手が「本来」の器用さを発揮する /


Mag+ (video prototype footage only) from Bonnier on Vimeo.

このような電子書籍・雑誌はすぐそこまできているのでしょう.僕たちの手は本のページをめくってきた.本を開いて,その両端を親指で抑えたりしながら.指は,ページの端の方で,なるべく目立たないようにひっそりとしていた.ページをめくるときに,私たちの視界に入ってきても,すぐに端にいく手.じっとしている手.あまり動かない手.ページをめくる手.本を読んでいるときに,多くの時間をページをおさえる,そしてたまにめくるという行為を行っていく手.

下條 :子供にとって本の中身よりもページをめくることのほうが重要だったりするように,文化的に見えるものの生理的な基盤が,見えにくくても動かしがたくある.新しいIT技術はそこをまったくマーケティングしていないですよ.つまり,既存のメディアの周辺的に見えるようなデバイスで,歴史的かつ技術的な制約としてしか捉えられていないもののなかに,じつは人間の生物学的な構造の基盤が反映されていることがあると僕は思っているんです.(pp.155-156)
Mag+の手,指は,せわしなく動き続ける.ここにはめくるという行為はない.ページは人差し指でスワイプされたり,親指でタップされると切り替わる.また,ページ上のイメージは,,人差し指で指されたれて,そのまま拡大されたりする.手はよく動く.私たちの視界の中に遠慮無く入り込んでくる.ページをめくることが「生物学的な構造の基盤」の反映なのか,Mag+で行っているような手の動きがその反映なのかはまだわからない.しかし,ヒトが長い間ページをめくってきたことは事実である.それがただたんに代替のテクノロジーがなかったからなのかどうかが,今やっと実験できるときにきたのではないだろうか.

Mag+でヒトの手がせわしなく動くのを見ながら,私はディスプレイ上の→,カーソルのことを思った.コンピュータを使用している際に,私たちの手は視界の外にあるマウスなどのデバイスに置かれ,そこで比較的単純な行為を行ってきた.その単純な行為によって動かされているマウスは,せわしなくその姿を変えていた.単純な行為とイメージの多種多様な変化との組合せ.電子書籍には,そして iPhone にはカーソルは存在しない,そのとき,私たちの手がせわしなく動くようになっていることはとても興味深い.今まで私たちの手の変わりとなって働いてくれたカーソルがなくなると,手が「本来」の器用さを発揮する.いろいろな動きをするという意味での器用さ.本を読むときに失われていたかもしれない手の器用さを,電子書籍は取り戻してくれるのかもしれない.手の器用さは,本を読むという行為には必要ないものかもしれないし,もともと器用にページをおさえていたし,めくっていたではないかということもできる.でも,それとは異なるレベルでの「器用さ」が,テキストを読むという行為に入り込もうとしている.一つ一つの手の行為は,ただ画面上を指差しているだけで器用とは言えないけれど,それらを組み合わせる様はとても「器用」に見える.今まで,脳と身体が組み上げてきたシステムとは異なるシステムが立ち上がろうしている.

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