情報隠蔽から生じる「共在の秩序」

スモールトークは,ゼロックス社のパロアルト研究所で,スミスの博士論文のアドバイザーでもあったアラン・ケイらのグループが作りだしたオブジェクト指向型のプログラミング言語である.その特徴は,互いに独立したオブジェクトと呼ばれるまとまりが存在し,その間を,メッセージが行き来することで,プログラムが実行されるということにある.それは,過去のプログラミング言語を改良したものではなく,プログラムにおける新しい概念を作りだしたものであったと,ラインゴールドとレヴィンは,次のように記している.
スモールトークは,FORTRAN や COBOL の時代のバッチ処理を基本とする低性能の真空管コンピュータよりはるかに高速で,メモリも大きいトランジスタ・コンピュータを相手にする対話型プログラミングで育った世代が生んだ,最初の画期的成果である.スモールトークは,ソフトウエア・オブジェクトから構成される体系という新しいメタファーを提示した.ソフトウエア・オブジェクトのそれぞれが固有のデータと命令を内包し,命令を実行するというよりもメッセージを交換しあう形で演算処理をするのである.スモールトークは,また一つの新しい言語ができたという以上の意味を持っていた.コンピュータ処理とは何か,コンピュータに何ができるのかを新しい視点から考えなおす道を開いたのである.3-32)
では,なぜ,スモールトークは,このようなまったく新しい視点を,プログラミング言語に提供することができたのであろうか.それは,オブジェクト内部の情報が,他のオブジェクトから隠されており,互いの情報に干渉することはできないという情報隠蔽の原理によると,春木は指摘している.
オブジェクトは,実装の上からは単に内部の情報を隠蔽した構造体でしかないのですが,その情報隠蔽のメカニズムを併せ持つことによって得られる効果は非常に強力なもので,オブジェクト指向の持つ利点は,概ねこの情報隠蔽によって提供されているといっても過言ではありません.内部の具体的な実装情報を外部に隠蔽することによって,オブジェクトは「まとまり」としての扱いと,メモリ上に連続した記憶域を持つという実装としての扱いを分離することができます.3-33)
先に述べたように,ノイマン型のコンピュータにおいては,記憶は線形的構造をとり,逐次的にしか情報を処理できない.しかし,春木の説明から明らかになるように,ノイマンロジックにおける情報処理の逐次性を隠蔽するという消極的な意味ではあるが,スモールトークは,この隠蔽によって,CPU による逐次的情報処理を意識しないプログラムを記述できるようなったのである.それは,情報の逐次的処理と非逐次的処理とが区別できるようになったということを意味した.この情報処理の形態の区別によって,インターフェイスの層として「絵」という非逐次的で平面性を示す要素をユーザに見せることと,CPU の層として「変数」「参照」「データ構造」「機能」という逐次的要素をユーザから隠すことを,同時に行なえるようになったのである.つまり,情報隠蔽というメカニズムによって,情報のまとまりである複数のオブジェクトが,互いの間に何ら序列関係を持つことなく,等価なものとして同一平面上に同時に存在し,メッセージ交換を行なえる空間が生まれたのである.しかし,情報隠蔽によって生み出され,序列関係を持たない新たな空間は,どのような秩序に基づいているのであろうか.このことを,ケイが,スモールトークとモナドロジーとの間に親和性をみていたことから,ライプニッツが考える空間の在り方から考察する.ライプニッツは次のように,空間について述べている.
私はどちらかと言えば,一度ならず述べましたように,空間は時間と同様に相対的なものだと考えています.空間は共在の秩序だと考えているのです.時間が継起の秩序であるように.というのも空間は,一緒に現実存在する限りでの同時に存在する諸事物の秩序を,可能性の言い方において示すものだからです.それら事物の個々の存在の仕方に立ち入ることなくです.そして,いくつもの事物が一緒に見られるとき,私たちは事物相互間のこの秩序に気付くのです.3-34)
ここで,ライプニッツは,空間のことを「共在の秩序」と呼んでいる.このことは,何を意味しているのであろうか.それを理解するために,ライプニッツが音楽のことを「隠れた算術」と呼んでいることを指摘し,そこに「隠れた」という言葉が添えられていることを重要視する米山の考察を参照したい.
ライプニッツが音楽を算術に従属するものだと捉え,音楽の楽しみあるいは協和音・不協和音の内に見出される楽しみという混雑した表象は「隠れた算術」に存すると主張することは興味深い.<隠れた>という言葉を添えていることが重要である.その理解のためにも,ここでこの語を一旦外してみよう.<音楽の楽しみは計算だ>と言ってみるのだ.即ち,計算が意識されているとするのである.どうなるか.実は,そうすると音楽を味わうことからは即座に離れてしまう.例えばリズムでも和音の成り立ちでもいいが,それを意識的に数えたり分析したりしてみるといい.これは既にリズムに乗ることや和音の美しさを感得することとは違う.3-35)
音楽と数学はともに同じものを目指していると多くの論者が指摘しているが,音楽においては,その計算の過程が隠れていなくては音楽になり得ないと,米山はライプニッツの言葉から指摘する.次に,米山による音楽に関する指摘を,ライプニッツの「共在の秩序」から考えてみる.つまり,音楽とは,個々の音符が,計算され,積み重ねられてゆくものではなく,その積み重ねの仕方が隠れたときに現れる「同時に存在する諸事物の秩序」であり,その秩序に基づいて表出される事物の配置を楽しむものであると.米山の考察を経由することで,ライプニッツが空間と考えている「共在の秩序」とは,時間という計算過程が隠れた瞬間に,その計算結果として生じていた事物の配置の関係性を表出させるものと考えることができる.
このように考えると,アラン・ケイが,オブジェクト指向型プログラミング言語であるスモールトークで,実現させた重要な性質である情報の非逐次的処理と,それを生み出す情報隠蔽は,空間とは時間が隠れることで生じる「共在の秩序」であるという,ライプニッツの思想と深く結びついているのである.つまり,オブジェクト指向という考えにおいては,時間に基づいて行なわれる計算を隠すことで,CPU の逐次的情報処理という絶対的な秩序から,空間という「共在の秩序」を作り出す.そして,この「共在の秩序」が,アイコンという絵画的記号のつながりによって記される地図を示すのに適した平面を,ノイマンロジックのコンピュータに与える.その結果,スミスは,CPU を制御することが可能な絵画的記号であるアイコンを,ディスプレイに配置できるようになったのである.

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3-34)
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