GIFアニメとTumblrが出会った!
『Designing Tumblr』のなかにアーティストの谷口暁彦さんが書いた「GIFアニメの質感」というテキストがあって,そこには次のように書かれています.
Tumblr関係でもうひとつ面白い指摘があって,それはGoogle Earthの地図のバグを扱ったテキスト「The Universal Texture」のなかに不意に現れた一文です.Google Earthを論じたテキストにいきなりTumblrが出てきて驚いたのですが,それは「デジタルメディアの世界で,この流れるような連続性はTumblrの無限スクロールに似ている」というものです.Google Earthが航空写真のコラージュでありながら,「Universal Texture」というアルゴリズムでそれらを滑らかにつないでいく,その滑らかさがTumblrでの延々と続いてくスクロールに似ていると,Clement Vallaは指摘するのです.Vallaのテキスト自体は,Universal Textureによって論理的に正しく画像が滑らかにつながれていくなかで,道路が歪み,建物が波打つという,アップル独自の地図アプリでも話題になっているあり得ない風景が描かれていくということがメインに書かれています.
それで,谷口さんが指摘するGIFアニメの「そこにあり続けるという質感」と,VallaがGoogle Earthを経由して指摘する「Tumblrの流れるような連続性」というのは結びつくのではないかと,私は考えたいわけです.常にそこにあるようなGIFアニメは自らの存在を最大限に発揮するために,常に流れていくようなプラットフォームを求めていて,常に滑らかに流れていくTumblrは,その流れを妨げない,さらに,その流れとともにそこに在り続けるメディアを求めていたということです.そして,「GIFアニメとTumblrが出会った!」となるわけです.
さらにここに,Vallaが取り上げている「地図」の問題を絡めることができれば面白いのではないかと考えるわけです.論理的に正しく画像がつながれるなかで,あり得ない風景が生まれるというところです.GIFアニメとTumblrと地図から,現在の映像の在り方を考えることが考えてみると面白いのではないか.流行りものに身を任せつつ,そして流行りものだからこそ,無理矢理にでもつなげて考えることで,何か見えてこないかなと思いつつ.
Tumblrも地図も滑らかににつながっているわけですが,GIFアニメ自体は滑らかではないわけです.滑らかなプラットフォームに,カクカクした動きのものが入りこんでいる.しかし,そのカクカクした映像は,その特質ゆえに滑らかな流れのなかに入り込んで,そして入り込むことで自らの「そこにあり続けるという質感」をよりアピールすることになったりする.滑らかな流れのなかのカクカクと動く物質のような質感の存在が入り込むと,流れは分岐する.それがリブログを誘発? これは言葉をただただ流していくなかで書かれているにすぎませんが,それはそれで面白いかもしれない.
一方,GIFアニメには再生ボタンが無く,読み込みと同時に再生され,読み込みと同時に再生され,ほとんどどれも数秒程度の短さでループをひたすら延々と繰り返す.その再生時間の短さ故に,リロードしても,最初から再生し直しているようには見えない.むしろそのページにアクセスする以前から,ずっとGIFアニメは動き続けていたようにさえ感じられる.このようなGIFアニメの在り方は,停止するとイメージが失われてしまう映像よりも,むしろ実際に質感を持った物質のような存在に近いのではないないか.「私がそれを見ていないくてもそこに在りつづけるだろう」というリアリティだ.ここでGIFアニメに関して指摘されている再生ボタンやループの問題は以前から私も考えてきたのだが,その先に書かれている「私がそれを見ていなくてもそこに在り続けるだろう」がとてもいいと思う.実際にTumblrのダッシュボードで流れてきたGIFアニメは,私の眼の前のディスプレイに現われた瞬間には再生されているし,画面から消えていくときにもあいも変わらず再生しているから,いつまでも,そしてどこでも再生しているのだろうなという感じを受ける.まさに,「そこにあり続けるという質感」です.
Tumblr関係でもうひとつ面白い指摘があって,それはGoogle Earthの地図のバグを扱ったテキスト「The Universal Texture」のなかに不意に現れた一文です.Google Earthを論じたテキストにいきなりTumblrが出てきて驚いたのですが,それは「デジタルメディアの世界で,この流れるような連続性はTumblrの無限スクロールに似ている」というものです.Google Earthが航空写真のコラージュでありながら,「Universal Texture」というアルゴリズムでそれらを滑らかにつないでいく,その滑らかさがTumblrでの延々と続いてくスクロールに似ていると,Clement Vallaは指摘するのです.Vallaのテキスト自体は,Universal Textureによって論理的に正しく画像が滑らかにつながれていくなかで,道路が歪み,建物が波打つという,アップル独自の地図アプリでも話題になっているあり得ない風景が描かれていくということがメインに書かれています.
それで,谷口さんが指摘するGIFアニメの「そこにあり続けるという質感」と,VallaがGoogle Earthを経由して指摘する「Tumblrの流れるような連続性」というのは結びつくのではないかと,私は考えたいわけです.常にそこにあるようなGIFアニメは自らの存在を最大限に発揮するために,常に流れていくようなプラットフォームを求めていて,常に滑らかに流れていくTumblrは,その流れを妨げない,さらに,その流れとともにそこに在り続けるメディアを求めていたということです.そして,「GIFアニメとTumblrが出会った!」となるわけです.
さらにここに,Vallaが取り上げている「地図」の問題を絡めることができれば面白いのではないかと考えるわけです.論理的に正しく画像がつながれるなかで,あり得ない風景が生まれるというところです.GIFアニメとTumblrと地図から,現在の映像の在り方を考えることが考えてみると面白いのではないか.流行りものに身を任せつつ,そして流行りものだからこそ,無理矢理にでもつなげて考えることで,何か見えてこないかなと思いつつ.
Tumblrも地図も滑らかににつながっているわけですが,GIFアニメ自体は滑らかではないわけです.滑らかなプラットフォームに,カクカクした動きのものが入りこんでいる.しかし,そのカクカクした映像は,その特質ゆえに滑らかな流れのなかに入り込んで,そして入り込むことで自らの「そこにあり続けるという質感」をよりアピールすることになったりする.滑らかな流れのなかのカクカクと動く物質のような質感の存在が入り込むと,流れは分岐する.それがリブログを誘発? これは言葉をただただ流していくなかで書かれているにすぎませんが,それはそれで面白いかもしれない.