[インターネット アート これから]の「これから」を考えるためのメモ_07

[インターネット アート これから]の「これから」を考えるためのメモ_06で「ハッカー/デフォルティスト」という区分けのことを書いていて,この区分けについて考えたメモ

「ハッカー/デフォルティスト」という区分けを成立させているのは,デジタルを「自然」と感じるのかということなのかもしれない.デジタルを操作可能な空間として捉えるとハッカー的になるし,もうそれは「自然」としてあって,そこの法則に従うとなると「デフォルティスト」となるかもしれない.しかし,これもまた「ハッカー|デフォルティスト」の区分けを解釈しているにすぎない.あたらしい区分けは出てきていない.「区分け」する必要もなくて,「自然」でハッカーとデフォルティストをまとめて,つなげてしまうというのもいいかもしれない.「自然」でまとめてどうするのかということもあるので,さて,どうするか.「自然」とかではなく,もっと違う言葉が必要なんだろうな.もっと違う言葉で,今までの流れを滑らかにつなぐことができれば,いいな.その点,さやわかさんの『僕たちのゲーム史』はとても鮮やかでした.

テレビゲーム
・変わらない部分・・・・・ボタンを押すと反応すること

・変化する部分・・・・・・物語をどのように扱うか
という2つ原理で,テレビゲームの歴史をなめらかにつないでました.
じゃ,
[インターネット アート]の[これまで]と[これから]をつなぐ原理って,もしあるとすれば,何なんだろう? 今は,考えつかないので,また今度.

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