言語的な決めごと/メタファー/人工的自然

少し前に、工学部の学生と、アップルはなぜ一つボタンにこだわるかという議論をしました。「もうひとつか二つボタンがあるだけで、格段に使いやすくなるのに」という学生に、iPhoneのインターフェースは「やってみればわかる」を基本にしているからじゃないかと私は答えました。

複数のボタンを機能させるためには、必ずある種の決めごとが必要になります。その決めごとは文字や記号で表示されることになり、それを理解しない限り、そのキーを使うことはできません。アップルはそういう言語的な決めごとを嫌ったのでしょう。
「言語的な決めごとを嫌った」というフレーズ.文字や記号での表示をしないこと.直観的と言われていること.「やってみればわかる」.こうなってほしいと思って,やってみるとその通りになる.こうなって欲しいという元に,物理的世界での法則があるときが多いけど,厳密に考えてみると違う.あくまでもメタファー.メタファーの連なり.でも,もうメタファーですらないのかもしれない.もともとメタファーは,ヒトがコンピュータを使っていることを「説明」するために使ったものであって,コンピュータで起こっている事象そのものではない.メタファーなしでコンピュータでの事象を説明すること.説明するためのメタファーが見つからないのではくて,そもそも使うための説明自体が必要ないこと.
すべてのものは何らかの仕方でメタファー的に理解されるものです.そのとき,すべての物事は,言語使用なかで使用可能性の圧縮,同一視,豊富化の手続きによって,いわば技術的に自立化されます.「メタファー的」という言葉をこの広い意味で理解するなら,メタファーに対して非難を向けられる筋合いはありません.しかしまたその場合は,一般化して,たとえば「過程」という概念もメタファー的であると言うべきでしょう.この概念は,社会学には哲学から,哲学には法学から,法学には化学から取り入れられたのでしょうか.この方向は逆かもしれませんし,わたしはそれほど厳密に跡づけることはできません.いずれにせよ結局は,すべてはメタファー的なのです.(p.125)
システム理論入門:ニクラス・ルーマン講義録【1】
メタファー的ではなく,直接理解されること.右に指を動かすと,ディスプレイ上のイメージも右に動く.マウスとカーソルとを用いた GUI で生じる自分の手とカーソルを「同一視」する「過程」を経ることなく,ディスプレイ上のイメージと自分の手の関係を理解してしまうこと.

 
参加者の一人がつれてきた一歳半のお子さんが、ふと父親のiphoneに手を伸ばしたのです。まだほとんど意味のある言葉も話せないのに、左手でそれを持ち、右手の人差し指でキーをスライドさせて、こともなげにロックを解除させました。唖然として見ていると、そのままアプリ一覧をスクロールして、ipodアプリを立ち上げ、自分が映っているビデオや、家族の写真を拾いだしてきて、こちらを見てにっこり。
iPhoneを使いこなす赤子 in 山中俊治の「デザインの骨格」
アラン・ケイの娘さんは,マウスを使って絵を描いている.でも,デスクトップ・メタファーを理解した上で,マックを操作しているとは思えない.そして,実際に円を描くのとは異なるマウスを対角線に動かしてその大きさなど決める描き方で描いている.別に驚きもせずに.この子は,手とマウスとを「同一視」しているのだろうか?

また,山中さんが見たお子さんは,ピンチイン・アウトはできたのだろうか.これらは「言語的な決めごと」のような気もしますので気になります.できたとすれば,マルチタッチ・ジェスチャーは言語以前のヒトの世界認識と関係があるのではないかという可能性が生まれて興味深いし,できないとしても,それはそれで,iPhone を使っていて気持ちいいのは「言語的な決めごと」と「言語以前の決めごと」とをバランスよく取り入れたインターフェイスだからと言えるかもしれません.いずれにしても,こういったものを自然なものとして受け入れていくヒトが多くなってくると,そこに「人工的自然」が生じていくのでしょう.

「人工的自然」の中でのメタファーの役割は,自然を理解するためのメタファーと同じなのだろうか.「人工的自然」そのものがメタファーだとすれば,メタファーをメタファーで理解することになるだろうか.あるいは,メタファーで世界を理解すること自体が「言語的な決めごと」だとすると,私たちがメタファーでインターフェイスを理解しなくなってきていることは何を意味するのだろうか.もしかしたら,今後優れたインターフェイスと触れ合う中で,ヒトは「言語的な決めごと」なしで世界そのものを理解できるようになっていくかもしれない.

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