために書いたnote 032:作品の歴史における履歴としての死039:「Looking through(透かし見る)」のメディウム042:それもまた《Magnet TV》である043:「動的ふるまい」を生成するプラットフォームインタビュー収録の様子のスクリーンショットに映っている「⌛️エキソニモへの質問案

第9回甲南女子大学メディア祭で「LIVE」を開催します🔉

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第 9 回甲南女子大学メディア祭で「LIVE」を開催します🔉 東京からアーティストの山形一生さんをお招きしました😊
そして,ともに甲南女子大学で教えている西田彩ゾンビさんと馬場伸彦さんのユニット「ゾンババ」が登場します☺️

日時・2018 年 10 月 28 日(日) 14:00 -16:00
場所・8 号館 4 階 AV スタジオ
出演・山形一生 ,ゾンババ(西田彩ゾンビ+馬場伸彦)
連絡先:mmizuno@konan-wu.ac.jp
WEB:QRコード

【新版】UI GRAPHICS 成功事例と思想から学ぶ、これからのインターフェイスデザインとUX

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【新版】UI GRAPHICS 成功事例と思想から学ぶ、これからのインターフェイスデザインとUX に「思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる」というテキストを寄稿しました.また,2015年版から「メタファー、ボタン、テクスチャ、色面、ピクセル」と「GUI の歴史:インターフェイスは常に身体の中にあった…」の二つのテキストが再録されています.


書き下ろしの目次 ・Apple が目指す「流れるインターフェイス」 | 安藤剛 ・思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる | 水野勝仁 ・個人的なインタラクション | 萩原俊矢 ・ユーザーのウェルビーイングのためのUI/UX | ドミニク・チェン ・導線としての制約を作る | 菅俊一 ・動きとUI デザイン | 鹿野護 ・話法について | 有馬トモユキ ・UI の外在化とメタハードウェア | 渡邊恵太 ・世界観への期待を創るUI デザインとエクスペリエンサビリティを向上するUX | 須齋佑紀/津﨑将氏
目次を見ると気になる著者名とタイトルがずらりと並んでいて,私自身もこれらから読むのが楽しみです😊
今回,私が書くことになったテキストの最初の構想を編集の庄野祐輔さんに送ったメールの一部をここに置いておきます. -- インターフェイスの移り変わりは本当にはやいですね.
現在,インターフェイスで興味があるのは,周回遅れの感じがありますが,Apple Pencilで書くことです.正確に言うと,Apple Pencilでいくら書いても,そこにあるのはiPad Proの一枚のディスプレイということでしょうか.私は何を一体書いているのだろうということです.
でも,これだと今回の趣旨に合わないなと思っていたところで,今回のWWDC18でAppleが「Designing Fuild Interfaces」という発表しました.そのなかに「A tool that feels like an extension of your mind」という言葉があって,さらに「Interface that extend our minds」とありました.これ見たときに,もう「extension of your body」ではないのだなと思いました.マクルーハンの「内爆発」ともちがうことが起こっている.しかも,この発表は「指」しか…

建築夜楽校2018 シンポジウム「建築のインターフェイス」で使った資料と簡単な振り返り

インターフェイス🔁サーフェイス
建築夜楽校2018 シンポジウム「建築のインターフェイス」で使った資料です.最後の引用として使っている『GRAPHICS FOR UI UX』(10月19日刊行予定)に書いたテキスト「思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる」は発表時よりも引用を短くしました.気になった人はぜひ本を買ってください🙏
タイトルにもある通り「インターフェイス」のことを「サーフェイス」として捉えて考えても,実際にそれは「インターフェイス」であり続けるのであって,この行き来のなかで考えるしかないのかなということを,今回の改めて考えました.発表者の一人の青木淳さんがコーリン・ロウの「透明性」に言及しつつ,「リテラルなインターフェイス」と「フェノメナルなインターフェイス」という言葉が言っていたのが気になりました.そこから,「リテラルなインターフェイス」としてサーフェイスがあって,こちらの部分はあまり評価されてこなかったから,あえて,インターフェイスをリテラルにサーフェイスとして捉えることが重要なのではないかということを考えつつ,福尾匠さんの『眼がスクリーンになるとき』で提示されている「リテラル」と絡めて考えると面白いかもしれないなどと思っています.

追記:2018/10/05
シンポジウムで3人のレクチャーが終わり,次のディスカッションへの休憩時間のあいだに,青木さんの話を受けて,谷口さんが「フェノメナルな透明性」は様々な要素が入り込んでできるものだとすると,「フェノメナルなインターフェイス」は入出力以外の要素が入り込んでくると考えられて,とても興味深い,と言っていたのが気になっていたことを思い出したので,追記しておきます.確かに,「インターフェイス」はふたつの存在のあいだにだけあるものではなくて,もっと多数のあいだにも現れるものとしても考えられるかもしれない.